2013/02/26

輪から和への橋渡し…島原の『春の小川』ここに!!

 

弊社々員の〝有志2人〟が白土湖周辺の清掃を始めてかれこれ半年が経とうとしている。最近ではそれに触発されたようなかっこうで、毎月曜日の早朝には10人前後が加わるようになった。

もちろん〝強制〟なんかしていない。また、それぞれに〝家庭の事情〟もあるので参加できない者もいる。しかし、その〝輪〟は確実に広がってきており、筆者個人としては〝社内融和〟につながるもの、と秘かに期待もしている。

実際に屋外の掃除をしてみればよく分かるが、何とゴミの量の多いことか!最初の頃は「とにかく犬のフンだらけですよ」と有志のうちの1人が嘆いていたが、空き缶&その他の数も半端ではない。

それはそうと、今朝(25日付)の長崎新聞1面トップは、『銅座川 暗きょ解消へ』という特集記事だった。それによると、長崎市は10年後をめどに、暗きょ(老朽化が進んでいる)の上に建っている商店街や市場に立ち退いてもらって、散策路などを整備する計画だとか…。

世に名高い「銅座」や「思案橋」と言っても、たまに飲みに行く時くらいしか歩いたことがないので、そこが川に蓋(ふた)をかぶせた〝暗きょ〟の上だったとは、まったく意識したことなどなかった。

さすがに長崎は都会だなぁ~と感心する一方で、以前に何かの書籍で読んだ覚えのある『春の小川』(文部省唱歌)にまつわる話を憶い出していた。

〈春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に…♪〉。イメージからすれば、この歌からは田舎の牧歌的な光景が浮かんでくるが、その舞台は大都会!東京の渋谷区内にあるのだそうだ。

一説によれば、当時(明治~大正の過渡期)、作詞家の高野辰之さんが住んでいた代々木八幡駅付近を流れていた河骨川(こうほねがわ)を眺めながら創作したものだとか…。

さらに飛躍すると、その河骨川は下流域で宇田川や渋谷川と合流しているので、「『春の小川』は渋谷駅の地下を流れている」という説明だったかのように記憶している。

話は脱線してしまったが、我が事務所前を流れる「音無川」は最近、島原市によって繁茂した水草の清掃も行われ、実に綺麗だ。

箒を片手に右岸側を湖水方面に向かって進んでいくと、朝日を浴びた「玉姫橋」の裏側が見える。映し出す水面はまるで〝鏡のごとき〟だ=写真。

長崎や東京の話はさて置くとして、我が『春の小川』は、なかなかに趣きがある!


2013/02/23

お腹こわした○○さん…コカ・コーラの瓶の形は?

過日、島原商工会議所環境委員会(松尾錦二委員長)の視察研修会(一泊二日)に参加させていただいた。訪問先は福岡、佐賀両県。

初日に予定されていた「北九州エコタウン」(若松区)には仕事の都合があって行けず、〝夜の会合〟から合流した。

宿泊したのは、元島原小涌園に以前いた奥立さんが〝総支配人〟として辣腕をふるっている「キャナルシティ福岡ワシントンホテル」。

あいにく奥立さんは出張か何かで不在だったが、施設内随所に「しまばら芝桜まつり」(第2回)のポスターが貼られていたのには感心した。

足立進一さん(元島原小涌園社長、芝桜公園をつくる会々長)の肝いりに違いないが、飲料の自販機にまでPR表示がなされていたのには恐れ入った。

夕食は林田正剛さん(林田観光バス社長)の案内で近くの居酒屋へ。この方の〝強引ぶり〟はどこに行こうとも変わらない。

気の弱い筆者らが飲料メニューを選ぼうとしても、「やかまし!」の一言で直ちに却下。結局、林田さんの意のままに決められてしまった。

ところが、である。翌朝、朝食レストランに現れたご本人の顔色が冴えない。それによく見ると〝おかゆ〟を食べているではないか!?

おそるおそる「どがんしたと?」と聞いたら、「夕べからどうも腹具合がおかしかと」という。他のメンバーは全員無事なので、原因は「人の食い過ぎ」ということで衆議一決した。

さて、次なる視察先は超大型店の「IKEA(イケア)福岡新宮店」。とにかく、とてつもなくデカくて、しかも安い!

