2007/12/29

来年の干支は「子」 - 鼠捕りは業務執行妨害!? -

昨日は「」の話を少し書かせていただいたが、文藝春秋新年号の巻頭エッセイ集に作家の塩野七生(在イタリア)さんが寄せている一文を読んで、思わずヒザを叩いた。

「賞味期限」の問題について書かれている件で、まず賞味期限そのものが「科学的ないし客観的な規準に基づいているものなのか?」と疑問を呈している。

対する塩野さんの答えは、妹さんの言葉を借りる形で「早目に売りさばきたい想いで相当にサバをよんで設定した賞味期限に、製造主が裏切られたのが今の騒動の因(もと)」と断じている。

なるほど、確かにそうした考えで一連の騒動を眺めてみれば〃得心〃できる。一言でいえば、メーカーの〃一人芝居〃に市場が踊らされた〃自縄自縛〃の劇場だったのだ。

ところで、今朝ほど家を出る時に、ある記事の出稿が遅れていることで社長から〃お叱り〃を受けた。当然と言えば、当然なのだが、小生も〃多忙の身〃、何もそう頭ごなしに言わなくても…と正直思った。

小生は悲しい時、爪を切る癖がある。別段、そうした思いが他人様より強いわけではないが、枕元、車の中、会社のデスク周りに爪切りを用意している。

手の場合はまだいい。問題は足の爪だ。毎朝、靴下を履く時も苦労するが、足の爪切りは一大難事だ。お腹の贅肉を押し込めるようにして腕を伸ばすが、目標は遥か先。

そのうち〃女座り〃のような格好になって腰を痛める、というのがいつものパターンだ。まあ、これは肥っている人間にしか解からない〃苦労〃ではあるが…。

話は戻るが、出稿が遅れているのには、いささか理由があった。その記事の取材の帰りにスピード違反で捕まったせいで、気乗りがしなかったのだ。

道路も空いていて気持ち良く運転している最中に、旗を持った警察官が突然飛び出てきて、「脇道に入れ!!」という。渋々、指示には従ったが、どうも納得がいかない。

泉谷しげるの歌ではないが、「さも当然なような顔をして♪」近寄ってくるのである。パトカーに乗せられて、コンビニのレシートのような紙切れを見ると、「74キロ」との印字。

時は師走。先生だって走るのに、我々庶民が走らなければどうする!?反抗的な態度を取り続ければ「公務執行妨害」となるので、途中から素直に従ったが、先を急ぐ立場からすれば「業務執行妨害」ですよ。

会社に帰って機器類に詳しい社員に、「大体あの紙切れに科学的な根拠があるのかね」と疑問を投げかけると、「あれは僕の大学の先輩が開発したものです」と冷静な回答。

えっ、そうなの?来年の干支は「子」(ね)。今後は鼠捕りにかからないようチューイしますよ。それにしても「残念」…。サヨナラ一万五千円。


2007/12/28

人生は「残」の連続!? - 今年の世相「偽」だったが… -

いつだったか京都市内のホテルで開かれた結婚披露宴に出席した折に、新郎側の友人代表でスピーチしたのは確か、清水寺貫主のお孫さんであった。

傍目には〃今風の若者〃に見えたが、紹介アナウンスを聞けば、なるほど威厳があるというか、品が良い。これが〃生まれ〃というものだろうか。

その貫主は平成19年の世相を、漢字一文字で「」と表わされた。平たく言えば「うそ」である。ホスト出身の演歌歌手、中条きよしが『うそ』というヒット曲を飛ばしたのは昭和49年のこと。

折れた煙草の吸いがらで あなたの嘘がわかるのよ〉…。銀座のクラブ「姫」のママだった山口洋子の作詞で、平尾昌晃が作曲。その年のレコード大賞大衆賞を受けた。

平尾は今年、作曲家生活40周年とかでテレビやラジオの番組で過去の作品群が紹介されていたが、何十年経った今でも歌い継がれていること自体、単純に「凄い!!」と思う。

かつて国民の大多数が歌い&踊りまくったピンクレディーのヒット曲の作詞を多数手がけた阿久悠は、残念ながら今年、鬼籍に入った。

これはラジオのある追悼番組で聞いた話だが、昭和の大歌手、美空ひばりの歌を、これまた残念ながら、阿久悠は作っていない。

その番組によれば、『舟唄』という作品は、もともと「ひばり向け」に用意されたものらしいが、運命の悪戯で八代亜紀の持ち歌となって大ヒットしたのだそうだ。

貫主の話から随分と脱線してしまったが、小生にとっての平成19年を一文字で表わすとすれば、「残」である。と言うより、人生は全て「」の連続だ。そうでしょう、皆様!?

