2012/07/29

まったく腹の立つ話…風評被害で悩む阿蘇の観光地

7月も余すところ後3日。やっと梅雨明けしたかと思ったら、今度は一転、炎天下の毎日だ。

我々はまことに身勝手なもので、どうにも制御の効かない自然界の事象ですら、自分たちの都合で考えてしまう嫌いがある。

その点、人間以外の生き物はいたって正直である。一定の時期が来れば、それなりの仕種(しぐさ)で存在感を示してくれる。

今朝も耳をつんざくような蝉しぐれに起こされたわけだが、表に出てみたら早くも赤とんぼが舞っていた。まさに「夏来たりなば秋遠からじ」である。

さてそんな中「ロンドンオリンピック」(近代・夏季・第30回)が開幕した。日本では連日、各地の温度計が35℃をまたぐような猛暑日が続いているが、かの地の平均気温は20℃前後とか。

羨ましい気がしないでもないが、我が日本は「四季の国」ならではの数々の恩典に恵まれていることも忘れてはなるまい。少し遠いようだが、「暑さ寒さも彼岸まで」だ。

ここは一つ「辛抱」で乗り切るしかないと思ってはいるのだが、ついつい「愚痴」が先立ってしまう。これまた「人情」か。

先週末、コミュニティFMラジオ関係の会議が福岡市内で開かれた。その折、博多駅前の古いビジネスホテルに一泊したわけだが、そこでもご多分にもれず「何卒、節電へのご協力を!」との打ち出し。

恐らく日本全国、こんな感じで多くの国民諸氏が「我慢&我慢」を強いられているのだろうが、一方で「節電世相に便乗した尻馬乗りではないか?」という気がしないでもない。

ロビーやエレベータの照明が落とされているのは理解できるとしても、部屋の冷房まで制限するのは行き過ぎではないか?こちとらは人一倍の暑がりだ。それに、老朽施設のわりには高い宿泊料金を払っているというのに…。

今さら文句を言っても仕方がないが、足元を見透かしたかのような「便乗商法」には断固反対!

それから、これは前述の会議の中で「協力」を求められたことだが、先の集中豪雨災害から懸命に立ち上がろうとしている阿蘇の観光地が心ない「風評被害」に遭っている、という話だ。

実のところは順調に復旧作業が進んでいるのに、「阿蘇はもうダメ」「壊滅的」などとするデマが飛び交っているのだという。

そう言えば、普賢岳噴火災害の時にも似たような話があって、当地の観光業全体に多大な被害をこうむった苦い経験がある。

困っている時こそ助け合わないといけないのはもとより分かり切ったこと。一体誰がそんなデマを流しているのか?これまた、まったく腹の立つ話である。


2012/07/25

キナメの〝語源〟は?…ワサモンズキは結構なれど…

新しいモノが世に出たらすぐに欲しがる人のことを、島原地方の方言で「ワサモン(ズキ)」というのをご存知か?

さしずめ筆者などもその〝一種〟であることを自覚しているが、高価なモノにはなかなか手が出せない。せいぜい1万円未満が限度である。

しかし最近では、ネット通販でその類いの商品を買おうものなら、「これはどうか」「この商品を買った人はこんなモノを」などといった販促メールが矢継ぎ早に送られてくる。

大概は無視しているのだが、ときどき気が緩んで〝ワナ〟にはまってしまうことも度々だ。結果、ひと月遅れでやってくるカードの支払いに、毎月のように追われている。

最近では「ワサモン≒バカモン」ではないかと思うくらい、その傾向が顕著だ。自分でまいたタネながら、本当にもう情けない…。

そもそも「ワサモン」とは何ぞや?島原半島とも縁のある、藤本憲信さんが編まれた大著『熊本県方言辞典』をひも解いてみた。

【1762頁】(名)早稲者(わせもの)の転。新しがりや。好奇心の強い者。先走りする者。⇒ワキモン・ワサモンズキ等々。ほぼ、島原半島で使われている意味合いと重なる。