筆者も中身の乏しい財布を押し開いて〝千円未満〟の商品を中心にドンドン買い求めたが、レジで打ち出された金額は6千円ちょっと。ただ平日だったせいか、客足は少なかった。

最終の訪問先はコカ・コーラの鳥栖工場。可愛らしい案内嬢の説明で「缶コーヒー」(九州オリジナルブランド)の製造過程から、環境対策までを真剣に勉強した。

一つ大きな勉強になったのは、コカ・コーラ瓶のデザインの元となっているのは「カカオ豆」ということだ。

これまではてっきりタイトスカートをはいた女性の後ろ姿とばかり思い込んでいたが、ここにきて「僻(ひが)覚え」だったと知って、何だか賢くなったような気がした。

それともう一つ。「いろはす」という水商品のペットボトルが「サトウキビ」を原料に造られていることも知らなかった。

本当に世の中は知らないことだらけだ。さーて、来年はどこに参りましょうか、松尾委員長?林田社長も次はお腹をこわさないように!


2013/02/22

S氏が22㌔も減量…半身浴は気持ちがいい!!

公務員や一般企業と違って、中小零細企業の最たるものである弊社の給料日はそれよりやや遅れて月末(今月は28日)である。

若い頃は、それこそ給料日前ともなれば〝食うや食わずの日々〟が何日間か続いていたが、最近は婚家(こんか)のおかげで、ひもじさ(空腹感)からは解放されている。

それどころか、毎日〝腹一杯〟食べさせてもらっている。昨日も今日も「ゴハンが残ると面倒臭い」とか言って、無理矢理オカワリをさせられた。

そのくせ、筆者の腹回りをしげしげと眺めては「〝デブ〟だの〝ブタ〟だの、〝ウッタチバレ〟がせん」などと罵(ののし)られる。まったく、堪(たま)ったものではない。

〈トホホ…〉の思いを胸に先般、所用があって島原市役所を訪ねたら、顔見知りの職員(S氏)を見かけた。誰か?と見間違えるほどに痩(や)せている。ひょっとして〝病気〟かも知れないと思っ
て、恐る恐る声を掛けた。

ご本人曰く「節制の賜物だ」という。さらに突っ込んで聞くと、「食事の量を減らして、ウォーキングを地道に続けた結果、22㌔の減量に成功した」と、何とも誇らしげであった。

〈そうか、オレだってやれば出来るんだ!〉と急に〝自信〟のようなものがわいてきて、次の食卓でその話題を取り上げた。すると、どうだろう???

「ハァ~!この前、特大の背広ば作ったばっかりやろもん。しかも、売場の若いオネーチャンにいいように騙されて2着も…。ヨカ!いっときゃ痩せんでん」とのご託宣。

毎日、オマンマをたらふく食べさせてもらっている身。反論なんか出来るはずもない。「ハイ!」と元気よく返事をして、その場を取り繕った次第。

所変わって、南風楼の大浴場。時々お邪魔しているわけだが、最近はJリーガーや大学生の合宿客とよく一緒になる。

彼らは鍛えられた実に美しいカラダをしている。別に〝同性愛者〟ではないが、その筋肉美に思わずウットリすることも度々。また、人によりけりだが、立派な〝イチモツ〟の持ち主もいる。

そうした人間模様を横目に見ながら、筆者は最近凝りだした〝半身浴〟に勤(いそ)しんでいる。最初のうちは即効性のあるサウナに比べて物足りなさがあったが、なかなかどうして気持ちがいい。

湯船(大浴場)の足場に腰掛けて待つこと20分~30分。ジワーッと汗が滲み出てくる〝爽快感〟は、我慢した自分へのご褒美だろうか…。

と、そこへ、傍若無人な若者が飛び込んで来た。一瞬「この脛かじりが!」と怒りそうになったが、自分も同じ〝立場〟であることを弁(わきま)えて思い止まった。どう、成長したでしょうが?


2013/02/20

隕石にやられた恐竜…えっ「PM2・5」で特需?