作品が後世に残る。あの時もっとあーしておけば良かったのに、残念。剣道で一本取った後の残心…。もう枚挙にいとまがないほどだ。

本筋に帰って「」(嘘)というカテゴリーで今年を振り返れば、ある、ある、ある。本当に掃いて捨てるほどある!!

ひき肉の偽装表示から始まって、日本を代表するような伝統食品の賞味期限のゴマカシまで、こちらも無尽蔵の様相である。

「船場吉兆」に関しては〃違う世界〃の出来事なので興味も湧かないが、「赤福」には少なからぬショックを受けた。

「赤福」は言わずと知れた「お伊勢参り」の名物。これまたラジオ情報なので確認のしようがないが、その名の由来は「赤・心・敬・福」だとか。

勝手ながら、そこには「赤ん坊のような無垢な心で、幸福であることを敬う」という意味がこめられている、と今でも理解している。

どうか一日も早く生まれ変わって製造・販売を再開してほしい、と願っている日本国民は多いはずだ。赤福ガンバレ!!


2007/12/25

福地さんNHK会長に - 「座頭市」のモノマネなら!! -

普段は口をきいてくれそうもない偉い方や、社会的な地位や名声を勝ち得ている人にも、直接会って話を伺うことができる。

言うなれば、これが記者稼業の〃醍醐味〃でもあり〃楽しみ〃でもある。無論、緊張はするが、大いに勉強にもなる。

個人的な好みからすると、事件ネタや調査報道より、評伝のような人物そのものを素材にした取材の方にむしろ魅かれる。

であるから、人事や訃報記事には努めて目を通すようにしている。22日付けの各紙は、NHKの次期会長人事をそろって掲載。訃報欄では、とある映画監督が亡くなった、と報じている。

それらによると、来年1月中に任期満了となるNHKの新しい会長職には、アサヒビール相談役の福地茂雄さん(73)が就任されるようだ。

福地さんは長崎大学経済学部の卒業で本県ともなじみが深く、島原市の吉岡市長や、「とっとっと」の松永社長とも親しい。

小生も何年か前に、県が東京のホテルで開いた「観光の夕べ」のパーティ会場で、同市長や今野由梨さんらと一緒に記念写真に収まったことがある。

福地さんの任期は3年間。出来ることならその任期中に、「島原半島」を題材にした大河ドラマ、もしくは朝の連ドラを制作していただければ、と願う。

脚本は何も市川森一さんに限らずともよい、と思う。余談だが、小生の友人もかつて、伊豆半島を舞台にした『青春家族』という連ドラを担当していた。

一方の訃報記事。こちらは、勝新太郎が主演して人気を博した『悪名』や『座頭市』シリーズなどでメガホンを執った田中徳三さん(87)のことを取り上げている。

実は、何を隠そう『座頭市』のモノマネは、酒席での小生の〃十八番〃の一つである。宅島建設専務の宅島壽晴さんが「ピシッ、ピシッ…」と合いの手を入れ、小生が白目を剥けば、座は一挙に盛り上がる。

すでに熱狂的なファンも付いている。愛野町中村眼科の中村晋作先生は転げ回って喜んでくれるし、長崎大学熱帯医研の溝田勉教授からも、会うなり「アレをやれ!!」と直ぐにリクエストが来る。

本音を言うと、「座頭市」には、今でもある種トラウマがある。それは高校時代の〃身体測定〃の時間に端を発する。

当時も今も身長はほぼ変わらないのだが、どうみても自分より身長が遥かに高い人間が「座高」の測定では逆に低いのだ。

英語の授業でも、慶應出の先生から「ビ・フェイマス・フォー」の後の例題に「ヒズ・ショート・レッグズ」と幾度も取り上げられたりもした。

医者となった口之津町のS君は「座高一!!」と呼んで、よく笑い種にしてくれた。さあ、来年1月3日は久々の同窓会だ。何とか仕返しをしなければ!!


2007/12/19

一定の理解取り付ける - 「ゴホン」と言ったら紀伊國屋 -

…風邪の季節である。早めにインフルエンザの予防接種を受けなければと思っているが、生来の怠け癖から延び延びのままだ。

…ここ数年、どういうわけか、鼻炎に悩まされ続けている。最初のうちは、スギ花粉による春先だけの症状だろう、と高をくくっていたが、年中グスグスしているから始末に悪い。

…実は昨日、その鼻炎のお蔭で嫌な思いをした。JR五反田駅から10分足らずの所にある「TOC」という会場で全国CATV連盟の緊急集会が開かれたのだが、〃事件〃は無料送迎バスの車内で起きた。

