2009/04/30

今日が「八十八夜」…茶の道は世界へと通じる

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「八十八夜」に関しては、だいたい「新暦の5月2日ごろ」と言われているから、さしずめ今日がその日に当たる。

〈♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか 茜襷(あかね・だすき)に 菅(すげ)の笠♪〉 

〃唱歌〃として親しまれた『茶摘』の一節だが、かつて島原の〃茶所〃として知られた千本木地区は今次の噴火災害でその姿を大きく変えてしまった。

その地で生まれ育った人々にとっては、移転から何年が経とうとも、複雑な思いを拭い去ることは到底不可能なことだろう。

筆者も災害前の長閑な山村風景や、茶摘の様子を幾度となく取材した経験があるだけに、いまだに信じ難い思いを捨て去ること出来ないでいる。

「煎茶」の文化を日本に持ち込んだのは黄檗(おうばく)宗の始祖、隠元禅師と言われている。少し調べてみたら、この方は17世紀半ばに来日されているようだ。

とすれば、それ以前の日本人は、「酒」以外には「水」か「白湯」(さゆ)しか飲んでいなかったのだろうか…。実に他愛もない疑問ではあるが、ほかに何も思いつかない。

また、長いこと疑問に思っていたことは「お茶の木の種類」について。正直、筆者は「緑茶の木」「紅茶の木」「烏龍茶の木」などと別々の品種があるものとばかり思い込んでいた。本当に、つい最近まで!!

ところが、それが大きな「僻(ひが)覚え」であったことを誰かに知らされて、赤っ恥をかいてしまったのである。

ノンフィクションライターの沢木耕太郎さんの作品に『深夜特急』という実に面白い〃紀行文〃があるが、そのモチーフの1つになっているのが、ほかでもない「茶」。

主人公(沢木さん)は路線バスを乗り継いで、インドのデリーから中近東を経て、ヨーロッパ、イギリスを目指す。

もう随分前に読んだ本なので詳細は忘れてしまったが、「茶」(TYA)という響きはある意味〃万国共通〃である、と。その証拠に、アフガニスタン辺りでは「チャーイ」とも言うし、英語の「ティ」もフランス語の「テ」も何となく似通っている。

言語学的な知識など一切持ち合わせていないので、本当のところは何が何だか分からないのであるが、一服の「お茶」が醸し出す想像の世界は、何とも愉快ではないか!?

これにはお金もそうかからないし、新型インフルエンザの心配もない。最近では「茶」を原料にした消臭剤やオーデコロンの開発も盛んなようで、まさに「お茶様々」である。

連休を前にして、指の赴くままに、また駄文を打ち込んでしまった。こう言うのを「お茶にごし」と呼ぶ。それでは皆様、佳き休日を!!


大食いのコツは丸呑み…「鰹のタタキ」への怨念

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

さあ、いよいよ若葉萌える5月。「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」-。

誰の作品なのか知る由もないが、初夏到来の歓びを素直に詠んだ、簡潔にして極めて視覚的な秀句である。

子供の頃、橘湾でやたらと鰹が水揚げされた年があった。親戚が網元をしていた関係で、トロ箱何杯分も貰って近所に配って歩いた記憶がある。

その当時、台所をあずかっていた婆ちゃんには「タタキ」にして供するという発想は微塵もなく、食卓には来る日も来る日も「煮付け」が並んだ。

それ以来、鰹の味にはすっかり遠のいていたのだが、さすがに東京の街では江戸食文化の名残として〃珍重〃されていたようで、学生時代にとある1枚のチラシに俄然目が留まった。

そこにはこう記されていた-「新鮮な高知県産鰹のタタキ1尾。制限時間内に完食すれば5千円を進呈!!ビール中ビン1本付き。ただし、残したら5千円いただきます」と。

確か、大きさは1.5キロくらいで、制限時間は30分ではなかったか。ビールの銘柄は間違いなく「サントリー」であった。

当時、筆者は山手線の恵比寿駅から徒歩15分くらいのアパートで、友人(今では著名人)とともに、極めて〃清貧な生活〃を送っていた。

そこへ降って湧いたような〃一攫千金〃の儲け話。これぞ天の配剤!!二人は何のためらいもなく〃チャレンジ〃を決めた。

会場は6駅先の高田の馬場。とある雑居ビルのドアを恐る恐る開けると「ハーイ、ラッシャイ!!」と仰天するような威勢の良い掛け声。

しばらくして運ばれてきたのは尾頭付きの中型鰹。裏表の4列並びで、綺麗に盛り付けてある。正直「これくらいなら軽くいけそう」と高をくくった。

ところが、いざ食べ始めてみると、全然減っていかない。そのうちビール瓶も空になって、薬味のニンニクと魚の生臭さばかりが気になり出した。

時は刻々と過ぎ去ってゆくが、タタキの列は整然としたまま。そして、とうとうタイムアップ。友人の方は4列目に箸を伸ばそうという所まできていたが、小生は2列ちょっとでギブアップしてしまった。

支払いの段になって、我々は大きな過ちを犯したことに気付いたが、時すでに遅し。涙と汗の染み付いたなけなしの5千円札2枚をそっと差し出して、その場を去った。

近くの公園までトボトボと歩いて行って、二人して〃敗因〃を分析。そして達した結論はこうだった。「噛んだから満腹感が先に立ってしまった。丸呑みすれば勝てたはず!?」。