暦の上では、ことしは昨18日が「雨水」(二十四節気の一つ)だったとか。この日を境に寒さが緩んで「雪」が「雨」に変わるなどと言われており、本格的な「春」ももう間近だ。

そんな牧歌的な気分を吹き飛ばすかのように、このところ地球上では「隕石」やら「PM2・5」やら、何とも物騒な事態が続いている。

まずは前者について―。『字通』(平凡社)で引くと、「隕」とは「高き(天)より下(お)つる」との意味で、「?」という漢字もあるそうだ。

そして個人的には、映画『ディープ・インパクト』のモデルにもなった彗星探検家、木内鶴彦さんが以前、島原市内で開いた講演会で語っていたことを思い出している。

一連の報道では、ロシア(チェリャビンスク近郊)が騒動の舞台となっているが、今から6500万年前には、ユカタン半島(メキシコとカリブ海の間にある)に直径10㎞もの彗星(隕石の塊)が落ちて恐竜が全滅した(氷河期の始まり)、と言われている。

まあ、そんな巨大な宇宙の物体が降ってきたら、どんなにあがいても逃げようもないし〝宿命〟と思って諦めるしかないが、「PM2・5」に関してはまだ何とかなるはずだ。

その〝正体〟は、中国大陸で急速に進んでいる工業化による大気汚染の余波に他ならないが、仮に日本からその煙のような飛沫が大陸側に流れていたとすれば、かの国は一体どんな反応を示すのだろう?

〝答え〟は余りにも明白だから言わないが、何とか〝対策〟を講じてもらわないことには、我が鼻水もクシャミも止まらない。本当に何とかしてくれ!!

何年か前に、旧知のあるIT長者がひと儲けしようと中国進出を企んだことがある。その際、候補に上がったのが「空気清浄機」だった。残念ながら、氏はビジネスチャンスを逸してしまったようだ。

その代わりと言っては何だが、このところ赤字決算が続いて元気のなかったシャープやパナソニックといった日本の大手電気メーカーの、中国での活躍が目立っているそうだ。

扱っている商品はもちろん「空気清浄機」。シャープの販売台数は前年同期比の約3倍。パナソニックも生産ラインを1・5倍に増強した、という。

その〝特需〟はおっつけ、日本国内においても広まっていくだろうから、国内メーカーにとっては、願ってもない〝活躍の舞台〟でもあろう。

勝手な推測だが、中国も韓国も経済史的には日本と同じような道程をたどっているのではなかろうか。オリンピックで国威を発揚し、工業化を果たして〝経済大国〟を目指す、という。

日本にとっては時に厄介な〝隣人〟だが、いつ何どき「隕石」が降ってくるかも知れないのだから、もっと仲良くせんばね!!


2013/02/19

東京MX社長も列席…殿村さん「山一」の新代表に

お洒落なイメージの「ソーメン・カフェ」や「野菜スープ麺」など、次々と新企画を打ち出して元気いっぱいの「(㈱山一」の会長&社長就任パーティーが16日、ホテルシーサイド島原で盛大に開催された。

会長にはこれまで社長を務めてきた小嶺一春さんが昇格。晴れて新社長となったのは殿村高平・常務取締役。どちらも代表権を持つ、という。

全然知らなかったが、殿村さんはあの「鹿島」(ゼネコン最大手)の出身なのだそうだ。その関係もあってか、かつての上司で今は「東京メトロポリタンテレビジョン」(東京MXテレビ)の社長職にある中川謙三さんも筆頭来賓として列席されていた。

「東京メトロポリタン―」と言っても知らない人がほとんどだろうが、同社は東京都が唯一出資している、都内6番目の地上波テレビ局(独立系)。中川社長は鹿島時代から殿村新社長を殊のほか可愛がっていたそうだ。

その中川社長(修学旅行以来50年ぶりに島原訪問)のご挨拶。時にユーモアを交えながら、新社長を今日まで育て上げてきた両親への敬意のほどを随所に盛り込んで、聴く人を唸らせた。

新社長の決意表明がまた頼もしかった。「会長&専務が今日まで手塩にかけてきた『山一』を、百年以上続く〝老舗〟に仕立て上げるべく、従業員ともども片時も努力を惜しまないつもり」と、喉の痛みを堪えながら、迫力の〝大演説〟。会場からは惜しみない拍手が沸き起こっていた。