ちなみに、ここ1カ月の間に筆者が買い求めたのは「スマホ用バッテリ」「タブレットPC用キーボード」「スマレコ用ペン」「電子ブックリーダー」の4品。〆て2万円強。

ご覧の通り大した金額ではないのだが、生来の〝機械オンチ〟ゆえにすぐさま利活用できないのが、最大の悩みだ。

加えて〝飽き性〟であるから、そのうちに使わなくなる。とどのつまりは人手に渡ってしまう。≒バカモンの証しである。

話は変わるが、仇討ち目的で買い求めていた「ごきぶりホイホイ」に、ついに〝獲物〟がかかった。仕掛けは全部で5個。うち3個は空振りだったが、土間と台所の2カ所で計5匹を捕獲した。

このペースでいけば、今後も相当数のゴキブリを退治出来るものと期待しているが、衛生云々の問題を考えれば複雑な心境だ。我が家は古くはあっても、そんなに〝不潔〟ではないはずなのに…。

しかし、何はともあれ1つの〝目安〟はついた。それに噴射式の「ゴキジェットプロ」はより即効性があるようなので、今後はさらに追撃態勢を強化していこう!

最後に、再び方言の話に戻って恐縮だが、ゴキブリのことを、島原地方では「キナメ」と呼ぶ。その語源は何だろうか?と色々と調べているのだが、なかなかしっくりくる回答が見つからないでいる。

ネット情報に出ている「アマメ」などではぴんと来ないし…。どなたかご存知の方、教えて下さいませんか?


2012/07/24

ゴキブリ根絶を目指す…背筋凍てつく〝奥様の一言〟

「過つは人の性(さが)、許すは神の心」(ホープ)。のっけから恐縮だが、訂正を一つ。

12日付の紙面に掲載していた、島原半島観光連盟が主催している「夏の体験イベント」の受付電話番号(局番)が間違っていたそうだ。 正しくは0957-62-0655。

すでに翌13日付に出しているのだが、再度のご要請。いささか閉口しないでもないが、ここは当方もひたすら「神の心」に徹して再掲載を―。

   ※   ※ 

大引体験とそうめん流し(8月4日午前11時半・有家町の㈲ふるせ定員10グループ、参加費1グループ(3人まで)3500円。

手づくりイカダで船長だ!GOGO竹イカダで遊ぼう!!(8月5日午前9時・雲仙白雲の池)定員20人、参加費1人1500円。小学1年生以上高校生以下が対象で、小学1~3年生は保護者同伴(保護者1名につき1千円)。

   ※   ※   

雨の行方ばかり気にしていたが、そうか巷はもう〝夏休み〟なんだ。子どもたちが巣立っていってしまったので、何となくその実感がわかない。

それでも「夏」は確実に訪れて来ているようで、朝も早くから蝉しぐれの大合唱が耳をつんざく。わずか1週間ほどの儚い命の絶唱と思えば、何となく物悲しくもあるが、許せないのはゴキブリの連中だ。

奴らは決して鳴かない。少なくとも筆者はその鳴き声を聞いたことがない。ひたすら〝無音〟に徹して家の内外を這いずり回る。

一昨日の深夜、居間の掘り炬燵(掛け布団なし)に短い脚を突っ込んで転寝していたら、何やら足元のあたりをガサゴソ。

最初は何事かわからなかった、犯人はゴキブリだった。頭にきて、近くにあったハエ叩きで追いかけたが、すんでのところで取り逃がしてしまった。

チクショー!その晩は頭にきてなかなか寝付きが悪かったが、「そっちがそうなら、こっちにも考えがある」と、固く〝復讐〟を誓って翌日ダイエー島原店に出かけた。

店の一角には特設コーナーがあって、 テレビCMでよく見かける〝撃退商品〟が山と積まれていた。中から代表的な商品2つを選んで、レジに進んだ。

勘定を終えて袋詰めしていたら、顔見知りの奥様が「何ば買うたと?」と声を掛けてこられた。少し恥しかったが、「ごきぶりホイホイとかです」(アース製薬)と正直に答えた。

すると奥様は、意味深な薄笑いを浮かべながら即座に〝二の矢〟を放ってこられた。「アンタも調子に乗り過ぎてホイホイされんごとね」と。

いつもながらこの奥様には頭が上がらない。と同時に、ご主人様の苦労のほどが偲ばれる。な~んちゃって!?


