2007/07/30

作家・小田実さん死去 - 諫早の〃熱意〃が島原を凌駕 -

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」 - 。西岡武夫さんが以前、何かの選挙で落選した時に語った言葉だ。

 その西岡さん(民主・比例)は衆議院から鞍替えし、参議院で二期目の当選。一方、小嶺忠敏さん(自民・長崎区)はあと一歩の所で及ばなかった。

 勝敗の結果分析は評論家や大手各紙に任せるとして、個人的には「島原半島3市VS諫早市」の構図で捉えていた。その視点で見ると、小嶺候補が200票余り上回っている。

 極めて〃偏狭〃な見方なので、この辺で打ち止めにするが、要するに「諫早市から是が非でも国会議員を!!」という〃熱意〃が、島原半島のそれを上回っていた、ということだ。

 作家の小田実(おだ・まこと)さんが30日、亡くなった。75歳。「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の活動家として知られるが、そうした政治的側面より『何でも見てやろう』(講談社文庫)の著者として、より〃親しみ〃を感じていた。

 初版(河出書房新社)は61年(昭和36)というから、拙者が小学校に入る前に書かれているわけだが、読んだのは昭和40年代後半の高校時代。

 学校の国語教師が薦めるどんな古典小説や評論なんかより、スリリングで遥かに面白かった。夏の暑い盛り、汗をポタポタ流しながら貪り読んだことを覚えている。

 32年(昭和7)生まれと言うから、石原慎太郎東京都知事と同い年だが、ベ平連仲間の開高健さんらとともに〃行動する作家〃のイメージが強い。

 友人で哲学者の鶴見俊輔さんは小田さんとの出会いの印象を、次のよう語っている(31日付・朝日新聞『天声人語』)。

 「たまたま拾ったビンから煙がもくもく出て、アラジンのランプみたいに巨人が現れた」 - 。

 残念ながら、お話を聴く機会には恵まれなかったが、高校の後輩Tが「代々木ゼミナール」(予備校)に通っていて、小田さんはそこで英語講師を務めていた。そのTが「小田実はすごい!!」を盛んに連発していたことを覚えている。

 小田流の英語の勉強方法は至極単純だ。アレコレ考えず、悩まず、英語そのものを丸呑みして、覚え込んでしまうこと。

 「国際化」に関するくだりも面白い。「ひと口に『国際化』と言うが、これを訳すとなると、簡単なようで、なかなか難しい」 - 。とても予備校の授業とは思えない、哲学的な問い掛けだと、今でも思う。

 さて「正解」が何だったのか、今ではカケラも覚えていないが、年をとるにつけ、英語を操るだけの〃スピーカー人間〃にだけは成りたくない、と考えている今日この頃である。

 もっとも、からっきし喋れない、典型的な昔の英文科生であるが…。

何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)
小田 実
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2007/07/29

悲壮感なし南目線廃止 - 読売の花形記者も通学利用 -

 28日付けの長崎新聞『水や空』(コラム)では、島原鉄道南目線廃止問題が取り上げられている。

 書き手は「剛」とあるから、恐らく蓑田さんだろう。さすがに口之津支局長、島原支局長の経験者だけあって文章全体に〃温かみ〃を感じる。

 が、一方で「島鉄は、島原半島(住民)は、一体何をしているんだ!」との〃怒気〃も幾分含まれているような気もする。

 これまでの新聞報道等を見れば、南目線廃止は〃既定路線〃であって、あとは時間の問題のようだ。

 ここに一冊の分厚い本がある。読売新聞社会部の花形記者だった本田靖春さんが遺した自伝的ノンフィクションだ。タイトルは『我、拗ね者として生涯を閉ず』。講談社。全五百八十二頁。二千五百円(税別)。

 なぜ唐突にこの本の話を持ち出したかと言うと、本田さん自身が一時期、南目線の〃通学生〃だったからである。

 年譜によると、本田さんは昭和8年、朝鮮半島京城生まれ。戦後、中学一年の初秋に、南有馬町にある母方の祖母のもとに引き揚げてきた。

 翌年の三学期から、兄とともに島原中学に転入することになり、南目線の利用が始まる。その本の一節に、年配の経験者なら「そうだ!」と膝を打つに違いない、次のような記述(抜粋・要約)がある。

 《湊駅と安中との間に、確か千分の二十四だったと記憶する上り勾配があった。老齢機関車はその中途であえぎ、もがき苦しみ、果てには動かなくなってしまう》

 《こういう場合、蒸気を溜めておいて後戻りをする。その勢いで、すでに通過してきた別なる勾配を、うしろ向きにのぼろうとする寸法である》

 《機関士は一段と時間をかけ、また蒸気を溜める。頃合いを見て、勾配を全速力でかけ下り、その余勢をかって難所を乗り切る。苦心の末に編み出した運転技術であろうが、うまくいくとは限らなかった…》

 本田さんはその後、東京に移転。早稲田(政経新聞学科)に進み、昭和30年に読売新聞入社。社会部記者としての活躍は目覚しく、ニューヨーク特派員も経験。『黄色い血』追放キャンペーンでは、日本の献血制度確立に大いに貢献した。

 昭和46年からはフリーとなり、先輩記者の挫折を描いた『不当逮捕』で昭和59年に講談社ノンフィクション賞を受ける。

 特筆すべきは、晩年の生き様に象徴される、凄まじいまでの〃記者魂〃。両足切断、右眼失明、肝ガン、大腸ガン…数々の病魔と戦いながら、死の直前までペンを離さなかった。享年71歳(平成16年没)。

 本田さんの人生を敢えて路線問題にコジつける必要も何もないが、鉄道喪失の悲痛な叫びが、現地(場)から伝わってこないのはどうしてでしょうね、蓑田さん?