ところで、小嶺会長と言えば、我が国サッカー界の大御所的存在である小嶺忠敏さん(元国見高校長・現長崎総合科学大学特任教授)の実兄として知られるが、ご自身は元ラガーマン(三菱製鋼所属)だという。

この日は、かつての〝三菱仲間〟だったという渡辺敏勝県議会議長などもお祝いに駆けつけ、その類い稀なる〝行動力〟の一端を披露するとともに、同社の新体制でのさらなる発展に期待を寄せていた。

話は変わるが、殿村新社長は大の龍馬ファンで、全国各地で開かれているその関係の〝集い〟にも頻繁に参加して、商売(ソーメンの拡販)にも余念がない、とか。

これからはより一層責任の重い立場となるわけだが、持ち前のバイタリティーで、きっと「山一」の新時代を築いていってくれるはずだ。筆者も〝隠れ龍馬ファン〟の一人として、さらなるご活躍のほどを心より期待している。〔写真は殿村新社長


2013/02/16

悪夢の背景に何が?…原因は家庭内の“葛藤劇”

「2月逃(に)げ月」とはよく言ったものだと思っていたら、「1月去(い)ぬ月」「3月去(さ)り月」とも言うそうで、正月明けから年度末までは「アッ!という間に過ぎ去ってしまう」という事の喩(たと)えのようである。

まあ、それはそれとして、早くも逃げ月の〝折り返し〟を過ぎた。日数で言うと僅かに2~3日少ないだけなのに、どうしてこうも早いのか?それとも、そんな思いでいるのは筆者だけか?パソコン上のスケジュール表を見ながらひとりごちる。

前々日は県外のホテルに泊まっていた。いつもなら我が家にいる時よりも早めに目が覚めるのだが、疲れが蓄積しているせいだろうか、なかなか起き上がることが出来なかった。

明け方にみた〝夢〟のせいかもしれない。筆者にとってはトラウマの一種のようなもので、大概その要因は〝準備不足〟によるものだ。

前々日のそれは、芝居の舞台(どういうわけか「オセロ」)に立つことを約束しておきながら、直前になって何のセリフも頭に入っていないことに気付いて、「やばい、どうしよう…」と慌てふためいているところで目が覚めた。

確かに、やり残している案件は〝山〟ほどあるのだが、夢にまでみるほどに準備を怠っているわけではない。ではなぜ、そんな〝強迫観念〟に駆られてしまうのだろう?

かと言って、今さら「フロイト」を勉強したところで論文を書くほどの賢さはないし、第一、さしたる興味もない。ただ、何がしかの心理的な「抑圧感」がはびこっていることだけは間違いない。

仕事、健康…。色々と思いを巡らせてみるが、いずれも切羽詰まった状況ではない。どちらかと言うと、「ケ・セラ・セラ」(なるようになるさ)の心境に近い。

なのに、なぜあんな夢をみたのだろう…?答えを探しあぐねて夕刻帰宅したら、旅先のランチで食べたのと同じメニューの「カレー」が用意されていた。

もちろん、文句など言える立場ではないので、ひたすら押し黙って皿から口にスプーンを運んだ。

今朝出がけ、母が殊更ご機嫌うるわしく、こう声を掛けてきた。「アンタ、今日の晩はおっとね?アタシの誕生日よ!」。

イカン!イカン!すっかり忘れていた。バレンタインデーの翌日が母の誕生日だった。その場を取り繕うように「おめでとうございます!」と祝意を表して「ところでお幾つに?」と聞いたら、「さぁ~!?」との意味深な答え。

本当は正確な年齢は分かっているのだが、敢えてどちらも知らないふり。きっとこんな〝葛藤劇〟が昨日の悪夢につながったのかも?ひとりで合点した次第。


2013/02/14

遺伝子スイッチ!?…ビジョンよりミッション

「遺伝子スイッチ」なる言葉が最近よく取り沙汰されるようになった。そんな事情などつゆ知らず、たまたま手にしたのがその関連本だった。

著者は筑波大学名誉教授の村上和雄さん。題名はそのものずばりの『SWITCH』(スイッチ)。サンマーク出版から出ているハードカバー本だ。

何でもドキュメンタリー映画が元になっているそうで、「才能でも運命でもない。人生を決めるのは遺伝子の〝スイッチ〟だった!」という惹句に引かれて頁をめくった。

これがすこぶる面白い!「遺伝子」や「DNA」と言えば、科学の世界の話で筆者のごとき文系人間にはまったく縁がないと思っていたが、人生のあらゆる局面で、その〝思考〟が当てはまるそうである。

