2007/02/28

小涌園はオソロシカ!? - パソコンは〃造語〃の名人 -

随分と留意しているつもりだが、ついつい間違えてしまう。先日も本稿を送った後で、毎日新聞の一面コラム名を「余禄」としてしまったことに気付いた。正しくは「余録」。

原因をパソコン(PC)のせいにするのは卑怯だが、時としてPCは面白いと言うか、「迷回答」「珍回答」を出してくれる。

例えば、島原観光ホテル。通称「こわきえん」だが、「小」「涌」「園」と単漢字変換をしないことには、「怖き園」となってしまう恐れもあるのだ。

他にも似たような事例が沢山あるが、差し障りがあるので止める。安達じゃなかった、足立社長ゴメンナサイ。

その足立社長と、アポロ興産の馬渡会長と先年、とある宴席で一緒になった。足立社長は約十年ぶりの島原ご帰還だが〃貫禄〃の程は、申し分ないまでにビッグになられている。

一方の馬渡会長は、昔で言う「六尺男」で、背の低い筆者などは、同じ床面に並んでいては、とてもその頭上の様子は窺い知るべくもない。

その三人が某ホテルの薄暗い廊下で一堂に会した。お互いに牽制し合うように〃腹回り〃を見つめながら、誰が発したか忘れたが、「ベルトの長さを比べてみよう!!」。

結果は足立社長が栄えある第一位。僅差で二人が続いた。振り返ってみると、この日が、我が「メタボリック人生」のデビュー戦だった。

   ※   ※  
 
27日付の朝日新聞の社説は、伊吹文科相の長崎(自民党支部大会)での「人権発言」を取り上げ、批判している。

記事によれば、大臣は「(義務を忘れて)人権をあまりに重んじすぎると、社会が(人体におけるメタボリック症候群のように)おかしくなる」と言ったのだそうだ。

この発言に対して、朝日は「いじめ」や「虐待」「強圧的な取調べ」等の問題を取り上げて「メタボどころか、人権はまだまだ栄養が足りない」と厳しく弾じている。

議論はお任せするとして、例えば「じんけん」をPC変換してみると、初めに「人権」が来て、次に「人絹」「人件」と続く。

「人絹」とは懐かしい言葉だ。辞書で引くと、「人造絹糸の略。レーヨン」とある。昔は良く「ジンケン」「スフ」とか言っていた。

人絹は文字通り、人工的に造られたもので、当然のことながら繭から育て上げた「正絹」(しょうけん)とは、本質的にはまったくの別物だ。

難しいことは分からないが、本来、人に備わった生きるための権利が「人権」であるはず。ところが昨今は「親を親」「子を子」と思わないような凶悪な犯罪が頻発している。

虚栄という「人絹の衣装」をまとった悪魔が、誰しもの心の奥深く潜んでいることだけは確かだ。


2007/02/19

長崎 - 早稲田1,250km - ことしは珍しい「無春年」 -

早稲田大学はことし創立125周年を迎える。記念日は10月21日だ。

白井克彦総長によると、創立者・大隈重信は従前より「人生125歳説」を主張。それが機縁となって、同学では5年ほど前から、組織を挙げて「募金活動」(目標200億円)に取り組んでいる。

長崎は若き日の大隈候が勉学に勤しんだゆかりの地でもあることから、五島町の「到遠館」跡には石碑も建立されている。

そこを起点に、きょう18日、長崎-東京(早稲田大学)1,250キロをつなぐ「P125ウォークリレー」が始まる。

全行程は7日間の休養日を挟んで84日間。長崎稲門会(会長・前原晃昭NCC社長)が特別に誂えた「通行手形」がタスキ代わりとなる。

さて、ことしの2月18日は、中国で言うところの「春節」。いわゆる「旧正月」で、長崎では「ランタンフェスティバル」が同時に開幕する。

そんなこんなでバタバタしているところに、山本屋会長の山本蔦五郎さんがニコニコしながら訪ねて来られた。

スワ!!「選挙か」(息子さんが市議選に出馬表明)、と一瞬身構えたが、ナンと同会長が取り出したのは、後援会への入会案内資料とかではなく、新聞の切り抜きコピーが二部。