が、すべては〃後の祭り〃。電車賃も持たない二人は約2時間をかけ、疲れ切ってオンボロ下宿に辿り着いたのでありました。


2009/04/28

予防は外出しないこと…忍び寄る新型インフルエンザ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

素人の浅ましさで、「新型インフルエンザなんて単なる〃風邪の親方〃じゃないか」と思い込んでいたが、どうやら大きな過ちだったようだ。

27日付の日経「春秋」に続いて、28日には朝日「天声人語」、読売「編集手帳」でも、1918年に世界中を恐怖に陥れた「スペイン風邪」の〃猛威〃を取り上げている。

それらによれば、死者の数は4千万人から5千万人と言われており、日本でも48万人もの犠牲者が出たと報じられている。その中には、小説家の島村抱月や東京駅の設計者として名高い辰野金吾も含まれていた、という。

メキシコ発の「豚インフルエンザ」が〃悪夢〃の再来となるかどうか判らないが、用心するに越したことはない。ただもう予防用の特殊マスクは売り切れ状態だとも言うし、「1週間分の水と食料を確保すべし」といったまことしやかな情報も流れている。

何だかここまでくると、昭和48年当時のオイルショックに端を発した「トイレットペーパーの買占め騒動」を思い出してしまうが、直ちに〃人命〃につながる話だけに、ゆめよめ油断は禁物だろう。

やはり最大の〃防御策〃は外に出ないこと。ところが、若葉萌え出すこの絶好の季節に、家の中でじっとしていることが、果たして皆さん可能か?ましてや巷は「ゴールデンウイーク」である。

少なくとも筆者には無理だ。とにかく休暇の間は何とか外に出たい、と考えている。ただし、資金的な余裕がないので「安」「近」「短」でいくしかない。

山にでも登ろうか、それとも釣りに連れて行ってもらおうか、サイクリングに出かけようか、歩き残した島原半島1周の旅(残り約70キロ)にケリをつけようか…。とにかく、汗を流すことに専念しよう!!

言い古された言葉だが、健全なる肉体に健全なる精神は宿る、のだ。一方で、だぶついた〃腹回り〃をさすりながら、運動後の〃爽快感〃に想いのみを馳せている我が身が何だか切なくもある。

ここ数日、目覚めが早い。だいたい4時過ぎにはむっくりと起き出すのだが、夜明けまでにはまだ時間がある。煙草を立て続けに吸っているうちに、段々と空が白み出す。

頃合いを見計らったようにスズメが鳴き、その後をカラスが追う。そのうちに、カーテンの隙間から黄金色の一条の光が差し込んでくる。さあ、新しい一日の始まりだ。

会社に着くと、音無川の流れをまず確認する。いつもと変わらぬ景色のようだが、やはり日々刻々、動きは異なる。最近ではツバメが水面すれすれの滑空を楽しんでいる。

対するスズメは石垣にへばり付くようにしてエサをついばんでいる。新型インフルエンザの影も形も見えない日常なのだが…。


2009/04/27

「帰宅の心得」の要諦…憂えず、浮かれず、平常心

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

その昔、四国のとある観光バス会社に「S」という名物ガイドがいた。器量は「十人並み以下」と言うより、「ブス」という表現が相応しいくらいだった。

ところが、このSさん、喋らせたらまさに天下一品!! 誰もかなう者がいない。筆者もこれまで多くのガイド嬢を見てきたが、彼女を凌駕する存在にまだ出くわしたことがない。

何が上手いかって、まず「間」(ま)の取り方が抜群だった。瞬時にどういう客層かを見分けて、それに応じた話術を駆使し、車内を大いに沸かせてくれた。彼女がいれば、もうその旅行は安心だった。

今でも印象に残っているのは、最後の挨拶のくだり。彼女はいつもこう結んでいた-。

「いいですか皆さん、疲れた切った表情でブスッとして帰っては駄目ですよ。かと言って『あー滅茶苦茶楽しかった。こんなに面白い旅はなかった!!』などと、やたら喜んでもいけません。ごくごく普通にしてお帰りください」と。

文字面を見れば、何の変哲もない言葉だが、彼女の口を通すと、「旅の極意」「金科玉条」として伝わってきたから不思議だ。

彼女に言わせると、旅に出ること自体、或る意味、日常生活から逃避すること。言葉を変えれば、「憂さ晴らし」だから、楽しいに決まっている。

ところが留守を預かる家族は、その旅行期間中もドップリと日常生活に浸っているわけだから、間延びした「ただいまー」の挨拶では〃金の無駄遣い〃と取られても仕方がない、と。

また、過度の喜びを表すことは「そんなに愉快な思いを自分だけして。少しは留守番をする身のことを考えてみろ。コンチクショー」と、家族に〃僻み根性〃を植え付けるのだという。なるほど、何とも〃含蓄〃溢れる言葉である。

そう言えば、この春の人事異動で島一中から有明中にかわった美術の松崎善幸先生が以前、こんな話をしていた-。

「他人の旅の土産話を聞くことほど退屈なことはない。それが海外旅行なんかであれば尚更だ。やれフランスでは、イタリアでは…などと賢しげに語られても、それはもう〃嫌味〃にしか聞こえない」と。

これまた、Sさんの話と通底する〃至言〃ではないか、と今改めて噛みしめている次第だ。

ところで、いよいよ「ゴールデンウイーク」が始まる。今年は不況の影響で長めの休暇を取る企業も多いようだが、当社の場合は「暦通り」。それでも5月3日からは4連休だ。

さあ、どこに行こうか?高速料金はどこまで行っても「千円ポッキリ」だから、久々に遠出でもしようかな…。

いや待てよ!帰宅した時の〃表情〃を今から考えておかないと。憂えず、浮かれず、平常心で!!