驚くと同時にある種の〝感動〟にひたっていたら、今度はテレビの特番でそのテーマを取り上げていた。2月11日夜放送のTBS「生命38億年スペシャル」という番組がそれ。

書物とテレビとでは幾分か〝切り口〟は異なっているが、「心の持ちよう」(スイッチのオン・オフ)次第で、極小な「遺伝子」の世界も、「人間関係」も、はては「食」や「環境」に至るまで――全てがまったく変わったものになると、一貫してそう強調しているように感じる。

本に限って言えば、全篇を通じて「なるほど!」と唸るばかりの〝説得力〟に溢れていて一気読みさせられるわけだが、特に印象に残ったのは「ミッションに生きることで遺伝子を目覚めさせた人」という章。

「ミッション」を日本語に訳すと「使命」。言い換えるなら、天から与えられたもので、「好き」とか「嫌い」とかの人間的な感情の範疇(はんちゅう)を遥かに超えたものだ。

これに対して「ビジョン」(展望)という言葉がある。「この人のビジョンは素晴らしい。あの会社には確たるビジョンがある」などとよく言われるが、それを達成しようとすればするほど、人間(会社)は疲れ切ってしまう。

それよりは「天の定め」(ミッション)として受け入れて行動した方が、より精神的に安らぐ、と。何となれば、「ビジョン」の場合は自力に頼るしかないが、「ミッション」ともなれば、天の力を借りることも可能になる。

つまりは、運命(ミッション)を従容として受け止め、我欲を捨て去って事に当たっていけば、必ず活路は拓けていくものだ、と諭している。

幼い頃に自らの不注意(勝手な思い込み)で心臓発作の父を救えなかったことを、大人になって成功してからも悔やみ続けていた女性に対して、ある教会の牧師さんがそう教えてくれたのだそうだ。

ありのままをありのままに受け入れることの大切さ。ダメ人間ならダメ人間でいい…。何だか生きる勇気が湧いてきませんか、皆さん?読み違いかな!?


2013/02/09

両社の成功に学ぼう!!…資生堂と霧島酒造の共通点

連日の飲酒で疲れ切ったカラダを携えてこれから福岡へ出張するのだが、はてクルマで向かうか、公共交通機関を使うかで迷っている。道中の利便性を考えたら前者だが、天気は雪模様なので安全策を取ろうか…。出発までまだ時間があるので、本稿を終えた段階で決めることにしよう!

福岡では、弊社が日頃から大変にお世話になっている「霧島酒造」(本社・宮崎県都城市)の主催で、新作テレビCMのお披露目パーティがある。制作・企画を担当しているのは世界の「電通」だ。

会場はこれまた超一流のホテルオークラ。これまでも結婚式や会議等で何度かは訪ねたことはあるが、田舎者の悲しさか、ついついその重厚感溢れる雰囲気に呑まれてしまう。

せめては新しき背広でも着て、気持ちだけは颯爽と乗り込みたいところだが、何年か前に作ったお気に入りの一着は胴周りが窮屈でとても、とても…。

おっつけ、いつも袖を通しているヨレヨレ&テカテカの一着に頼るしかない。朝からブツブツ言いながら着替えをしていたら、母と家人がこう言って励ましてくれた。「大丈夫。誰もアンタのことなんか見とらんけん!」と。

本欄では先般、資生堂ブランド企画部長のズナイデン房子さん(島原市出身)のことを取り上げさせていただいた。飛躍した言い方かも知れないが、資生堂のシャンプーも、霧島酒造の焼酎も、それぞれのブランド名に「色」を冠しているところに〝成功の共通点〟があるように思う。