一つは日蓮宗の機関紙の論説(2月1日付)。あと一つは毎日新聞一面コラム「余禄」(同11日付)だった。

どちらの記事も、ことしは「立春」(2月4日)の後に「正月」(旧暦)が来るという〃特殊な年回り〃であることを報じている。ちなみに昨年の「春節」は1月29日だった。

年のうちに 春は来にけり 一年(ひととせ)を 去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ」(古今和歌集)-。

「余禄」によれば、ことしのような年を中国では「無春年」と呼び、その年に結婚すると、女性は夫に先立たれる」という〃迷信〃があるのだそうだ。

そのためか、昨年は中国各地で結婚するカップルが多かった、というから面白いではないか。

十二支で言うと、ことしの干支は「イノシシ」だが、中国では「ブタ年」。お説によると、多産のブタは〃家運隆盛〃のシンボルらしい。

家運の話で思い出した。以前、女優の室井滋さんが週刊文春に寄せた随筆の中で、「古里・富山県では、ザクロは割れるので〃不吉な果物〃との評価だ」と述べていたが、果たしてそうなのか?

乏しい記憶では、「実が幾つにも分かれることは〃子孫繁栄〃の象徴。〃縁起物〃の一種として重宝がられてしかるべきはず」だったが…。

誰かご存知であれば教えを乞いたい。何なら、「機械発言」の柳沢厚労相にでも訊いてみるか!?


2007/02/16

所詮〃便乗商法〃じゃ - そんならもっと乗りまくれ -

2月14日はご存知「バレンタインデー」。テレビでは朝からバカ騒ぎを繰り広げている。

かく言う私も淡い期待を抱いて出社したが、この原稿を書いている正午時点で、集まったのは我が社に6人いる女子社員連名の、正真正銘の〃寄せ集め義理盛りパック〃のみ。

バレンタインデーが騒がれ出したのはいつ頃からだろうか。モノの本やインターネットで調べれば、ある程度のことは分かるのだろうが、今年はアガリが少ないので止めた。

昔「チロルチョコレート」というのがあった(今もあるらしい)。私にとって、「10円あったらチロルチョコ」というCMは、忘れられない名コピーだ。

高校生当時、バレンタインデーはすでに普及していて、モテル奴にはそれなりに恩恵があった。一方で全然モテなかった我々は、チロルを自ら買い求めては、互いの無聊(ぶりょう)を慰め合っていた。

チロルの中身は白い米飴で、三つの山があり、大手菓子メーカーのそれとは明らかに一線を画したオリジナルな味わいだった。

我々はその一つ一つの山を丁寧に齧りながら、来るべき「リベンジの日」を夢みていたが、どうやら「その日」が来ることはなさそうだ。もう、みんな50歳を超えた…。

自分が貰えないから恨みがましく言うわけではないが、「バレンタインと騒いでも、所詮は便乗商売でしょ」。だったら、もっと徹底して便乗されたら如何。例えば、卒業式に合わせて、業界挙げて「和菓子」(我が師)の一大キャンペーンを張るとか?

それから、これは小浜温泉の人々に申し上げたい。今アメリカでは次期大統領選に向けて立候補予定者が取り沙汰されている。

共和党は元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏ら。民主党ではヒラリー・クリントンの有力対抗馬として、黒人初の大統領を狙うオバマ上院議員の株が急上昇している。