2009/04/25

希望を持って出直そう!!…〃有名人〃は何と不自由な…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

上京中のその日(23日夜)、宿泊先のホテル内にあるコンビニを訪ねると、新聞スタンドの大見出しが目に飛び込んできた。

ご存知!!悪名高き「東スポ」1面に派手派手に打ち出されていたのは、スマップ・草薙剛君の泥酔お騒がせ記事だった。勿論、迷わず買った。

記事内容に関するコメントは後述するとして、何より興味を引いたのは日付が「24日」となっていた点。翌日付で発行している日刊紙は島原新聞ばかりと思い込んでいた身にとっては、些かの驚きであった。

図らずも一夜明けたマスコミの対応は、新聞もテレビも判で押したような〃草薙特集〃。NHKの『ニュースウオッチ9』では、記者会見の模様をライブ放映。続くテレ朝の『報道ステーション』もトップに据えていた。

笑ったのは『報ステ』のゲストコメンテーターに友人のK氏(雑誌編集長)が出演していたこと。ゴマシオ頭を撫で付けて生真面目に語っている様子に思わずフキ出してしまった。

しかし、この日彼が出演していた真の目的は、次の特集コーナーにあった、と思う。黒人初の米大統領、バラク・オバマ就任の日(1月20日)に合わせて世界各国のカメラマン(百数十人)に撮らせた千枚にも及ぶスナップ写真のことだ。

K氏によれば、企画のテーマは〃希望〃。「こんな時代に〃希望〃などあるのか?」と訝るカメラマンに対し、K氏は「せめても〃変化に対する希望〃を撮って欲しい」と説得したのだ、という。

番組ではその一部をオムニバス式に紹介していたが、自身が報道畑出身であるだけに十分なメッセージ性が備わっていた。ちなみに、K氏が編集しているのは講談社の『クーリエ・ジャポン』誌。世界各国のメディア(千五百社)が「日本という国」をどう見ているかに力点を置いている。

草薙君の話に戻る。個人的な感想を言えば、そんなに大騒ぎするほどの話なのだろうか。原因を一言でいえば、彼が〃スター〃であった、その1点に尽きる、と思う。

これがお笑い芸人の仕業であれば、これほどまでに騒がれることは断じてない。〃スター〃であるということは、逆を言えば、何と不自由なことか…。

筆者が東京で学生生活を送っていた昔にも、一時期「ストーリーキング」という〃裸のランニング奇行〃が流行ったことがある。知り合いの明治の学生も、早稲田の学生も覇を競うように、夜の街に繰り出して行ったものだ。

今ではその〃愉快な連中〃も立派な(?)社会人として活躍している。ただ、草薙君との決定的な違いは、彼らが〃有名人〃ではなかったこと。

草薙君も存分に反省しているようだし、今回の一件を〃芸の肥やし〃にしてほしい。そう〃希望〃を持って!!


2009/04/24

島鉄会で関東を視察…ナント丹沢が震源地だった

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

一昨日から「関東」に来ている。東京ではない。さらに詳らかにすれば、主たる目的地は神奈川県と埼玉県にある。

島原鉄道とビジネス上の繋がりが深い事業者の親睦団体「島鉄会」(永江正國会長)主催の視察ツアーで、総勢25人が参加して、極めて真面目な「修学の旅」を続けている。

初日は箱根を周遊。2日目は芝桜で有名な秩父市の羊山公園を訪ねた。そして最終日の今日(24日)は大宮にある鉄道博物館を見学する。

箱根と言えば、色々あるが、何といっても「関所跡。「入り鉄砲に出女」の言葉にもあるように、江戸の昔には、東海道五十三次を代表する交通の要衝であった。

しかし、今ではむしろ、毎年正月に行われる「箱根駅伝」のゴール&スタート地点として知られている。ガイドさんの説明も、どちらかと言うとその方面に力点が置かれているようだ。

初めて聞くことも沢山あった。驚きだったのは大正12年9月1日に起きた関東大震災の震源地が、丹沢の麓であったこと。これなどは火山・地震学者以外には意外と知られていない史実ではなかろうか。

芦ノ湖(周囲21キロ、水利権は静岡県にある)の水はきれいに澄み渡っていた。遠目に冠雪を戴いた富士山との景色の組み合わせは、外国人ならずとも「ワンダフル!!」といった感嘆の声が自然と漏れ出てきそうな〃絶景〃であった。

それにしても中国人旅行者の多いこと。原色を駆使した独特のファッションセンスと会話の弾み方は、日本人のそれとは明らかに異なる。とにかく皆さん、いつでもどこでも「自己主張」なのである。

宿泊は島鉄会々員でもある島原観光ホテル社長の足立進一さんの肝いりで、箱根小涌園にお世話になった。前職(旅行代理店)との絡みでもう何十年ぶりの宿泊だろうか…といった感傷より先に、施設の充実ぶりに目が向いた。