資生堂の「TSUBAKI」シリーズの販売戦略に関してはすでに紹介済みなので省略させていただくが、霧島酒造の今日の隆盛を支えている〝屋台骨〟は「黒霧島」である。

この商品を売り出す際の〝裏話〟を以前、同社の関係者から聞いたことがある。元々のスタートは白ラベルの「霧島」だった。そこに黒ラベルを加えようとした江夏拓三専務(BTVケーブル社長)の提案に「まるで葬式みたいではないか!」などといった異論が相次いだ、という。

そんな中でも、江夏専務は決して折れなかった。折れるどころか、「赤霧」「金霧」「玉金霧」…などと次々とヒット商品を生み出していく。そして一昨年秋、ついに念願の〝日本一〟の座を射止めることに。

ここで見逃してならないのは、いずれの商品も開発から販売に至るまでの「基本戦略」(コンセプト)がはっきりしている点。つまり、手当たり次第に造って売り出すのではなく、きちんとした「マーケティング理論」に立脚している、というわけだ。

「化粧品」と「焼酎」という違いこそあれ、その根幹を為すものはまったく同じである。両の企業の成功譚から学ぶことは多い。

【追伸】晴れ間が見えてきたのでクルマで行く!!


2013/02/06

防災は島原から!!…FMしまばら“感度良好”

すでにお気付きの方もおられると思うが、「FMしまばら」(88・4メガヘルツ)の受信環境が大幅に改善された。これまでは有明町の沿岸域や山間地の一部で、雑音が入るなどの障害があったが、ほぼ100%に近い状態にまで漕ぎ着けることが出来た。

工事に当たったのは新潟県長岡市の同業者のW社長をリーダーとする3人組。先月末から3日間、泊まり込みで改修作業に従事していただいた。

筆者は電波事情については全くの門外漢のため、懇親会の席だけご一緒させていただいたのだが、そこで何とも〝耳寄りな話〟を伺うことが出来た。

Wさんによれば、近年、新潟県民を2度にわたって震撼させた「中越地震」(平成16年)、「中越沖地震」(同19年)からの復興に当たっては、普賢岳噴火災害での〝教訓〟が大いに役立ったのだ、という。

その1つが災害対策基金。「同制度のおかげで、地元自治体と一緒になって、迅速かつ前向きに対策に取り組むことが出来た」と、述懐するWさん。

筆者はいつも酒席では〝芋焼酎〟の水割りをいただくのだが、さすがに新潟県人が相手ではそういうわけにはいかない。工事が順調に進んだこともあって、この夜は存分に〝日本酒〟を酌み交わした。

興が乗ってきたところで、Wさんがさらに熱く語り出した。「長岡は山本五十六の出身地です。確か、島原の方が真珠湾攻撃の際の一番機に乗っておられましたよね?」。

「そうです!村田大佐という方です。残念ながら、その事情に詳しい山本悌一郎さんという碩学の方は先年亡くなられましたが、本も書かれていますよ」と応じた。

傍目から見ても随分とご満悦そうなWさん。筆者もつい嬉しくなって、「昨年の映画で山本五十六役を演じた役所広司さんも長崎県出身ですよ」と伝えたら、さらに相好をくずして喜んで下さった。

FMしまばらもカボチャテレビも、その経営指針の根幹には常に〝防災〟を置いている。その意味では、Wさんは終生変わらぬ〝仕事仲間〟でもある。

聞けば、島原入りする前日には、NHKの研修所(東京)でCATV事業者を対象にした防災セミナーで講師を務めてきた、とのこと。また、翌週には大手商社の肝いりで東南アジアへも出かける、という。

これまではさして意識することもなく「防災は島原から」などと口走ってきたが、Wさんの話を聴いてみると、あながち〝言い過ぎ〟でもなさそうだ。

すでに鬼籍に入られた高橋三徳さんや堀川早登さん、今も現役で頑張っておられる森本元成さん、田代則春弁護士ら「島原生き残りと復興対策協議会」のお歴々に対して、改めて満腔の敬意を表する次第である。もちろん、当時の鐘ヶ江、吉岡、横田の三首長さんにも。


