2014/05/28

記者たる者の心得…小浜観光ホテルが復活!!

〈泣いた女が馬鹿なのか 騙した男が悪いのか♪〉。27日付けの長崎新聞を(ビジネス面)開いて思わず唇を噛みしめた。もちろん〈赤いルージュ〉なんか引いてはいないが…。

冒頭の歌詞は、テレビの司会業などで活躍中の関口宏さんとの結婚を機に芸能界を引退して久しい西田佐知子さんが歌って大ヒットした、『東京ブルース』(1964年リリース)の歌い出しの一節だ。

さしずめ、今の筆者の心境は〈馬鹿な女〉か。となると…〈騙した男〉は一体誰なのか?回りくどい言い方をして恐縮だが、小浜観光ホテル復活の〝特ダネ〟をかっさらわれて悔しい限りなのである。

この件については、雲仙市の金澤秀三郎市長が去る18日に東京で開かれた「関東島原半島会」で情報を開示していた。そこで、数日前に当事者のジスコ不動産(諫早市)に問い合わせをしたところ「もう少し待ってくれ」とのお達し。

そして昨日(26日)、「28日に記者会見を行う」との連絡が同市役所からFAXで入った。これが一連の流れである。

筆者ごときが後から怒っても詮なきことだが、結果としては、同市役所及び関係者の対応は「騙し討ち」に等しくはないか…。それとも長崎新聞記者のフライングか…。と、ここまで書いてきて、以前の苦々しい記憶がよみがえってきた。

それは、20年以上も前の噴火災害下でのこと。大切に&大切に温めてきた〝超特ダネ〟を他社(全国紙)にすっぱ抜かれて、「(記者たる者)知っていて書かない方が悪い」と、こう然と胸を張られて言われたことだ。あの頃は若かったので今以上に悔しかった。

いずれにしても、28日の記者会見は福岡出張と重なっているので出席は出来ないが、記者としての感情的な問題は脇に置くとして、小浜温泉街の〝中核施設〟がどういう形であれ息を吹き返すことは誠にもって喜ばしい限りである。

何せ同ホテルは「一角楼」(1889年創業)の昔より、小浜温泉を代表する宿泊施設。格式も高く、昭和天皇がご宿泊になられたこともある。

新しい施設は、この秋に開かれる「長崎がんばらんば国体」に合わせて稼働する予定。その経営スタイルは「一泊朝食付き」のビジネス方式だという。

何はともあれ「再開される以上はしっかり頑張って下さい!」とだけ、言っておこう。

2007年以来〝休眠状態〟が続いている小浜観光ホテル


2014/05/27

ついに贈収賄事件に!…『青天の霹靂』で憶い出す

「青天の霹靂(へきれき)」という表現は、思ってもみなかった事が突然起きて衝撃を受けた時に使う。類句に「寝耳に水」「藪から棒」などがあるが、言葉としては遥かに重みがある。「青天」とは雲一つない青空のこと。「霹靂」は雷鳴を意味するのだそうだ。

さしずめ、いま世間を騒がせている南島原市の市長や副市長、電気工事関係者など計7人が逮捕・送検された「官製談合事件」は、まさにそれにピッタリ合致する〝異常事態〟と言えよう。

ここ数日の新聞報道によれば、金銭の授受に関する〝供述〟もなされているようだし、今後「贈収賄事件」に発展していくのは確実。当面、捜査から目が離せない状況が続きそうだ。

もとより筆者は法務畑とはほど遠く、この種の事件に関しては皆目見当がつかないことばかり。が、普通に考えて(素人感覚で)〈おかしいな?〉と思っていることがある。

それは逮捕された業者が発注側と組んで落札することを知っていながら、何故そうした業者が唯々諾々と入札に参加したのか?という素朴な疑問。

つまり、彼らの行動が解せないわけだ。やわらかく言えば「傍観者」だが、その前後に何らかの動きがあったのかどうか?もしあったとすれば、「同じ穴のムジナ」ではないか!果たして捜査の手はどこまで?

時に、今回の事件とはまったく関係のない話だが、奇しくも『青天の霹靂』というタイトルの東宝映画が、今月24日に全国一斉に封切られたことをご存じだろうか?

原作は、お笑い芸人の「劇団ひとり」が4年前の夏に幻冬舎から出した同一名の小説。映画化にあたっては、脚本から監督・出演までをほぼ〝ひとり〟でこなす文字通りのマルチタレントぶりを発揮している。

出演は人気タレントの大泉洋(主役)や美形個性派女優の柴崎コウ(ヒロイン)など。笹野高史、風間杜夫などが脇を固める。音楽はミスターチルドレン。

物語のあらすじは、大泉演じる売れないマジシャンが40年前にタイムスリップして、生き別れたはずの両親と出会う。そして自身の〝出生の秘密〟に直面することに―。

面白いかどうかの判断は実際に作品を鑑賞していただくとして、何故ここで唐突に「劇団―」の名を持ち出したのか?

