2010/06/23

「南ア」の夢遠のく…社員の頑張りで島鉄黒字に

本来、参加するはずにしていた「ワールドカップ観戦ツアー」を諦め、今日は長崎空港送りのアシスト役。嗚呼、もうこれで一生「南アフリカ」を訪れることもあるまいなぁ…と思うと、いささか感慨深い。

何故そんな心境に陥っているかを言えば、山本屋本店の先代、山本富治翁(故人)から、「南半球のサクラ」とも称すべきジャカランダの話をよく聞かされていたからだ。

しかしながら一方で、翁の悲願でもあったその花は、嗣子の山本蔦五郎さんらの努力が実って、今や島原や小浜の街並みを鮮やかに彩ってくれている。「以って瞑すべし」であろう。

空港から駆け付け、やっとのことで島原鉄道の株主総会に間に合った。恥ずかしながら、不肖私めも「社外監査役」の一員として経営陣の末席に身を置かせていただいている。

今期は6年ぶりの最終黒字。ビックリしたのは元社内監査役のMさんが過去6年間の決算データを元に、経営陣並びに島鉄社員の奮闘ぶりを、「客観的」に分析して下さったこと。

これには議長役の塩塚社長も大感激の呈。「社員の頑張りを認めていただいたことが何より嬉しい」と涙交じりで応じたほど。

またこの日は、新たな社内取締役の選任も行われ、陶山幸造氏(52)と吉田祐慶氏(51)の両名が満場一致で選ばれた。

ところで、これまた春ちゃん(FMしまばらパーソナリティ)から聞いた話で恐縮だが、昭和30年代に島鉄に「タナカ・ユウケイさん」という方がいて、春ちゃんの親父さん(宮崎康平氏)の秘書役を務めていた、という。

当時は飛行機を使っての出張がまだ珍しかった時代で、タナカさんは康平先生のお世話をすべき立場をすっかり忘れてしまって、窓の外の景色にすっかり見とれてしまっていた。

康平先生は目が不自由だったから、トイレに立つには介添え役が必要であったが、初めて飛行機に乗ったタナカさんは興奮の余り、隣にいながらもその事態に気付かない。

短気な(?)康平先生がそのうちに怒り出したのかどうか知らないが、近くの座席に座っていた紳士が見るに見かねて、タナカさんに成り代わって案内してくれたのだそうだ。

その紳士こそ誰あろう!後の東芝社長、そして第4代経団連会長にして「行革の鬼」として知られた、あの土光敏夫さんだったのである。

土光さんと言えば、東芝の前に石川島播磨重工業(現IHI)の経営を立て直したことでも知られるが、何と言っても行革当時の「めざしの話」は、余りにも有名だ。

ところが、これには後日談があって、土光さんが食していた「めざし」は1匹が500円~600円もする「高級品」だったのだそうだ。塩塚社長も「めざし」好きかな?


2010/06/20

「活弁」の迫力を今!!…7月18・19日に島原公演

滅多にないことだろうが、人生には、想ってもみなかった「掘出物」と出くわすことがある。さしずめ、我々がいま企画している「無声映画大映写会」がそれに当たろうか、と思う。

人間を「物」に例えるなど、まったくもって不見識の極みなのだが、7月18、19の両日、島原での公演をお願いしている「活弁士」の父娘、麻生八咫&子八咫さんは、想像以上の「大物」だったので、正直ビックリしているところだ。

「活弁士」(活動写真弁士)とは耳慣れない言葉だが、かつて映画が「無声」だった頃に活躍した、日本独特の映画専門の「語り部」のことだ。今では全国に10人くらいしか残っていない、という。

八咫(やた)さんとの出会いは、ふた月ほど前。島原龍馬会の発足準備の集まりで、全国龍馬社中の面々と酒席で同席したことから。八咫さんは埼玉龍馬会の会長さんだ。

その名も忘れかけていた頃に、電話がかかってきた。「今、大分で公演しているんだけど、島原でもどう?」。せっかくの龍馬繋がりでもあったので、二つ返事で受けることにした。

聞けば、長崎の歴史文化博物館でも8月初旬に公演する、とか。「ならば、島原が先行するのか!」という至極単純な理屈が背中を押した、という次第だ。

ギャラ等の交渉の過程で、一冊の本を頂いた。タイトル名は『映画ライブ それが人生』もちろん八咫さん本人の著作だが、これが滅法面白い!何が面白いかって、その生き様が「八方破れ」でスゴイのである。

大分の老舗薬局の跡取り息子として生まれながらも、数学が出来ないばかりに4浪。やっとこさ入った独協大学では、勉強そっちのけで空手、文学、演劇…などに打ち込む。

就職活動にも取り残されて、選んだ道が「一人芝居」。結婚はしたものの、あてどない貧困生活が続く。けれど、八咫さんは決して挫けなかった-。

こうした苦労話はえてして疲れるものだが、『八咫さん物語』は失礼ながら腹を抱えて笑ってしまう。全編、アッケラカンとしているのだ。

ただ、それだけに終わらないところが、この方のスゴイところ。善良な周囲の人々の協力が功を奏し、平成7年にはイタリア・パルマ公演でローマ法王と謁見。さらに文部大臣賞(同10年)を受賞したのを機に、運勢は急上昇!

