2012/01/26

首を傾(かし)げる変な癖…元気溌剌(はつらつ)!!鐘ヶ江元市長

〈街角で偶然に出会った とてもとても遠い日 ほんの少し首をかしげて 微笑む癖覚えていました♪〉

マルチな才能で一世を風靡した小椋佳さんが情感たっぷりに歌い上げた『時』という作品は、今でも大好きで時々口ずさんでいる。

普通に考えれば、この場面で〈首をかしげて〉いるのは可愛らしい女の子と相場は決まっている。それが貧相な中年男だったとすれば…?

数日前に訪れた他局の完成後間もないスタジオで、実際にモニター画面に映っている自分の顔をマジマジと見つめた。

「違う!これは俺じゃない!」。心の中ではそう叫びたかったが、他にカメラの前に座っているのは誰も居ない。だとすれば、紛れもなく自分の今の姿なのだ。

何と言うくたびれようだろうか。超早起きで駆け付けて来たため、ヒゲも剃っていない。それに突発性の花粉症のせいで鼻水が止まらない…。

アナログの時代ならまだしも、鮮明さが売りのデジタルともなれば、もう隠しおおせようもない。暗澹たる気分で再びモニターに目をやった。

そして、次なる〃異変〃に気付いて、さらに愕然ときた。首から上のデカイ顔の部分が完全に左に傾いているのだ。

別段、意識してそうやっているわけではないが、何度見ても真っ直ぐではない。修整を図るべく、右へ重心を傾けるが、どうしても〃違和感〃が残る。

寄る年波によるシワや白髪などの〃変化〃は仕方ないにしても、世の中には幾つになっても背筋がピーンと伸びて、カクシャクとした雰囲気をたたえられている方がいるものだ。

さしずめ、元島原市長の鐘ヶ江管一さんなどはその〃部類〃だろう。今年に入って各種新年会場でご一緒させて頂いているが、いつ見ても姿勢がよろしいのには驚き入ってしまう。

背筋どころか指先まで〃気合い〃が存分に行き渡っている感じなのだ。一時期は少し体調をくずされているご様子で心配していたが、最近は日本酒(熱燗)の杯もグビグビと―。

まず驚いたのは、島原青年会議所新年会(南風楼)での締めのご挨拶。直立不動の姿勢で万歳三唱の音頭をとられ、後輩達に気合いを伝授された。

続いては、島原食販の新年会(南風楼)。ご自身が確か同社の監査役をされているので、主催者側のスタッフの一員として法被姿で接待役に徹せられていた。

昨晩の田代則春先生を囲む会(九十九ホテル)での祝辞にも舌を巻いた。市長時代の颯爽とした振る舞いぶりとはまた一味違う、一本気な男の生き様が如実に滲み出ていた。

筆者もそろそろ〈首をかしげる癖〉を止めないと、真っ直ぐに生き抜けないのかも…。鐘ヶ江市長さん、今後も引き続きご指南のほどを!


2012/01/23

たかが1点、されど…「交通ルール」は守ろう!