実は、「劇団―」の両親はかつての日本航空勤務。父はパイロットで、母はキャビンアテンダント(=スチュワーデス)だった、という。

その話は以前に、「劇団―」の母親と同じ職場で親しかったという、元雲仙観光ホテル総支配人の石毛芳子さんから詳しく伺って知っていたのだ。

そうした背景に加えて、思いもよらなかった刑事事件も発生したので、「青天の霹靂」のように憶い出したまでの話である。別段、他意はない。


2014/05/25

絶品!!島原病院の饂飩(うどん)…四海楼と深江町の繋がり

行ってきました、島原病院(MRI検査)に。3年ぶりかなぁ…。前回は父母と一緒に出かけ、一足先に検査を終えた母が「あたしの脳は〝新品〟げな」と冗談を飛ばしていたことを思い出した。

今さらながらに感心するが、母の言葉に関する「ユーモアセンス」はなかなかのものだった。母に言わせると、「勉強」も「スポーツ」もまったく〝同種〟。どんな秀才君も「勉強が上手な子」と称していた。

おかげで、「勉強が下手クソだった」我が愚息3人はどれだけ救われたことか!三男坊主などは今でもよほど恩にきているようで、弔辞の中でもしきりにその功徳を持ち上げていた。

感情が高まって「暴発寸前」となる頃合いを見計らったかのように、サッと繰り出す絶妙な言葉の手裏剣。思うに、母も「勉強は下手クソだった」のかも知れないが、「脳味噌は亡くなる寸前まで〝新品〟に近かった」のだろう。惜しい人を亡くしてしまった…。

ところで、「島原病院」と言えば、母の入院期間中(昨夏~今春)、朝な夕なに足繁く通っていた懐かしの場所。したがって今回のMRI検査も〝里帰り〟のような気楽な気分で訪ねることが出来た。

検査そのものは約半時間。途中、鼻がかゆくなって顔をしかめたり、クシャミが飛び出るなどのアクシデントも起きたが、ひとまずは無事に完了。後は結果(後日)を待つのみだ。

検査を終えたら、俄然空腹感を覚えたので、これまた通い慣れた3階の食堂へ。ここは顔見知りのスタッフの方も多く、「あらっ、お久しぶり。お元気ですか」などと、にこやかに迎えていただいた。

注文したのは定番の「かき揚げうどん」。一杯470円也。お世辞でも誇張でもなく、ここのうどんの味はまさに天下一品。「島原一!」と言っても決して過言ではない(あくまでも個人の感想です)。

その理由は―。以前に実際聞いた話で、食材の調達には大いにこだわり、自ら進んで仕入れに出掛けることによって、「より良き味」を日々追究されているのだそうだ。あと、ナポリタンも美味いです!

麺つながりで最後にまた余談を一つ―。先日、「長崎チャンポン」の元祖として知られる「四海楼」である会合があって、同社取締役会長の陳名治さんと同じテーブルとなり、親しくお話する機会を得た。

年配の方ならご存じの方も多いだろうが、陳さん一家は戦時中、深江町に疎開されていた。陳会長も「私も分校に通っていたんですよ」と当時を懐かしがって、とっておきの紹興酒を何杯も注いで下さった。もちろん元祖・チャンポンの味もまた絶妙だった。

うどんに、スパゲッティに、チャンポン…。「人類は麺類」―。安藤百福さん(日清食品の創業者)は何とも味な言葉を遺したものだ、とつくづく思う。


2014/05/24

足立理事長が退任…島原観光に尽くして19年

昨夜(22日)は「芝桜公園をつくる会」(NPO法人)の臨時総会がホテル南風楼であって、足立進一理事長(元島原観光ホテル小涌園社長)に代わって松本良一副理事長(前島原地方酪農協同組合長)を新理事長に選任する人事案など全てを満場一致で可決・承認した。

新体制の陣容は―。宮本清則島原鉄道常務取締役を新副理事長に抜擢、姫田英治副理事長(姫松屋社長)はそのまま留任とした。また、引地啓太氏(前親和銀行島原支店長)の転勤に伴う新監査役には、後任支店長の広瀬洋邦氏を充てた。事務局長は引き続き河原一三氏(前コカ・コーラウエスト島原支店長)が務める。

足立氏の退任は個人的な事由(※本来の生活拠点は埼玉県坂戸市)。したがって、総会に続いて開催された懇親会は「送別会」を兼ねたもので、県や市、地元経済界などから約50人が駆け付け、別れを惜しむとともに、「新たな島原観光の創出」に汗を流した、同氏のこれまでの奮闘ぶりに敬意を表した。

つい先日まで喪に服していた筆者にとっては、久々の宴席ということでドギマギしたが、顔ぶれを眺めてみたらいつも通りの「気の置けない面々」。〈やっぱこん人たちゃヨカ人間ばかりばい!〉と改めて実感した次第。