紙幅の都合で詳説はできないが、NHK総合テレビ『課外授業 ようこそ先輩』や同『ラジオ深夜便』へ相次ぎ出演するなど、今やその人気は全国区。最近は子八咫さん(東大大学院生)の活躍ぶりも目覚しく、高校の英語の教科書(東京書籍)にも登場しているほどだ。

島原公演のチケットはカボチャテレビと島原新聞社で近く発売予定。会場は初日が平成町のサブアリーナ(昼・夜2回)。2日目が一番街ビジーホール(昼のみ)。前売り1,500円(もっぱらカード会員は1,000円)。


2010/06/19

池田武邦さんの哲学…島高の頭脳「はやぶさ」に

書かねばならないわけではないが、今日は書きたいことが沢山ある。一体、何から先に手をつけていってよいのやら…。

何日か前の本欄に、文藝春秋7月号に掲載された藤原正彦さん(お茶の水女子大名誉教授)の緊急レポート『日本国民に告ぐ』のことを取り上げたが、これぞ「シンクロニシティ」と言うべきなのか、池田武邦さん(建築家)の名前をこのところ立て続けに耳にしている。

最初に伝えてくれたのは、ハウステンボス繋がりで同氏とも親交のある宅島建設常務の宅島寿孝さん。「近々、池田先生を呼んで仲間内の勉強会をしますから、是非とも取材を!」という要請だった。

その時は生返事をしていたのだが、先週末に開かれた島原文化連盟の総会の席上で、中山春男理事長がその名を挙げられたものだからビックリ!話のネタは同誌6月号に記載されたノンフィクション作家、梯久美子さんのレポート。

池田さんはハウステンボスが話題になる以前から、我が国初の超高層建物「霞ヶ関ビル」の設計責任者として建築の世界では知らない人がいないほどの超有名人。御年86歳。

実は筆者もこれまで幾度かその謦咳(けいがい)に接したことがあるが、梯さんの作品を読むまでは池田さんが「特攻」の生き残りだとは知らなかった。

梯さんは池田さんのことを「足るを知るひと」と称し、戦後は「無名に徹しようとした」-その人生哲学を、ある種「畏敬の念」をもって、鮮やかに描いて見せている。

「特攻」と言えば、取りも直さず「戦争」にまつわる話になるが、実は藤原さんのレポートの中にも、池田さんの戦中・戦後体験を通じての「心の葛藤ぶり」が引用されており、何とも考えさせられる内容だ。

その点、大相撲の「野球賭博」は何とも情けないと言うか…。前人未到の69連勝を成し遂げた、不世出の大横綱、双葉山が「われ未だ木鶏たりえず」と、相撲道の中に「人生の真実」を追い求めていた真摯な姿勢とは対極の、愚か過ぎる土俵外の「黒星」だ。

一方で、日本国民にとって胸のすくような話の1つが、小惑星探査機「はやぶさ」の無事帰還のニュースだろう。その距離なんと3億キロ。7年ぶり。まさしく「快挙」である。

記者会見に臨んだJAXAの責任者が「事業仕分けの対象だったのですが…」などと皮肉を込めていたのが何とも印象的だったが、ここから先が「島原新聞のニュース」である。

昨日、FMパーソナリティの宮崎春而さんが興奮気味に知らせてきた。「『はやぶさ』んカプセルば設計したとは、オイの島高ん同級生じゃもん。確か、そん後輩も…」。

早速、調べてみましょう、辰田校長!創立百十周年に向けて、こりゃー「ビッグニュース」ですばい。


2010/06/18

自らの〃強運〃を信じて!!…昔だったらもう定年だが…

体重そのものはさして変わっていないのだが、会う人ごとに「また肥ったね」と言われて、内心ショックを受けている。

ならば一念発起して!食事の量を減らすとともに、ウォーキングに勤しむなどして運動に励めばいいのに、鬱陶しい天気が災いしてか、それも今はしたくない…。成績の上がらない子供のようなものだ。

一口で「肥満」と言っても、その実態は百者百様。筆者の場合は決して不健康なそれではない、と秘かな自負も。事実、病院へ行って検査をしてもらっても、今のところ「血圧」以外に大した問題点は見当たらない。「後は体重を落とすだけ」と担当医。

時々、酒席などで同級生とも会うが、見かけ上の「若さ」という点では、遥かに勝っている、と思う。
何が足りないのか?

一言でいえば、人生に対する「自覚」だろう。「真剣み」と言い換えていいのかも知れない。ただ、何となく息をして、時間が来たら飯を喰らい、酒を飲む(飲まれる)日々…。

「これではいかん!」とばかりに、自らを厳しく叱咤激励する心境になることもないでもないが、そんな時に限って、悪魔の囁きが耳に届く。いわゆる「悪友」という類いからだ。

ただし、「悪友」と言っても、彼らの性根が「腐っている」とかいうものでは決してない。むしろ皆さん、そう計算高くない、善良な人々ばかりだ。

周囲がそうした面々ばかりだからこそ、「そうガツガツしなさんな」などと肩でも叩かれて、ビールの一杯も注いでもらおうものなら、直ちに身も心もとろけてしまうのがいつものオチである。

