2007/10/31

マッポシ当てないで!! - 真っ直ぐ突き進んだ渡邉先生 -

「そがんマッポシ当てんで下さい!!」 - 。大教室での講義中に居眠りをしていた熊本出身の明大生が九州弁で答えて〃大爆笑〃を誘った話を、今でも時々思い出してはニタつくことがある。

恐らく、広辞苑の改訂版にも掲載されていないだろうが、ほとんどの九州人にとっては、そのニュアンスの程は自ずから分かろうというものだ。

敢えて翻訳すれば、「真っ先に」とか「真っ直ぐに」とかいった表現だろうか。いずれにしても大好きな九州弁の一つでもある。

ところで「マッポシ」と言えば、前国見町長の渡邉秀孝さんの性格そのものだ。前々からそのように感じてはいたが、先日、亡き奥様を偲ぶ夕べ(49日)でご一緒して、益々その思いを強めた。

教職に進んだ渡邉さんの最初の赴任校は、湯江村立・湯江中学校(当時)。拙者が生まれた昭和30年のことだという。

体育教諭として若い頃から血気盛んだった渡邉さんは、数々の〃武勇伝〃を残しているが、それらについては稿を改めて紹介すとして、その席で聞いた「マッポシ進め」篇には腹を抱えて笑った。

余り酒は強くない方の渡邉さんだが、付き合いのためだと稽古を重ね、何とか5合くらいまでは飲めるようになった。

となると、周囲が黙っておかない。放課後が近まると、近所の呑んべいオヤジが三々五々集まって来ては、教室の窓越しに「先生、まーだかなし」。

終業の鐘とともに全員で宿直室にまっしぐら。用意された焼酎の肴は、何と山盛りの栗饅頭。話を聞いて、一瞬ギョッとしたが、試してみると、これが意外にいける。組み合わせ的にはウイスキーとチョコレートのようなものだ。

さーて、問題はそこから先だ。糖分たっぷりの酒食で勢いのついた面々は、「今から大三東中までストームだ!!」ということになり、早速行動開始。

そのルールが「マッポシ」、すなわち「真っ直ぐ進め」だった。畑を突っ切り、湯江側をジャブジャブ横断(橋はコース外)、行く手に家があれば、「ゴメンなして」と中を通り抜けていった、という。

もう50年以上も前の話だが、いま聞いても何だがワクワクする「青春ドラマ」の一コマだ。この夜、先生はいつにもまして饒舌だった。その様子を見て、傍らの奥様の遺影が笑っているようにも思えた。

話は変わるが、拙者にとって昨日は「ブルーマンデー」だったが、今日は「三りんぼう」だったような気がする。

まず昼食の弁当に付いてきたマヨネーズを洗い立てのネクタイにぽとり。極めつけは、訪問先の駐車場に置いていた〃新車〃が傷つけられた。

まだ10日も経っていないのに…。まあ、マッポシ当たらんで良かったけど…。


2007/10/30

今日はブルーマンデー - 昔懐かしい「デンバー」の響き -

開高健の小説に『青い月曜日』というのがあったが、月曜日はどうもいけない。何かこうエンジンがかからないというか…。

元々は「宿酔」という意味らしいが、昨日は缶ビール1本に留めたのでそれも当たらない。さあ、そろそろ気合を入れて - 。

日曜日は、社長を九十九ホテルに送り届けた後、ワールドシリーズ第3戦の模様をテレビで観ていた。

コロラド・ロッキーズの本拠地である「クアーズ・フィールド」はよほど寒いのであろう。ベンチの選手はフードを被り、松坂(ボストン・レッドソックス)は投球の度に右手に息を吹きかけていた。

結果はレッドソックスが土付かずの3連勝で、「世界一」に王手をかけた。残り4試合、まだどうなるか判らないが、松坂の投打にわたる活躍は「お見事!!」の一言。

時代背景も舞台も大きく異なるが、島原でキャンプを張っていた西鉄ライオンズ黄金時代の「鉄腕!!稲尾」の勇姿をほうふつとした人も多いだろう。

それはそれとして、コロラドの州都が「デンバー」だということを、このシリーズが始まってから初めて知った。個人的にはとても懐かしい響きだ。

拙者が学んだ中学の英語教科書の発行元は「クラウン」だった。その初めの頃に出てくるのである、「デンバー」という地名が。

主役は男の子がトムで、女の子役がスージー。彼らは「デンバーに住んでいる」という設定だった。

これまで「デンバー」がどこにあるのか知る由もなかったが、別段不自由もしなかった。しかし、折角の機会だから、と思って調べてみたら、広大な北アメリカ大陸のほぼ中央部に位置していた。

解説者の長谷川滋利さんが番組の中で「コロラドだけは行きたくない、と思っている選手が多い」と言っていたが、松井稼頭央はそれをやってのけた。

判官びいきかもかもしれないが、せめてロッキーズに1勝くらいはしてほしい。いや、できれば西鉄のように〃奇跡〃を起してくれないだろうか。

一方で、日本シリーズも始まった。2試合を終えて1勝1敗。こちらも予断を許さない状況だが、ダルビッシュの〃快刀乱麻〃ぶりを目の当たりにして、「こいつもいずれ大リーグ入りか」との想いもよぎる。

話は飛ぶが、アメリカで49番目の州となったアラスカは昭和34年、格安でソ連から譲渡されたものだが、拙者も一度だけ州都アンカレッジに数日間、滞在したことがある。

その時は末期がん患者が収容されている「ホスピス」に泊まった。それから約5年後に島原に移って、松岡伯菁先生から改めてその名前を聞いた。

ひょっとしてこの話、以前書いたかも…。昨夜飲んだ「クアーズ」(缶ビール)がまだ残っているのだろうか…。今日はやっぱりブルーマンデーだ。


2007/10/28

北尾社長はスゴイ人 - 定期購読3誌が同時特集 -

厳密に言うと、定期購読している雑誌は『アエラ』、『プレジデント』、『致知』の3誌である。

『アエラ』の購読歴は、20年近く前の「0号」(創刊号)以来続いている。一番のお気に入りコーナーは気鋭のライターが綴る「現代の肖像」だ。

日経新聞の「私の履歴書」も面白いが、雰囲気的には、功なり名を遂げた大人物の〃回顧録〃のようなもので、ロース好きの拙者にとっては些か〃脂身〃が足りない。

その点、「現代の肖像」は、様々な分野で〃同時代を生きる人間〃をビビッドな感覚で取り上げているので、より親しみをもって読むことができる。

前置きが長くなってしまったが、冒頭の定期購読3誌が、期せずして同一人物を最新号で取り上げているので、驚いた。

SBI ホールディングス CEO の北尾吉孝氏がその人。一般にはまだなじみの薄い名前だと思うが、「ライブドア騒動」の最中にホワイトナイト(白馬の騎士)として登場し、同社の堀江社長を叱り飛ばした、あの強面の人物だ。