2013/02/05

情理を極めて解決を!!…体罰問題は難しいだろうが…

「一瞬も、一生も美しく」。ズナイデン房子女史(島原市出身、資生堂ブランド企画部長)は、先に行った長崎市内での講演会でご自身の〝仕事の目的〟をそう強調されていた。

ここから先は筆者の勝手な解釈だが、人間の美しさというのは何も外見だけによるものではない、と思う。いかに美形であろうとも、ブランド品で身を固めようとも、まずは心身ともに健全であることが〝必須要件〟である。

つまり、顔の造作やスタイル云々だけで「美の価値」は決まったりなんかしない。かつて熊本市出身の大演歌歌手、水前寺清子さんが唄っていた。「ボロは着てても心は錦♪」と。そうした〝心構え〟こそが、まず求められるのである。

これまた筆者の独断&偏見であるが、長い人生においては、「カッコ悪さの中のカッコ良さ」(チビ、デブ、ハゲ)も厳然として在る。もっと言えば、それが「世の道理」というものだ。

想像していただきたい。自分の周囲が〝美男美女〟ですべて覆い尽くされている異様な光景を。映画の世界だって同じだ。脇役の存在があってはじめて、主役の美貌やカッコ良さが〝光り輝く〟のである。

ところで、数日前の朝日新聞デジタル版に面白い記事が紹介されていた。神奈川県小田原市の市立中学校の男性教諭(50代)が「死ね」「ハゲ」などと男子生徒にからかわれて、(教育指導として)16人を平手打ちした、というのだ。

さてさて、同記事に限らず、昨今は世の中全体で「体罰」問題が取り上げられているが、ひょっとして新聞やテレビの論調と一般国民(特に年長者)との間ではかなりの〝温度差〟があるのではなかろうか?

「体罰は是か?」と問われたら誰でも「否」と答えるに決まっている。ましてや、「イジメ」や「自殺」につながるような陰湿&過度の仕打ちは論外である。

誤解を恐れずに言うなら、昔から「体罰」、あるいは「それに近いもの」はあった。事実、筆者もよく叩かれた口だ。ただし、それらは「躾」(しつけ)の一環として、止むを得ず行われていたものではなかったろうか、と理解している。

生意気だから、自分の言うことをきかないから…。その程度の理由で「体罰」を加えるような狭量な人間は、端から教師には向いていない。一方で、生徒自身の言動にも問題が全く無いとも言えない(ケース・バイ・ケース)。

何はさておいても、人間の感情(脳内)を司っているのは「情」と「理」という2つの要素である。教師も生徒も「情理を極めて」こそはじめて、「愛のムチの正体」が分かるのだと思うのだが…。

【追伸】先の小田原の事件では、ケガ人は出ていない模様。よかった〝毛が〟なくて!?


2013/02/03

ズナイデンさんが講演…次は島原でお願いします!!

射精童、金乏、女無奴…。筆者まだ若かりし頃、母校の和式トイレでふと目にし、一瞬〝便意〟も忘れてしまって大爆笑した落書きの一節だ。恐らく作者は化粧品業界(資生堂、鐘紡、メナード等)への就職を希望しながらも〝門戸〟を閉ざされてしまった、悲しい青年だったのだろう。

下品な書き出しとなってしまって恐縮だが、昨1日は、驚異のメガヒット商品となっている資生堂『TSUBAKI』(シャンプー)の〝仕掛け人〟として知られる、ズナイデン房子さん(ブランド企画部長)の講演を聴いてきた(長崎広告協会主催)。

ズナイデンさんは島原市の出身。島原高校(第35回卒)から筑波大学に進み、資生堂入社。前々からその〝ご高名〟は存知上げていたが、お話を伺うのは初めてだった。

今さら述べるまでもないが、資生堂は業界最大手の老舗(1872年創業)だが、10年ほど前にはヒット商品が出ず、経営的には〝苦境〟にあえいでいた。

その状況を打破すべく2005年に社長に就任したのが、現会長の前田新造氏。ズナイデンさんはその下で〝原点復帰構想〟とも言える「TSUBAKIプロジェクト」に参画。持ち前の手腕をいかんなく発揮した、というわけだ。