「たかが1点、されど1点」なのである。こう書くと、時節柄、「受験の話題か」と勘違いされそうだが、これから書くのは「交通違反キップの話」だ。

そう、やられたのである。昨日曜日(22日)の夕方5時過ぎに。場所は諫早インターのETCゲートを出たばかりの所で―。

最初、何のことかサッパリ判らなかった。さほどスピードも出していないし、無理な追い越しも掛けていない。

「何故、なぜ、ナゼ?」と様々な想いを巡らせていたら、仏頂面の交通警察官が、両親らが乗っている後部座席を指す。

「シートベルトをされていませんね」との指摘。「あっ、スイマセン!以後気を付けますから…」とその場を取り繕おうとしたら、「脇へ寄せろ!」という。

別の警察官の誘導に従って指定された道路左端に移動したわけだが、段々と無性に腹が立ってきた。正直、「この程度のことで、キップを切って罰金かい!?」と感じたからだ。

「免許証を持って、後方のワゴン車まで歩いて行って下さい」と、やけに丁寧な語り口。さらに怒りの炎に火が点き始めたが、仕方がない。

と今度は、別の警察官が「奥へどうぞ!」と誘導してくれる。内心〈キャバクラでもあるまいし…〉と思ったが、言われるままに奥の座席へ。

免許証の記載事項に基づいて〃聴取〃が始まった。住所、氏名、年齢に続いて職業を訊かれた。

もう話す気もしなかったが、ここで〃公務執行妨害〃なんぞで逮捕されてもアホらしいので、指示通りに答えた。

取り調べが終わって、別れ際に「罰金はいくらですか?」と尋ねたら、「いやいや罰金はありません。ただ、点数が1点引かれます」という。

ここまでグダグダとご託を並べてきたが、「たかが―」で始まった書き出しの所以(ゆえん)は、こういうことだったのだ。

2008年に改正された道路交通法によれば、全座席のシートベルト着用が義務付けられている。また、高速道路・自動車専用道路では〃罰則規定〃も。

筆者の場合、まさにその法律が適用されたわけで文句の付けようもないのだが、後から陸続と続いていた全車両の乗員すべてがシートベルトを着用していたかについては、いささか〃疑問〃の余地も残る。

ただ、そうは言っても、取り締まる側にも自ずと〃限界〃もあろう。きっと、キップを切ったあの警察官の男性も内心、忸怩(じくじ)たる思いでいたに違いない。

その証拠に、尋問の間、一度も顔を上げて、こちらを正視することはなかった。仕事とはいえ、彼らも辛いのだと想うと、何だか切ない気もする。

一晩明けて、筆者も平静さを取り戻した頭で考えた。「やっぱ、交通ルールは守らんばね!」と。


2012/01/18

米は日本食の〃原点〃…島原食販が新春賀詞交歓会

今さら言うまでもなく、「木」と並んで「米」は日本文化の基底を為すものである。その大切極まりない「オコメ」を商品として取り扱っている企業の1つが島原食糧販売㈱(水元敦実社長)だ。

同社主催の新春賀詞交歓会が17日夜、ホテル南風楼でにぎにぎしく開催された。冒頭あいさつに立った水元社長は、持ち前の〃雄弁ぶり〃をいかんなく発揮して、新精米工場(大手原町)の竣工を祝い、さらなる飛躍を誓った。

来賓祝辞を借りれば、同社の創業は昭和24年。人間で言うなら、間もなく〃古希〃を迎える円熟した老舗企業である。

ただ、水元社長の感覚はお世辞でなく若い。だからこその「設備投資」であろうし、徹底して「味」にこだわったパーティの演出でもあった。

個人的なことで恐縮だが、筆者が同社長と親しく語り合うようになったのはごく最近のことだ。それまでは、いわゆる地元優良企業の2代目社長、というくらいの認識でしかなかった。

ところが、幾度か会議で同席したり、グリーン上で顔を合わせたりしているうちに、「なかなか含蓄のある人物だなぁ…」と思うようになった。

もっと率直な言い方をするなら、眼光が鋭いせいか、一見とっつきにくい感じがする。また、時に相手方が面食らってしまうような辛辣な言葉を吐かれたりもする。

傍で聞いていて時々ハラハラすることもあるが、それがことごとく理にかなっているから、最後は自然と納得させられてしまう。そう、この方の言葉には間違いなく「力」がある。

それに笑うと可愛らしい。漫画に出てくるドラネコのようだ。ふだんが強面の雰囲気だから、余計にそう感じる。

先代の水元康男さん(故人)も同じく島原商工会議所の副会頭を務められていた地元財界の重鎮だったが、もう20年以上も前に大村空港からご自宅まで車でお送りしたことがある。