昭和26年、兵庫県西宮市生まれ。56歳。慶応大学経済学部を経て、野村證券入り。両田淵社長(節也、義久)の薫陶を得て英ケンブリッジ大学(修士課程)で学んだ。

その後も国際畑を中心に、期待通りに〃出世の階段〃を昇っていくのだが、転機が訪れたのは平成7年。ベンチャー企業、ソフトバンクの孫正義社長(50)に引き抜かれた。

『プレジデント』(11月12日号)では、孫社長との会談が組まれているが、そこでは二人の出会いの妙味とともに、『論語』を始めとした人生の指南書について語り合っている。

「徳ある者は必ず言あり」(論語)、「戦わずして勝つ」(孫子の兵法)、「動機善なりや、私心なかりしか」(稲盛和夫)、「利の元は義」(菜根譚)、「天網恢恢疎にして漏らさず」(老子) - 。

巷では「ミートホープ」、「赤福」、そして「比内鶏」と、何とも後味の悪い〃猪口才な悪事〃が次々と暴き出されている。同誌を読んで、改めて人間としての「生き方の原点」を突き付けられたような思いだ。

『アエラ』(10月29日号)では、さらに踏み込んで北尾氏のルーツを紹介している。先祖は「書肆」(しょし)と呼ばれた、江戸時代・上方の「本屋」兼「紙問屋」。

明治に入ってからは、大阪から始まった朝日新聞社(明治12年創刊)の基幹売捌店(販売代理店)として、大きな商いをしていた、という。

紙幅が足りなくなったが、北尾氏が立派なのは、6歳も年下である孫社長の力量を瞬時に見抜いたことと、亡き父から受け継いだ社会奉仕の精神。

私財5億円を投じた、虐待児童を養護する社会福祉法人の施設が、埼玉県比企郡嵐山町に間もなく完成する、という。


2007/10/27

今日から「読書週間」 - 携帯電話が招く経済不況!? -

正味なところ「ネタ詰まり」である。昨日も今日も長崎市内への日帰り出張で、会社にたどり着いたのが午後の3時過ぎ。

「えーい、サボってしまえ」と、悪魔が耳元でささやくが、メールを開いてみたら、「出張の際は書き溜め分を用意すべし」との激励の便り。

居ずまいを正して机に向かうが、何にも浮かんでこない。タバコばかりがやけに進む。と、傍らの本棚に目をやると、ありました、ありました「タネ本」てやつが!!

てな訳で、本日は『年中行事記念日事典』(学研)の手助けを受けることに。例えて言うなら、おかずがないので、「カップ麺」にお湯を注ぎ込んでいるような状態だろう。

同本によると、今日27日から来月の9日にかけては「読書週間」。戦前からあった運動だが、戦争で一時中断。昭和22年に復活を遂げた、という。

それにしても最近の若者は「本」を読まなくなった。新聞、雑誌等も含めた「活字文化」全体の衰退が叫ばれて久しいが、本当に寂しい限りだ。

以前は、上京して電車に乗ると、ほとんど例外なく乗客は新聞なり、文庫本なりを読み耽っていた。その様子を眺めながら、「さすがに都会人は良く勉強するんだなあー」と感心していたものだ。

ところが、最近は皆無言で携帯電話と向き合いメールを叩いている。「何がそんなに面白いのだろうか」と不思議に思うが、表情は真剣そのものだ。

私見だが、今日の経済不況は携帯電話が招いたものだと思っている。携帯が登場したせいで、まず入学時(合格祝い)の腕時計が売れなくなった。万年筆も同じだろう。

最近では「携帯小説」という新手の「文学」まで登場して、さらには「映画化」までされるというから、まったくもって驚きだ。

被害を受けているのは時計店や文房具屋ばかりでない。メール等の通話料がかさんで、本来であればもっと売れるはずの他の商品が売れなくなっている。

広告収入で潤っている一部業種を除いて、日本全体が「携帯不況」の有様だ。便利なことはこの上ないが、商売人にとっては「『手痛い』電話、(消費)『停滞』電話」だ。

しかし、生まれてきたものは、どうしようもない。上手く活用するしか方法がないのだ。山本夏彦翁に言わせると、「原子力」もしかり、だ。

イカン、イカン、話がまた飛んでしまったが、秋の夜の楽しみは何と言っても「読書」に限る。薄手の寝具をまとってページを捲りながらフムフム…。

窓を開け、一服しながら眺める「月」の風情も最高だ。読み疲れたら、熱めのお茶かコーヒーを一杯。何とも経済的な庶民の楽しみではないか。

さあ、今晩は久しぶりの我が家だ。携帯のスイッチは切っておこう。


2007/10/26

割箸1年で家4万軒!! - 中村泰士さん環境活動にも -

まさか、この方から「マイ箸」の話を伺うとは思ってもみなかった。島原法人会(宅島壽雄会長)が招いた作曲家、中村泰士さんの講演での発言だ。

中村さんと言えば、「北酒場」(細川たかし)&「喝采」(ちあきなおみ)で2度も日本レコード大賞に輝いた、斯界の大御所。

だが、関西人(奈良在住)特有の気さくな人柄で、聴衆の笑いを誘いつつ、事の要諦を語ってくれた。

切り出しはこうだった - 。「皆さん、最近の若者向けの曲、唄えますか?」。会場は一瞬シーンと静まりかえり、顔を見合すオジサンやオバサン。

自慢ではないが、拙者もまったくと言って良い程ダメ。大体、早すぎるテンポと、字余りソングがどうにも気に入らない。

中村さんによると、昔の流行歌のテンポは2ビートないし4ビート。それが8ビート、16ビート、さらには32ビートと急速にスピードアップしている、という。

一方で、CDが売れない時代に突入。大手広告代理店とのタイアップで、一部若者層に的を絞ったメガトン級の超ヒット曲は生まれるが、歌謡界全体は「不況業種だ」と嘆く。

言い換えるなら、「大人の音楽がなくなってしまった」と - 。では「『大人』とは一体何ぞや?」。中村さんは「大」の字を「器」に置き換えて説明した。

「器」の字にある四つの「口」は、それぞれの人が持つ「荷物」のこと。つまりは「自分史だ」と。それらを全て取り除いた存在が「大人なのだ」と。

拙者は「なるほど!!」とヒザを叩いた。そう言えば「癌」という字も、病ダレの中身を見れば、「山のように品を抱えている」構造だ。何に限らず、物事はシンプルが一番なのだ。

中村さんは来年、作曲家人生40年目。長い間、曲作りから遠ざかっていたが、「そろそろ復帰するか」と思い立って手掛けた新曲が半年ほど前にほぼ出来上がった、という。

大人の居場所をじっくり感じさせるような仕上がりが狙いだ、と。曲名は『俺は』。来年の2月にリリースするそうだ。

どうも中村さんにとってのキーワードは「大人」ということらしい。その考えにのっとって現在、奈良で取り組んでいるのが「キュートナー」活動。

中村さんの造語で、「キュート」とは英語の形容詞で「可愛い」という意味。「ナー」は「大人」を引っかけている。

冒頭の「マイ箸」運動もその一環。日本で一年間に使われる割箸の材料(消費量)はナント家屋4万軒分だとか。

中村さんは本来の音楽ジャンルで「大人の楽しみ方」を追求するとともに、来月からはBS放送で対談番組も始める。タイトル名は『E仲間』(毎日曜日午後5時 - 5時55分)。