よくよく考えてみれば、昨夜も、その前の晩も、そしてまた今宵も…。仕事の「憂さ晴らし」と言うより、これはもう完全なる「惰性」である。

腹いっぱい食べて、浴びるほど飲んで、そしてまた帰宅して「夕餉」を平らげる。朝は朝で「一日の活力源!」とばかりに米の飯をしっかりと腹に収めて出勤だ。

若い頃は、それでもよほど「新陳代謝」が良かったのだろう。今でもよく憶えているが、丸井(東京)で買ったリクルート用のスーツのウエストは72センチだった。それが今や…。

筆者が入社した当時、一般的な日本企業の定年制は「55歳」だった。いよいよ今年、その年齢に達するのだが、今こうして過ぎ去りし日々を振り返ってみると、柄にもなく感慨深い。

自分は社会人になって、何を為し、何を遺して来たのだろう…。ただただ、その時代に合わせて、無意味な安逸を貪ってきただけではないだろうか…。

啄木に倣って、じっと自分の掌を眺める。すると、事業や金銭関係の大成功を知らせる「太陽線」がクッキリ。その縁起の良い手で、出っ張った腹回りを撫で回して、今日もまた夜の巷へ!


2010/06/16

柘榴(ざくろ)の花に色々思う…口蹄疫問題の早期解決

「梅雨入り」の声を聞き、雨にうたれた紫陽花が目にも鮮やかな色合いを醸し出しているが、我が家の柘榴(ざくろ)の老木も決して負けてはいない。

樹齢どれくらいになるのだろうか…。筆者が20数年前に初めて見た頃からすでに立派な老木だった。もう百年近い歳月が経っているのかも知れない。

その老木に2週間ほど前から、輝かんばかりの朱色の花が咲き誇っている。葉は青々と繁り、金具で補強された細い脛(すね)のような〃根っこ〃の部分を見ない限り、若木の勢いと見間違うばかりだ。

柘榴は土地によっては「実が割れる」ことから「不吉」とされている地方(富山県など)もあるそうだが、一方で「子孫繁栄(多産)の証し」として珍重されている所もあるというから、何とも面白い。

恐らく我が家の柘榴の場合は、後者の理由と言うより、「甘味」が少なかった遠い昔、子供たちへのおやつ代わりにでもなれば、との〃親心〃で植えられたもの、と推察している。

その証拠に、植栽の種目を見ると、ヒワや夏ミカン、アンズなど「実の成る」老木が今でも幅をきかせている。

柘榴で思い出すのは「鬼子母神」の話。釈迦が、子供を喰らう鬼神「可梨帝母」に柘榴の実を与えて、人肉を食べないよう約束させた故事にちなむ。

鬼子母神はそれを機に「子育ての神様」に変身するわけだが、日本でも東京などに有名な祀所がある。その筆頭格は「おそれいりやの鬼子母神」の掛詞で有名な台東区入谷の鬼子母神(真願寺)だろう。

ただ、筆者が訪ねたことがあるのはそこではなく、豊島区雑司が谷にある豊名寺。池袋から目白に向かって歩いている途中にあったので、ねんごろに参拝してきた。

また、その東京で「ざくろ」と言うと、これまた有名な「しゃぶしゃぶ」のチェーン店がある。赤坂や銀座などに店を構える高級店で、誰かの奢りで1度だけ行ったことがあるが、その味は覚えていない。

それより何より、宮崎の「口蹄疫」の問題は大丈夫なんだろうか…。いったん終息しかかったかに見えた後で、再び急速に広がりを見せており、先の展開は予断を許さない状況。

事はひとり宮崎だけの問題ではない。手塩にかけて慈しみ育てた家族も同然の牛や豚を「殺処分」しなければならない、彼の地の畜産関係の皆さんの心中を思えば、何とも言葉の掛けようもない…。

今から20年近く前の島原。土石流災害の跡地を歩くと、熱湯で息絶えた、ピンク色の子豚の死体があちこちに横たわっていた。

今回の事態では、人的に「殺処分」の手を下さねばならないだけに、余計に無残だ。一日も早い「完全終息」のその日を待ち侘びるばかりである。【明日の『ターニングポイント』は出張のため休みます】


2010/06/15

国を支える「文化の力」…改めてその質の見直しも!

週末(?)は結婚式2つに、島原文化連盟の総会にと慌しく過ごした。明日からは出張するので、席が暖まる暇もない、とはこのことか…。

ところで、なぜ「週末」に「?」を付けたかと言うと、「日曜日」の取り扱いについて、である。一般的に普及しているカレンダーを見ると、日曜日スタートが普通である。

しかし、中には月曜日から始まる書式を取っているものもあり、一体どちらが本当なのだろうか、と常々悩んでいた。結論から言うと、ユダヤ教やキリスト教などに由来する考え方でいけば、日曜日がその週のスタート日らしい。

だが、さはさりとて、生活実感からすれば、何となく月曜日のような気もするし、土・日を休む休暇制度を「週休二日制」とも言うし…。まぁ、どっちでもいいか!?