その時、何をお話したかはすっかり失念してしまったが、確か水元社長(当時)はヨーロッパ視察旅行から帰って来られたところだった、と記憶している。

現在の水元社長も先代に負けず劣らず〃八面六臂〃の行動力を発揮されているご様子で、「美味」「銘酒」について語らせたら、そうそう右に出るものはいないだろう。

改めて、その要因について考えてみた。やはりふだんから「美味い米」を召し上がっているからに違いない。

何はともあれ、日本食の原点は「米」。その字を分解すれば「八十八」。農家の皆さんが「88回」も手間暇かけて作り出す「日本の味」。

島原食販の今後益々の「末広がり」を祈念して拙文を結ぶ。水元社長、おめでとうございます!


2012/01/17

阪神大震災から17年…的違いの兵庫県知事発言

17日、ことし初めての倫理法人会モーニングセミナー。会場、南風楼。前夜も同会場で関連の会議だったから、心ならずも「南風楼の子ども」になったような気分だ。

しかも、今日の夜もある御祝いの席が南風楼で開かれる。こうまで続くと、田浦新社長には表彰を受けたいくらいだが、いつ行っても姿を見せない。会えば〃小言〃ばかり言うから、筆者を避けているのか?

昨年秋の話で恐縮だが、CATV業界の集まりが千葉県であって、その時同席した元三菱商事のお偉いさんが筆者が島原から来たということを知って、親しく話かけてこられた。

聞けば、もう何十年も前に高校(早稲田高等学院)の修学旅行で南風楼に泊まったことがあり、その際受けた大先輩、宮崎康平さんの歓迎ぶりが忘れられない、と。

続けてこうも話しておられた。「確か3泊4日の日程で九州をぐるりと回ったのだが、今でも残っているのは南風楼だけ」と。

何によらず、世の変遷は留まらない。場所によっては、10年と言わず5年もすれば、街の様相は一変してしまう。企業もしかり。いま殷賑(いんしん)を極めている会社が未来永劫続いていくとは限らない。

今年のNHK大河ドラマの主役はご存じ平家の総帥『平清盛』だ。初回、2回目とも視聴率は余りパッとしないようだが、個人的にはなかなかに面白く拝見させていただいている。

その一方で、これからドラマの主舞台となっていくであろう兵庫県の知事さんが「画面が汚い」「観光に影響がある」などと局側に〃苦言〃を呈したことが話題となっている。

報道によれば、同県には約300件のクレームが寄せられたそうだが、ひょっとしたらこの知事さんは「デジタル(ハイビジョン)放送だろう。もっと綺麗に映さんか!」と言いたいのかも知れない。

実は、筆者も一昨年の『龍馬伝』の時に同じような印象を抱いていて、NHKの関係者に素朴な疑問をぶつけたことがある。答えはいとも簡単。「演出者の意図ですから」と軽くいなされた。

聞いた話だが、最近のテレビドラマの作り方はいたって映画の手法と似かよってきているのだそうだ。逆もまた真なりで、テレビ界出身の映画監督も増えてきているのだとか。

まあ、観る方としては映画であれ、テレビであれ、娯楽作品である以上、〈面白ければ〉文句はあるまい。ただ、〈時代考証〉だけはしっかりとしていただきたいものだ。

ところで、今日17日で阪神大震災(平成7年)から丸17年が過ぎた。あの時受けたショックも大きかったが、大多数の国民にとっては、昨年の東日本大震災の方の衝撃がそれ以上だろう。

願わくば、同県知事には、ドラマの出来云々なんかより、『平家物語』を地でいくような情感溢れるお話をしていただきたかった。


2012/01/16

未来ではなく将来…勉強になるよ『番神さま』

16日は護国寺・三十番神の大祭日だった。あいにく今年は他の用件が重なって参拝出来なかったが、移動の車中から眺めていたら、雨にも係わらず多くの〃善男善女〃がお運びになられていたようだ。

正月、並びに盆明けの16日は「藪入り」と言って、商家に住み込みで働いている奉公人にとっては、待望久しい「給金付き休日」とされてきたが、ご主人様(筆者にとっては家人の母)の財布の紐は今年も固いようである。

