還暦は3回目の成人式…何をするにも健康が一番!!
来賓を代表して祝辞を述べたのは古川隆三郎、鐘ヶ江管一の両氏。言うまでもなく、現職と元職の島原市長さんだ。
古川市長は開口一番、先般島原市で開催された南こうせつさん(歌手)の実兄で曹洞宗僧侶の南慧昭(えしょう)さんのコンサートでの〝語り〟の部分を紹介。
「還暦は3回目の成人式。人間、60歳ともなると、酸いも甘いも全て経験済み。もう怖いものはない。4回目、5回目の成人式を目指してさらなるご活躍を!」とヒナ壇でかしこまる阿南、加藤の両氏を激励。「宗派の違い(岩永さんは日蓮宗)は乗り越えて…」と細かな心配りも忘れなかった。
また、島原市の新年度の施策方針についても少し触れ、「過疎地の指定は受けたが、そうした厳しい財政状況の中でも、『すくい』や『銀水』の復活を掲げるなど島原ならではの事業も多く盛り込んでいる」として理解を求め、主役二人には「持ち前のフットワークをさらに活かして下さい」とエールを送った。
鐘ヶ江さんは「まずは喜寿&還暦おめでとう!」と静かに切り出し、会場全体をしげしげと見つめ直しながら「懐かしい顔ぶればかりだ」と感慨深げに思い出話を始めた。
「若い頃は観光宣伝隊にもふるって参加していた。その過程で、大牟田市役所に勤務していた阿南さんと出会い、九十九ホテルのお嬢様(夫人)とのご縁も生まれた。阿南さんは昔から『弟』のような存在。お母様が亡くなられた時は大分まで葬儀に出向いたほどだ」としみじみ。
一方、加藤さんについては「海望荘時代から親交がある。一緒に長丁場の宣伝隊にも行った。私が市長を辞めようと決意した時、お世話になったのが日蓮宗の護国寺三十番神。職員の一人(僧侶兼務)が慌てふためいて『市長、宗派が違いますよ』と飛んで来たが、『関係なか!』と応じなかった。月日の経つのは誠に早いものだ…」と。
「私が市長になったのは49歳の時。年明けの成人者との懇談会でこう述べたことを今でも憶えている。『君たちは自分たちのことをまだまだ若いと考えているだろう。ばってん、すぐ60歳、70歳…になっとぞ。その時になって後悔せんごて、今からしっかり頑張らんば!』」などと気合を入れたものだ。
市長退任後、「ヒゲの市長さん」として全国行脚(防災講演活動)をしていた鐘ヶ江さんも過労がたたってか、一時期体調を崩していた。しかし、最近はいたって元気な様子で、最後はしっかりとした口調で壇上の後輩二人に人生の要諦を説いて締め括った。
「何をするにも健康が一番。私は『
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