2012/07/22

母上、ご勘弁下さい!?…KTNが九州予選を突破

《お母様、早まってはいけません。私めに悪いところがあるのなら、直ぐに改めますから。どうぞ、それだけはご勘弁を》

今朝ほど居間で転寝(うたたね)をしていたら、出刃包丁を手にした母が枕元に突っ立っていた。聞けば、どこか鍛冶屋さんに頼んで柄をつけ換えて来て欲しい、との依頼であった。

それならそうと、起こした後で言えばいいものを…。まったく、我が家の〝女帝様〟は紛らわしい動きをするものだ。本当にもうビックリした!

ところで、梅雨明けはまだだろうか?いくら何でももうそろそろと、一日千秋の思いで待ち侘びてはや1週間。今日も島原上空には灰色の雨雲が厚く垂れ込めている。

そんな憂うつな気分の中、一服の〝清涼剤〟のような役割を果たしてくれているのが、市道・白土湖線沿いに新たに植栽されたサルスベリの木。赤とピンクの中間色をした花房が、今が盛りと咲き誇っている。

漢字で書くと、「百日紅」。どういう経緯でその字が充てられているのか深く考えたこともないが、夏場でも比較的長期間にわたって〝紅い花〟が咲いているからだろうか…。

もっともこの花には幾つか種類があるようで、確か島原カントリー(深江町)にあるのは白色ではなかったか?とにもかくにも明日の日曜日は久方ぶりのゴルフである。何とか晴れ渡ってほしいものだ。

そうそう〝包丁〟の話を2つほど。1つは明るい話題で、もう1つは何とも陰うつな事件記事だ。

明るい方からいくと、KTN(テレビ長崎)が制作した「鋼の絆~島原の鍛冶屋5人兄弟~」が、フジテレビ系の「FNSドキュメンタリー大賞」の審査で、第一関門の九州地区予選を通過したそうだ。

制作にあたった同社の藤井聡さんから一昨日、「通りました!」と弾んだ声で電話をいただいた。

すでに5月末に放送されているのでご覧になられた方も多いと思うが、主役は高島2丁目の鍛冶屋「吉光」の5人兄弟(平均年齢80歳)。

「たたら製鉄」という古来の伝統技法に加え、最近では空き缶の再利用にもチャレンジするなど、現代的なテーマも盛り込んでおり、見応えのある作品に仕上がっている。ここまできたら、何とか〝日本一〟に輝いてほしいものだ。

一方、身の毛もようだつような話は壱岐での殺傷事件。26歳の若妻が今年2月、「自分を捨てた夫を許せない」として、馬乗りになって刃渡り22㌢の柳葉包丁で右脇腹を刺したのだそうだ。

一昨日付けの裁判員裁判の記事でそのことを知ったわけだが、恐らくその時の記憶が頭の中にあったので冒頭のような〝悪夢〟を見たのであろう。

詳しい背景は分からないが、殿方、ゆめゆめ浮気などなさらぬように―。いやいや、最近の風潮からすれば、逆もまた真なりか!?


2012/07/20

島原城の蓮(はす)のルーツは…本家なのになぜ勝てない!?

拙稿を書いている時点では、九州北部地方にはまだ「梅雨明け宣言」は出されていないようだが、窓越しに眺める空の様子を見る限り、それももう時間の問題だろう。

今朝、出勤の折に、島原城東堀端(八尾病院前)でハスの花が咲いているのを見かけた。西堀端(魚住医院前)では10日ほど早かったので、種類が違うのだろうか?同じく薄紅色をしているようだが…。

ところで、昨18日は「大賀(おおが)ハス」が太古の眠りから目覚めた〝記念日〟なんだそうだ。1952年(昭和27)、千葉市検見川(けみがわ)の古代遺跡で見つかったハスの実が2000年ぶりに花(薄紅色)を咲かせたということで、当時大変な話題になった、という。

その名の〝由来〟は発掘者の大賀一郎博士から。米ライフ誌が大々的に取り上げ、千葉市の花に制定されるとともに、全国各地に多く株分けされたそうだ。島原城のハスとも何か関係があるのだろうか?
と、ここまで書き進めていたら、何やら玄関先の方で雨音がするではないか?一体、今年の梅雨はどこまで〝往生際〟が悪いのだろう。頼むから、早く立ち消えてほしい!

さて、そんな中、男子ゴルフのメジャー戦の1つ「全英オープン」が間もなく開幕する。日本からも人気の石川遼君をはじめ8人の選手が出場することになっているが、果たしてどこまで上位に食い込めるだろうか?