北極圏の氷を調査した、海洋ジャーナリストの永田雅一さんが初回のゲストとして登場する。


2007/10/24

犯人は背高泡立草!! - 日本の秋の原風景を壊す -

セイタカアワダチソウの繁殖が目に余る。県外のことは良く分からないが、県内至る所で黄色い花を咲かせて、季節は秋だというのに「我が世の春」を謳歌しているようだ。

漢字で書くと、「背高泡立草」。北米原産の帰化植物で、きく科の多年草。長い地下茎を持ち、晩秋のこの季節に、黄色い花を咲かせる。

旅行会社に勤務していた時代、貸切バスで関西方面の高速道路を走っている際に、ガイドさんが良く言っていた - 。

「路辺に咲くこの花はアメリカから輸入された『米松』がもたらしたものです。喘息等の原因ともなりますから、余り有難い花ではありません」。

喘息等の原因になっているかどうかは知らないが、少なくとも拙者をいま悩ましている「鼻炎」とは、少なからぬ因縁があるに違いない。この花を見かけるようになってから、どうにも鼻の具合が悪い。

とにかく散策に出かけてみると良く分かる。空き地と言わず、休耕田と言わず、あらゆるスペースに我が物顔で跋扈しているから。遠目から眺めると、まるで早春の「菜の花畑」のようだ。

島原市内で象徴的なのは県道・愛野島原線と交差する「まゆやまロード」の入口付近。コンクリート擁壁の天蓋部分を占拠し、あたかも要塞のような雰囲気をたたえている。

少なくとも昨年までは、これ程まで酷くはなかった。地元自治体も薄々気付いているに違いないが、今のところ対策に乗り出す気配は感じられない。

先月、コミュニティFMの視察に新潟県に出向いて行った話を本稿で書いたが、全国屈指の「米所」でも休耕田が目に付いた。食糧自給率わずか40%だというのに、一体この矛盾した農政は何?

稲刈りを終えた田んぼと柿の木の赤い実が、日本の秋の「原風景」だったはず。子どもの頃から、バスや鉄道のローカル線に揺られながら、その牧歌的な風景を眺めるのが大好きだったのに…。

時代が変わった、と言えばそれまでだが、年齢とともに、段々と日本が日本でなくなってしまっているという「切迫感」を抱くようにもなってきた。

セイタカアワダチソウはその名の通り、背が高い。地上高で2mはあるだろう。北米原産というので、まるでアメリカ人のようにも見える。

さて、日本の外交の主軸が自民、民主ともに「対米」関係に置かれているのは偽らざる現実だ。戦争に負けてしまったとはいえ、何も日本古来の「原風景」まで譲り渡す必要はない、と思う。

風に揺れる黄色い花を見る度に、拙者には「北米原産→日本占拠」という図式が頭から離れない。誰かそれに代わる「日本の秋の花」を探してくれないだろうか。

[※明日は出張で休みます]


2007/10/23

見過せない食育崩壊!! - 大器ではないが晩成型の総理 -

21日付の『天声人語』の書き出しには、つい声を出して笑ってしまった。肥満を気にする筆者が自虐的に「揺れる胸」の存在を語っているくだりだ。

〈腹や尻が負けじと波打ち、全身の脂肪がぷるぷるしている〉。これは肥っている人間にしか理解できない〃実感〃だろう。

もちろん健康管理面から言ったら、「笑っている場合でない」ことは重々承知しているが、それでも「そうだ!!」と思わず拍手をしてしまう自分がいた。

一つ年上の高校の先輩に〃三浪〃した猛者がいた。学生時代のある時、福岡市内にある大学に訪ねて行ったら、「久々に体育の授業を受けたけど、腹回りが筋肉痛で…」といって嘆いておられた。

余談だが、その先輩の現在の勤務先は『天声人語』ではない全国紙の一つだ。そう言えば、もう随分とご無沙汰続きである。

前回、予定を書いたように、先週末は東京で過ごした。冒頭の『天声人語』はホテルの朝食会場で読んだのだが、韓国人と思しき隣席の若い女性の食べ方がやけに気に障った。

おかゆにはスプーンを突っ込んだままで、トーストは真ん中だけを齧り、耳の部分はトレイの端に山積み状態。果物の食べかすもそこかしこ。もう見ているだけでウンザリした。

我が家の子育てに関しては、一つだけ口やかましく言い続けていることがある。それは「外食」の際の心得だ。

「ウエイターやウエイトレスの人たちが、後から片付けやすいように、同じ食器類はまとめておけ」といった至極単純なもの。

仕事にかまけて「外食」の機会そのものが少ないのだが、おかげさまでこの点だけは3人の愚息とも実践できているようだ。

先日ラジオで言っていた。政府の「食育」に関する調査によると、「いただきます」や「ごちそうさま」をきちんと言える日本の子どもの比率が50%を切った、とか。

嗚呼、何とも嘆かわしい状況ではないか。これでは「国際性」も「個性の尊重」も何もあったものじゃない。

一体どうなっているんだ日本は(韓国も)などと憤然と席を立って母校の創立125周年記念式典に臨んだら、特別来賓で総理や文科大臣がひな壇に並んでおられた。

国会答弁では〃防戦一方〃の総理だが、この日は同門に囲まれているせいかいたってご機嫌な様子で、「(私は)大器ではないが、晩成ですかね…」などと述べ会場を沸かせた。

これまた余談だが、我が長男は総理の〃天敵〃とも言える田中真紀子邸(目白)のすぐ近くの学生寮で暮らしている。

いっそのこと同門のよしみで、真紀子さんも式典に出席すれば良かったのに…。誰かまたスカートを踏みつけたか!?


2007/10/22

トホホ…身体年齢62歳 - いつまでもデブと思うなよ!! -

光陰矢のごとし - 。きょう10月21日は長男の20回目の誕生日であるとともに、母校の創立125周年記念日だ。

20年前も同じように飲んだくれていた。初産のためか「予定日」より遅れ遅れだったため、つい気が緩んで飲みに出かけたその晩に長男は生まれた。テレビでは、中曽根裁定で竹下政権が誕生したことを報じていた。

昭和62年。数年後に雲仙・普賢岳が噴火するなど思ってもみなかった。まあ平和と言えば、平和な時代だった。

拙者、当時32歳。痩せてはなかったが、決して肥満でもなかった。それが〃歳月の重み〃か、今や体重は20キロ超え。立派なメタボ症候群の一角を占めるに至っている。

先日、52歳の誕生日を祝って、フィギュアスケートの浅田真央ちゃんがCMに出ているオムロン社製の体重計をいただいた。

身長、体重などのデータを入力して、最後は目線の高さまで足元のバー(横木)を引き上げることで体脂肪率などが確認できるスグレモノだ。

それによると、拙者の身体年齢はナント10歳も上の62歳。もはや還暦を過ぎ、年金受給のタイミングを推量る〃お年頃〃なのだ。残念ながら…。

今のところ、これと言って〃自覚症状〃はないが、時々腰の痛みに伴って左脚が痺れる。ひょっとして何かの前兆だろうか…。

いやいや心配してもションナカと観念して、ひたすら煙草をふかし、焼酎をあおる。おかげで歯の裏は真っ黒。家人や次男、三男からは「加齢臭がする。アッチ行け」などと敬遠される始末。

昔はある程度〃客観性〃をもって聴けた「小沢昭一的こころ」(ラジオ)が、この頃はやけに身につまされる。そう、お父さんは寂しいんだ…。

だが、大正生まれの我が父や森本元成さん(元会頭)などの凛とした姿を見ていると、いかに自分に甘い生き方をしているのかが良く分かる。

日本地図の伊能忠敬も、マクドナルドの創業者レイ・クロックも、50歳を過ぎてから大きな仕事を成し遂げた。老け込むには、まだまだ早すぎる。

手元に、先日買い求めた新書(新潮社刊)がある。今やベストセラーとなっている、岡田斗司夫氏の『いつまでもデブと思うなよ』というショッキングなタイトルの本だ。

週末は東京だ。一部仕事もあるが、長男の誕生祝いもしてあげたい。もちろん、この本は必ず読破してくる。

東の空もそろそろ白んできた。灰皿も吸殻で満杯だ。東国原知事ではないが、このままではいけない、何とかせんば!!