結婚式はどちらも趣向を凝らした内容で、大いに好感が持てた。2組のご夫婦とも、それぞれ歩まれる人生は異なろうが、前途に幸多かれ!と祈るばかりだ。

文連の総会はいつも通りの内容で、特段これと言って取り上げるようなシーンもなかったが、この分野でも「高齢化」の波は年を追うごとに押し寄せてきているようで、若者の姿をまず見かけない。

ある意味これは「島原文化の危機」と言ったら、少し言い過ぎか。ただ、その直前に読んでいた、藤原正彦さんの緊急レポート『日本国民に告ぐ』(文藝春秋7月号)の内容と照らして考えると、「フムー」などと嘆じざるを得ない。

藤原さんは同趣旨の発言を週刊新潮のコラム『管見妄語』の中でもなされているが、誤解を恐れずに端的に言うと、「国や地方の『力』というのは、取りも直さず文化や芸術、科学技術等の『力』に他ならない」というもの。

文藝春秋誌に寄せたレポートは、古今東西の歴史(裏面史含む)を手繰り寄せながら、昨今の世の中の〃病巣〃を舌鋒鋭くえぐり出しており、痛快この上ない。個人的には、塩野七生さんの巻頭エッセー『日本人へ・八十六』(「スミマセン」全廃の推め)と併せ読まれることをお勧めする。

確かに「文化」や「芸術」などを一言で定義づけすることは至難のわざである。「経済」と違って数値で計れるものでもないし、「政治」のような見た目の派手さも強引さもない。

しかしながら、それらはその地で暮らす人々の「考え方」の底流をなすものである。政治を「骨格」や「血管」と例えるなら、文化や芸術などは「血流」である。血流が滞れば、人体はどうなるか?もう言わずもがな、である。

かつて「経営の神様」こと松下幸之助翁は「赤字決算」を人体になぞらえて「死に至る出血」と言ったそうだが、「血の成分」そのものも、この際改めて考え直すべきではないか。国も地方も。


2010/06/13

酒も女もニゴウまで!?…懐かしのヒーロー鉄人28号

〈ビルのまちに ガオー 夜のハイウエーに ガオー ダダダダ ダーンとたまがくる ババババ バーンとはれつする ビューンと飛んでく 鉄人28号♪〉

昨報は「ゲゲゲの鬼太郎」(水木しげる作)にまつわる話を取り上げさせていただいたが、昭和30年生まれの筆者にとっては、何と言っても「鉄人28号」が「鉄腕アトム」と並ぶ時代のヒーローだった。

原作は横山光輝さん。懐かしのテーマソングを調べてみたら、三木鶏郎さんの作詞&作曲で、デューク・エイセスの皆さんが唄っていた。

さらに「なぜ『28号』なのか?」という素朴な疑問に沿ってネットのページをめくっていたら、鉄人の〃出自〃は、第二次世界大戦中の日本軍だ、というではないか?鰻家こにょろ君ならずとも「へーっ!」と驚く話だ。

この鉄人はリモコンを持つ人次第で「善」にも「悪」にもなるところから、物語が展開していく。つまり、幼少のみぎりの我々にとっては、善玉の象徴として「金田正太郎少年」が存在していたのである。

今にして思えば、「金」とか「正」とか言うと、海を隔てた〃某独裁国家〃の主の顔がつい浮かんでしまうのだが…。

まあ、そんな事はどうでもよろし。一般的にはアニメ化されてから人気が出たようだが、その前の段階の「実写版」を観た記憶がかすかながらに残っている。

今改めてその映像を観ようものなら、恐らく笑ってしまうほどの〃出来栄え〃だろうが、アニメしか知らない世代に対するささやかな〃自負〃でもある。

スポンサーは確か「江崎グリコ」で、テーマソングが終わった後に〈グリコ!グリコ!」と連発されていたはずだ。余談だが、ライバルの「鉄腕アトム」は「明治製菓」の提供で、「マーブルチョコレート」というヒット商品があった(今もある?)。

話が飛びまくって恐縮だが、その商品のイメージガールが、上原ゆかりさんだった。その後、とんとその名を見かけないような気もするが、元気にされているのだろうか?

ところで、先般、我が家で「28号」ならぬ「2号さん」の話で盛り上がったことがある。どなたか亡くなった方が食卓の話題にのぼって、その表現を疑問に思った三男坊が「そい、なーん?」と聞いてきたので、さーて困った!

筆者がしどろもどろに「鉄人28号」の話で誤魔化そうとしていたら、母が素晴らしく機転を利かせて「2号は知らんばってん、8号と言うのは、ちょっと足らんあたんのごたっとば言うと」と締め括ってくれて一安心。

アルコールの勢いでつい調子に乗って「酒も女も2合(号)まで」という駄洒落を持ち出そうとしたが、空気を察知して取り止めた次第。正解!!


2010/06/12

大女優超える妖怪人気…「アモンジョ」の語源は?

NHKの連ドラ『ゲゲゲの女房』が大人気のようで、我が家でも筆者以外の家族はこぞってテレビ前に陣取り、食い入るように画面を眺めておられる。ひとしきり〃疎外感〃をかみ締める瞬間でもある。

主人公は『ゲゲゲの鬼太郎』で一世を風靡した妖怪漫画界の巨匠、水木しげるさん夫妻。何だか面白そうでもあるが、残念ながら、時間帯が合わない。

「鬼太郎」も「ねずみ男」--もガキの頃から慣れ親しんだキャラクターだが、よもやこれほどまでにメジャーになろうとは…。今では世代を飛び越え、年端もいかない義妹の息子たちの心さえ、しっかりと捕捉しているようだ。

水木さんの出身地とも言える鳥取県境港市には「水木しげるロード」が整備され、様々な妖怪のオブジェが人気を集めている、という。東京都下で暮らす義妹一家は帰郷の際など、わざわざ一泊して立ち寄ってくる程だから、その人気は相当なものだ。

境港と言えば、日本映画界を代表する〃美人お嬢様女優〃だった司葉子さんの出生地としても有名だが、今やその主役の地位を〃妖怪〃ごときに奪われてしまって…。その心中やいかに?