…満席のため吊り革につかまった小生が、何の気なしに「ゴホン、ゴホン」と咳をすると、目の前の席に座っていた神経質そうな40歳前後の男性がメールの手を休めて、2度3度と両手で空気を払いのけたのだ。

…一瞬「申し訳ない…」という思いもよぎったが、余りにもその仕種と表情が〃汚い物〃を見るような感じがしたので、こちらもカチンときた。

…「クソッタレが、『デモノ、ハレモノ、トコロキラワズ』と言うではないか。一発『屁』でもかましたろか」とも思ったが、隣に妙齢のご婦人がいたので取り止めた。

…話は相前後するが、集会はいつになく〃紛糾〃した。普段はこういう場での発言は差し控えているのだが、他でもない「区域外再送信」の問題なので、この日は語らせて頂いた。

…執行部の説明に些か〃合点〃が行かなかったからである。思い切って〃口火〃を切った。

…「皆さんは『電波銀座』という島原の特殊性をご理解しておられないようだ。熊本や福岡との経済・文化両面での交流の度合いも十分に反映した形で民放連との交渉に当たっていただきたい!!」。

…後にして思うに、小生のこの発言が、会合における〃議論の流れ〃をつくったのではないか。隣の秋田ケーブルの社長、前列左方面にいる今治ケーブルの総務部長、BTV(都城)の常務…らが続いた。

…結論から言うと、「それぞれの地域の特殊性については、総務省や民放連に対しても十分に考慮してもらう」ということを大前提に、協議を継続してもらうことになった。

…最後に、連盟九州支部の元支部長で大分ケーブルの佐藤社長が「総務大臣裁定」の経緯について報告。その中には「福岡県に隣接する某市の局については、再送信許可がすぐ下りた」との一節があり、改めて意を強くした次第。

…ところで、前段の「咳」の話に戻るが、紀伊國屋書店の故・田辺茂一社長は「『ゴホン』と言ったら龍角散でなく、紀伊國屋」と言うのが口癖で、周囲を和ませていた。

…本来、江戸の文化はそうした「粋」や「洒脱」な点であろうに、どうも最近の東京人はロボットみたいでいただけない。さあ、残った用事をさっさと済ませて、紀伊國屋でも覗いて島原へ帰ろ、っと!!


2007/12/18

ウソ情報は止めて!! - カボチャでも「地デジ放送」 -

…週末はお祝い事が重なり、また体重が増加した気がする。そして今、その〃身重〃のカラダはジャンボ機の機内にチンマリと収まっている。

…こうして、さも忙しそうにパソコンを叩いていると、いっぱしの〃国際ビジネスマン〃のようにスッチーの目に映るのでは…。まさか!!

…それにしても、先ほどかき込んだウドンの熱かったこと。今でも舌先がザラザラしている。ウドン一杯550円。肉味噌入りおにぎり一個180円。〆て730円也の朝昼兼用の食事が終わった。

…後は羽田に着くまでにこの原稿を書き上げることだが、なかなかテーマが浮かんでこない。どうしよう…。でも、売れっ子脚本家の大石静さんが言っていた。「起承転結など関係ない。まずは筆を執ることだ」と。

…とは言っても、なかなか思いつかないので、まずは今回の上京目的について語ろう。業界用語で言うところの「区域外再送信」の是非を問う全国会議だ。

…構図は簡単だ。県外への電波の発信を制止しようしている既存の地上波放送局と、CATV業界。これまでは難視聴対策などで良好な関係が続いていた。

…ところが、2011年7月に迫った「地上デジタル放送」への完全移行をめぐって、火花を散らしているわけだ。

…九州地区では、大分県で第1ラウンド。こちらはCATV側が「総務大臣裁定」で判定勝ち。ところが、このジャッジに福岡の民放各社が異を唱えた。

…もともと熊本や福岡などの県外チャンネルを見ることができた島原と、大分や佐賀、宮崎などとではCATVの存在基盤そのものが違う。

…誤解を恐れずに言えば、他県のCATV局はこれまで余りに「経営環境」に恵まれすぎていた。何故なら、系列地方局の有無に乗じて〃美味しい商売〃をしてきたからである。

…そこへいくと、島原はなまじ〃電波銀座〃であるが故に、他地域にない苦労を強いられてきた。逆に言うと、そのお蔭で打たれ強くなったことも事実だ。

…如実な現れがコミュニティFM放送であり、無線LANシステムだ。日刊工業新聞、ザ・ナガサキに続いて、今度は「CATV新時代」(NHKエンタープライズ)からの原稿依頼だ。