ところで、笑わせてくれたのは、林田観光バスの林田正剛社長。乾杯後にすぐさま奥の間に駆け込んだと思ったら、腰の辺りをさすりながら出てきた。さては連日の宴会で腹でもこわしたか?と類推したが、何のことはない―。

「あせがって出てきたもんじゃけんズボンのベルトばすっとば忘れとった。いま息子に届けてもろた。こっで落ち着いて飲まるっど!」げな(笑)。ワールドカップ日本代表(大久保嘉人選手)の伯父さんなんだから、「もすこ~しシッカリしてもらわにゃ」とも思ったが、何をやっても憎めないのがこの方の真骨頂だ。

そうそう「ベルト」の話で思い出した。時は今から10年程前。会場は九十九ホテルだったと記憶しているが、足立さんと現アポロ興産会長の馬渡迪裕さんと筆者の3人で、誰が一番長いベルトをしているか?で比べっこをしたことがある。結果は、僅少差ではあったが足立さんがナンバーワン。2位、3位についてはよく覚えていない。

足立さんは昭和59年以来、通算19年間(途中、藤田観光本社などに転勤)を島原で過ごしたと、という。つまり、東京出身ながら人生の3分の1は島原で送っているのだ。

今後は奥様のもとでさぞかし健康的な生活(?)を送られるものと期待もしているが、あまりスリムにならないで!次に島原に帰られた折には、「第2回腹回りコンテスト」を実施しましょう。次は正剛兄ちゃんも交えて―。何はともあれ、お疲れ様でした!!


2014/05/23

渋沢翁の貴重な教え…「片手に論語 片手に算盤」

〈きのうマーボーきょうトミー/あすはジョージかケンボウか♪〉。藤圭子の歌の文句じゃないけれど、オイラの夢はいつになったら開くんだろう。そもそもこの年齢になって夢なんてあるものだろうか。

いやいや、そんなことは決してないぞ。尊敬してやまない大女優の吉永小百合さんが昔から歌っているではないか。〈いつでも夢を♪〉なんてネ。

てなわけで、2日連続の日帰り出張をこなして今パソコンの前に座っている。例えるなら、〈きのう天草/きょう西彼/あすはゴルフか病院か♪〉といったところだが、残念ながら明日はMRIの検査(島原病院)が入っている。

まだ事件が発覚して間もないので訪問先でまず尋ねられるのは、南島原市の不祥事のこと。もちろん当事者ではないから弁明する立場でも何でもないのだが、「スミマセン。お騒がせして…」などとつい口に出てしまう。

出張の目的は「夢」ならぬ「仕事」である。詳細については「企業秘密」ゆえ明かせないが、いずこの訪問先でもそれぞれ何かしら問題を抱えつつも、事態を前向きに捉えて進んで行こうとする姿勢がうかがえて共感が持てた。

そう、我が社に限らずどこだって、将来への漠たる不安や悩みがない所など無いのだ。大切なのは「心の持ちよう」だ。

「目先の利益」だけを追い求めれば、必ずどこかで頓挫することは古今の歴史が証明している。かと言って、頭に「バカ」が付くほど正直過ぎても相手になめられてしまう。

「片手に論語 片手に算盤」とは、我が国〝資本主義の父〟とも称される渋沢栄一翁(1840~1931)が遺した、まさに至言である、といつも思う。

わずか60年足らずの浅はかな人生経験で偉そうなことは言えないが、調子のよすぎる輩には気を付けた方がいい。これまでその手の話を真に受けて、幾度〝煮え湯〟を飲まされてきたことか!

一方で、余りにも無口でいつまでたっても胸襟を開こうとしない人物との関係も考えた方がいい。やはり、お互いそれぞれに欠点や弱みを持った人間同士。心が通い合わないことには、ビジネスもへったくれもない。

今回の出張で改めて感じたことをもとに駄文を弄しているわけだが、最終的な判断基準は「数字」より「人間性」だ、とつくづく思う。

時に、「本音を率直にさらけ出す勇気」も必要だ。その上で認めていただけるようであれば、「成約」への道が〝幾らか〟は開かれよう。

「無理」「深追い」は禁物だ。何故なら、「しがみつく」という行為には「死神」がつく、ともいう。正直に熱く、かつ恬淡と―。

【教訓】天網恢恢疎にして漏らさず。


2014/05/21

岸信介の“金銭哲学”…浄化した金しか手を出すな

平成3年5月20日未明、島原市の上木場地区の住民はかつて味わったことのない「土石流」の脅威に晒された。その後に足かけ5年間にわたって続いた「雲仙・普賢岳噴火災害」の序章でもあった。

〈そうか、あれからもう23年もの歳月が流れたか…〉。そんな感慨に耽りながら雨空を恨めしく眺めていたところに、「藤原米幸南島原市長逮捕!」のニュースが飛び込んで来た。

先日、二期目を無投票当選で飾ったばかりだったのに、一体何があったのだろう。手堅い行政手腕には定評のあった方だけに、嫌疑が事実だとすれば残念としか言いようがない。同時に、現在進行中のキリスト教関連の世界遺産認定の行方も気にかかる。