仕方がないのでポケットの小銭をまさぐって、大枚120円を自販機に投じて缶入りブラックコーヒーを飲んだ。ほろ苦い人生の味がした。

まあ、そんなことはどうでもよいのだが、年が明けてから半月もすれば、段々と新年の意気込みも薄れてくるものである。

だからこそ余計に、三十番神様のご祈とうは有難く、弊社も明後日には社員全員で出向いて心中に巣食う〃悪霊〃を追い払ってもらうことにしている。

先日、何かの折に、同寺の岩永泰賢住職から、ご自身が編まれた1冊の漫画本を頂戴した。ただし、「マンガ」と言って侮るなかれ!日本史の成り立ちを知る上で、格好の〃教本〃として仕上がっているのでビックリした。

タイトルは『番神(ばんじん)さま』(~日々よみがえる日本の神々~)。吾妻町在住の柴田連(むらじ)さんが作画を担当。実際の発行年月日は昨年8月の大祭日となっているが、半年弱の遅れなど一向に気にも留まらない。

岩永さんが易しく「はじめに」と題して綴っている巻頭言の中に、ハッ!とさせられる行(くだり)がある。少し長くなるが引用させていただく。

〈ほとんどの国民はこの危機(自然災害や政治混の迷や経済不況…など)を察知していながら、思考停止状態に甘んじ、互助の精神を忘れ、未来への義務と責任を放棄しているようにしか思えません〉

〈本来、僧侶や宗教家が毅然として、この困難に立ち向かっていかなければならないのに、私は何をしているのだと、自省を込めて、本書の編集、制作に取り組みました〉―。

と、ここまで読み進んだ所で、まさしく〃偶然〃としか言いようがないが、今朝読んだ産経新聞一面に掲載してあった、京都大学の佐伯啓思教授の寄稿論文と見事なまでにリンクしてしまった。

もちろん、私の頭の中での話なのだが、同教授が指摘しているのは、漠然とした「未来」ではなく、将(まさ)に来たらんとする「将来」という時間観念の大切さなのである。

「想定外」「危機管理の限界」…。こうした言い訳めいた表現を我々は、昨年来、幾度耳目にしたろうか?災いも「将に来たらん」と思えば、大難は小難に、小難は無難となりますよね、ご住職?

[教訓]治に居て乱を忘れず。


2012/01/14

忘れないよ!宝屋さん…古瀬収入役も大好きだった

島原市役所にはヤボ用も含め足繁く通っているのだが、昨日の朝は3階の記者室から外を眺めながら、フトある〃重大な事実〃に気付いて愕然とした。

アノ「宝屋まんじゅう店」がいつの間にか畳んでおられていたのである。遠目に貼り紙がしてあったので、すぐさま駆け付けた。

それによると、閉店日は昨年末の22日。開店以来42年間に及ぶ、お客様への感謝の思いが切なく綴られていた。

経営者は、確か「水江さん」とおっしゃられたと思うが、いつもかなりの早朝から店を開け、常連客も沢山いた。

その筆頭格は、何と言っても、鐘ヶ江市政時代に総務課長や収入役を務められた古瀬八郎さん(故人)だろう。これもまた、同市の古い職員なら誰もが知っている〃事実〃である。

とにかく、昼のメニューは宝屋のトリメシとダンゴが連日の定番だった。いつだったか「飽きませんか?」と聞いたら、「美味かんば!」と返された。

話は脱線するが、古瀬さんが遺した〃名言〃が幾つかある。いま口に出しても思わずニンマリしてしまう〃不朽の名作〃である。故人のご冥福を祈りつつ、改めてご披露しよう。

〈仕事は(しごちゃ)ボチボチ、仁義は(じんぎゃ)コモコモ、葬式は(そーしきゃ)悲しゅ〉―。どうです、絶妙の皮肉とユーモアが効いているでしょ!