まあ、司さんご自身、飛び抜けた「旧家」のお生まれだから、そんなことなんかに構われるはずもないが、「美形」VS「お化け」のコラボもなかなかに面白いではないか。

さて、梅雨前のこの時節だが、やはり「怪談」にはこれから迎える本格的な「夏」のシーズンが良く似合う、と思う。例外的に『雪女』という作品もあるようだが、やはり南国・九州ではしっくりとこない。

ところで、最近でこそ余り耳にしなくなったが、昔はよく「お化け」のことを地元の方言で「アモンジョ」とか「アモヨ」とか言っていたことを覚えておいでだろうか?どなたか語源をご存知であれば、是非お知らせいただきたい!

「アモンジョ」に限って言えば、「モヘンジョダロ」に匹敵する遺跡のようでもあるし、「宮本亜門」(演出家)と「矢吹丈」(あしたのジョー)を組み合わせたようでもあるし、何となく、カッコイイではないか!?

そう言えば、他に「ヨゴエ・ハッチョウ」というのも聞く。これが「お化け」の存在自体を指すのかどうか知らないが、愛野町の中村眼科医院長の中村晋作先生は、子供の頃にその響きを聞くと、怖くて震え上がっていたそうである。

事例で言うと、夜中に大声をあげて駄々をこねる子供に向かって、「ヨゴエ・ハッチョウん来っぞ!」などとたしなめる時に使われていたそうだから、「夜声八丁」の字を充てるのが正しいと思うのだが…。

同先生の説によれば、あれは「身なりの汚れた、恐ろしい八兵衛どん」から来ている、という。真偽の程はいまだに分からない。


2010/06/11

もう「高齢社会」なのだ…原点に立ち返って古里再興を!

昨晩、久方ぶりに『ターニングポイント』(第49回)をこなした。出演してくれたのは、昨年秋に「理容師日本一!」の座に輝いた有明町大三東の本多修憲(よしのり)さん。29歳。

今週末(土、日の午後6時~)に再放送もあるので、よかったら観ていただきたいが、印象を一言で述べるなら、独特の〃雰囲気〃を持った、素晴らしい青年である。

何より感心したのは日々の努力&精進。仕事を終えた後、たとえ酒を飲んでいたとしても、深夜の練習を一日たりとも欠かさない、という。「日本一!」の肩書きより、むしろそちらの方に魅かれる。

本多さんは言う。「豊かな自然と、善良な人々に溢れたこの古里を何とかしたい。もっと若者が希望(野心?)を抱いてチャレンジするような街に!」。

その力強い言葉の余韻に浸りながら、自転車のペダルを漕いで商店街を通っていて、改めて気付き、そして愕然とした。すれ違う人々の大半が〃老人〃なのである。

市役所に訊けば、満65歳以上の高齢化率などすぐにはじき出されるだろうが、そんな数字に一喜一憂している事態なんかではないはず。もう「高齢化社会」などではなく、すっかり「高齢社会」なのだ。

だからと言って、この問題を即座に解決できるような〃妙案〃が浮かんでくるほど世間の構造は簡単ではないが、「どがんかせんといかん!」のも差し迫った現実でもある。

こうした場合、よく為政者が使うのは「交流人口を増やして…云々」とかいうレトリックだが、もうそんな〃綺麗事〃の御託をいくら並べてみても虚しい限りだ。

ならば、どうする?ここは一つ若者の頑張りに期待するしかない!もう、「出来ない理由」ばかりアレコレとあげつらうのは止めにしよう!

今ではすっかり腰の曲がった「お爺さん」「お婆さん」達だが、皆さん、若い頃は総じて「働き者」だったはずだし、その遺産で今の我々があるのだ。

ウミガメが産卵にやって来る美しい海岸、軟水から硬水まで各種のバリエーションを揃えた名水百選、温泉、肥沃な大地、世界ジオパーク認定…。道路事情などアクセス上の問題があったとしても、十分に、胸を張って誇れる「素晴らしき古里」なのである。

企業誘致?出来れば出来たで越したことはないが、過度の期待は禁物であろう。それより何より、今ある素材を〃原点〃から見つめ直して、最大限に活かす工夫を皆でしよう!

200年に1度の未曾有の「長期大規模自然災害」を乗り越えた原動力は「官民一体」の取り組みではなかったか。立ち上がれJC!商工青年部!青年団!

君達の子供さんの未来は、まぎれもなく君たちの手にある。無論、オジさんも頑張る!?