実は、先週の土曜日、マイカーと思しき紺色のセダンを一人で運転している同市長の姿を諫早市内で見かけた。翌日、東京で開かれた関東島原半島会の総会に出席するために空港に向かわれているものとばかり想っていたが、果たして…。いずれにしても事実の解明を待つしかない。

ところで、「政治に金は付きもの」などとよく言われるが、今を時めく(?)安倍晋三総理の祖父、岸信介元総理(1896~1987)がその「要諦」を説いている文章に出くわしたことがある。

それによると、一流の政治家であり続けるためには、「浄化した金」以外には決して手を付けてはならない、と。

岸さんと言えば、満州国開発に深く係わり、戦後は「A級戦犯」の疑いをはねのけて「総理」の座まで昇りつめたことなどで、「昭和の妖怪」の異名を持っていたほどの人だったから、政治資金の調達に関しては、さぞかし色々とあったはずである。

しかし、その手の話でマスコミに騒がれたことなど一度もない。また、かなりの「艶福家」であったことも有名だが、そのことで政治的な立ち位置を危うくするような事態も聞いたことがない。

その点、同じ保守政治家でも、田中角栄元総理(1918~1993)の場合は何によらず余りにも明け透け過ぎて、ロッキード事件でついには失脚してしまったわけだが、それはそれで庶民目線からすると「極めて個性的かつ魅力的な宰相」でもあった。

「政治家」といえどもある意味、人気商売の側面もあるので、一概にどのタイプが良いとか悪いとかは有権者の好みの問題だが、少なくとも岸さんは「玄人受けのするプロの政治家」だった、と言えよう。

さてさて、そうした床屋談義のような話は別として、南島原市はこの先どうなるのだろう。出直し市長選は待ったなしだろうし、予算を審議する6月の定例市議会はもう目の前だ。市民の皆さんのあきれ顔が目に浮かんでくる。

【教訓】政治家ならずとも「危うい金」には手を出すべからず。


2014/05/20

進む〝物忘れ症候群〟…カードは確かに便利だが

ひと月ほど前から、左上腕部に時々鈍い痛みが走ってどうにも気持ちが悪い。軽いシビレさえ感じることもある。思い余って家人に打ち明けたら、「ついに来たか…」と不敵な笑み。「何が?」と問い返すと、「自ら招いた災いじゃろもん!」とニベもない。

元来、女性と病気に関しては「ヤワな性質」ゆえに不安は倍加するばかり。意を決してかかりつけの先生に診てもらうと、「脳には特に異常なし」(CT検査)とのことで「一安心」と言いたいところだが、念のため近いうちにMRIの検査も受けてみるつもりだ。

とまあ、そんなこんなで他愛もない日々を送っているわけだが、「物忘れ」がひどいのには、自分自身でもあきれはてている。

少し前にコンビニで持ち帰りコーヒーの代金だけ払ってそのまま帰ろうとした「失敗談」を紹介したばかりだが、症状はさらに進んでいるようだ。

すでにご案内の通り、今では豆から挽き立ての「本格コーヒー」がコンビニの店頭で気軽に買えるようになった。

最初に同サービスに踏み切ったのは業界最大手の「セブンイレブン」で、一番小さいレギュラーサイズが一杯100円。「ローソン」や「ファミリーマート」のライバル陣営もすぐさまこれに追随した。

ただし、筆者が一番よく利用する近くの「ファミマ」のそれは少し前まで120円で、「セブン」と比べると割高だった。ある時、その店で「レギュラー」と言って注文したら、「うちの場合はSですよ」と、生真面目そうな店員さんからタシナメラレタこともある。

味や内容量云々のことは正直よく分からないが、いつしか「ファミマのS」も100円に。一挙に20円も下げて大丈夫かな…と要らぬ心配をしてしまったが、親会社の規模を考えれば何のこともあるまい。

今日はそうしたコーヒーの値段の話ではない。各コンビニが出している、ポイント制のサービスカードのことだ。

「ファミマ」が扱っているのは「Tポイント」。対する「セブン」は「ナナコ」。そして「ローソン」は「ポンタ」だ。もちろん3種類とも財布の中に具備している。

特に「ナナコ」の場合は先払いの〝プリペイド方式〟も兼ねており、つい先日オープンした店では物珍しさも手伝って気前よく大枚を払い込み、お大尽気分でアレコレと衝動買いしてしまった。

ただし、その後がいけなかった。調子に乗り過ぎてカードそのものを撤収することをすっかり失念してしまっていたのである。

結論から言うと、その店の人が「忘れ物」として預かってくれていたので事無きを得たのだが、筆者の「脳」が相当痛んでいることだけは確かなようだ。

【教訓】カードの使い過ぎと併せて、取り忘れにも万全のご注意を!(皆さんには関係のない話でしょうが…)


2014/05/18

「修和」は「東洋英和」…史実と比べてより面白く!!