…こうやって上京してみて、全国各社幹部の真剣な表情を見ていると、浮ついた気持ちなど瞬時に吹っ飛ぶ。それほどまでに厳しいのがCATV業界の現実なのだ。

…「なのに…」である。当社が今月から取り組んでいる長崎県内波のデジタル化(地デジ放送)に対して「カボチャではデジタル放送は見れない」と吹聴している輩がいる、との報告を受け、心が寒くなった。

…小生もこの業界に身を置いて十年目となるが、相手を誹謗するような「ネガティブ・キャンペーン」が好結果をもたらした事例を寡聞にして知らない。


2007/12/14

祐徳院の「勝守」が人気 - Rソックスの優勝にも貢献!? -

今年も余すところ2週間強。これからいよいよ〃年の瀬〃である。気の早い話だが、今日は「初詣」の話題を一つ。

もちろん地元の「氏神様」が一番のお参り先であることに違いはないが、先日、佐賀県へ出かけた折に地元紙の「佐賀新聞」で紹介されていたトピックスを紹介する。

同県内版のニュースで、見出しは〈祐徳院の「勝守」人気〉〈Rソックス優勝で話題〉というもの。カラーの写真入りで、さして美人でない(?)巫女さんが、神社の「お守り」を差し出して写っている。

きっかけは、李啓充というコラムニストが書いた某週刊誌の記事だった、という。

それによると、鹿島市在住の医師、織田正道さん(55)が平成16年11月に病院視察で米ボストンを訪れた際、祐徳稲荷神社のお守り「勝守」(かちまもり)を10個ほどお土産で配ったことで、ある〃奇跡〃が起こった。

どの段階か知らないが、その年、レッドソックス(ボストン)は、宿敵ヤンキース(ニューヨーク)に3連敗し、もう後がない所まで追い込まれていた。

ところが、奇跡か神がかり、織田さんがオーナーらに配った「勝守」が威力を発揮して4連勝。ついに逆転優勝を遂げた。

そしてまた今年も、李さんらの〃縁起担ぎ〃が見事に奏功。松坂、岡島ら日本人選手の活躍もあって、レッドソックスがワールドシリーズを制覇したのは、周知の事実だ。

同神社が「勝守」を売り出したのは20年前から。普段の売上は一日に10個ほどだが、週刊誌の記事が出てからは多い日で50個ほど売れている、という。

長崎県内からも、商売人で毎月定期的に同神社にお参りしている人を知っているが、こうした明るいニュースは、やはり嬉しいに違いない。

ちなみに、「勝守」の値段は1個600円。読者の皆さんも、初詣にお出かけになった際にでも、お求めになられてはどうか。

いやいや、何より23年ぶり24回目の全国大会出場を決めた「島商サッカー部」の関係者には、是非ともお勧めしたい。何せ佐賀県はいま元気が良い。

「がばいばあちゃん」はメガトン級の大ヒット。高校総体でも大いに盛り上がったし、夏の甲子園では県立の進学校「佐賀北」が、これまた〃奇跡〃の逆転優勝を成し遂げた。

「佐賀北」と言えば、「ながせや」社長の古瀬寛治さんの紹介で小学館の九州支社長と一杯やったが、その人が同校の卒業生で、甲子園の話をすると、随分と鼻息が荒かった。

この際、「佐賀だ」「長崎」だとチマチマした事は言わないで、一緒になって「肥前之国」を盛り上げましょう。佐賀県の古川知事は少し前まで、長崎県の総務部長だったんだから。


2007/12/13

FMつながりの3市 - 若き市長の発想と行動力!! -

テレビのバラエティー番組などで茶の間でもおなじみの橋下徹弁護士(38)が、自民&公明の支援を受け、来年1月に行われる大阪府知事選に出馬する、という。

まったくのアテズッポウだが、大阪という土地柄からして、恐らく当選するだろう。何せ、あの「パンパカパーン」の蛸オヤジでさえ何期も当選したくらいだから。

それにしても若い。38歳と言えば、昭和40年代半ばの生まれだ。そんな〃若造〃が知事の重職に…。なぁーんて考えは、もう古いのかも。

経済雑誌の『プレジデント』最新号が、「全国縦断!これが伝説の社員63人だ」と題して、全国各地のやり手の人物を取り上げている。

その中の一人に、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長が含まれている。この人も38歳だ。確か、8期目の現職市長を破って当選したのではなかったか?当時の年齢「36歳」は、全国最年少だった。

少しだけ同誌の記事を引用してプロフィール等を紹介する - 。

〈学生時代は大手広告代理店でコピーライターとして活躍。年収2000万円以上を稼ぐ〉〈いつしか故郷の市長をやりたい、と東京大学から総務省に進んだ〉

〈隣町に勝ちたいのではなく、僕たちがよければそれが広がると思う。日本には1800の『細胞』がある。日本を元気にするには東京や大阪だけではダメなんだ〉

同市長はこうした考えをもとに、島田洋七原作で超ベストセラーとなった『佐賀のがばいばあちゃん』の映画ロケ誘致に成功。観光面をはじめ、今では何十億円もの〃経済効果〃を生み出している、という。