2010/06/09

「手書き」の深い味わい…デジタルとアナログの狭間で

メール全盛の時代だからこそ、「手紙」や「ハガキ」の価値が上がる。どんなに下手クソな字面でも、「手書き書簡」の味わいはまた格別だ。

暑中見舞いにはまだ早いこの季節だが、転勤や赤ちゃんの誕生を知らせてくれる「絵手紙」などが届くと、なぜかホッとする。必然的にこちらも「手書き」の返事で応じる。

ビジネス文書で言えば、「送信記録」などが確実に残るメールには遠く及ばないが、何でもかんでも「スピード」や「効率」ばかりで考えるのも些かどうか、という気もする。

ただ一方で、田舎で一番欠けているのは、そうした「要素」である。昔、海軍だったかに「拙速を尊ぶ!」という教えがあったそうだが、グズグズせずに行動に移すことは、この不況を乗り切る上での「要諦」でもあろう。

我が身を振り返れば、時代に遅れまい、と先日ネットで申し込んだ「iPad」(アイパッド)がまだ来ない。一足先に手に入れた、その筋に詳しい社員によると、パーツごと別々に送られてくることもあるそうだ。

確かにそうだった。最新版の広辞苑サイズくらいのダンボールが届いたので、てっきり「本体!」と思い込んで勇んで封を切ってみたら、中身は保護カバーのみ。やや肩透かしをくらった感じだ。

ひょっとしたら、こうして「待ち侘びている」状況が一番楽しい時間帯かも知れない。少し前に「iPhone」(アイフォン)を仕入れた時がそうだった。

東京で雑誌の編集業を営んでいる古くからの友人の薦めで購入したのだが、様々な機能が付いている反面、機械オンチにはいたって使いづらい。おまけに、電池が長持ちしない。

出張の折など、一流のビジネスマン気取りで携行しているのだが、使用する局面は皆無に等しい。まず「行動予定」を書き込もうにも、いかんせんキーボードが小さ過ぎる。

おっつけ、これまで通りに、やや小ぶりの携帯パソコンに頼らざるを得ないわけだが、これが何とも「お荷物」なのである。特に汗をかくこの季節だと、着替えの入ったキャリーバックや土産物袋などと合わせて持ち運ぶ姿は、一流どころか、典型的な「お上りさん」スタイルである。

その点、「アイパッド」は薄型で軽くて持ち運びに便利。加えて、オジさん向きにキーボードも大きく設計されている、とか。「慣れれば本も読めますよ」というから、「早く来い!来い!アイパッド」と、心待ちにしている。

ところで、先日の日曜日、TBS系の深夜帯で『革命テレビ』というのをやっていた。「ユーストリーム」という機能を使い、今流行の「ツイッター」と組み合わせた、文字通り「斬新な企画」であった。

こうして時代はドンドン先に進んでいく。でも、「手書き」の味わいはやっぱり捨て難いのである。


2010/06/08

チアガールに幻惑…?…島高&島農ラグビー健闘!!

4日開幕した第62回高総体も週をまたぎ、いよいよ〃佳境〃。7日午後には、島原高校剣道部が地元の島原復興アリーナで、団体戦の男女アベック優勝を目指して頑張っている。

と、そんなシチュエーションの中、筆者は諫早市内のホテルで開かれた十八銀行の事業説明会場から駆け付けて来たのだが、もう気はそぞろ…。早く拙稿にケリをつけて、その感動の瞬間を瞼に焼き付けたい一心でキーボードに向かっている。

しかしまあ、それはそれとして、我が家の三男坊がお世話になっている、これまた伝統ある「島高ラグビー部」の試合を土、日と2日間にわたって応援してきた。会場は佐世保高専グラウンド。久方ぶりに血湧き肉踊った!

1回戦の相手は佐世保南高校。風下に立った前半は相手チームに2トライされたが、いずれもゴールキックが外れて「0対10」で折り返し。

すぐ前の試合で長崎東が鶴洋(旧水産高)に零封されていたこともあり、不吉な予感が走ったが、後半戦に入ると見違えるように動きが良くなり、ナッ、ナント昨年に続く驚異の逆転勝利。「26対20」の〃快勝〃であった。

笑ったのは、前半の試合展開。相手側は地元開催ということで力も入っていたのだろう。総勢50人近い詰襟軍団&チアガールを繰り出しての大応援団。一方、島高勢はと言うと、ラグビーのルールも余り知らない素人応援団…。

ハラハラしながら遠目から応援していたのだが、どういうわけか、前半戦のスクラムもモールもチアガール付近にばかり集中しているではないか!?ふと誰かが口走った。「うちの○○はフトモモに弱かとやもんねー」(笑)…。

「しまった!こんなことなら、島原からフラガールの皆さんに応援をお願いしておけば良かった」と思い始めた矢先、コートが変わった途端に状況が一転した。

つまり、島高ラガーマン達は、チアガールのもとを離れたことで試合に集中できたもの、と想われる!?否々、これなどは趣味の悪い〃冗談〃だが、大会直前にやっと15人のメンバーが揃った俄か仕立てながら、彼らのチームワークは抜群であった。

試合後、彼らの表情は等しく晴れやかだったし、応援に駈け付けた保護者や学校関係者の喜びようも〃尋常〃ではなかった。誇張でなく、まるで「優勝した」かのようなハシャギぶりだった。

残念ながら、今年も2回戦突破はならなかったが、「勝つ喜び」も「負ける悔しさ」も味わうことが出来た彼らは〃幸せ者〃である。また、忘れてならないのは一緒に練習してきた島農の初勝利。互いに万歳だ。

島原に帰る車の中で選手の1人がしみじみと語っていた。「島原の水の美味さを再認識しました」と。さあ、次なる目標に向けてみんなガンバレ!


2010/06/05

百万本のアジサイ?…皆で美しい古里を創ろう!