NHKの連続テレビ小説『花子とアン』は、前回の『ごちそうさん』を上回る人気で、20%を超える高視聴率をキープしているそうだ。

筆者も出来る限り観るようにしているが、吉高由里子演じる主役の「村岡花子」と、伯爵令嬢で後に歌人となる「柳原蓮子」(本名は「燁子(あきこ)」・仲間由紀恵)が女学校の同窓生だったとはつゆ知らなかった。

村岡は『赤毛のアン』の翻訳家や児童文学者として知られるが、一方の柳原だって負けてはいない。否むしろ、それ以上だろう。

天皇家とつながる系譜の煌びやかさもさることながら、その名を一躍知らしめたのは、いわゆる「白蓮事件」(1921年)。テレビでは現在、九州の炭鉱王(嘉納伝助)と結婚したばかりだが、事もあろうに後に愛人と失踪してしまうのである。

天下を騒がせた一大事件だったから今さら説明も要るまいが、九州の炭鉱王とは「伊藤伝右衛門」のこと。飯塚市に残るその邸宅は筆舌に尽くし難いほど贅を極めた造りで、観光コースにもなっているほどだ。

燁子(白蓮)とともに失踪したのは、孫文の「辛亥革命」を支援したことでも知られる革命家で浪曲師だった宮崎滔天の長男、宮崎龍介。ちなみに、宮崎父子は島原の対岸・熊本県荒尾の出身だ。

同ドラマが今後どのような筋道をたどっていくのか知る由もないが、史実との関わりで観ていくと、また別の楽しみ方が出来るのではなかろうか。

話は戻るが、「花子」と「蓮子」が学んだ東京の「修和女学校」とは、今もれっきとした名門女子校として残る「東洋英和女学院」のことだ。

歴史は古く、創立は明治17年(1884年)。キリスト教プロテスタント系の私立女学校として誕生した。地方では余り馴染みがない名前だが、首都圏においては、知る人ぞ知るお嬢様学校としても有名だ。偏差値も高い。

何より、学園の所在地からしてオシャレだ。港区六本木。最寄駅は麻布十番。当時はまだそんなに都会ではなかったろうが、山だしの「花子」がよくもまあ思い切って飛び込んだものだ、とつくづく感心する。

多くの著名人も輩出している。マスコミ関係ではアナウンサーの益田由美(フジ)、武内絵美(テレ朝)、など。半年ほど前に「夕刊フジ」が連載して特集を組んでいたが、その中にはエッセイストの阿川佐和子の名前も見えた。

女優も多い。少々古過ぎる感もするが、長岡輝子、高峰三枝子、賀原夏子…。我が国初の同時通訳者として一躍名を馳せた鳥飼玖美子(後に上智大学)もここの卒業生だそうだ。

   ※    ※   

ドラマでは、お笑いの近藤春菜やカンニング竹山もそれぞれに〝良い味〟を出している。今後の展開にさらに期待しよう!!


2014/05/17

「カアちゃん」消える…昨夜は、散財ウォーキング

先週の土曜日から始まった「愛鳥週間」もいよいよ今日で終わり。さして「鳥」のことなど関心はないが、今年の場合はちと状況が違った。前々から書こうかどうか迷っていたが、実を言うと、2か月ほど前から我が家にカラスが一羽棲みついていたのだ。

気づいたのは、母の病が重篤になり始めた3月中旬のある日のこと。〝不吉の予兆〟のような気がして厭な感じを抱いていたが、果たして母は、その月の30日に亡くなった。

少し説明を加えると、そのカラスは通常の成鳥よりやや小ぶり。例えて言うなら、餌をついばむニワトリのような動きをしていた。つまり、自由に空を飛べなかったのである。

家族全員、最初のうちは忌み嫌っていたが、そのうちに段々と愛着も湧いてきて、葬儀や法要のために帰省していた妹などは「カアちゃん」という名前まで進呈して、その愛敬溢れる動きを見守っていたほどだ。

その「カアちゃん」が突如、母の四十九日の法要(11日)を境に姿を消した。一体、どこに行ってしまったのだろう…。いまだに不思議でならない。

   ※    ※   

昨夜は、このところの〝運動不足〟を解消しようと、一念発起してウォーキングにチャレンジした。目指したのは自宅から6キロほど離れた大三東駅。そこまで歩いて行って、帰りはシマテツを利用することを考えていた。