先日、CATV業界の会合で佐賀県に出張した話を少し本欄でも触れたが、「武雄ケーブル」(現在の社名は「ケーブルワン」)の原隆司社長は「俺も出演したぞ」と鼻高々だった。

一方、コミュニティFM局の開設を通じて〃兄弟分〃の契りを交わした宮崎県都城市のBTV。霧島酒造が親会社で、日南市や鹿児島市内までをカバーする大会社だが、こちらの市長も確か、初当選の折は全国最年少だった。

長峯誠。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。昭和44年8月2日生まれというから、こちらも38歳という若さだ。

まったくもって偶然の為せるワザだが、現在、九州内には80を超える大小のCATV局がある。その中で「FM局の運営に関心を持った(つ)」という点では、都城、島原、武雄とも見事に合致する。

…言い換えるなら、三市の市長ともに「CATVを核とした地域の情報政策」に極めて熱心である、という証左だ。

さて、我が島原市長。年齢的には二人に比べると「父親」のような存在だが、その発想と行動力はサムエル・ウルマンの言う「青春」そのものである。


2007/12/12

海図なき人生なのだ!! - 湯木母さんは「プロンプター」 -

「ノベンバー・イレブンス」の開局からちょうど1カ月。外部からの番組を一切購入しない、純然たる〃手作りFM〃。もっぱら!!しまばら!!

リスナーの皆様の評価は色々あろうが、批判よりむしろ、励ましや期待の声が日増しに強まってきているようにも感じる。

ただ、この1カ月間で、様々な〃アラ〃も見え始めてきた。改めて、心して取り組まねば!!

昨日は、懸案だった県内地上波の「デジタル放送」が一部を除いて出来るようになった。残る熊本や福岡などの県外波の受信については、業界全体の問題として現在協議中だ。

大分県では、総務大臣裁定まで持ち込まれ、CATV側が勝利を収めた形だが、まだ予断を許さない。今月17日には、東京で「緊急集会」も催される。

まあ、そんなこんなで「師走」に相応しい慌しさが続いているが、昨日は急用で夕方から佐世保まで走った。余り土地勘がないので、高速を降りてからの市内の通行は「ナビゲーター」頼りだった。

「700m、300m、間もなく…」と三段階に分けて案内してくれるので、まず間違うことはない。少なくとも、すぐ近くまでは誘導してくれる。

問題は「帰路」。同じように帰ればよいわけだから、別に「ナビ設定」をする必要はなかったのだが、試しに会社の電話番号を目的地として入力した。

高速や諫早市内などは勝手知ったる〃マイロード〃。なるべく早く到着できるようにと「近道」を走ったのだが、どうもナビの指示とは異なったルートのようだ。

画面の到着予定時刻を見ると、小生の試算より一時間も遅い。要は、このナビシステムでは、国道などの「主要道路」でしか検索できないのだ。

暗闇の畑道を走りながら、ふと「チャート式参考書」のことを思い浮かべた。「数I」「数II」…小生にとっての「チャート式」はどれもモノにならなかったトラウマの材料だ。

「チャート」とは言うまでもなく「海図」のこと。現代は「チャートなき時代」とよく言われるが、そもそも人生なんて「海図」通りに進むはずがない。

ところが、世のお受験大好き人間は、人生を「チャート式」に捉えて、子供を遮二無二「レール」に乗せようとする。親の立場からすると分からないでもないが、そこには大きな〃落とし穴〃がある。

そんな思いを抱きながら夜のニュースを見ていたら、「船場吉兆」の湯木母子の謝罪会見。口ごもる息子に、どこかで見たような婆さんが「頭が真っ白になって…」と囁いていた。

こういう人間を放送業界では「ナビゲーター」ではなく「プロンプター」と呼ぶ。それにしても、誰かに似ているなあ…と思って見ていたら、狂言の和泉節子さんと重なってきた。


2007/12/09

まぼろしの湯豆腐構想!? - 元気溌剌!!オリンパス元社長 -

FM局の開局祝賀会後の事務処理や県外出張等が重なって、執筆を少しお休みさせていただいた。

ひとまず昨日までにお礼状の送付を終え、いよいよ今日は株主総会前の取締役会だ。例えるなら、決算とは子供達にとっての通知表のようなもの。分かってはいるけど、何となくドキドキするものだ。