また、さほど日を置かずして、世界スポーツ最大の祭典「オリンピック」(第30回)も首都ロンドンで始まる。残念ながら、島原半島出身の選手はいないようだが、お隣の諫早市からメダルが有望な選手が出ているようなので、皆さんも一緒になって応援しましょう!

よくよく考えてみたら、オリンピックはともかくとしても、英国を発祥とする各種スポーツが今や大人気である。サッカー、ラグビー、ゴルフ、テニス…などなど枚挙にいとまがないほどだ。

米大リーグに代表される野球競技にしても、その〝原形〟をたどれば、クリケットであるから、英国の人々にとってはさぞかし鼻の高いことだろう。

ただし、世界に普及して人気が高まれば高まるほど、必然的に〝競争〟が厳しくなるのは事の道理。ここに英国民のジレンマのほどがうかがえる。

発祥の地でありながらなかなかトップになれない現実を称して、「ウインブルドン現象」と言うのだそうだ。ただし、これは日本の国技である「大相撲」でも同じような事態がこのところずっと続いている。

今場所11日目を終えた時点で全勝街道を走っているのはモンゴル力士の二人。国技が世界に広まること自体は喜ばしくはあるが、複雑な思いは彼の地においても同じであろう。

はて、今年の「ジ・オープン」の覇者は?


2012/07/19

月の砂漠を遥々(はるばる)と…裕次郎さん逝きて早25年

これまで「ユーチューブ」なるもので楽曲を聴いたことなどなかったが、今やハマりにハマっている。こんな商売をしていて恥しい限りだが、紛うことなき〝事実〟なのである。

で、何を聴いているかと言うと、今風のK―POPやAKBなどではない。大半は懐かしの石原裕次郎メドレーである。関連して、弟分の渡哲也バージョンにも触手を伸ばしている。

一番のお気に入りは、裕次郎さんがアカペラで唄っている『月の砂漠』だ。これがたまらなく素晴らしい。感動の余り、本当に涙が滲み出てくるのだ。

《①月の砂漠を はるばると 旅のらくだが 行きました 金と銀との くら置いて 二つ並んで 行きました…♪》

幼い頃より幾度も耳にしていた曲だったので、何となく聞き過ごしていたのだが、意識して口ずさんでいるうちに、詞そのものを間違えていることにハタと気付いた。

《②金のくらには 銀のかめ 銀のくらには 金のかめ 二つのかめは それぞれに ひもで結んで ありました…♪》

記憶では《金のくらには 王子さま 銀のくらには お姫さま…♪》だったはずだが、調べてみたら勘違いもいいところで、まさに赤面の至り。もうこれ以上書いても限(きり)がないので打ち切るが、げに怖ろしきは〝思い込み〟か。

話のついでで恐縮だが、昨日(17日)はその裕次郎さんの命日(昭和62年没)だった。その事はたまたま日帰り出張の帰途、有明フェリーの船中で観たテレビの歌番組で知った。

享年52歳とは余りにも若過ぎるが、一方で常人の何百、いや何千、何万倍にも匹敵する〝面白い人生〟だったはず。だからこそ、最後に「我が人生に悔いはない…♪」と唄って旅立たれたのであろう。

豪雨一過の有明の海は茶色く濁っていたが、夕焼けの空はやけに美しかった。筆者は同行の社員に気付かれないように、そっとデッキに出た。

体型も顔立ちも年齢も何もかもまるっきり異なるが、気分はもうすっかり〝裕次郎〟である。周囲に誰も居ないのを見計らって、ひたすら裕次郎メドレーを歌いまくった。

多比良港に着いた頃には、もう夜の帳(とばり)が落ち始めていた。持参していたアイパッドを開いて「ユーチューブ」で聴こうかと思ったが、さすがに気がとがめ、家まで我慢することにした。