月夜でもあるし、時おり吹く薫風が肌に心地よかった。ところが、歩き始めて約半時間が経過したあたりから急速にペースダウン。膝がガクガクと笑い始めたのだ。

場所は三会新港の工業団地入り口を過ぎた辺り。運よく!そこにあったのがコンビニの「ローソン」。携帯で自宅に電話を入れて、長男に〝SOS〟。

待ち時間を利用して冷たいペットボトルのお茶を買い、表で待つこと十数分。不機嫌そうな長男が愛車を駆って迎えに来た。

ただ、その後の展開がいけなかった。お駄賃代わりにタバコを買ってあげようと、500円コインを差し出すと、長男はニヤリと笑ってそのままポケットに入れた。

車内では余り会話を交わすこともなくそのうちに自宅に到着。「早く降りんね!」と急かされたので、「なしてな?」と尋ねたら、「これからサウナに行く」という。

そう聞いたら、人後に落ちないサウナ好きの筆者ゆえ、行かないわけにはいかない。結果、父子そろってサウナ風呂へ。

着くなり、久方ぶりのウォーキングでヘトヘトに疲れ切っている筆者を置き去りにして、長男はそそくさと脱衣場へ消えた。「えっ、ここの支払いもオレかい?」。トホホ…。

【教訓】中高年の運動は余り無理をせず計画的に!


2014/05/16

忠実-さて何と読む?…色んな味の「チェリー豆」

先日、南島原市在住の親戚から「豆」を沢山いただいた。早速その日の晩、家人とともに遅くまでかかって鞘から実を取り出す作業にいそしんだ。

一口で「豆」と言っても、ご存じのように色んな種類がある。この日、頂戴したのは「ソラマメ」ということだった(家人から教わった)。

「ソラマメ」は亡くなった母の大好物で、台所で一人ブツクサ言いながら食べていた姿を思い出したので、翌朝、茹でたて(塩味を加えて)を仏前に供えさせていただいた。

筆者も少しだけご相伴にあずかったが、これがなかなかに美味い。恐らくこれからの季節、ビールのつまみには最高だろう。

ところで、史実かどうか知らないが、数ある歴史上の偉人の中でも「大人物」の代表格として知られる西郷隆盛公が、実に丁寧に「豆」の皮をむいて食べていたという話を以前、何かの本で読んだ記憶がある。

人一倍大きな体を折り曲げるようにして皮をむく姿を想像するだけでも相当に愉快だが、やはり「大事」を為す人はどこか違う。「大胆にして細心」とはまさにこのことか!

一方で、「あいつは何かにつけて『まめな奴』だから…」などという言い方がある。イメージ的にはてっきり「豆」の字を充てるのかと思っていたが、大きな勘違いだった。

NHKアナウンスルームの解説によると、この場合の「まめ」を漢字で表すと→「忠実」なのだそうだ。言い換えると「誠実で真面目な人」を「まめ(人間)」と呼ぶのだ、とか。

そこから派生した言葉にも色々あって、「筆まめ」「足まめ」「気まめ」は比較的良い意味で使われるが、「口まめ」はことを指し、余りほめられたものではなさそうだ。

話はややこしくなって恐縮だが、最近はやりの「女子会」で、必ず人気の上位を占めるのは「まめな男」ということだそうだ。題して「マメンズ」。

「だったら俺だって!」という輩も出てきそうだが、余りに行き過ぎると「しつこい男」の烙印を押されかねないので、何事もが大事。

何はともあれ、「まめに働き」「豆類を食べて健康体を維持」していれば、きっとそのうちに必ず良い事があるはず。

そう信じて、夜は「ソラマメ」でビールを飲み、昼間は島原名物の「チェリー豆」をそっとポケットにしのばせて虎視眈眈とチャンス(?)をうかがうのも一興か。

ところで、皆さんはご存知でしたか?最近の「チェリー豆」には定番の砂糖やウニばかりではなく、色んな味があるんですよ!

お土産にあげるばかりでなく、車で出かける際などに持参していれば結構なオヤツや眠気覚ましにもなります。あれっ、お金も貰っていないのに宣伝してしまった!?


2014/05/13

追及、追求、追究…大久保選手、晴れて代表入り

亡母の四十九日法要も昨日曜日、無事に終了。晴れて〝忌明け〟を迎えたわけだが、今日は朝からあいにくの雨日和だ。

しかし、だからと言って滅入っているわけでもない。むしろ、一雨降ったことによって、木々の新緑はさらに輝きを増し、清々しい気分だ。

そんな中、飛び込んできた吉報!大久保嘉人選手(フロンターレ川崎)のサッカーW杯ブラジル大会(6月12日開幕)への日本代表入りが正式に決まった。

この日が〝命日〟だった実父・克博さん(昨年死去・享年61歳)にとっては最大の供養になっただろうし、岳父の林田行弘先生もさぞかし喜んでおられることだろう。

国見高校当時から常に第一線で活躍している大久保選手も、はや31歳。年齢を考えれば、今回がラストチャンスであったろうから、本人が一番ホッとしているに違いない。何はともあれ、ヨカッタ!