華美でなく、野暮でなく、かと言って媚(こび)を売るでもなし。「サービス」の何たるかを知り尽くしたプロの接待は、やはり心地がいい。

懇親会では、永江会長より会社経営の要諦を直に伺った。徒手空拳で今日の「昭和堂」を築き上げた人物の話はさすがに迫力がある。説得力も抜群だ。 

それにしても若い。とても齢80を超えた「後期高齢者」とは思えない肌艶の良さである。また、カラオケの上手さにもびっくりした。

秩父の芝桜公園の賑わいぶりについては後日、稿を改めて紹介したい。とにかく、今は「団体行動」が第一だ。

したがって慢性的に時間が足りない。もう出発の時刻が迫ってきたので、パソコンのスイッチを切ることにする。ところで、草薙君は大丈夫かな…。


2009/04/21

「花実双美」とはハテ?…秀吉を超えた利休の存在感

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

引き続き、花の話をする。浅田次郎さんが無類の〃花好き〃である理由については前号で述べた通りだが、氏は著作の中で「花実双美」という言葉を持ち出して、しばし薀蓄(うんちく)を傾けている - 。

「京都の古いお茶屋に、明治の元勲の筆になる『花實雙美』という軸がかかっていた。読み下せば、『花も実も双つ美し』である。西洋の合理的な文明を移入することとなった時代に、こうした立派な覚悟を持っていた明治人は聡明である」

少し長くなるが、その薀蓄はさらに続く - 「この名言には、もうひとつの意味も汲み取れる。…(中略)…(御茶屋の妓という者は)見栄えが良いばかりではなく、中身も美しくなければいけません」と。

ふだん何げなく見過している花卉類の美しさに、これほどまでに深い意味を見い出す、鋭き感性。畏るべし、その観察眼!!

と、ここまで書いて、何の脈絡もないが、今年の第140回直木賞を受けた山本兼一氏の作品『利休にたずねよ』(PHP研究所)のことをふと連想してしまった。利休とは、他でもない戦国の世を代表する茶の湯の大家「千利休」のことである。

受賞作は、主君の秀吉によって切腹を命じられることになる利休の〃心象風景〃と、様々な〃人間模様〃を渇いた筆致で描いており、読み終えるのが惜しまれるほど面白かった。

利休は、人生のあらゆる局面において「美の追究」に余念がない。しかも、その〃企て〃は外れることがない。〃天才〃と言っても良いほどの、完璧な美のプロデューサーであった。

一方の秀吉は、信長亡き後の押しも押されもせぬ〃天下人〃だが、どうにも利休の〃才能〃というか、挙措振舞の落ち着きぶりが気に食わない。

自慢ではないが、筆者はこれまで、茶の湯の世界も、利休のことも、全く知る由もなかった。また、興味も、関心もなかった。

同書を読むに当たっては、かえってその「無垢(むく)の心理状態」が良かったのかも知れない。切腹の日から〃逆算〃される章立ても、意表を衝いて素晴らしかった。

残念ながら(?)、すでに読み終えてしまったが、率直な印象を言うと、これは歴史の舞台に名を借りた、壮大で緻密な「人間観察ロマン」である。

権力とは何か、美とは果たして…。筆者の手になれば、天下を治めた秀吉よりも、茶の湯一筋に生きた利休の方が、遥かに魅力的である。

この季節、一歩戸外に踏み出せば、辻々には春の花が溢れ咲いている。こんもりと堆く咲き誇っているのも良いが、路傍の一輪も捨て難い。

少し喉が渇いてきたが、手元には薄茶も濃茶もない。どうやら自販機が手招きしているようだ。嗚呼やっぱ凡人だぁー、俺は。


遅咲きが気楽でヨカ…「花は情操と教養の基準」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

残念なことに、我が社の芝桜がどうにも盛り上がらない。植えてからもうひと月以上が経つのに、いまだに地肌が透けて見える。まるでタレントの温水さんの〃頭髪〃のようだ。

最初は順調だった。特にピンク系は勢いが良かった。ところが4月に入った途端に、急に萎れ出した。夕方まで綺麗だった花びらが、一晩で紫色に変わってしまうのだ。

幸い、茎や葉の部分にさほどの変化はなく〃成り行き〃を見守っていたが、段々心配になってきたので、「芝桜公園をつくる会」の会長である小涌園の足立社長に相談した。

すると「大丈夫!大丈夫!」と、ご自慢の〃太鼓腹〃をさすりながら「あんまり水や肥料を遣り過ぎちゃダメだよ」とのアドバイス。確かに、小涌園の駐車場奥のポケットパークを見に行くと、土の状態はカチンカチンだった。

そうこうするうちに、今度はなかなか花を咲かせようとしなかった白色系が俄然勢いづいてきた。今では完全に〃逆転〃した状況である。

こうした経過を冷静に眺めていけば、これはもう〃人生の縮図〃そのものではないか…。幼少の頃から「秀才」、はては「天才」の名前をほしいままにしながら、途中で挫折しまう輩の何と多いことか…。

その点、遅咲きの花(人間)は気楽で良い。第一、端から期待されていないので重圧なんか感じないで済む。そのうち疲れ果てたフロントランナーの背中が徐々に近づいてくる。後は悠然と抜き去るのみだ。