週明けには心身ともにスッキリした気分で、再び登場したい。皆様、どうぞ良きご週末を!!


2007/10/20

ヒットの鍵は意外性!! - 300年の暖簾にドロを塗る -

近くのコンビニを訪ね、朝一番に「サッポロ一番」のオニギリを見かけて吃驚した。味はラーメンと同じく「みそ」「しょうゆ」「しお」の3種類。

3ついっぺんに買おうかとも思ったが、メタボのことを考えて「しお」に留めた。サフラン色のコメのベースに、小ぶりのエビが2匹。

貪るように食してみると、これが意外にも美味かったので、2度驚いた。次は「みそ」「しょうゆ」にも挑戦してみたい。

最近では、永谷園が「マツタケのお吸い物」(粉末インスタント)を、パスタの味付け用として売り出すなど、各社とも〃意外性〃を狙った二次利用に熱心なようだ。

小涌園社長の足立進一さんに勧められて、福島県・大内宿の「ネギ蕎麦」のことをネットで調べていたら、同地に講演に訪れたタレントの伊那かっぺいさんがこう力説していた。「ヒットのキーワードは意外性(裏切り)ですよ」と。

また、いつだったか忘れたが、お笑い芸人の誰かが売れなかった頃を思い出して、「日清のどん兵衛のスープでオジヤを作ると美味い」としみじみ。これも恐らくその類いだろう。

実は、島原法人会会長、宅島寿雄さん(宅島建設社長)の紹介で、「サッポロ一番」(サンヨー食品)が全国展開するきっかけを作った、博報堂シニアディレクター、萩原高さんのお話を伺ったことがある。

萩原さんのことについては、いずれ稿を改めて取りまとめたいと思っているが、「スーパードライ」をはじめ「神の河」「フロムA」「ポッカレモン」…など手掛けたヒット商品は数知れないほどだ。

余談だが、萩原さんは船旅(外国航路)が大好きで、島原市新建の元学校長、阿部洋二郎さん夫妻とも親しいということだった。

ところで、今朝(19日)のニュースを見ると、「赤福」のさらなる悪事(偽装表示)がまたバレタ、と報じていた。

これには、監督官庁の農水省も三重県もさすがに激怒。同社を「無期限の営業停止処分」にするなど厳しい対応で臨むようだが、包装紙右肩に刷られている「ほまれ」の3文字が何とも虚しい。

余計なお世話だが、これから「赤福」はどうなるのだろうか。創業三百年の暖簾にアンコならぬドロを塗った現当主は本当に反省しているのだろうか?

今回の事件は、一言でいって「身の丈」を忘れた経営戦略が仇となった形だ。全国展開するからには、きちっとした「企業理念」のもと、もっともっと「検証」を重ねておかねば!!

こういう事件が起きる度に、いつもながら思う。「ひょっとして、これは氷山の一角ではないか…」と。

私の知る限りでも、「事件」をひた隠しにして社会的制裁も受けず、のうのうとしている企業が現存する。今日は「どこだ!!」とは言わない。


2007/10/19

笑顔は〃万国共通語〃 - 市長とともに晴れの舞台に -

 アジアで初の「火山都市国際会議」がいよいよ後ちょうど1月に迫った。秒読み段階に入った、と言っても良いだろう。

 2世紀ぶりの歴史的な噴火活動がもたらした「災害」の記憶が年とともに薄れる中での開催。それ自体、大変に意義深く、是が非でも成功裡に幕を引いてほしいものだ。

 学術部門は先生方にお任せするとして、我々市井の人間にとっては、まとまった数の外国の人々が一堂に会する「未知の体験」が待ち受けている。

 そこで「力を発揮してほしい」と期待されているのが通訳ボランティアの存在だ。主に「英語」ということになろうが、老婆心ながら「論語読みの論語知らず」という事態に陥られぬように…。

 大切なのは「おもてなしの心」であり、それはたとえ外国語が流暢に喋れなくても、相手方には十分に伝わるものだ。

 そのためには、まず微笑むこと。グッドモーニングでも、ハローでも、サンキューでも何でもよい。にっこり笑って相手の目を見て話すこと。笑顔は何にも勝る「万国共通語」だ。

 とかく日本人は恥ずかしがり屋さんが多いが、臆することは何もない。相手は同じ「地球人」だし、それぞれ国や学術機関を代表してやって来る選りすぐりの人々だ。

 誰も経済情勢や日米関係、イラク政策などといった小難しい質問はしてこないはずだ。せいぜい聞かれても「道案内」くらいだと考えて良い。

 分からなかったら、分かる人間を探せば良い。周囲に喋れる人間がいなかったら、自分が相手の希望する「場所」まで連れて行けば済む話だ。

 そんな事より、あの未曾有の長期大規模災害から立ち直った「島原人の逞しさ」「行政機構の素晴らしさ」「(災害当時)物心両面で支えてくれた日本全国民の優しさ」等々を熱く語ってほしい。

 何なら、前もってボランティアの力を借りて、〃英作文〃してもらっていても構わないのではないか。反省点も含めて、批判があるようなら、それもそれなりに…。

 視点を変えるなら、この会議は4期にわたって災害対応から復旧→復興→その後の街づくりへと取り組んできた吉岡庭二郎市政の「集大成」だ。

 記憶に新しい中越沖地震(新潟県)から3カ月余。火山列島ニッポンはいつどこで災害があってもおかしくない〃現実〃に常に晒されている。

 さらには台風、地球温暖化に伴う季節外れの集中豪雨など、予期せぬ事態が「人々の心の隙」を虎視眈々と狙っている。

 最近はいずれの自治体でも「安心」と「安全」がキーワードだ。弊社のコミュニティFMラジオ、無線LANのシステムも間もなく完成する。

 出来れば、吉岡市長とともに「晴れの舞台」に立てればと願っている。


2007/10/18

身捨つるほどの故郷!? - 言葉は時に〃凶器〃ともなる -

 10月17日。曇天の前日とは打って変わって抜けるような秋の青空が広がっている。朝日を浴びた眉山を見ると、所々だが紅葉の存在が確認できる。恐らくハゼの木だろう。

 一度本欄でも紹介したことがあるが、前島原郵便局長の小谷学さんの提案にこういうのがあった - 「眉山にハゼを植林して『絵文字』のように浮かび上がらせてはどうか。海上や市街地からの眺めは素晴らしいと想うよ」。

