竹下ヤエミさん死す…天下一品だった「てんぐ」
島原市新町一丁目で鰻料理の「てんぐ」を営んでいた竹下ヤエミさんが、先月5日に亡くなっていたことがわかった。享年90歳。葬儀は身内のみで済ませ、御霊は生まれ故郷のお寺で安らかに眠っている、という。
「てんぐ」と言えば「うなぎ」、「うなぎ」と言えば「てんぐ」と称されるほどの〝名料亭〟を、それこそ女の細腕一本で切り回していた。
客筋は良く、地元の政財界の重鎮や医師会等々の先生方が足繁く通われていたようだ。筆者も時々ご相伴にあずかり、緊張しながら杯を重ねていた。
今でも思い出すのは「結婚祝いをしてあげよう!」と言って、長崎外国語短大の学長を務められていた布井孝良先生ご夫妻から家人共々に招かれて、ご馳走にあずかったこと。
先生は何が可笑しいのか良くわからなかったが、「ホッホ、ホッホ…」と笑いながら場を和ませて下さった。傍らの奥様も独特の「ワールド」をけれんみなく発揮されていた。
医師会会長だった浜田正夫先生父子から一人だけ呼ばれた時は、ふだん味わったことのない緊張感で身がすくんだ。
たが、それも一時。エンジンがかかってくると段々と気が大きくなって、注(つ)がれるままにコップ酒を飲み過ぎ、トイレに駆け込んでモドスという失態を犯した。
それもこれも今となっては「良き思い出」の一コマである。よくよく考えてみたら、これら恩師すべて今は亡き人々だ。
さり気ない心配りでいただくお酒の味も格別であったが、料理もこれまた逸品であった。刺身や鰻の美味さは言うに及ばず、〆に出てくる炊き立て艶々の白ご飯と味噌汁…。
残念ながら、その味はとうとう〝幻〟となって久しいが、若かりし頃に幾度もその味に出合えただけでも〝僥倖〟と言うものだろう。
今になってハタと気づいたが、「てんぐ」という名前の由来を聞くこともなく時は流れてしまった。不覚である。ただし、竹下さんが俗にいう「鼻もちならない天狗女」でなかったことだけは確かだ。
いつお会いしても、絶えずにこやかな笑みを浮かべられ、「社長様や奥様、ご家族の皆さんはお元気ですか?」と気さくに声を掛けてくださった。
お店の存在もさることながら、もう二度とあの〝笑顔〟に会えないのかと思うと、本当に悲しくなって泣けてくる。
恐らく、多くの「てんぐ」ファンの方々も竹下さんの訃報を知らないまま過ごしていることだろう。そこで提案がある。どうだろう、「『てんぐ』のママさんを偲ぶ会」(仮称)を催してみては如何か?
もうみんな年をとっているので「斗酒なほ辞せず」とはいかないまでも、話のついでに焼酎の水割りくらいなら。筆者もそろそろ忌明けだし…。
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