2014/06/19

ゆで玉子なら97個…山岡鉄舟は桁はずれの豪傑

山岡鉄舟(1836~1888)が豪傑だった!という史実を、島原文化連盟委員長の宮崎金助先生の著書『精神文化としての武士道』(昨年8月刊)から教わった。

しばらく間をおいて、宮崎先生と同門(國學院大學出身)のエッセイスト嵐山光三郎先生の最新刊『年をとったら驚いた!』(新講社)を読み、さらにその魅力にはまった。

宮崎先生が生真面目にその人となりを紹介しているのに対し、嵐山先生の切り口はいかにも週刊誌風で面白い。なにより登場人物が多士済々。思わず引き込まれてしまった。

トップバッターをつとめているのは、時代劇にも出てくる浅草六区のテキ屋の総元締め、火消しの新門辰五郎。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜に気に入られ、「京都に行くので誰か気っぷのいい女を紹介せよ」と言われ、惜しげもなく愛娘を差し出す。

明治2年、辰五郎は清水次郎長と兄弟分の盃を交わす。その次郎長は養子の身でありながら博打と喧嘩に明け暮れていたが、鉄舟と出会ったことで運気が上昇。後に富士山麓の開墾にも取り組む。

宮崎先生の著作によれば、剣の達人でもあった鉄舟は身長6尺2寸(188㌢弱)、体重28貫(約105㌔)の偉丈夫。

酒も滅法強く、慶喜公に従って水戸入りした際には、土地の酒豪と飲み比べをして、相手が5升で退散したのを尻目に悠々と7升を飲み干した。また、一度にゆで玉子97個を平らげる大食漢だった、という。

時代はさかのぼって慶應4年。勝海舟と西郷隆盛の江戸城明け渡しの交渉の際に鉄舟が見せた剛毅な振舞いに、「命もいらぬ、名もいらぬという男は始末に困る…」などと、さすがの西郷ドンも度肝を抜かれた、とか。

鉄舟はまた書の達人。千円の借金の証文代わりに書いた「なくて七癖 私のくせは 借りりゃ返すがいやになる」の紙切れは、そのまま千円の値札が付いたという逸話も。

嵐山さんは「辰五郎、次郎長と鉄舟を主役とした〝裏側サスペンス〟を三年後に出版したい」と書いている。早く読みたい!!