 小谷さんはこの夏、転勤で佐賀県の武雄市に移っていった。治山事業を統括している林野庁や県、市などとも協議を進めていきたい、と考えていた矢先だっただけに残念だ。

 恐らく、官公庁の既成概念が阻んで、その「ハードル」は想像以上に高いことだろう。が、諦めているわけではない。今では「点」にしか見えないその「赤」が、「種火」のようにも感じられるからだ。小谷さん、貴重な「遺言」(!?)を有難う。

 と、そんなことを考えながら同日付の『天声人語』を読んでいたら、寺山修司さんのかの有名な言葉が引いてあった - 「マッチ擦るつかのま/海に霧ふかし/身捨つるほどの祖国はありや」。

 拙者は詩人でも文学者でもないから、作品の評価は分からない。ただ、視覚的なイメージが浪漫のベールに包まれて、具体的に浮かんでくるところが凄い、と単純に思う。

 ところで「マッチ」と言えば、宮崎康平さんは大の愛煙家であったが、ライターで火を点けてもらうことを極端に嫌った。

 銘柄はいつも両切りの「缶入りピース」と決まっていた。元島原市企画課長の副島義一さんなんかは心得たもので、何か相談事がある度に、必ずそれを持参していた、という。

 いささか脱線するが、先日、鬼木和夫・親和銀行新頭取の就任披露パーティが諫早市のグランドパレスで開かれたが、時間待ちのあいだ「タバコ初体験」の話になった。

 同席していたのは山本蔦五郎(山本屋)、萩原昭夫(萩原ミート)、大場茂生(九十九ホテル)の四氏。萩原、大場の両氏は生来のノンスモーカーだったが、山本さんの初体験はナント小学時代。

 先輩から〃恋文〃を届けるようにとの命を受け、無事その任務を遂行した褒美に一箱を頂戴した、という。もっとも、味の方は「全然だった」ということで、それ以来「ヤニの世界」とは無煙(?)だとうそぶいておられた。

 閑話休題。天声人語子は前日に判決が下った「言葉による職場でのイジメ」(パワーハラスメント)の問題を、寺山さんの言葉を借りながら論じていた。

 そう、言葉は時に人を殺す「凶器」ともなり、また時には人を助ける「救命具」とも成り得る。

 唐突だが、「マッチ擦るつかのま/眉山に木々赤し/身捨つるほどの故郷はある」と拙者は思う。


2007/10/17

タレント商売の難しさ - 泉谷さんは〃まんま〃の魅力 -

 タレントの武田鉄矢さんが、島原市出身のテレビキャスター草野仁さんとともに島原入りしていた、と何日か前の島原新聞に掲載されていた。

 ところが、この武田さんの現地での評判が〃いまいち〃なので驚いている。と言うより、大好きなタレントの一人なので残念だ。誤解であってほしい。

 武田さんのイメージは何と言っても『3年B組金八先生』で見せる〃熱血教師〃役。が、それは本人にとっては〃迷惑な話〃なのかも知れない。

 武田さんに限らず、タレントの多くは内心、そうしたファンサイドの一方的な〃思い込み〃と戦っているのだろうか。政治家も同様だろうが、人気商売ゆえの切なさか?

 そう言えば、『フーテンの寅さん』シリーズで島原ロケにやって来た、渥美清さん(故人)の評判も決して良くはなかった。その点でいくと、泉谷しげるさんは〃まんま〃の人だった。島原城カウントダウンのステージ上で散々悪態をつきながらも、客席はかえってそれを喜んだ。

 拙者もその後の打ち上げ会に出席したことがあるが、終始その態度は不変。タイラガネをむしりながら「何だバカ野郎、美味いじゃないかこの野郎!!」を連発していた。

 繰り返しになるが、タレントは人気商売。人物そのものが〃商品〃である。但し、これには賞味期限も何も記されていない。長くもてるモノもあれば、すぐに飽きられるモノもある。

 田舎ではテレビや映画のロケくらいしかそうした著名人に出会うチャンスはないが、都会では割と日常茶飯事だ。

 学生時代、高校の1年後輩のT(口之津出身)がある時、渋谷で萩本欽一さんを見かけ小躍りして「キンちゃーん」と近付いていった。ところが、全くの無視。怒りの余り浴びせかけた言葉が「ウンがベーたい」。まあ、敢えて解説は要るまい。

 Tは卒業後、ハナエモリ事務所(原宿)に就職したと聞いたが、後の消息は知らない。元気にしているのだろうか?

 さて、その森英恵さんが先日、長崎新聞社で講演されていたが、実は拙者も一度だけパリのシャルル・ド・ゴール空港の待合室でご一緒したことがある。とても品が良くて、大柄な女性だった。

 我が長男が初めて見た芸能人はぐっと渋くて、加賀まりこさん。小学生の頃、東京に住んでいた叔母のもとを訪ねて、八景島シーパラダイスで見かけた、という。

 はて、拙者の有名人体験はどうか?色々と記憶の糸を手繰ってみたが、なかなか思い浮かばない…。

 いやいやあったぞ!!昭和天皇様だ。昭和36年、小浜観光ホテル前と雲仙西登山口で小旗を振って歓迎したではないか。

 残念ながら、同天皇はすでにお隠れになり、同ホテルも今年11月いっぱいで廃業する、という。


2007/10/16

島原を高みから眺める - 昔は美人だった元ミス二人 -

 土日も慌しかった。FM電波発射用の屋上アンテナの設置のため、百トンの大型クレーン車が佐賀からやって来て、作業を終えていった。

 一口で「百トン」と言うが、さすがに実物を目の前にすると異様にデカかった。NTTビルの地上高は屋上フロアまで約20メートルあるのだが、実際の作業現場(鉄塔部分)はさらにその上30メートル。

 そうした状況下で、一つひとつの作業を着実にこなしていく様は、まさに〃プロの技〃。ほとほと感心した。

 一年ほど前に頂上まで昇ったことがある。誰にも気付かれないよう、夜明けともに敢行した。もともと〃高所恐怖症〃のきらいがあるので余り進まなかったが、昇ってみると〃眺め〃が素晴らしかった。

 海に向かっての島原の市街地はもちろんのこと、宇土山越しに有明町特有のなだらかな地形が手に取るようにわかった。

 踵を返して南を見ると、「復興アリーナ」「災害記念館」といった建造群の向こうに水無川が流れ、遠く布津町の「金比羅鼻」も確認できた。

 ことし生誕百年を迎えた民俗学者の宮本常一(明治40 - 昭和56)が父から教わった十カ条の教えに「初めて訪れた土地は、まず高い所から見よ」とのくだりがある。

 恐らく「俯瞰的な物の見方」の大切さを諭したものだと想うが、敢えて挑んだ「高みの見物」は恐怖心以上の「成果」をもたらしてくれたような気もする。

 ところで、1年ほど前から取り組んでいる企画に、昔の「8ミリフィルム」を再生するコーナーがある。おかげさまで、担当者の頑張りもあって次第に人気も出てきているようだ。