先日、リンカーンゆかりのスプリング・フィールドで開かれた集会の映像を見ると、まさにプラカードに刻まれているのは「OBAMA」の5文字。

もし当選でもしたら「オバマ」の名前が世界中に広がることはうけあい。うかうかしていたら、福井県の小浜に先を越されてしまいかねない。

それと、もう一つ。有明、国見、瑞穂の各町では、同じ名称を持った全国の自治体との交流を図っていたが、小浜はなぜ取り組まなかったのだろうか。

小浜市のある若狭湾から京都に向かう道筋は「鯖街道」というとても由緒ある地名。福井ではヘシコサバというエタリとも相通じる〃珍味〃もある。

霧島やカナダも結構だが、ここらで一つ思い立たれてはどうか。プレジデント誌最新号は「思いつく力」を特集している。


2007/02/15

現場が大切なのだ!! - 新聞記事で蘇った思い出 -

郁文館は明治22年に創設された学校法人。民俗学の泰斗、柳田國男をはじめ多くの著名人を輩出している名門だ。

バイト当時は、そんなに由緒ある学校だとは知りもしなかったが、校長一家には何かしら〃威厳〃のようなものが漂っていた。

ある日、後継者と思しき長身・長髪の男性が現れた。今で言う「イケメン」の一種だろうが、頭も良さそうで、慶応の〃銀時計〃とかいう触れ込みだった。

我々のネグラはタコ部屋。同居人は「チーフ」と称する調理人と、学校お抱えの運転手。確か「ヤマちゃん」と呼ばれていた。

チーフは東北出身で赤いほっぺをした、嫌味な野郎だった。絵が上手くて、休憩時間に、良く「トラの雄叫び」のような構図を描いていた。

ヤマちゃんは色白で小太り。黒縁の眼鏡をかけ頭は禿げかかっていた。そのステテコ姿は、今で言う「メタボ」に他ならない。

仕事は大浴場の掃除に始まって、ホールの後片付け、食事の下準備など多忙を極めた。今でも忘れないのはカレー料理。何せ百人分余りを作るのだから半端じゃなかった。ジャガイモは大きな桶に櫂のようなもの突っ込んでゴリゴリ。

チーフ曰く「ルーの旨みを引き出す」ということで、何時間も何時間も掻き混ぜさせられた。お陰でしばらくは体中からカレーの臭いが取れなかった。

また、ある日のメニューは鮎の塩焼き。養殖池にパンツ一枚で飛び込んで奮闘した。今度は魚の臭いにまみれた。

一度だけ休みをもらって軽井沢へ出かけた。山道をバスで下って約1時間。この時ほど「女性は美しい!!」と感じたことは、無論これまでにもない。

新聞で渡邉美樹氏の記事(理事長就任)を読んでいなければ、郁文館のことを思い出すこともなかったろうが、縁とは不思議なものだ。

文藝春秋3月号に、ジャーナリストの上杉隆氏が『暗闘・教育再生会議の内幕』と題したレポートを寄せている。それを読むと、渡邉氏が企業経営者としての嗅覚を生かした言動をしていることを感じる。

先ごろ、日本テレビ日曜朝の人気番組『波乱万丈』の中で、氏の半生を特集していた。裕福だった少年時代から一転「母の死」「父の事業失敗」に遭遇。それらを乗り越え、事業経営と併せて、教育改革を志した氏の胸中は?

「ゲンバ・イズ・インポータント」(現場が大切なのだ)は、日産の救世主カルロス・ゴーン(CEO)の口癖だ。

さて、小嶺忠敏前国見高サッカー部総監督(当社CAO)は「教育現場の姿を国に訴える」と、次期参院選出馬を表明。その意気込みが大きな「ロングパス」として永田町へ届くかどうか、は有権者の判断次第である。


2007/02/10

目の上のハナクソ!? - 郁文館は我らの青春だったが -

フラフラの宿酔状態で顔を洗い髭を剃る。まあ頭はどうでも良いとして、アフターシェーブ・ローションなるものをパタパタとはたいて、いざ完了!!

と、思いきや、鏡を覗くと、腫れぼったい右の瞼の端に、何やら白っぽいモノが見える。何のことはない、鼻糞の塊だった。

「目の上のタンコブ」とは良く聞くが、「目の上のハナクソ」では、どうにも収まりが悪い。そう言えば「メクソ、ハナクソを嗤う、というのもあったなあ…」と自虐笑い。

朝から、何とも締まりのない暮らしぶりで申し訳ないのだが、1年ほど前からアレルギー性鼻炎に悩まされている。時々、耳鼻科で両の鼻孔に管を差し込んで洗浄してもらうのだが、なかなか治らない。

それにしても最近は朝の洗面用具がややこしい。てっきり歯磨きと思い込んで歯ブラシで擦っていると、どうにも味が違う。何のことはない、ニキビ用の洗顔フォームだったりする。

島原生き残りと復興対策協議会で上京した折、まだお元気だった頃の高橋三徳さん(呉服の丸三社長)と星野國守さん(星野建設社長)のお2人が、ホテル備え付けのリンスを顔に塗りたくっていたエピソードを思い出しては、1人ほくそ笑んだりしている。