一昨日、昨日と佐賀県嬉野市へ長崎、佐賀両県のCATV協議会へ出かけた。小生には記憶がないが、事務局によると久方ぶりの合同開催らしい。

佐賀県協議会の会長は武雄市にあるケーブルワン社長の原隆司さん。以前に連盟の九州支部長を務めていた〃大物〃だが、昔から不思議と馬が合う。

十年ほど前に弊社が国の補助事業を初めて申請した際に一度訪ねていったことがあるが、懇切丁寧なる指導を受けて感動したことを覚えている。

原さんは全共闘世代で、かつて学生運動の闘志だった。今でも、その冴えわたった〃理論構築〃には目を見張るものがあるが、この前のトップセミナーで面白い事を言っていった。

「我々ケーブルテレビ業界の人間は『井の中の蛙』である。でも、視線を上げると、大きな青空を存分に見ることができる」。同社の女性社員が口にした言葉らしいが、何と〃含蓄〃に富んでいることか。

懇親会場は「大正屋」という老舗ホテルだった。以前にも泊まったことがあるが、去り際にふと子供の頃の記憶が蘇った。すぐ目の前に古びたバスセンターがあったからだ。

遠縁に当たるオジさんと鹿島の祐徳稲荷神社にお参りした後、このバスセンターで下車したことを覚えている。オジさんはその時、「近くの旅館の経営者が戦友だ」と言っていた。確かその名前は「大正屋」だったような気がする。

構えに負けず、立派なホテルだった。フロントは言うに及ばず、客室係のスタッフから仲居さんまで教育が徹底されていた。

お土産に嬉野名物の湯豆腐セットを買った。早速、自宅で味見をしたが、折からの冷え込みのせいもあって、頗る美味かった。

一方で、何年か前に友人と「何とか島原でも出来ないものか。温泉も炊き合わせの野菜も豊富にあるのだから…」と、勇んでサンプルを調達して〃実験〃したことを思い出した。

結果は〃大成功〃だったが、残念ながら、それを〃企業化〃しようという人物はいまだに現れない。

朝立ちして会社に戻ったら、東京から来たアニメ番組の営業マンとばったり出くわした。業界では知らない人がいない〃超有名人〃だが、この方とも大の仲良しだ。

商談後、一緒に姫松屋で昼飯を食ったら、「4年ほど前に叔父に当たるオリンパスカメラの元社長と来たことがある」と。その折、98歳。普賢岳山頂に登り、102歳の今もゴルフを楽しんでいる、という。


2007/12/05

世の中どげんかせんと!! - 他人事でなかったガス漏れ -

今年の流行語大賞が東国原英夫宮崎県知事の「どげんかせんといかん」と、高校生ゴルファーの石川遼君を評した「ハニカミ王子」に決まった、と各紙報じている。

アマチュアの石川君はさておくとして、東国原知事の前身は、ご存知タレントの「そのまんま東」である。傍目には〃華麗なる転身〃と写るが、ご本人の苦労はいかばかりか。

小生も2週間ほど前に業界の会合で宮崎を訪れたばかりだが、彼の地では寄る店、寄る店…知事の似顔絵とともに「どげんかせんと―」といった貼り紙で溢れている。

どこかの調査機関が同知事出現による〃宣伝効果〃をはじいていたが、宮崎のイメージが明るくなったことだけは確かだ。

小生の大学時代の同級生にも延岡の出身者がいた。とても真面目な青年で好感が持てたが、そのうち疎ましく思えてきた。

一言でいって、人間的に面白くないのである。どこといって〃欠点〃はない。頑張って勉強しているので成績もよい。見た目もハンサムである。

小生が〃留年〃を決めたその折も、颯爽としたスーツ姿で現れた。「俺、外資系のノースウエスト航空に決まったよ」。

「あっそ、良かったね」。日の当たらない、本天沼の〃三畳間〃でその報告を聞いたが、別段うらやましいとも感じなかった。

話は脱線するが、その下宿は「福寿荘」といった。小生の部屋は1階部分の玄関から入ってすぐの右側にあり、対面は老婆の独り暮らし。

廊下を挟んで奥の2部屋には、夜な夜な女性を引っ張り込んでくる典型的な〃タラ公〃と、夜中に奇声を発する〃半狂人〃が住んでいた。

三畳という狭さだったので、教会のバザーで仕入れたライティング・デスクとベッドを入れると、もう立錐の余地はなかった。仕方がないので、押入れの戸を外してベッドの3分の1程を押し込んで、椅子代わりに使っていた。

どういう訳か、場違いな感じで備え付けの「ガス瞬間湯沸かし器」があった。近くに美人の奥さんが番台に座っている銭湯があったが、たいていはそのガス器具で済ましていた。

そうした経験もあったので、今年〃事件〃となって判明したガス漏れ事故のニュースはとても〃他人事〃とは思えなかった。

閑話休題。そのまんま東はタレントになる前は何をしていたのだろう?後から早稲田に通ったが、〃耐乏生活〃の経験はあるのだろうか?