 同企画で、12日晩から13日にかけて放送されたのは、昭和51年当時の「島原温泉まつり」の貴重な映像だった。

 すぐに目についたのは、前年度ミス島原として登場した旧姓・山崎有美子さん(当時21歳)。そう、「伊勢屋旅館」女将の草野有美子さんの若かりし姿だ。

 その草野さんからティアラを受け継いだのが、弁天町「網元」の水田一美さん(当時21歳)。確か、親和銀行島原支店に勤務していたはずだ。

 時々雨が降るようなその映像を見ながら、「そうか、今では二人とも少々くたびれてはいるが、昔は美人だったんだ…」と素直に感心した次第。

 何を隠そうこの二人、拙者とは昭和30年生まれの同級生なのだ。勿論、その当時「接点」なんて何もない。ところが、何のご縁か、最近ではこのお二方に「酒席」の場でお世話になる機会が多い。

 その度に、この元ミス二人は拙者の腹回りを指して「メタボ野郎!!」と良く嗤う。傷つきもするが、心の中では「クソババアーが…」と秘かにほくそ笑んでもいるのも事実だ。


2007/10/14

「赤福」の赤は嘘の赤!! - えっ、ウィダーインゼリー2個? -

 一つの不祥事をきっかけに、雪印は長年培ってきた信用を炎天下の氷のように溶かしてしまい、北極地点の氷解に象徴される「地球温暖化の危機」を訴えた米民主党の元副大統領、アール・ゴア氏のノーベル平和賞受賞が決まった。

 一方、伊勢名物の「赤福」。こちらは製造年月日(同社では「謹製」という)を急速冷凍処理によって誤魔化していたことがバレ、社長が謝罪会見。伝統の味は「真っ赤な嘘」だった。

 また、今年行われた都知事選、参院選に連続して立候補した、世界的な建築家の黒川紀章さん(73)が12日午前、心不全のため亡くなった。

 同日、警視庁捜査一課はガス器具大手のパロマ工業(本社・名古屋市)を業務上過失致死傷容疑で、元社長らを書類送検…。

 13日付の各紙は一面、社会面、経済面ともににぎやかだ。もっとも、そうしたニュースは前日夜のテレビですでに知っていたことだが、活字で読むと事件の背景がより鮮明に浮かび上がってくる。

 兼好法師は「心にうつりゆくよしなし事」との表現で様々な社会事象を活写しているが、今ではテレビや新聞、インターネットが居ながらにしてそのあらましを伝えてくれる。もちろん弊害もあるが、便利と言えば便利な世の中だ。

 赤福は伊勢神宮のお膝元で造られている。「日本における旅の原点は、お伊勢参りである」と、何かの本で読んだことがある。

 拙者も幾度となく伊勢神宮を参拝したことがあるが、赤福の人気は当時から群を抜いていた。内宮(ないくう)、外宮(げくう)をお参りし、ミキモト、水族館などを回って鳥羽に一泊 - というのが通常の旅程だった。当然「土産は赤福」と決まっていた。

 ところが、いつ頃からだろうか、大阪・伊丹空港でも赤福が買えるようになっていた。昭和50 - 60年代当時の感覚で言うと、伊丹の主役は「ヒロタのシュークリーム」だったはずだが…。

 恐らく、同社の積極的な営業戦略が実を結んだものだろう。でも、何かしら「違和感」もあった。この点は、いかに技術革新や運送形態が進んだとはいえ、やはり「具雑煮は島原で食べるのが一番美味い!!」というのと同じ感覚だ。

 テレビ報道によれば、偽装が始まったのは昭和48年頃から。今では出荷総量の18%に当たる600万個が「冷凍商品」だという。まあ、アキレもしたが、その人気の高さにはビックリもした。

 一方、黒川人気にも驚いた。各紙とも大きな見出しが付いての破格の取り扱いだ。選挙に出てからは、どちらかと言うと「お笑い系」のイメージが付きまとっていたが、やっぱり凄い人だったんだ。

 それにしても、一日の食事が「ウィダーインゼリー2個だけ」(トリビアの泉)というのは、本当の話だったのだろうか?


2007/10/11

「落差」が発する面白み - 恵まれた自然環境を活かせ!! -

 「このセザンヌの絵のタイトルは何と申しますの?右隣のモネの作品も素晴らしいけど、アタクシ題名を忘れてしまいましたわ。オホホ…」。

 芸術の秋。派手な衣装をまとった〃貴婦人〃と称する女性が、とある美術館を訪れ、ひとしきり絵の鑑賞に耽っていた。

 「これってピカソよね。でも、なぜ動くの?」。鼻をつく香水の臭いに業を煮やした係員が「奥様、それはご自身が写られている鏡でございます」 - 。

 先般、ありえコレジヨホールで開かれた「永田力講演会」で〃笑い〃を誘った会場からの小話だ。質問者はこれを枕に「ピカソの作品(キュビスム)をどう思うか?」と畳みかけた。

 対する講師の答えは明々白々。「絵の評価は百人百様。その人、その人が、感じるままで良い。それがいかなる巨匠の作品であろうとも」 - 。

 永田力さんとは、ほぼ2年ぶりに会った。黒を基調にした相変わらずのダンディぶりで、眼鏡の奥の大きな瞳は、年齢を感じさせない〃少年の輝き〃を放っていた。

 講演時間は2時間強。話は多岐にわたり、とても本欄でまとめることは不可能なので、印象に残った点を幾つか - 。

   ※    ※   

 「絵に点数を付けること自体ナンセンス。そんなことを続けているから、日本の美術教育は発展しない。私はリセ・フランコ・ジャポネ時代、自由奔放に描かせることによって『絵の楽しさ』を教えてきた」。

 「『形象』はダメ。『形質』でなくては。セザンヌに限らず印象派の作品の多くは、日本の浮世絵の影響を受けている。また、日本画においては『遠近法』の手法は成り立たない。ヨーロッパと日本とでは土台『湿度』が違うのだから」。

 「『洋画家』という表現は間違い。それは、西洋の真似をしている画家という意味だ。日本人はえてして西洋に弱い。横文字のサインなど愚の骨頂だ。むしろ屏風絵に描かれている春夏秋冬の世界に、欧州人は憧れを抱いている」。

 「海、山、温泉、湧水…。こんなに自然環境に恵まれているのに、島原半島の人々はその『価値』にいまだに気付いていない。知り合いの旅行作家が晩年は15家族くらいで移住しようと考えていたが、海にゴミを投げ捨てる地元の主婦の姿を見て、同時にその考えを捨てた」。

 「これからは『心』(文化)と、『物』(経済)の『両輪』が常に一緒になって回転していかないと、発展は覚束ない。日本人であることを、もっと誇りに思って」。

   ※    ※   

 個人的な感想だが、永田さんの面白さは「落差」から来る。都会に住みながら田舎のことを想い、芸術家でありながら市井への感情を漏らす。以前から唱えている早崎海峡の潮流発電構想も干満の「落差」を利用したものだ。