宝屋さんの話に戻る。実は弊紙も今から13年前の「創刊百周年」の折に、心のこもったプレゼントを頂いたことがある。

それは特製の「巨大まんじゅう」。直径30センチほどはあったろうか…。とにかくデカくて、ビックリしたことを今でも良く覚えている。

筆者もそうだが、母や家人も宝屋さんの閉店を心から惜しんでいる。昼飯で帰宅した折にその旨を告げたら、母はすでにその情報を知っていたようで、「そがんげなね。寂しかー」と柄にもなく眉を曇らせていた。

ところで、今から42年前と言うと、世の中が大阪の〃万博景気〃で湧いていた、昭和45年(1970)頃のことだ。

その当時の市役所周辺の建物の並びがどうなっていたのか知る由もないが、働き者のご夫婦が〃青雲の志〃のもとに店を構え、日毎、汗を流されていたことだけは想像に難くない。

時代は否応なく変わる。それでも、人がそこで生計を営み、地域とのつながりを大切にしてきた「証し」だけは何としても残していかなければならない。

それは「モノ」だけにとどまらない。宝屋さんが提供し続けてきたマンジュウ、トリメシ、ダンゴ、ギョウザ…の数々。その味は終生忘れ得ぬ人々の「記憶」として、これからも長く語り継がれていくことだろう。

そう、あの味はまさに、島原の「宝物」の1つであった。


2012/01/12

簡単な字ほど難しい!…「寒中見舞い」いつまでに?

昨年末、年賀欠礼の連絡を怠っていたために、喪中でありながら、今年も沢山の年賀状を頂戴してしまった。

通常の年明けなら、同じく「明けましておめでとう」形式の返信文を送ることになるのだが、今年はそういうわけにはいかない。何せまだ「四十九日」も終えていない。

と言うことで、一昨日からほぼ2日をかけて、「寒中見舞い」の執筆にいそしんだ。差出人の住所欄以外は、すべて万年筆による〃手書き〃である。

実際に書かれた方なら良くお分かりだと思うが、この作業はなかなかに骨が折れる。それに、己の悪筆ぶりが気になってしょうがない。

まずもって一番難しいと感じるのは、小学校低学年で教わる「山」や「川」「小」などといった簡単な字画の漢字だ。「山本さん」「川端さん」「小浜町」などには、ことごとく〃苦戦〃した。

ただ一方で、書く作業自体は、それなりに楽しい。差出人それぞれとの繋がりや、相手方の近況に想いを馳せながら筆を運んでいけば、こちらの〃誠意〃も自ずと伝わろう、というものだ。

確かに「写真入り」の綺麗なハガキにも魅力を感じないでもないが、やはり賀状は下さる方の〃手の温もり〃が感じられるようなものであって欲しい。

閑話休題!「寒中見舞い」の話に戻る。そもそもこのハガキはどんな時に出すものなのか?大量に仕入れてきた市販のハガキの中に〃説明書〃が挟まれていた。

まずは、筆者のように、近い身内に不幸があった場合。それ以外としては、「季節のご挨拶」「年賀状の返礼に遅れた時」などとあった。

出すタイミングについても調べてみた。こちらはネット情報だが、「小寒(1月5~6日)から節分(2月3日)までの間」とあり、「ベストは1月10日前後」ということだった。

とすれば、筆者の行動は極めて理にかなっていたわけであり、「これは春から縁起がいいや!」と一人ほくそ笑んでいる次第。

しかし、改めて思うのだが、月日が経つのは本当に早い。今年ももう明けてから2週間が過ぎ去った。まさに光陰矢の如し、だ。

そうこうしているうちに、「松の内」(一般的には小正月の1月15日まで)もアッ!という間だ。かと言って、何もそう慌てふためく必要もあるまいが、時代も随分変わったな、としみじみ思う。

「寒中見舞い」を書いていてフト気付いた。郵政事業が民営化された以上、「官製はがき」という言い方はもうおかしいのではないか?