新聞に掲載された、受賞者の記念写真を見ると、中央部分に「そんなの関係ねえー」と叫んで最近人気を博している裸のノボセモンがいる。嗚呼、こいつも早稲田だった。

余談だが、もうノースウエストはない。本当に世の中は分からない。どげんかせんと!!


2007/12/04

推敲を重ねた挨拶が… - 物事は予定通りには運ばない -

昨12月2日の日曜日、「(株)FMしまばら」の開局記念祝賀会を島原観光ホテル小涌園で開催した。

地元の方々が中心だったが、遠くは福岡、北松・江迎、佐世保、長崎から駆け付けてくれた人も含めて総勢180人を超える大宴会となった。

何分初めての経験なので勝手が分からない。案内状の発送から席次決め、記念品の調達など…社員にも随分と迷惑をかけた。

しかし、結果は大成功だった。ただし、一点を除いて。その一点とは何か?他ならぬ主催者代表、つまりこの私めの「開会挨拶」である。

十分に下準備はしたつもりである。量にして原稿用紙10枚分を前日までに書き上げ、翌朝には何度も何度も推敲を重ね、「用意万端」で臨んだはずだったのだが…。

失敗の原因は、原稿そのものを覚えこもうとしたこと。南風楼のサウナに入って頭の中でその内容を反芻したが、水風呂の中では吹き出した汗もろともに綺麗に流れ落ちていた。

午後6時の開会の時刻が近付くにつれ、喉が渇きだした。同席した森本元成、久部貞男、宅島壽雄の三氏が「酒を一杯キューとやれ」とアドバイスを下さったが、時すでに遅し。

社員を含めて約二百人の視線が一斉に注がれている。嗚呼どうしよう??とっさの判断で〃受け〃狙いの〃英語〃を口走った。

「レディース・アンド・ジェントルメン…」。後はもう〃八方破れ〃で、何をどう喋ったか、まったく覚えていない。

本当はこの晴れの舞台で「三位一体」と「孫子の兵法」について語るつもりでいたのだ。勿論、ケーブルテレビを含めて、「我々の事業がいかに〃公共性〃が高いか」を大前提に。

「三位一体」については、宗教学者の中沢新一さんの本を読み、キリスト教から生まれたこの発想を「地域活性化」の問題になぞられようと考えていた。

すなわち、「父」「子」「霊」を、国や地域、所属企業の関係に置き換え、勝手に〃自己増殖〃する「霊的存在」のこの私めが、この先過ちを犯さないようにご指導いただきたい、と。

「孫子の兵法」については、前々から「父的存在」の森本元成さんにしっかり勉強するよう言われていたので、薄っすらと覚えている部分もあった。

記憶の細い糸を手繰り寄せて「島原半島では周波数の関係で1局しか存在のしようがないFM事業。したがって、敵がいないのだから、これぞ最高の戦い方である」と、力強く宣言するつもりでいた。

ところが、どちらも口に出せないままにスゴスゴと舞台を下りた。ただ、挨拶の最後に「物事はすべて予定通りには進まないものです」と〃言い訳〃がましく結んだら、予想に反して万雷の拍手を頂いた。

皆さん、本当に良い方ばかりで助かった!!


2007/12/02

やっぱ島原産に限る!! - 先を知りたがる人間の本性 -

誰かが笑っていたが、最近の若者に12月に走るのは誰かと訊いたら、「坊主」と答えた、という。個人的な思いを言えば、「知らないけど、8月に走るのは坊さんかな?」と返すくらいの機知が欲しかった。

いよいよ師走、12月である。最近の島原半島では「師」に成り代わって「大学生」(九州学生駅伝)が走っているようだが、その声を聞くと、何とはなしに気ぜわしくなるから不思議だ。