久方ぶりに浅田次郎さんの新作エッセイ集『ま、いっか。』(集英社)を買って読んでいる。これがすこぶる面白い。最近ではめったに乗ることはないJALの機内誌にも氏の作品が載っているのだが、やはりこの方は当代きっての〃語り部〃の一人である。

同エッセイ集によれば、浅田氏は大の「花好き」で、講演会やサイン会でもらった花束は必ず家まで持ち帰るのだそうだ。

その浅田さんがこう嘆く - 「このごろ、花に興味を示さなくなった女性が多くなった。(中略)私は花を賞(め)でる心が情操と教養の基準だと考えているので、とたんにその人物が信用できなくなる」。

ここから先の記述が〃中国通〃である浅田さんの面目躍如だ。「科挙において、第一位の合格者を『状元』(じょうげん)と呼び、第二位を『榜眼』(ぼうがん)、第三位を『探花』(たんか)と称した」と - 。

さらに解説するなら、その昔、世界一難しいとされた中国の官吏登用試験(科挙)で三番目に合格した人物(探花)は、市中に馬を走らせて牡丹の花を探し、慶びの思いをこめて皇帝に捧げたのだそうだ。

浅田さんに言わせると、「花は、人間が勝手に切り取ってわがものにできる稀有の自然である」。名前は〃浅い〃が、その洞察力の何と〃深い〃ことか!!


2009/04/15

いずれ枕を高くして!!…着物向きの体型を褒められる

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「あおによし」が→「奈良」、「ひさかたの」が→「光」にかかる「枕詞」であることは、誰しもお分かりの古典の基礎だ。

ところで「枕」と言えば、連鎖的に「蒲団」を想い浮かべてしまうが、自慢ではないが、筆者が使っている寝具は、そんじょそこいらのモノとはちと違う。ハッキリ言って〃高級品〃なのである。

勿論、自分で購(あがな)ったものではない。何かの折に、家人の両親が「夜はあまりフラフラしないでしっかり安眠をとりなさい」とプレゼントして下さったものだ。

もう随分と古くなって所々ほどけたりしているが、寝心地は満点だ。感心なことに、このところ「夜の徘徊」もめっきりと少なくなったし、黄泉への旅立ちも「ここから!!」と固く心に決めている。

一方、出張する機会も多いので、ホテルのベッドメーキングも大いに気になるところ。正直言って、「もう泊まりたくない」という施設もある。こうした気分を「枕が合わない」とでも言うのだろうか…。

そうそう「枕」と言えば、先日の日曜日に〃新製品〃を買っていただいた。「ハイパージェルマ」という商品名で、中にはゲルマニウムやブラックシリカ、黄土などが含まれている。

形状は中央部が少し凹んだ長方形の造りで、肩の辺りから首の部分を優しく包んでくれる。嘘ではない。本当に〃寝心地〃が良いのだ。

そうだ、「枕」に冠する言葉が沢山あることを思い出したぞ。「枕を濡らす」という表現は、厭(いや)なことや悲しいことがあった晩などに秘かに泣くこと。

英語で言う「ピロートーク」とは、男&女(普通)が何がしかの〃行為〃の後に、しんみりと語り合うことではなかった…。

少し下卑た表現になって恐縮だが、「枕芸者」というのもある。これは敢えて解説を避ける。

また、修学旅行の宿泊先で飛び交うのは「枕爆弾」。余りに激しくやり合い過ぎて、部屋中にモミガラが飛び散った苦い経験をお持ちの方もいらっしゃるのではなかろうか。

ところで、件の新品枕は「呉服の丸三」の展示会場で求めたものだが、絢爛豪華な着物美に改めて感嘆した。と同時に〃複雑な気分〃にもなった。

嗚呼、俺にもっと甲斐性があれば、家人や母に着物の1つも買ってあげられるのに…。そんな感傷に浸っていたら、知り合いの店員さんが声を掛けてきた。

「ご主人、着物がバッチリ似合うお腹の出具合ですよ!!大島なんぞはいかがでしょうか?」。値段を聞いてドン引きしたが、少しだけ心が動いたのも事実。

近い将来には、帰宅したら大島の着物に着替え、「枕を高くして寝たい」ものだ。ちょっと贅沢かな!?


値段を科学しよう!?…納得できるか商売上の数式

-株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

大手牛丼チェーンの島原店オープンを知らせるチラシを見て、さっそく駆け付けた。温玉付のカレー丼が一皿299円、と確かに安い。

世の中は今、業種を問わずの〃安値乱売合戦〃のようだ。テレビでは、「タスポ効果」によるコンビニ業界の好決算の発表と併せて300円を切る新弁当のメニューを紹介していた。

先日の日曜日、我が家の夕食は「ほか弁」であった。電話で注文したのは「鶏の唐揚げ弁当」×2と、「カツ丼」、そして「のりタルタル弁当」に「特のりタル弁当」の都合5個。母は町内の花見とやらに出かけて居なかった。