また、それ以上に、国民一人ひとりが頼りにしていた「日本」という国の先行きが怪しい。ひょっとして「親方日の丸」というのも、もはや〃死語〃なのでは…?


2012/01/10

喪に服せばよかとに…ついノボセモンの血が…

今年は喪に服すことを大義に、静かな年明けを過ごすつもりでいた。が、生来のノボセモンの血はいかんともし難く、3日には早速「寒中水泳」と相成った次第。

呼びかけ人は藤田昭比古氏率いるサン・スポーツ軍団。と言っても、当方の勝手気儘なる〃飛び入り参加〃。関係者には随分、迷惑と心配をかけた。紙面を通じて、改めてお詫びを申し上げたい。

聞けば、今年で17回目だとか。諸般の事情でここ数年間は開いていなかったそうだが、心機一転!開催を思い立った、という。

当日の天候は気温8度。そして風速5メートル。寒いと言えば寒かったが、通常の服装で我慢できほどでもなかった。

振り返ってみれば、愚息3人すべてこの〃洗礼〃を受けて大きくなった。以前は保護者と言うより傍観者の立場で取材をし、記事にしてきたが、いざ自分が参加するとなると…。

会場の猛島海岸には開始1時間も前だというのに、早くも100人近い人だかり。旧知の受付係に恐る恐る参加の意向を伝えたら、「止めた方がよかよ。保険にも入っとらんし…」とやや渋面顔。

だが、もう海パンは穿いてきているし、啖呵を切って我が家を出てきたばかりだ。引くに引けない…。「大丈夫。オイは〃自己責任〃ですっけん!」と制止を振り切った。

膝下まであるベンチコートを羽織って入念にジョギングを重ねること約30分。そのうちに、心配をした両親や里帰りの妹一家が応援に駆け付けているのが、遠目に分かった。

本音を言えば、「ゴメンね。新年早々、こんノボセモンのバーカが騒がせてしまって…」と忸怩たる思いだったが、それより何よりここは心臓マヒ等の事故を起こさないことだ。

ジョギング効果で身体も汗ばむほどに温まってきた。午後2時半過ぎ、集合の掛け声が掛かった。よし、行くぞ!

勢いよくコートを脱ぎ捨て、準備運動の輪に加わった。そこで気付いたというより、ショックを受けたのは「体型」が他の参加者とまったく異なること。分かり切ってはいたが、心の傷として深く残った。

それでも、もう後へは引けない。海水が冷たいと言っても、こっちとらは毎日のサウナ通いで慣れたもの。突撃だぁ~。

〃男気〃のようなものを振り絞って沖に向かって一漕ぎ、二漕ぎ…。予想より波が高い。それにサウナ水より冷たい。やっぱ無理は禁物と思って立とうとしたが、足が付かない。潮も呑んだ…。

結論から言うと、こうして原稿を書いているのだから助かったわけだが、泳後のウドンの味だけは忘れられない。今年こそはスイミングに通って贅肉を落とすぞ。そう心に誓った。

[教訓]身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!


2012/01/01

ことしは断捨離で!…主役は「モノ」でなく「ヒト」

明けましておめでとうございます。ことしも「島原新聞」、並びに「カボチャテレビ」「FMしまばら」をお引き立て下さいますよう、どうぞ宜しくお願い致します。

おかげさまで、本欄も連載1000回目を迎えることができました。これもひとえに、読者の皆様方のご理解とご支援の賜物でございます。改めて心より深く御礼を申し上げる次第です。有難うございます!