ところで、昨年の今頃は何をしていたのだろうか。パソコン上のスケジュール帳をめくってみると、12月4日「大相撲島原場所」との記述。

ああそうか、あれからもう1年か…。当時〃我が世の春〃状態だった横綱朝青龍はテンヤワンヤの騒動を引き起こした末、やっと謹慎が解ける、という。

大相撲もそれ以来観ていないし、安倍自民党は7月の参院選で記録的な惨敗。いつの間にやら、ダークホースの福田さんが総理の座に収まっている。

「ゼア・リズ・ノー・テリング・ワッ・メイ・ハプン」という英語の諺があるが、何が起こるか分かる人間なんてどこにもいない。仮に存在するとしたら、その方は神様だ。

ところが、人間は「少しでも先の事を予測しよう」と、占いや風水関連の本をせっせと買い求める。まあ、それが〃人情〃というものであり、拙者もその一人だ。

何年か前、大手の出版社に勤める友人がこんな話をしていた - 。「年末を控えたこの時期(もう少し早いか…)は、著名な占い師や風水学者はみんな引っ張りだこだ」と。

彼らは彼らなりの苦労があるらしく、ゼニになる原稿を頂くために、過激な〃接待合戦〃を繰り広げている、との由だ。その舞台となるのは、超一流の料亭や鮨屋。

つい最近「ミシュラン」の三ツ星に選ばれたある店の名前もその折に聞いた。聞いて驚いたが、1食単価がナント5万円!!

金持ちの美食家にとっては、別段驚く話ではなかろうが、庶民の口にはとてもとても…。1回の食事に5万円も使うくらいなら、家族や仲間と一緒に、もっと楽しい事をすればいいのに、と思う。

その話を聞いた後で、友人は「ここは焼き鳥が美味いから」と秋田県産の素材で固めている、JR恵比寿駅近くのコジャレた店に連れていってくれた。

店の前には〃長蛇の列〃。30分近く待たされた挙句だったので、確かに料理は美味かった。今にして思うに、あれが「比内地鶏」であった。

最近、忙しさにかまけて新聞やテレビの情報を仕入れていないが、数日前のニュースでは、横浜・崎陽軒のシューマイの話題を取り上げていた。

赤福に続いて今度は崎陽軒か。やっぱ食べ物は島原産に限るバイ!!


2007/12/01

逍遥真蹟の書があった!! - 小浜・伊勢屋旅館で見つかる -

某日、我が人生の師、草野壬二郎翁が弊社に訪ねて来られた。いつもながら、この方の言動はとてもユニークである。

ひとしきり先日亡くなった長崎自動車元会長で長崎商工会議所元会頭だった松田さんについて語った後で、小脇に抱えた紙袋から何やらゴソゴソ。

さて、取り出したる中身は何かと言うと、「游於藝 逍遥人」と書かれた色紙風の写真が一枚。落款はなし。解説が始まった。

「坪内逍遥先生の書とは聞いていたが、真贋のほどが判らなかったので、早稲田剣道部部長で文学部教授の岩本憲児さん(八代出身)を通じて調べてもらった」 - 。

要は、その「結果」を伝える手紙を持参なさったのである。発信者は元演劇博物館勤務の菊池明さん。現在「逍遥協会」という所に属している、という方だ。少し長くなるが、調べていただいた逍遥日記の一部を抜粋する - 。

十月二十八日「南案内にて諫早より自動車、一時半小浜着、校友本多親宗に会ふ(伊勢屋旅館ニテ)其父某も来会、主人に頼まれて画帖に染筆、午後二時半自動車にて……四時三十分頃湯元に着す

菊池さんは手紙の中で「一見して、無落款ながら逍遥真蹟!!」と直感したことを明らかにし、草野翁が生まれたのと同年の大正11年10月に、夫人同伴で小浜温泉に宿泊したことを証明している。

H氏賞詩人の荒川洋治さんによれば、坪内逍遥は我が国近代小説の幕を開けた大人物。その代表作は題名もズバリ『小説真髄』(明治18年刊)。「鴎外も漱石も逍遥あったればこそ」との解説には、思わず膝を打った。

個人的には、女優、坪内ミキ子さんのジイ様(正確には祖父の弟)くらいの知識しか持ち合わせていなかったので、同時に自らの不明を深く恥じたことを良く覚えている。

しかし、「逍遥」とは実に味わい深い命名である。英訳するなら、ぶらぶら歩きの「ランブル」といったところだろうが、昔はそうした名前のクラシック喫茶が数多くあった。

名前が「逍遥」で、「游於藝」(藝に游ぶ)とくれば、これぞ何物にも捉われない、真の自由人。多くのシガラミに巻かれて息苦しい毎日を送っている我が身にとっては、実に羨ましい限りだ。

その点、草野大先輩は「逍遥の真髄」をまさに地で行く大人物だ。間違っても「商用の人」ではない。その辺が年老いてもなお、若い女性層を中心にファンが絶えない所以か!?

御年85歳の老体ながら、一たび竹刀を握れば、眼光鋭い剣士の威厳が辺りを支配する。

拙者を含めた〃不肖の弟子〃どもは時おり親しみを込めて「棒振り人生」と茶化しているが、みんな〃門下生〃であることを誇りに思っているのだ。