今にも降り出しそうな雲行きを恨めしく眺めながら車を運転しているうちに、アジサイの花の鮮やかな藍色が目に飛び込んできた。そうか、間もなく梅雨入りか…。

〈♪弱いからだに かさねた無理を かくしていたのか 濃いめの化粧 いくども色を変えながら 枯れて淋しく散ってゆく 雨 雨 あじさいの雨に 煙るおまえの 白い顔♪〉

ご存知、「石原軍団」の現ボス、渡哲也さんが若かりし頃に唄って大ヒットした歌だ。作詞=水木かおる。作曲=遠藤実。昭和49年作というから、もう四半世紀以上も経っているのに少しも古臭さを感じない。

アジサイはこの季節を代表する花で、挿し木などで簡単に植付けが出来ることなどから、全国いたる所に「あじさい寺」が点在している、と言われている。

島原では浄源寺(桜町)の境内に数多く咲き誇っているようだが、人里離れた深い森の中で見かける「群落」の味わいは幻想的であり、通常の花にはない魅力で溢れている。

とここまで書いたところで、1つ提案がある。経年劣化等で見るにしのびないツゲ(柘植)に代わって、全市的にアジサイを植栽したらどうだろう?

例えば白土湖。梅雨の季節に、雨に洗われる色鮮やかな大輪の花。イメージするだけでも、何だか楽しくなってくる。

「花の咲いている期間が短いではないか」などとする批判の声も勿論あろう。ただ、この花の素晴らしい点は「開花」そのものより、春の芽吹きにこそある、と個人的には思っている。

我が家の庭にも何本かのアジサイが植えてあるが、裸木から新芽が顔を出し、見る間に緑の量を増やしていく過程は感動的ですらあるのだ。

これまでで一番綺麗だな!と思ったのは、伊豆大島の「三原山」へ向かう山道の脇で見かけた群落。百聞は一見にしかず。同じ活火山を抱える地域の住民として、是非お出かけになってはいかがか?

その伝でいけば、島原観光ホテル小涌園社長の足立進一さんがおっしゃるように「まゆやまロード」沿いも、絶好の植栽地だという気がする。

以上、勝手な思い付きばかりを申し上げて恐縮だが、「世界ジオパーク」にも選ばれた「火山」や「湧水」の魅力をさらにブラッシュアップする施策を打ち出すことは、ある意味「必然」でもある。

加藤登紀子さんのヒット曲に『百万本のバラ』というのがある。島原は人口が約5万人だから、1人当たり20本の苗を植えれば、「百万本のアジサイ」も十分に可能な数字だ。

折しも6月は「環境月間」。美しい古里は、そこに暮らす人間の力でしか創出できないもの。余り難しく考えすぎないで、とにかく実践してみることが大事だと思う。


2010/06/04

迷ったら「原点」に!!…「無念」思えば「残念」なんか…

19年目の〈6・3〉は快晴に恵まれた。筆者も背広に着替え、仁田団地第一公園内の追悼之碑を皮切りに、関係先を順繰りにお参りさせていただいた。

〈あの日〉から丸19年。生き残った我々もすべて、それ相応に年をとった。被災地の風景も、今ではすっかり様変わりだ。

多くの報道陣が犠牲となった〈定点〉に立つ。ランドマークの白い〈三角錐〉越しに、〈平成新山〉の威容が見える。眉山の緑が眩しい。

ふと思う。あの災害とは一体何だったのだろう?今も続く復興工事の槌音や季節外れのウグイスの鳴き声は、御霊の耳元にどう響いているのだろうか?

人間の記憶が年とともに移ろっていくことは自然の理ではあるが、何らかの形で〈島原〉と係わりがある以上、〈6・3〉のあの大惨事を忘れてはなるまい。

そう、すべての始まりを表す言葉は「原点」である。その原点に立ち返って「現在」(いま)を見つめ直すことがあらゆる局面において必要なのだ。

大上段に構えれば、これまで通りの「生き方」「進め方」でいいのか?もっと素直な気持ちになって、慎み深く対処していくべきではないか?

昨年の暮れだったか、「なぜ『帰郷』の意味で『帰省』という言い方をするのか?」という素朴な疑問を本欄でつぶやいたことがある。

実は、その後に島原食販の水元敦實社長とお会いする機会があって、非常に有難い教えを賜わった。同社長によれば、「帰省」には「親の安否を気遣う」という意味があるのだそうだ。

おかげさまで、「合点」がいった次第なのだが、それまではどうしても「省」と言うと「反省」のイメージが強く、そこまで考えが及ばないでいた。

話は飛ぶが、東京・神田に本拠を置く「三省堂」という老舗書店があることは、皆さん良くご存知だと思う。これまた「省」の字だ。

「吾日に吾が身を三省す」という有名な『論語』の語句にちなんだ名付けのようだが、一日に三回も反省するような謙虚な生き方とは、想うだけでも素晴らしいではないか!

最近では、水元社長のその教えがきっかけとなって、上京の折は「紀伊国屋」ではなく「三省堂」の方を選ぶ。

つい最近そこで買った新書本のタイトルは『残念な人の思考法』。著者は山崎将志さんという東大出のビジネスコンサルタント。

中身はともかくとして、タイトルに魅かれて買ってしまった。とにかく、筆者の身の回りは公私にわたって「残念」だらけなのである。

ただ、ここで考え直さなければならないのは、「無念」ではないこと。志半ばで天に昇られた御霊の「無念さ」を思えば、まだまだ努力が足りない。「原点」に帰らねば!