ところが、自宅近くまで辿り着いたところで急きょ〝外食〟と相成り、その機会を逸した。一夜明け、朝食を摂りながら思う存分「ユーチューブ」に聴き入っていた。

と突然、嫁姑の天敵二人から横槍が入った。「何ね、朝っぱらからしんみりした曲ばかけて。それに行儀も悪かよ!」。

さあ今日も、砂漠の行軍のような過酷な一日が始まった。明日も、明後日も…か。


2012/07/15

感謝の念忘れてないか…《流されゆく日々》の中で

 「サボリ癖」 とは怖いものだ。 ほんの軽い気持ちで何日間かやり過ごしているうちに〝罪悪感〟も何もなくなってしまう。

もちろん、 書かねばという!〝義務感〟めいた気持ちが無いわけではないのだが、 諸般の事情で、 ついつい〝易き〟に走ってしまった。

 『親鸞』 などの大作で今を時めく作家の五木寛之さんが一時期、「休筆宣言」を出されていたことがある。確か、その復帰の折に筆を執られたのが『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)の翻訳本だった。

個人的により印象に残っているのは、 時を置かずして日刊ゲンダイ (大都市圏で発行されているタブロイド判夕刊紙)で連載が始まった『流されゆく日々』という随想集だ。

田舎暮らしなので、たまの上京の折くらいしか手にすることもないが、 1975年の創刊以来、 今も続いているそうだから、 ただただその〝筆力〟に驚き入るばかりだ。 何はともあれ、 タイトルそのものが素晴らしい。 改めて考えてみるが、 世の大方の人々は《流されるままに》生きているのではなかろうか?

ただ中には、「違う!」 と断言する意志強固な目標設定型人生をしっかりと歩んでいる人がいるかも知れない。しかし、どんなに肩肘張ったところで、 しょせん人間の力など高が知れている。

その証拠に、 どんなに科学技術が進歩・発展を遂げたところで、 気まぐれみたいにやって来る自然災害の前では、 まったくもって為す術を持たない。

ここ数日、 九州北部地方で相次いで発生している集中豪雨災害の成り行きを見ても、 それは明らかだ。 いかに、 コンピュータ技術を駆使した防災観測体制で臨んでも、 被害は出るべくして出てしまう。

まさに、 我々の身の回りの出来事はすべて《流されゆく日々》の集大成なのである。〝異論〟があればお聞きするにやぶさかでないが、どうにも抗いようもない〝現実〟に直面して初めて、愚かな我々は神仏などの〝他力〟の存在を意識するようになる。

筆者そのものは特段に信心深い方ではないと思うが、 同じ九州北部地方に位置していながら、 有明海を隔てただけで、 どうしてこんなにも雨の降り方が違うのだろう?

かつては諫早、 長崎で大水害が起き、 島原半島も噴火災害に見舞われた。 そして今度は、 熊本、 大分などでの集中豪雨禍だ。

よもや天は〝バランス感覚〟でもって、各種災害を振り分けられているわけではなかろうが、テレビ画面が報じているかの地の悲惨な状況を見るにつけ、複雑な思いにかられる。

思い出してほしい、 今から20年ほど前の我々の心境を。 少しの雨でも土石流の被害に怯えていたではないか。 《流されゆく日々》の中で、 本来持つべき他者への《感謝の念》がいつしか《当たり前》にすり替えられていないだろうか?


2012/07/07

傘を貸してよ、支店長…T先輩『うず潮』欄に登場

石川県金沢市など日本海沿岸地方では年間を通して「弁当忘れても傘忘れるな」という〝格言〟があるそうだ。裏を返せば、それほどまでに天気が移ろいやすいということである。

もちろん我が島原半島は日本海には面していないが、このところの天候の不順ぶりはどうだろう。叩きつけるような横なぐりの雨が降り出したかと思えば、時折お天道様が顔をのぞかせる。弁当はともかくとしても、この季節、傘は必需品のようだ。

昨日(5日)、東京への〝ロケット出張〟から帰って来たら、弊社顧問のT先輩が同日付けの長崎新聞に寄稿されていた。『うず潮』という読者発のコラム欄である。

そのT先輩(島原市出身)は半世紀近くの首都圏勤務(大手事務機器メーカー)を経て、ちょうど1年前に帰郷された。専門はマーケティングと広報戦略。平たく言うなら、広告と市場調査のプロである。

こんな〝猫の額〟ほどの狭いエリアで市場調査も何も必要あるまいという人がいるかも知れないが、よくよく話を聞いてみると「なるほど、そういう見方(分析手法)もあったか!」と頷(うなず)かされること度々である。

T先輩は長年の経験からか、晴れた日でも必ず折り畳み式の携帯傘を持ち歩いている。それと日経新聞。理由を尋ねるのも野暮ったいので敢えて訊いたことはないが、この辺がオトナの流儀であろうか…。