2007/10/10

これからは「体の時代」 - 村田さんは古野電気の親戚 -

 著名人と初めて接する場合、予めその人の経歴を調べたり、著作を読んだりするのが普通だが、今回はまったくの「ぶっつけ本番」で臨んだ。

 「まさかり投法」で知られる、元ロッテオリオンズ(現千葉マリーンズ)の大エース、村田兆治さん(58)がその人だ。従って本人にお会いするまでは、出身校もプロでの通算勝ち星数(215勝)も知らなかった。

 村田さんは昭和24年、広島県三原市生まれ。高校はそれまでまったく無名だった福山電波工高(現近大付属福山)に進み、1年生で甲子園予選の決勝戦まで勝ち進む。

 だが、在学中に甲子園出場を果たすことは出来なかった。同校進学の理由がこの人らしい。「他にも広島商業や広陵など強い所はあったが、監督の人柄に憧れていたから」 - 。

 村田さんは「往年の名選手」という表現を嫌う。常に「第一線に立つ」ことを信条とし、還暦前の今でも毎日、腹筋&背筋各三百回、手の平の曲げ伸ばし一千回以上のトレーニングを欠かさない、という。

 市営球場に集まった人々も感じたと思うが、実物はとてもカッコイイ。長身で背筋がピーンと伸びて、まるで長崎の平和記念像のモデルのような雰囲気を漂わせている。

 どちらかと言うと、「求道者」のような「寡黙」なイメージが先立っていたが、実際は違った。相手の話に良く耳を傾け、そして自分の意見を率直に述べる実に「気さく」な人物だった。しかも、その内容が素晴らしい。

 「離島に限らず、地方へ行くと、どこも元気がなさそうに見える。だが、地方の活力こそが国の力だ。子どもは国の宝。私はこの先も、野球を通じて少年少女の健全育成に力を注いでいくつもりだ」。

 「キャッチボールは言い換えるなら、コミュニケーション。相手がキャッチしやすい所を目がけてボールを投げる。それは自分から相手へのメッセージでもある」。

 「筋肉痛?それは良いことだ。今は『心の時代』だと言われすぎ。もっと体のことを考えてほしい。これからは、むしろ『体の時代』だ。しいて言うなら『心と体の時代』だ」。

 村田さん自身、現役当時ヒジを壊し、著名なジョーブ博士(米国)のもとで手術を受けた日本人選手第1号。その折には精神的にも随分と追いつめられて、熊野の滝に打たれたこともあった、という。

 現代はスピリチュアルの世界が跳梁跋扈する怪しげな世相だが、村田さんの謦咳に触れて「目から鱗」。まさに、一流のアスリートが体を張って到達した「哲学」がそこにあった。

 最後に、これは酒席で伺った話だが、村田さんは南島原市出身の古野電気オーナーの親戚だということだ。また「大のソーメン好き」ともお見受けした。


2007/10/09

とにかく忙しすぎて!! - 執筆サボリの言い訳ダラダラ -

 先週末からこの週明けにかけては、各種イベントに、県外出張…にと、テンヤワンヤであった。

 皮切りは人間国宝を招いての「萬狂言」の公演(3日夜、島原文化会館)。実行委員の一人として「入り」を心配していたが、結果は超満員の大盛況。

 閉幕後に行われた、人間国宝を囲んでの「打ち上げ会」(グレート城見)も、和気あいあいの雰囲気で、やっと「肩の荷」がおりた感じだった。

 翌日は「ユネスコ認定国内第1号!!」を目指して東京へ飛んだ。雲仙岳災害記念館の河本館長が旗振り役となって取り組んでいるビッグプロジェクトだ。

 道に迷って少し遅れてしまったが、自己紹介だけは無事に済ませることができて良かった。

 会場の「GUPI本部」には、全国各地から行政機関の代表や特命を受けた大学教授などが駆けつけ、熱のこもった論戦。

 九州地区からも2カヵ所から参加があったが、前田終止・霧島市長の推薦を得て、島原市の吉岡庭二郎市長が協議会発起人の一人に選ばれたのは、ひとまず慶賀の至り。

 思うに、この「ジオパーク構想」こそ、島原半島三市が一体となって取り組むべき「ドリームプラン」である。

 北は千々石断層から始まり、金浜断層、津波見断層、布津断層、深江断層、秩父が浦海岸、九十九島まで「全島原半島」を網羅しているからだ。

 しかも、専門家に言わせると「コンパクトな形でまとまっている、極めて理想的な地形」というからには、「資質」の点では申し分ないはずだ。

 あとは、一にも二にも地元の熱意と努力次第。長崎県や関係研究機関を巻き込んでの、積極的なアプローチ&チャレンジを望むばかりだ。

 翌5日は、火山都市国際会議に先立って島原市で開催される「災害情報学会」(四谷)の事務局を訪ねた。

 局長の中村さんは昨年亡くなった廣井脩・東京大学教授の愛弟子で、元ニッポン放送勤務。「防災面に寄与すべくコミュニティFMの準備を進めています」と話したら、大いに喜んでくれた。

 同日深夜に帰宅。翌6日は、夕方から永田力さんの文化講演会(ありえコレジヨホール)。

 朝一で宿舎の小涌園を表敬訪問したら、島原市出身の明治学院大学名誉教授、大津栄一郎さんの著作『古事記』(3冊セット)を下さった。

 大津さんは島中→東京大学英文科卒で、芥川賞作家の小島信夫さんと同期生。帯にはサイン入りの推薦文が記されている。

 永田さんの講演には、大津さんの同級生でもある日向正路さん(元島原市建設課長)の尽力で多くの聴衆が集まり、こちらも大盛況。

 翌7日から9日までは、マサカリ投法の村田兆治さんに同行している。


2007/10/03

巨人優勝オメデトウ!! - 鬼木さんの実兄が「新頭取」 -

 2日、読売ジャイアンツ(巨人軍)が5年ぶりにリーグ優勝を決めた。何はともあれオメデトウ!!

 昭和30年代から40年代にかけては、「巨人・大鵬・卵焼き」が、「強い者」「人気があるモノ」の3点セットだった。

 だが、月日は残酷なもので、いつしか巨人は「常勝」でなくなり、大鵬は「一代年寄」の栄誉に輝きながらも、体調をくずして理事長への道を閉ざされた。

 その点でいくと、卵焼きの存在は、粘り強く、したたかだ。まあ、比べること自体がナンセンスではあるけど…。

 今はどうか知らないが、以前は読売新聞西部本社の親会社は巨人軍だった。王、長嶋というスター選手を抱え、キャンプ地の宮崎には、例年多くの新婚カップルが押し寄せていた。