ところで、こうしたスポーツの世界でのスカッとした〝決着〟ぶりと対比して取り上げるのも何だが、理化学研究所と、小保方晴子さんとのドロドロした関係は早く何とかならないものか…。

ひと頃は「リケジョの星」としてもてはやされていた小保方さんだが、どうにも最近は旗色が悪い。と言うより、何とか一連の騒動に〝終止符〟を打ちたいとするガチガチの組織守旧派との〝神経戦〟で苦戦を強いられているようにしか見えない。

無論、小保方さん側にも問題がないわけではない。「スタップ細胞はあります!」と声高に言うのであれば、その証拠を突き付ければ済む話なのに、何故それをしないのであろう…。よもや、ここまできてウソを貫き通しているとも想えないのだが…。

文芸春秋6月号に科学の分野でも造詣の深い、評論家の立花隆さんが巻頭エッセイでこの問題の鍵を握る人物として、かつて小保方さんが師事していたハーバード大学の教授のことを取り上げている。

いずれにしても、科学の世界では「真実は1つしかないはず」だから、早く結論を出してほしい。

と、ここまで書いてきて、漢字の書き取りテストでよく出題される「ついきゅう」という文字を思い浮かべてしまった。

1つは捜査関係者やマスコミなどが事件解明などの際によく使う「追及」。2番目が「追求」。理想や利潤、幸福などがよくその目的語となる。そして3番目が「追究」。文字通り、「真実(理)の追究」である。

理化学研究所や小保方さんに今求められているのは、取りも直さず「追究」する姿勢。それが出来ないようであれば、「研究所」や「科学者」といった肩書きは一日も早く外すべきであろう。

大久保選手にはさらなる「サッカー道の追求」を願いたい。


2014/05/11

仏の語源はほどける…十能って分かりますか?

3月末に母が亡くなって以来、毎週のように親戚や知り合いのお宅で葬儀が行われている。昔から「生ある者は必ず死あり」(楊子法言・君子)と言われているのだから、別段驚くに値しないのかも知れないが、これから爽やかな初夏を迎えようとしている矢先を想えば、何となく気が重い。

ところで、個人的な話題で恐縮だが、今日5月11日は亡き母の「四十九日法要」の日だ。たまたま暦の巡り合わせで「母の日」に当たってしまった。だとすれば、余計に感謝の誠を捧げねばなるまい。

「四十九日」は別名、「七七日忌」(しちしちき)や「満中陰」(まんちゅういん)とも呼ばれ、「初七日」から始まって一週間ごとに営まれる一連の「法要」の集大成とされている。一般的な慣わしからすると、この日を境に、死者は仏になり(成仏)、喪も明ける。

ただし、仕事上や諸々のお付き合いの関係もあって、筆者個人としては一足先に「娑婆(しゃば)世界」に復帰させていただいているので、母に対しては一抹の申し訳なさも感じているところである。

そんな心理状態で、臨済宗妙心寺派の僧侶にして作家でもある玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが第125回芥川賞を射止めた『中陰の花』(文春文庫)を読み直してみた。

時間の制約もあって〃走り読み〃しか出来なかったが、どういうわけか所々に色鉛筆で線を引いたりページを折り曲げたりしながら、筆者にしては珍しく熱心に読み耽った形跡が残っているのだ。

何故なんだろう?それ程までに入れ込む必要も無かったはずなのに…などと訝っているうちに、「十能」(じゅうのう)という語句を丸囲みしている箇所に出合って何となく合点がいった。

最近の若者で「じゅうのう」と聞いてすぐにピンと来る人は滅多にいないだろう。勿論、間もなく老境を迎える筆者とて、そのすぐ後に「炭」が出てきたので、「あー、アノ小さめのスコップのような道具か」とやっと判ったくらいだ。

なるほど「万能」ではなく「十能」か…。今でも金物屋さんやDIYのお店に行けば扱ってはいるのだろうが、普段の生活の中でそれを道具として持ち出すシーンもそうざらにはあるまい。

母は筆者と同じ干支(未)の生まれで、典型的な昭和一桁世代。何につけても「始末が第一!」で、晩年に筆者がプレゼントした『昭和の世帯道具』という本を大そう喜んで読んでくれていた。

さて、冒頭記したように今日が「満中陰」。自宅の座敷に鎮座ましましていた「遺骨」ともいよいよお別れだ。玄侑さんによれば、「仏」の語源は「ほどける」だとか。どうぞ来世では、存分にほどけて「成仏」して下さい。ボクは今より千倍頑張って「万能」を目指します!?


2014/05/08

「たこわさび」の怪…雑用で忙しかったGW

読者の皆さんはどんな「ゴールデンウイーク」をお過ごしになったでしょうか?スポーツやレジャー、あるいは趣味の世界に没頭された方々など、それぞれに有意義な休暇を楽しまれたことと拝察いたします。

私の場合は、何とも退屈極まりない時間の連鎖でした。巷では「11連休」というふれこみで、家族連れで海外にまで足をのばされたリッチな層も多かったようですが、手前どもにとっては未来永劫、そうした大盤振る舞いは夢のまた夢のようであります。

出かけたと言えば、鹿児島方面への「日帰り弾丸ツアー」(5月3日)のみ。後は葬式後の家のあと片付けなど、それこそ雑用に追われる日々でした。

唯一の息抜きはサウナ風呂と寝る前に飲むアルコールくらい。家族が寝静まった頃合いを見計らって、風呂帰りにコンビニで仕入れてきた缶ビールでのどを潤しながら無聊を慰めていました。