特段、気にする話でもないのだが、「のりタルタル」と「特のりタル」の間に横たわる〃違い〃に自然目が向いた。値段は、前者が310円であるのに対し、後者は390円。

その差「80円」の間に一体何が隠されているのだろうか…?のり飯の上に載っている〃揚げ物〃にしばし注目した。

まず「のりタル - 」のそれは、竹輪を半分に切って揚げたのと白身フライ、それにタクワンとキンピラゴボウが少々。

対する「特のり - 」では、白身魚やタクワンなどは同じだったが、竹輪がメンチカツに代わり、鶏の唐揚げが加わっていた。

つまり、ここで自信を持って言えるのは、「メンチ+唐揚げ-竹輪=80円」という〃商売上〃の数式が厳然として成り立っている、ということである。

あーそれから、誤解のないように言っておかねばならないが、「タルタル」と「タル」の違いは、別段前者の方に「タルタルソース」が二倍付いているという意味ではない。

まあ、「値段の打ち出し方」というのは、簡単なようで、とても難しい。余りにも馬鹿正直に「正価」を付ければ、顧客は寄り付かなくなる。

かと言って、集客を当て込んでわざとらしく「見た目」ばかりを安くしても、いずれその「ウソ」はばれる。その兼ね合いが難しいのだ。

先日、諫早市内のとある中華屋さんに寄って、家族4人で晩飯を食べた。メニューを見ると、「海鮮ラーメン」と「特別海鮮ラーメン」というのがあった。

その違いを確かめようと、それぞれを一杯ずつ注文した。先に運ばれてきたのは「海鮮 - 」。スープの味はまあまあ。そうこうしているうちに「特別海鮮 - 」もやって来た。

メニュー写真と比較しながら麺上のトッピングを精査。結果、分かったことは、500円強もの値段の違いは、カニとクルマエビ数匹分にしか過ぎなかったのだ。

何だか、騙された気分にもなったが、お店の人は喜んだであろう。これからは「もっと値段を科学することにしよう!!」と深く反省した次第。


許せない某県職員!!…音無川を浚(さら)えてみました

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

桜前線は北上を続け、弘前城(青森)のサクラの開花も間近か。なぜ唐突にその名が浮かんだかと言うと、先日久方ぶりに〃大先輩〃のルポライター、鎌田慧さんからお電話を頂戴したからだ。

鎌田さんは「ねぷたまつり」の里として知られる同市の出身である。噴火災害当時は、当地にも頻繁に出入りされていたが、最近はとんとご無沙汰だ。

弘前のサクラはこれからだが、島原はもうすっかり葉ザクラだ。我が社の前にある音無川沿いの老木7本もすっかり花を落とし、足元にはその残骸が。

おかげで掃除が大変だ。毎朝8時前から若手の男性社員が中心となって箒(ほうき)を使って掻(か)き集めているのだが、これが思ったより大変な作業なのである。

せっかく一箇所に集めても、風が吹くとすぐに散乱してしまう。カミュの作品に『シューシュポスの神話』というのがあったが、掃いても、掃いても、次の日にはまとまった量のゴミが約束されたかのように待ち受けている。

路上はまだいい。タバコの吸殻にせよ、空き缶にせよ、その気になれば直ちに拾うことができる。ところが、水中となるとそう簡単にはいかない。

遠目には美しく見える音無川だが、目を凝らせば必ずしもそうとばかりは限らない。確かに、源流は白土湖の湧水だから綺麗に決まっているが、一度足を踏み入れれば、色んな〃問題〃が見えてくる。

毎年、サクラが散ったこの季節は、水草が作り出すあちこちの澱(よど)みに塵芥(じんかい)が引っ掛かって何とも見苦しい。「一体どこが水の都か」と〃憎まれ口〃を叩きたくもなるのも人情だ。

だったら、どうすれば…?いたって簡単だ。自分でその状況を改善すればいいのである。とは言っても、川の中に入るのは些かながら〃勇気〃がいる。

勝手な真似をして建設事業者の邪魔をすることにならないだろうか…?思い余って、市役所に相談したら「そら、良かこっですバイ」とのお墨付き。安心して事に臨んだのが一昨日。

網戸3枚で急こしらえの堰(せき)を造り、必死で鎌を動かすこと2時間。まだまだ遣り残した感は残るが、少なくとも澱みの泡沫(うたかた)は消えた。

ここで生活雑排水等の問題を云々するつもりなど毛頭ない。都市下水路が整備されていない環境下で暮らしている以上、ある程度仕方のないことである。

ただ、市民の一人、或いはこの地で事業を営む者の〃社会的責任〃として果たすべき役割はきちんと存在している、と思う。

筆者をして今回の行動に移らしめたのは、出張で来た某県職員の心無い行動。歩きタバコの吸殻を何のためらいもなく音無川に弾き捨てたのだ。公務員である以上、余計に〃水に流す〃わけにはいかない!!