よく言われることだが、田舎の人間は余り自分の足で歩かない。なんとなれば、大概の用件は軒先から軒先まで車を使って済ませてしまうからである。

一方で、都会人はよく歩く。最近でこそほとんどの駅のホームにつながる階段にはエスカレーターが整備されているが、分刻みのビジネスに追われている人々にとっては、それさえも〝選択肢〟の1つに過ぎない。

T先輩は言う。「島原半島には他の地方にはない素晴らしい点が多々ある。残念ながら、地元の方々は歩かないままに見過ごしてしまっているようだ。そこを照射していきたい」と。

帰郷1年―。類推するに、古里であるが故に、敢えて口を噤んできたこともきっとあるはず。他社の紙面ではあるが、忌憚のない鋭いご指摘がなされんことを切に願う。

ところで、「傘」の話に戻るが、筆者も経営者の端くれであるから銀行に行く機会も多い。その銀行を評して、「晴れた日には傘を貸してくれるが、雨の日には貸してくれない」などとよく言われる。

つまりは、「強者(金持ち)に弱く、弱者(貧乏人)に強い。それが金融機関の特性」ということの喩えだ。しかし、こうまで不景気が続けば、天気のいかんに関係なく傘を貸してくれないと、我々は生き延びてはいけません。どうぞ各支店長様、宜しくお願いしますよ!!


2012/07/03

幻の「カレーシュー」……鮨屋に香水は禁物ですぞ

《声はすれども姿は見えず ほんにお前は屁(へ)のような》―。たしか、そんな都々逸(どどいつ)があったかのように思う。それにつけても今や、「香り(消臭)ビジネス真っ盛り」の様相である。

具体的な商品名を挙げて恐縮だが、P&G社が出している「ファブリーズ」というお部屋(最近では車内用も)の消臭・芳香剤を筆頭に、日常生活のありとあらゆる局面で、その〝効用〟が叫ばれているようだ。

そもそも不思議でならないのは、テレビCMなどで繰り返し訴えられているほど、現代日本人の腋下(えきか)は臭いものなのか?もっとも、筆者自身が他人様のそれを真剣に嗅いだ経験もないが…。

察するところこれは、身の回りのサニタリーグッズを販売している関連企業群のビジネス戦略に他ならない。そこに、〝右へならえ〟が大好きな日本人が、まんまとハメられているという、いつもの〝構図〟であろう。

オジサン連中もまた〝いいカモ〟のようだ。「加齢臭」という耳慣れない言葉でもって〝不安感〟を煽られて、1個何千円もする「柿渋石鹸」を買わされた人も多いのでは?

話は脱線するが、「そんな〝風潮〟を逆手にとって新規商品を開発したら?」という提案を過日、島原市内の某老舗菓子店に持ちかけたことがある。

何のことはない、「加齢」と「カレー(味)」を引っ掛けて、「シュークリーム」を作ったらどうか?という他愛もない話だ。

お店の人も最初のうちは熱心に話を聞いてくれていたのだが、そのうちに顔をしかめて「名前からして臭そうだし、とても売れそうにもない!」ということであえなく打ち切りとなった。

筆者の思惑では「オヤジ層を中心に〝遊び心〟で売れる」と踏んでいたのだが、作ろうにも〝技術〟がないので仕方がない。泣く泣くあきらめた!?

ところで、「シュークリーム」というのはふだん何気なく使っている西洋菓子の名前だが、その語源はフランス語だということをご存知か?正式には「シュー・ア・ラ・クレーム」というのだそうだ。

そのフランスの首都・パリの郊外にあるベルサイユ宮殿を観光で訪ねると、ガイドさんが決まって説明するのが「香水」にまつわるもっともらしい話。

どういうことかと言うと、共和制以前のフランスの王侯貴族は何週間も風呂に入る習慣がなかったそうだ。そのため〝体臭隠し〟としての香水が普及していったということだ。

まあ、真偽の程はさておくとして(恐らく本当だろうが…)、梅雨空の鬱陶しいシーズンに、香水の匂いプンプンというのは余程考えものである。

これが鮨屋なんぞで出会った日には最悪だ。まだ、時間が経てば消えてしまう〝屁〟の方がましだと思うのは、筆者一人ではあるまい。いかがだろう?