ここ数日は右顎がガクガクする。実際に自分の耳には「音」まで聞こえるので、家人に「耳を澄ませ!!」と命じるが、「バーカと一緒」と軽くいなされる。トホホ…。

さぁーて、受験シーズンである。センター試験が済んで、地方の私立大学を皮切りに東京方面へと「受験前線」が移動している。高校受験もそろそろ本番間近だ。

自分の受験話はさておくとして、最近、政府の教育再生会議委員の一人として活躍中の渡邉美樹という人物がいる。明大商卒、47歳。ご存知、全国的な居酒屋チェーン「ワタミフードサービス」のオーナーだ。

知り合い云々といった話ではないが、何年か前、東京・郁文館学園の理事長に就任、という新聞記事を見て驚いた。飲食チェーンのオーナーが教育界に乗り込んだ点にニュース・バリューがあったのだろうが、私の見方は違った。

郁文館という学校名にビックリしたのだ。貧乏学生の頃(今でも十分貧乏なのだが…)、今では雲仙市の市長さんとなっているO氏と一緒に、同校の夏合宿場で、住み込みのアルバイトをしていた。

場所は長野県の小県郡(ちいさがたぐん・当時)。同校は東大の本郷校舎の近くにあり、漱石の小説にも登場するくらいの伝統校。合宿所もグラウンド付きの大層立派な施設だった。

経営権移動の背景に何があったのか知る由もないが、とにかく我々はテレビも自動販売機もないその場所で一夏を過ごした。


2007/02/03

学校はつぶれん!? - 「授業料」を払わない親も -

全国的に給食費の未払いが問題となっている。その額は合わせて22億円。うち経済的理由は全体の3割しかない、というのだから驚いてしまう。

似たような話で「授業料を納めないでおきながら、子供が自動車学校に行くので卒業見込み証明書がほしい、と堂々と申し出てくる親もいる」と、某校長経験者がこぼしていた。

その人によれば、そうした理不尽な要求をしてくるのは、たいがい派手な格好をして、高級車を乗り回しているような輩が多い、という。

学校給食と言えば、年配者間でまず話題になるのは「脱脂粉乳」のことだが、私自身、確かにその味が記憶に残っている。

「もはや戦後ではない」と称された年より1年ばかり早く生まれているので、恐らく最後の「脱脂粉乳世代」に属しているのだろう。

「それ」は、イジメに遭って嫌々ながら通っていた保育所の廊下の片隅に置かれていた。初めて見るような寸胴鍋に、乳白色というより、やや土色がかった液体。

「もう見るのも嫌」という加賀まりこさん(女優)のような人もいるが、私は別段、苦手ではなく、アルミカップになみなみと汲んでは飲み干していた。

小学校に進んでからの給食は、パンと牛乳だった。通常は小ぶりのマーガリンが付いていたが、たまにジャムの日もあって、その時はやけに嬉しかったことを覚えている。

牛乳ビンのフタは即座に遊び道具に化けた。フチに小刀などで切れ目を入れ、手裏剣代わりに輪ゴムで飛ばしていた。

余談だが、その頃は大瀬康一主演の「隠密剣士」(日曜よる7時)が大流行で、スポンサーは武田薬品。そのあと7時半からが、今話題の不二家提供の「ポパイ」だった。

給食の話に戻る。武田鉄矢の母親イクさんは「母ちゃん、給食費ばくれんね」とせがむ鉄矢少年に対し、「そげんとは払わんでよか。学校はつぶれん」と一喝していた、という。

我々の高校当時はフォークの全盛時代。拓郎や陽水らが圧倒的人気を誇っていた。そんな中に突如現れた、鉄矢率いる海援隊。「母に捧げるバラード」には、軽いカルチャー・ショックすら覚えた。

今では特異な性格俳優の地位を築き上げ、テレビや映画等でも活躍中だが、今回の給食費未払い問題について当の〃金八先生〃はどう考えているのだろうか。是非、コメントを伺いたい、ものだ。

私個人としては、島一小の学校評議員を仰せつかっている関係で、時々試食会にも招かれるのだが、果たして、地元の実態はどうなのだろうか。

学校どころか自治体そのものが破綻する時代を迎えて、何ともやるせないニュースである。