2009/04/11

余りにドタバタし過ぎ!!…NHK朝の連ドラ『つばさ』

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

NHK朝の連続ドラマ『つばさ』が始まって早くも2週間が経過したが、どうにもイケナイ。と言うより朝から〃馬鹿騒ぎ〃をし過ぎである。

中でもヒロインの母親役の高畑淳子(たかはた・あつこ)さんの動きが突出している。主婦の立場もわきまえず、突然家出して、「祭り」の季節になったら帰ってくるという〃筋立て〃そのものに、そもそも無理がある。

制作者の狙いは、こうした不景気なご時勢だからこそ「豪快に笑い飛ばそう!!」というところだろうが、残念ながら「過ぎたるは何とやら…」である。

たまたま西城秀樹の姿を見かけた時に、何の脈絡もないが、『寺内貫太郎一家』(TBS)とイメージがかぶってしまったのは、筆者だけだろうか…。

『寺内―』を手がけたのは、往年の名演出家だった久世光彦(くぜ・てるひこ)さん。脚本家の向田邦子(むこうだ・くにこ)さんとコンビを組んで『七人の孫』や『時間ですよ』など数々のヒット作を世に送り込んだ〃鬼才〃である。

また、達意の文章家としても知られ、森繁久彌さんの晩年の暮らしぶりを軽快なタッチでルポした『大遺言書』は週刊新潮の名物コーナーであったが、姿を消して久しい。ところで、森繁さんはお元気なのだろうか…。

閑話休題。『つばさ』はいよいよ来週から本題の「コミュニティFM編」に入っていきそうなので、再度、気を取り直して観ることにしよう!!

ただ、クドイようだが、今のままの〃路線〃で突き進めば、間違いなく失敗する。業界人の一人としてクレグレもそうした事態だけは避けてほしい。

頼みますよ!!大NHKさん。いくら篤姫の義母役の評判が高かったからと言って、何でもかんでもその〃枠〃に当て嵌(は)めようという発想は、余りにも安直ですバイ。

柳の下にそうそう2匹目のドジョウはいませんよ。筆者自身、決して高畑さんが嫌いな女優というわけではない。むしろ好きな方である。

何と言っても出身地が香川という点が素晴らしい?それに美形ではあるが、やたらと顔がでかいというのも〃親近感〃が持てる。

四国では「東男に京女」という言葉をもじって、「讃岐男と阿波女」という言い回しがある。ウーン、高畑さんの顔のつくりは、どう見ても〃男〃である。

恐らく、素顔もサバサバとした男っぽい性格の方だろう。それ故にテレビ関係者からも引っ張りだことなるのだろうが、朝っぱらからあの〃ドタバタ劇〃はいただけない。

『おはなはん』(昭和41年)以来の歴史あるドラマである。もう少しじっくりと鑑賞できるような、落ち着きのある内容であってほしい。


2009/04/09

熊谷さん〃教授〃に…マツザキ先生も負けるな!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原市出身の画家、熊谷有展(くまがえ・ありのぶ)さんが1日付で、熊本市にある崇城大学芸術学部の教授に就任した。同時に、同大学院芸術研究科(修士課程)の美術専攻指導教員(教授)にも!!

先般行われた、恩師に当たる松崎善幸さん(島一中から有明中に転任)の「第85回記念白日会展・一般佳作賞」の受賞祝賀会の席上で明らかになった。

二人は松崎さんが島一中に新任教諭として赴任して以来の〃師弟関係〃。ともに島原高校から武蔵野美術大学(大学院)に学んでいる。

異なる点は、熊谷さんが当初から「油絵」の道を歩んでいるのに対し、松崎さんの元々の専門は「彫刻」。共通する点は、二人とも無類の〃酒好き〃。しかも〃酒豪〃。

筆者もとあるご縁で普段から親しくさせていただいているが、「熊は断然モノが違う!!」というのが松崎さんの口癖。

確かに、その輝かしい「受賞歴」(白日展内閣総理大臣賞、日展特選2回ほか多数)を見れば、その指摘があながち〃誇張〃ではないことが分かる。加えて、まだ40代そこそこの〃若さ〃で、斯界の最高峰「日展」の審査員。

祝賀会では、自身が選考委員を務めた熊谷さんが恩師の作品について言及。「決して贔屓目(ひいきめ)でなく、実力で勝ち取った受賞。今後の活躍にも大いに期待が持てる!!」とエールを送った。

一方、来賓で出席していた加藤県議は「旧くからの友人。失意の時に大きな希望と励ましをくれた恩人でもあり、(受賞は)我が事のように嬉しい」と顔をほころばせた。

同じく来賓の横田市長は「雲仙岳災害記念館で松崎&熊谷の『二人展』を是非実現してほしい。また松崎さんには、本来の彫刻分野でも頑張っていただき、北村西望先生のように大きな存在になってほしい」と注文を付けた。

これに対し〃主役〃の松崎さんは「ヨーカ、オイは安中ん松崎で良かとー」とハニカミを見せながらも、決然とした口調で次なる〃創作意欲〃について語った。一同、拍手喝采!!

と、ここまで書いて〃大事なこと〃を忘れていたことに気付いた。受賞作のモデルは、今春崇城大学(デザイン学科)を卒業した長女「U子さん」が務めている。

その後、気のおけない仲間同士の賑やかな宴会となったが、熊谷さんに言わせると、「時間的距離で島原市に一番近い大学は崇城大学ですよ!!」ということだった。

なるほど、言われてみたら確かにそうだ!!島原半島は熊本県に一番近い長崎県だ。熊谷さんをはじめ若手の芸術家も次々と育ちつつあるというし、地域としての〃今後の可能性〃を満喫した飲み会であった。

それにしても、松崎先生も、熊ちゃんも強い!!