 ところが、折からの「海外旅行ブーム」の到来とともに、巨人も宮崎も徐々にその「神通力」を失くしていった。奇しくも、その時期は「連覇」が途絶えた頃合いと合致する。

 平成に入って、「観光宮崎復活!!」の切り札として華々しく登場したのが、超大型リゾート施設「シーガイヤホテル」だった。

 しかし、その鳴り物入りの施設も、いつしか外国ファンドの手に落ち、隣接する大型プール「オーシャンドーム」が閉鎖されたのはつい先日のことだ。

 一方で、宮崎はここ数年、空前の「焼酎ブーム」で沸き上がっている。同業の宮崎ケーブル、BTV(都城ケーブル)の親会社は、名にしおう「雲海」と「霧島」だ。

 さらには「このまんまではいかん。何とかせんと…」と登場した東国原知事が各種メディアを通じて、トップセールスを展開。その「経済効果」には計り知れないものがある。

 ところで大鵬親方はどうしているのだろうか?てっきり、名前からしてモンゴル出身の白鵬は大鵬部屋(現大嶽部屋)所属だと思っていたら、正しくは宮城野部屋だった。

 インターネットで調べてみると、すでに相撲協会を引退し、現在は慈善事業に熱心で、日本赤十字社に「血液運搬車両」を毎年寄贈している、という。

 再び「巨人」の話に戻る。噴火災害当時、読売新聞の島原通信部長をしていた鬼木省三さん(現スポーツ報知)はその後、同社の花形ポストである「宮崎支局長」を務めていた。その鬼木さんの実兄が親和銀行の新頭取だ。

 いささか乱暴な言い回しだが、こうした一連の動きを見ていると、企業の盛衰、人生の浮沈ともに、「禍福はあざなえる縄の如し」という諺がピッタシと当てはまるから不思議だ。

 親和銀行も鬼木体制になって大きく様変わりすることだろう。個人的な思いを言えば、金融サイドの「企業論理」に凝り固まることなく、何卒「鬼手仏心」の精神でお願いしたい。

 ナニ甘い?なにぶん卵焼きも「甘め」が好きなものでして…。


2007/10/02

「背水の陣」を今こそ!! - 読み違いをしっかり反省して -

 小泉さんは「自民党をぶっ壊す!!」と気勢を挙げて登場。続く安倍さんは「戦後レジームからの脱却」を唱え、「美しい国ニッポン」を標榜したが、途中で挫折。

 そして、急きょリリーフに立った福田康夫第91代総理が目指すのは「信の国」。キャッチフレーズは「背水の陣内閣」だという。

 「背水の陣」とは、「もう後がないので必死の覚悟で事に当たる」ということ。もともとは中国・前漢時代の故事にちなむ言葉だ、という。

 国家(自民党?)そのものが「背水の陣」をしく危機的状況であるのに、地方が安穏としている場合ではない。そう「とっても大変な事態」なのだ!!

 とは言っても、なかなか住民一人ひとりにまでは、その思いが伝わらないのが現実である。しかし、「地域崩壊の波」は確実に押し寄せて来ている。

 前置きが長くなってしまったが、先週末、商工会議所3階大ホールで開かれた「中心市街地活性化」をテーマとした意見交換会(勉強会)に参加した。

 主催した会議所や市商観課の呼び掛けが実を結んだ形で、会場はほぼ満杯の出席者で埋まった。

 故・高橋三徳さんや森本元成さんらの主導のもと、直接被災者の皆さんと共に噴火災害からの復旧・復興を目指して激論を交わした同ホール。「思い出の地」でもある。

 「島原生き残りの会」→「島原生き残りと復興対策協議会」は決して誇張ではなく、文字通り「背水の陣」をしいていた。

 連日のように続く「火砕流」「土石流」の波状攻撃に、誰しもが「明日をも知れぬ不安」を如実に感じていたからだ。

 人的にも、物的にも多くの被害を受けたものの、噴火活動そのものは丸5年で終息。その後の復旧・復興へ向けて牽引力を発揮したのは、官民一体となって練り上げた一千億円の「災害対策基金」だった。

 翻って、現在。商店街は大型店の進出こそ阻んだものの、その後の動きはいたって「緩慢」なような気がする。

 「専門家」と称する人々の分析(診断・助言)で「病巣」の存在を嗅ぎ取ったとしても、具体的な行動が伴わなければ「症状」は進むばかりだ。

 司会者から感想を問われて、「もう20年以上も前から、同じような試みが続いているような気がします…」と、思わず答えてしまった。

 以前、商店街からの市に対する陳情は「何はともあれ駐車場を!!」といったものが主だった。ところが、今回の調査で判明したのは「徒歩で通って来る老人リピーターの多さ」だった。

 端的に言って「時流の読み違い」である。「コンパクトシティ」の心地よい響きに惑わされず、なりふり構わぬ「背水の陣」を今こそしくべきであろう。


2007/10/01

人生は「緩慢な自殺」 - 残虐事件の背景に幼児性の影 -

 1日付長崎新聞社会面の囲み記事によれば、「自作対策」の分野において、本県は佐賀県と並んで全国第4位だという(NPO法人、自殺対策支援センター「ライフリンク」調べ)。

 ちなみに、1位から3位までは、秋田、岩手、青森の東北3県が占め、年間自殺者数No.1(2,510人)の東京都は38位ということだ。

 長崎、佐賀両県が上位に食い込んでいる理由については、「精神科医と内科医とのネットワークづくりが進んでいるため」と分析している。

 この記事とは全く関係ないが、故・宮崎康平氏夫人の宮崎和子さんをモデルにした「東映映画」の脚本担当となっている、大石静さんのエッセイ集をたまたま読む機会があった。

 これが頗る面白い。タイトルは『日本のイキ』。もともとは、数年前に週刊誌上に連載されていたもの(リライト版)だが、なかなかに味わいのだ。

 その最終章『過ぎ去る時間』の書き出しはこうだ - 。「人生は緩慢な自殺だというけれど、本当に残り時間はじわじわと、いや、刻々と短くなっていく」。

 そう、人生は「緩慢な自殺」なのだ!!何も死に急ぐことはない!!百歳以上が何十万人とか「敬老の日」前後には騒いでいるが、おっつけ人間は皆死ぬ。

 30年以上も前に亡くなったジイちゃんがよく言っていた。「時という字を分析すれば、『日』に『日』に『寺』に近付く」と。まさに「生あるものは死す。形あるものは崩る」が世の常なのだ。

 大石さんは、「天才は夭逝する」という〃史実〃も一部例示している。樋口一葉24歳。滝廉太郎24歳。石川啄木26歳。沢村栄治27歳。山中貞男29歳。佐伯裕三30歳。シューベルト31歳。

 イエス・キリスト32歳。モーツァルト、正岡子規、芥川龍之介の三人はいずれも35歳。[幕末期]沖田総司26歳、坂本龍馬32歳、近藤勇34歳、土方歳三34歳。[遡って]源義経30歳。

 一方で、「(今の日本では)子供達がどんどん未熟になっており、その結果、当然未熟な大人も増える。明治の人に比べたら、本当に私は子供だと思う。恥ずかしい限りだ」と、自虐の念を吐露する一幕も。

 確かに、今の世の中は随所で「幼児性」のオンパレードだ。極端な話、昔なら到底考えられないような残虐な「尊属殺人」が続いているのも、犯人の「幼児性」に帰結するような気すらする。

 大石さん自身、若い頃からの「ガン患者」である、という。であるからこそ、「命」の重みが人一倍身に沁みるのであろう。

 末尾の部分における田村隆一さん(詩人)の言葉が印象的だ - 。「天才は若死にしてもいい。天才でない我々には長生きの義務がある」と。

まさにその通り。凡人の「緩慢な自殺」こそが、各々の人生における「ドラマ」の脚本と成り得る。

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