   ※    ※   

「日本女性の美の素質を引き出すこと」を主要テーマに、象徴的な「髪」に照準を当て、徹底した商品の品質向上と合わせて、広報戦略にも知恵を絞った。

そうして出来上がったのが『赤・TSUBAKI』。華やかなイメージを持つ6人の女優陣を惜しげもなく配したテレビCMは大当たり!早くも2006年にはトップの座を射止めた。

次なる商品は『白』。『赤』が〝艶出し〟を主眼としているのに対して、『白』では〝地肌ケア〟に重点を置いた。わずか1年後のことだった。

そして2010年。今度は『赤』『白』の明確なイメージ攻勢に加えて、『金』を世に問う。太陽&地球の持つ生命感を念頭に〝ヘッドスパ美容〟を売りとした。CMのキャスティングには思い切って街中の素人女性を採用。こちらの戦略もズバリ当たった。

(ズナイデンさんの快進撃はまだまだ続く―)。映画『FLOWERS』(東宝・2010年)の制作。五島列島での『椿の植栽事業』(地球環境大賞・2011年)。そして次なる標的は中国をはじめとした巨大なアジア市場だ、という。

   ※    ※   

今の男女共同参画社会において、「女だてらに」という表現は、もはや〝死語〟に等しいが、ズナイデンさんのお話を聴いていると、そうした性別の枠組みを遥かに超えた企業人としての〝凄み〟を感じる。

今度は是非、本当の生まれ故郷の「島原」で講演して下さいね!で、よかったら、地元メディアへの〝広告出稿〟も、ちょこっとくらいは…。


2013/02/02

原形は島原にあった!!…両陛下のご慰問スタイル

さぁ~月も改まった!皆さん、今日からまた〝新たな気分〟で頑張ってまいりましょう!!

そうした矢先に、朝っぱらから〝雨〟に見舞われて、やや機先をそがれた感じがしないでもないが、そんなに寒くはないし、我が鼻炎の大敵〝黄砂〟も洗い流してくれる。吉兆だ!吉兆だ!

   ※    ※   

昨夜は飲み会もなく、久方ぶりに早目に家に帰ったら、母の旧制女学校の同級生という方から、達筆のお手紙が届いていた。

何だろう?と思って開封してみると、先般本欄で取り上げた『海ゆかば』(作詞=大伴家持、作曲=信時潔)について、ご自身の若き日の憶い出とともに、出典等についての詳しい解説が施されていた。

文面を読みながら、己の余りもの〝不見識〟ぶりに深く恥じ入り、今度こそ真剣に日本の古典の勉強をしなければと、固く心に誓った次第。

   ※    ※   

数日前から、在京キー局の1つ「テレビ朝日」の方が皇室番組取材のため、島原入りされている。

筆者の所にもお運びになり、平成3年7月10日の天皇皇后両陛下の島原行幸啓当時の印象について、様々な質問を受けた。

その方によると、両陛下が被災地を慰問される際に〝膝を折って〟地域住民と親しくお話されるスタイルは、島原(雲仙・普賢岳噴火災害)から始まったのだそうだ。

「なるほど、そういう趣旨か…」と半ば感心しながら色々と話を伺ったのだが、肝心要の自分の記憶が定かでない。

これではイカン!と当時の新聞の綴じ込みを開いたり、VTRテープを見直したりしているうちに、おぼろげながら蘇えってきたので、その〝一端〟については何とか伝えることが出来た、と思う。

同番組は今月17日午後2時から(?)、90分間枠で放送される予定だという。詳細が判ったら、改めてお知らせしたい。

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自然災害時における両陛下のご慰問スタイルの〝原形〟が島原にあったことは、今回取材を受けてみてよく分かったが、その他の面ではどうなのだろうか…?

実は有難いことに、筆者が5年ほど前から係わっているコミュニティFMの業界でも、「防災は島原から!」との評価をいただけるようになってきた。

昨日は、島原消防本部で行われた神奈川県座間市議会の視察研修で、スマホ等を使って緊急告知放送を聴くことが出来る「FMぷらプラ」の仕組みを説明する機会をいただいた。

また今日は今日で、中越地震の被災地、新潟県長岡市から受信環境改善のために、専門スタッフを派遣して貰っている。

1日付けで正式に就任した島原市の柴﨑博文副市長ではないが、「改めて身の引き締まる思い」である。