2010/06/03

これはもう〃情報革命〃…ティッピング・ポイント間近!!

予定していた『ターニング・ポイント』(番組)の出演予定者が急きょ「キャンセル」となり、今日は朝から手持ち無沙汰だ。と言っても、突然に出演話を持ちかけたのは当方なのだから、かえってご迷惑をかけたのではないか、と心配している。

「転機」「分岐点」などと訳されるこの言葉は、今やほとんど日本語に同化しているようでもあり、様々なインタビュー記事やテレビ番組なんかで見かけることもある。

ところで、まだ一般的には耳慣れないが、同じ「TP」という略称ながら、「ティッピング・ポイント」という別の言い方があるのをご存知か?別段「知ったかぶり」して言っているつもりなどないが、10年ほど前にこの言葉に出くわした時は、とても新鮮だった。

元々はマーケッティングの世界で使われている専門用語らしいが、これがなかなか「言い得て妙」的な意味合いを持つものであるから、こんなボンクラ頭でも忘れることができないでいるのだ。

提唱者は、同名の著作もある「マルコム・グラッドウェル」という英国生まれのジャーナリスト。ビジネス用語辞典によれば、「あるアイデアや流行、社会的行動などが、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと」とある。

後から「その瞬間」を振り返るという意味では、「ターニング」も「ティッピング」もそう大差ないような気もするが、ビジネス的な観点からすれば、後者の方がより直裁である。

筆者はある近しい人物の薦めでこの関係の書物を読み、その意図する所を肝に銘じて(古臭いなぁ…)日々の事業経営に取り組んできたつもりだ。率直に言って、それは経済用語でいう「損益分岐点」とは似て非なるものである。

巧く表現できないが、「数値」的な世界とはかけ離れた、人間の「感性」の集合体ではないか、という気がする(自分でも何を言っているのかよく分からないが…)。

つまりは、こういうことだ。新聞各社の世論調査で20%を切った鳩山内閣の支持率は、いわゆる逆の意味での「TP」を迎えたのではないか…。と、ここまで書き進めたところで、テレビでは辞任表明を報じているではないか!?

一方、こうした政局騒ぎとは別に、世間では「iPad」(アップル社)という画期的なITの端末機器が先月末に発売され、話題を呼んでいる。島原では扱っているお店がないので、必然的にネット通販で申し込んでいるのだが、それもおっつけ届くだろう。

断言する!これはもう「情報革命」だ。すなわち、「ティッピング・ポイント」に達するまでに、そう多くの時間は要すまい、と思う次第である。さて?


2010/06/02

早起きは三文の徳?…けど…何でも程度の問題

「約束の日」(5月末日)を境に、急速に「鳩山下ろし」の政局風が吹き始めてきたようだ。改選を控えた与党議員からもそうした声があがっているそうだから、現内閣に及ぼす被害の甚大さが懸念される事態となってきた。

見方を変えれば、昨夏の総選挙で一敗地にまみれた野党各党にとっては、相手エースの「敵失」による思わぬ「追い風」のような雰囲気だが、何と言っても、政界の場合は、一寸先は闇。予断は禁物だろう。

そうした、風雲急をつげる「永田町物語」とは離れて、我が故郷は長閑な日々だ。本格的な梅雨入りを前に、何とか天候は保てているし、朝晩はまだ肌寒いくらいの「薫風の名残」が静かに漂っている。

先の皇太后良子(ながこ)妃が愛されたというヤマボウシの花も一斉に咲き始め、足元のツツジと合わせて、我が社のネコの額ほどの植栽コーナーもすっかり初夏の装いだ。

「天気が続いている今のうちに!」と、箪笥から冬物の衣類を引っ張り出してはタメ息をつかれている主婦の方々も多いだろうが、いつの世も「整理・整頓」はなかなか思うに任せないもの。

「整理」とは要るものと要らないものを区別すること。「整頓」とは元あった場所にきちんと返すこと。気鋭の若手経済アナリストから幾度となく聞かされた言葉であるが、自分も周囲も含めて、その教えを忠実に実践している人は極めて稀である。

ただ、仕事で訪れる取引先の業績は、その「整理・整頓」の取り組み具合でほぼ外れることなく推し量ることが出来る。まずもって、玄関先の汚い会社に「景気の神様」は寄り付かない。

何やらこんなことを書いていると、「風水」の話のようだが、特段その方面の知識はなくとも、不思議と合致するものだ。

それから、朝の遅い会社もいただけない。上場をしているような全国規模のチェーン店ならいざ知らず、従業員の数も少ない地場の中小企業であれば、「早起き」に勝る経営改善の「常備薬」はあるまい。

以上2つが、筆者の乏しき実体験から割り出した「経営の実相」であるが、こと家庭生活に限るなら、自信をもって「そうだ!」とも言い切れないところに「人生の難しさ」がある。

とにかく、最近は朝の目覚めが早い。いや早過ぎて困っている。ややもすると、10時過ぎに床に就いて、3時にはもうゴソゴソと起き出している。

先日の日曜日はもっとひどかった。昼間の宴会から帰って、ひたすら欲望のままに晩飯を食らって、一眠り。もう明け方かな、と思って薄目を開けて時計を見たら、まだ夜の10時半だった。

ジ・アーリー・バード・キャッチーズ・ザ・ワーム。「早起きは三文の徳」というけれど、まだ「得した」実感は味わったことがない。