つまみは、普段は滅多に食べさせてもらえない缶詰類。まずは無難なところからと、「シーチキン」に箸をつけ、次いでパック入りの「絹ごし豆腐」。

昼間の肉体労働のせいかビールの味がやけに美味い。ただ、そのうちに飽き出して、お次は芋焼酎。大きめのコップにカチ割り氷を山のように積み上げて25度の原液を流し込む。

2杯、3杯…と続けているうちに、自分でも酔い始めているのが判ってくる。「いや、ちょっと待て!『たこわさび』のことをすっかり忘れていたぞ」と、ほろ酔い気分でビニール袋からその包みを取り出す。

「わさび」は代表的な日本料理の材料だし、「たこ」と言えば諸外国では一部を除いて「悪魔の使い」のように忌み嫌われているので、当然「たこわさび」は明らかな日本製だと信じつつ口に運んでいた。

ところが、ラップに貼り付けられていたラベルの裏書きを酔眼朦朧としながら読んでいるうちに、驚きを通り越してワナワナと震え出してしまった。何一つ日本産の原料が無いのだ。

まず「いいだこ」からして違う。どういうわけか、その産地は「ベトナム・タイ」と2か国の国名が記されている。「茎わさび」はインドネシア産。そして、真っ赤な輪切りの「唐がらし」は、その名の通り中国産であった。

筆者の食欲はこの時点ですっかり萎えてしまった。事もあろうに、「たこわさび」という、恐らく日本人しか手を出さないような酒肴の正体がすべて外国産の原料だったとは…。

別にメーカーや小売りの関係者に罪はないし、責められるものでない。だが、「TPP」交渉の遥か以前から、すでに日本人の舌が外国産の原料で飼い馴らされているのかと思うと、正直ゾッとした。

【教訓】連休、平日に関係なく地元産の旬のモノを食べましょう!


2014/05/02

竹下ヤエミさん死す…天下一品だった「てんぐ」

島原市新町一丁目で鰻料理の「てんぐ」を営んでいた竹下ヤエミさんが、先月5日に亡くなっていたことがわかった。享年90歳。葬儀は身内のみで済ませ、御霊は生まれ故郷のお寺で安らかに眠っている、という。

「てんぐ」と言えば「うなぎ」、「うなぎ」と言えば「てんぐ」と称されるほどの〝名料亭〟を、それこそ女の細腕一本で切り回していた。

客筋は良く、地元の政財界の重鎮や医師会等々の先生方が足繁く通われていたようだ。筆者も時々ご相伴にあずかり、緊張しながら杯を重ねていた。

今でも思い出すのは「結婚祝いをしてあげよう!」と言って、長崎外国語短大の学長を務められていた布井孝良先生ご夫妻から家人共々に招かれて、ご馳走にあずかったこと。

先生は何が可笑しいのか良くわからなかったが、「ホッホ、ホッホ…」と笑いながら場を和ませて下さった。傍らの奥様も独特の「ワールド」をけれんみなく発揮されていた。

医師会会長だった浜田正夫先生父子から一人だけ呼ばれた時は、ふだん味わったことのない緊張感で身がすくんだ。

たが、それも一時。エンジンがかかってくると段々と気が大きくなって、注(つ)がれるままにコップ酒を飲み過ぎ、トイレに駆け込んでモドスという失態を犯した。

それもこれも今となっては「良き思い出」の一コマである。よくよく考えてみたら、これら恩師すべて今は亡き人々だ。

さり気ない心配りでいただくお酒の味も格別であったが、料理もこれまた逸品であった。刺身や鰻の美味さは言うに及ばず、〆に出てくる炊き立て艶々の白ご飯と味噌汁…。

残念ながら、その味はとうとう〝幻〟となって久しいが、若かりし頃に幾度もその味に出合えただけでも〝僥倖〟と言うものだろう。

今になってハタと気づいたが、「てんぐ」という名前の由来を聞くこともなく時は流れてしまった。不覚である。ただし、竹下さんが俗にいう「鼻もちならない天狗女」でなかったことだけは確かだ。

いつお会いしても、絶えずにこやかな笑みを浮かべられ、「社長様や奥様、ご家族の皆さんはお元気ですか?」と気さくに声を掛けてくださった。

お店の存在もさることながら、もう二度とあの〝笑顔〟に会えないのかと思うと、本当に悲しくなって泣けてくる。

恐らく、多くの「てんぐ」ファンの方々も竹下さんの訃報を知らないまま過ごしていることだろう。そこで提案がある。どうだろう、「『てんぐ』のママさんを偲ぶ会」(仮称)を催してみては如何か?

もうみんな年をとっているので「斗酒なほ辞せず」とはいかないまでも、話のついでに焼酎の水割りくらいなら。筆者もそろそろ忌明けだし…。