2009/04/04

明眸皓歯が美人の条件…紅毛&眉無族に苦言を呈す

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

どうにかこうにか持ちこたえていた〃天気〃がとうとう泣き出した。これで今年のサクラはもう終わりだ。残念…。

窓の外を眺めると、水溜りの中でカラスが一羽水浴びをしている。少しだけ浸かったと思うと、もう次の瞬間には羽根をブルブルと震わせて飛び立って行った。これぞまさしく〃カラスの行水〃。

一方〃カラスの濡れ羽色〃という言葉は、真っ黒で艶のある色合いの喩え。つまり、日本女性特有の黒髪の美しさのことを指すが、最近は余り見かけない。周囲を見渡せば、老若男女、美醜を問わず染めまくっている輩が多い。

自慢ではないが、髪の毛を染めたことなど一度もない。〈身体髪膚、これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり〉

有名な『孝経』の一節だが、まさにその通りだと思う。だいたい日本人に〃紅毛〃が似合うはずもない。それを愚かにも実践してしまうところに、現代日本の病巣がある。

美容外科やファッション業界を敵に回すつもりは〃毛頭〃ない。筆者には、美的センスがないのかも知れない。ただ自分自身、そう思い込んでいるだけだ。

お隣、韓国では〃整形美容〃が大流行りだ、と聞いた。ひょっとして大好きなチェ・ジウも整形しているのでは…などと想ったりもするが、彼女の髪の毛が黒だったか、栗色だったかの記憶は定かでない。

まったくもって信頼のおけない〃審美眼〃であるが、別段、それが本人に似合っていれば構わない。だが、覚束ない土台の上で、華美に装えば装うほど美しさから遠ざかってしまうのが〃世の現実〃である。

漢字の四文字熟語に「明眸皓歯」(めいぼうこうし)という言葉がある。目元が美しく、歯が白いから転じて〃美人〃の意味だ。

韓国にその言葉があるのかどうか知らないが、術後に目指しているのは恐らくその〃境地〃だろう。その証拠に、日本でも人気の高い韓流(はんりゅう)スターの条件は、ほとんど例外なくその〃条件〃を満たしている。

誤解を恐れずに言えば、以前の韓国の人々の顔立ちは顎が張って、一重瞼(まぶた)というイメージが強かった。ところが、最近では真逆の路線を行っているようだ。

裏を返せば、それだけ彼の地では整形美容が盛んである、ということに他ならない。やはり〃噂〃は本当であったか…。

話は移って北隣。件の〃将軍様〃に関しては、「シークレットブーツを履かれている」という、まことしやかな内容の、週刊誌のグラビア記事があった。

真偽のほどはさておいて、余りに〃背伸び〃をされて〃核大国〃になられても困る。そうなれば、我が日本国民は〃眉をひそめる〃事態となるが、最近では〃眉無族〃の若者も多いようで…。


2009/04/01

テレビ時代は終焉!?…ネット通じて多くの読者

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

事務所の入口ドアを開けようと思ったら、何やらコピー用紙がヒラヒラ。本コラムをどんな機関の人々がネットを通じて読んでいるかをまとめた「全国アクセス一覧」であった。

それは、弊社のネット担当者が「500回記念に」と、気を利かせて貼ってくれていたもの。本紙の読者以外でもこんなに多くの方々の目に触れているのかと思うと、嬉しくもあり、同時に恐くもある。

内訳をみると、いずれも名の通った学術機関やメーカー、官公庁などがキラ星のように並ぶ。と言うより、皆さん、情報集めに必死になられている様子が良くうかがえる。

いささか旧聞に属するが、先日、NHKテレビで、放送文化の未来を論じる「特別番組」があり、業界の末席を穢す者の一人として、大変に興味深く拝見させていただいた。

テレビ会社は今どこも「不況の波」に呑み込まれている。加えて、莫大な投資を伴う「デジタル化」の問題が暗い影を落とす。

これまでであれば、自動車やカメラなどといった好業種のCM収入で簡単に乗り切れられたところだろうが、何せ「百年に一度」の大不況。そうは簡単に問屋も卸すはずがない。

そうした〃目線〃で各局のチャンネル編成を眺めていると、最近はやたらと主催事業のイベント紹介や「番宣番組」が多い。正直、辟易するくらいだ。

恐らく関係者にとっては、50年前後の歴史の中で初めて味わう〃危機感〃であろう。ただ、翻って考えてみれば、1つの業種だけがいつまでも天下を取っているような事態がいつまでも続くわけがない。

「糸偏」の業界が栄華を極めた時代もあったし、「鉄は国家なり」とうそぶいた輩もいた。また、「砂糖」や「石炭」が幅をきかせた世の中も出現した。

テレビ文化を日本に根付かせたのは、讀賣新聞元社主の故・正力松太郎氏だと言われている。

古くは力道山のプロレス中継、プロ野球。そして何よりも「テレビ時代」の到来を印象付けたのは、昭和34年の皇太子&美智子様の「ご成婚」である。

筆者も周囲の友人知己も「テレビ」とともに幼少期を過ごし、大人になった。今でも当時のアニメソングはきちんと諳んじているくらいだから、よほど熱心に観ていたのだろう。

その「テレビ」に今〃異変〃が起きている。先のNHKの番組では、「このまま放ってはおけない」という業界全体の〃焦燥感〃の裏返しでもあった。そんな気がする。

ネットの出現によって世の中は激変した。決して誇張ではなく、もはや「テレビ一人勝ち」の時代は、確実に終焉した。

「TBS - 楽天」の主導権争いは一見〃痛み分け〃の様相だが、まだまだ「せめぎあい」は「つ・づ・く」のである。