さて、新しい年における筆者の〃生活信条〃を発表致します。私は2012年を「『断・捨・離』実践の年」にしたい、と考えております。「断捨離(だんしゃり)」とは耳慣れない言葉ですが、2年ほど前から各方面で大変な反響を巻き起こしている、新しい「片づけ術」のことです。

提唱者は石川県金沢市在住の主婦、やました・ひでこさん。自らを「クラター・コンサルタント」と名乗られています。「クラター」もまた初めて耳にするような珍しい言葉ですが、英語で「ガラクタ」という意味だそうです。

やましたさんが著した『新・片づけ術 断捨離』(マガジンハウス)は数十万部を売り上げるベストセラーとなり、姉妹本の『俯瞰力』(同)もそれに劣らぬ勢いで売れ続けています。

余談ですが、やましたさん(東京生まれ)は筆者より1歳年上で、どうやら大学(同学部)の先輩のようです。写真等で見る限りなかなかの〃美形〃なので、学生時代に出会いを逸したことを今になって悔やんでおります。

本題に戻ります。「断・捨・離」の元々の考え方は、ヨガの「断行・捨行・離行」に由来するそうです。平たく言うなら、「欲望」を断ち、「執着」から離れるための「行法哲学」だ、と。

ヨガと言えば、「心身統一法」を唱えた中村天風師(1876~1968)のことを思い起こしますが、やましたさんの教えの特徴はあくまでも〃主婦感覚〃にある、と言えるでしょう。

少し考えただけでも、我々の身の回りは日々大量に生産される「モノ」で溢れ返っています。街には各種スーパーや量販店が軒を並べ、田舎に居てもネット通販で「欲しいモノ」はすぐにでも手に入ります。

結果、会社や家の中は「モノ」「モノ」「モノ」…の大洪水です。少し前にはテレビや雑誌等で「収納術」の重要性がもてはやされ、通販番組で押し入れ用の衣装ケースの利便性が喧伝されていたという記憶がありませんか?

やましたさんは「『モノ』が主役ではない。その中心にあるべきは、あくまでも『ヒト』である」と、繰り返し説かれています。

つまり、モノが入ってくる前の段階で「それが本当に必要かどうか?」を徹底して吟味すること。これが「断」というステージ。次なる「捨」では、文字通り思いきって捨て去ることの〃予期せぬ効用〃を、具体例を挙げながら紹介されています。

この2つの連動した「行為」を通して得られるのが「離」。これらを倦まず弛まず実践していけば、精神的にも〃落ち着き〃が感じられるような心理状態になれるのだ、と。

詳しくは同書を読まれれば、「なるほど!」と感じられるようなフシが幾つも出てきますので是非ご購読いただきたいのですが(最近はビジュアルムックも出ている)、筆者がより注目したのは第2弾の「俯瞰力」という言葉です。

我々が日々暮らしていく中で、或いはまた、事業経営に当たっている過程で、ややもするとおざなりにしてしまっている視点が、この「俯瞰力」ではないでしょうか?

よく「物事は虫の眼、鳥の眼双方で見ないといけない」などと言われますが、えてして人間は細かなことばかりに気を取られ〃大局観〃を忘れてしまいがちです。そんなことでは愚かな過ちを繰り返してしまうことにもなりかねません。

やましたさん曰く「『断捨離』で得られる『力』=『俯瞰力』だ」と。しかし、これとて一朝一夕で身に付くほど簡単な〃能力〃ではありません。

ただ、我々が日々の身過ぎ世過ぎを重ねていく中で、「少しだけ気に留め、(断捨離を)地道に実践していく」ことで、未来の在りようは大きく異なったものとなることは請け合いでしょう。

いかがですか読者の皆様。年末の大掃除は済まれたことだと思いますが、ひょっとして未来永劫使うはずもない「ガラクタ」を再び大切に仕舞い込んだりはしていませんか?

やましたさんによれば、「これからは『足し算』ではなく『引き算』の視点こそが生活実感をより豊かなものにしてくれる。その素晴らしい実例を高野山で観た」ということです。

もうお互いに「モノ」や「カネ」ばかりに振り回されるような、暮らしぶりは止めにしましょう。要らないモノはドンドン捨てて、スッキリした気分で快適な「島原ライフ」を送っていこうではありませんか!