2014/03/11

あの日から早くも3年…スタッフ4人が同行取材

日曜の午後、エディオン島原店(旧ベスト電器)にいた。特段欲しいものはなく、気の赴くままに店内を一巡。ダブル電源のLED灯と単三電池を買い求めた。

そう言えば、3年前の「あの日の午後」も同じ店内にいた。東北や北関東の太平洋沿岸域で大規模な地震災害が発生したことは事前のニュースで知ってはいたが、何十台と居並ぶ大型モニターに映し出される津波の映像は遥かに想像の域を超えていた。

しかし、それが「今まさに起きている現実だ」と理解するまでにさほどの時間は要しなかった。その後の犠牲者や被害の実態については、今さらここで言うまでもなかろう。

月日が経つのは早いものだ。あれからもう3年…。新聞やテレビでの取り扱いも「丸3年」の節目に合わせて日に日に熱を増してきているように思う。良いも悪いもない、それが「報道」というものだ。

今から23年前に普賢岳の噴火災害が起きた島原半島でも、色んな分野で「慰霊」や「激励」など様々な取り組みがなされている。どんなに距離が離れていても、そう我々は同じ「日本国民」なのである、と。

すでに本欄以外でも幾度となく取り上げたが、北田物産の北田幹二社長の呼びかけで島原伝統の「精霊船」が先日、宮城県気仙沼市に運び込まれており、10日夜には「さだまさしコンサート」の会場で紹介される運びとなっている。

夕刊の配達エリアであれば、この紙面が読者の皆様のお手元に届くちょうどその頃にNHK総合テレビで特別番組として放送されているはずだから、どうぞお見逃しのないように!

ちなみに放送時間は午後7時30分~午後8時45分。BS契約を結ばれていれば、引き続き午後10時まで視聴することが出来る。いずれも生放送。

実を言うと、筆者も北田社長に同行して取材するつもりでいたが、どうしても外せない用事があって泣く泣く諦めた。

ただ「その代わり」と言っては何だが、他の弊紙記者の参加を認めていただき、さらにカボチャテレビ、FMしまばら合わせて計4人の取材チームがいま、被災地の取材活動に汗を流しているはずだ。

噴火と地震―。災害の形態も規模も大きく異なるが、愛する肉親を亡くしたり、一瞬にして家屋敷が消失してしまったり…と、時に気まぐれとも言える大自然の営みの前には、人間の存在は余りにも小さく、そして無力だ。

しかし、だからこそ余計に「絆」を太くして「連帯」を深めていく必要がある。人と人との間と書いて「人間」。すべてはお互い様だ。

ややもすると、災害ネタは「記念日報道」になりがちだが、我々島原人はかつて全国の皆様方から頂戴した様々なご支援の有難味を決して忘れてはならない!今、改めてそんな思いでいる。