我、拗ね者として生涯を閉ず
本田 靖春
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2007/07/28

ただいま〃二冠王〃 - 103、102、103まで来た!! -

 6年間にわたる徳島県での勤務を終えて長崎県に帰ってきたのは昭和61年(1986年)のこと。

 それまでは「旅」と言っても、他人様のお世話をするばかりの「仕事旅」だっただけに、誰にも気兼ねのいらない「一人旅」を企てた。

 行き先はソビエト連邦。イルクーツク経由でシベリア鉄道に乗ってモスクワを目指す予定でいたが、チェルノブイリで原発事故が起きて断念した。

 仕方がないのでしばらく友人宅に居候を決め込んでいたが、ちょうどその年の夏は「衆参ダブル選挙」が行われていた。

 今となっては記憶も定かでないが、浅田五郎さん(自民党)が、マイクの音量をやけに張り上げて「朝だ、朝だーよ♪」と、県内を駆け巡っていたことだけは憶えている。

 あれからもう21年か…。「竹脇無我」似と言われた美貌も今ではすっかり色あせ、腹回りには「これでもか!」と言わんくらいの贅肉がダブついている。

 昨年あつらえた背広が窮屈になったので新調することにしたのだが…。テーラーのおじさんが一目見るなり、「まあ、仕方ないでしょう」と憐憫交じりの視線。

 採寸後に書き込まれた〃データ〃を見ると、「胸囲103」「腹回り102」そして「尻回り103」と走り書きしてあった。

 ちょっと待て!!と言うことは、いわゆるウエストのくびれは、僅かに「1センチ」しかないということではないか!?トホホ…典型的なドラム缶男か。

 野球で三冠王と言えば「打率」「打点」「本塁打」の3部門でトップを占めた選手に贈られる、栄えある〃称号〃だが、拙者の場合は「チビ」「デブ」の二冠までは確実にモノにした。

 残る1部門は「ハゲ」であるが、こちらは当面心配ない模様で、床屋に行くたびに「髪の毛が多いですね」と褒められる。

 時に、拙者には頭髪部の「渦巻き」が3つある。1つは前方。後の2つは中央部。短髪にした時などは、生え際の部分が逆立ち状態となるので一目で分かる。

 しかし、「遺伝」とはオソロシイもので、3人の息子それぞれが前方のほぼ同じ部位に「渦巻き」を有しているのである。

 ガキの頃、「おっ、こいには『チョーマキ』(キョーマク?)の3つもあっぞ。こらオードカばい」などと珍しがられた揚句、頭をピシャピシャと叩かれていた。今でもその体験はトラウマとして、心の奥深く残っている。

 昔は子どもの長髪のことを「ハイカラ」と呼んでいた。「オイもハイカラにすれば、チョーマキの隠るっとば…」と秘かに悩んでいたのだが、爺さんがどうしても許してくれなかった。

 したがって、幼年時代の写真はすべて坊主頭。長髪にしたのは高校生になってから。初めて買った整髪料は資生堂の「MG5」だった。


2007/07/27

香蓮ちゃんが映画主演 - 1,550人の応募を勝ち抜き -

 人生もそうだが、世の中では当初の思いとは裏腹に〃あらぬ方向〃へと進んでしまうことがままある。昨日の本欄などが、その好例である。

 目論見としては「宮崎康平・和子さんご夫妻」をモデルにした東映映画の話をマクラに、お孫さんの「宮崎香蓮ちゃん(さん?)」の近況レポートに持っていきたかったのだが…。申し訳ない。

 ご両親の宮崎春而・千絵さんご夫妻の了解を得ていないので、いささか気後れもするが、すでに7月2日付けのスポーツニッポン紙上に掲載されているので、お許し願いたい。

   ※    ※   

 「ゴクミ2世13歳」「いきなり映画主演・宮崎香蓮」とのカラフルな大見出しとともに大写しの顔写真。破格の扱いに、関係者の意気込みのほどが伝わってくる紙面構成。

 主演する作品は鹿児島を舞台にした「チェスト!」という映画で、監督は『新・麻雀放浪記』シリーズで知られる雑賀俊郎(さいが・としろう)氏。来年春の公開予定。

 同紙によると、鹿児島市に実在する松原小学校が大正時代に数回実施していた「錦江湾横断遠泳」を、同小が創立90周年を迎えた1966年に〃伝統行事〃として復活させたことがモチーフになっている。

 遠泳距離は約4キロ。実際の香蓮ちゃんは島原第一中学校の2年生だが、映画では小学6年生のヒロイン役を演じる。

 1550人の応募を勝ち抜き〃主演〃が決まった時点でのインタビューには「とてもうれしくて、今から楽しみにしています。少し不安もありますが〃チェスト〃の精神で頑張ります」と答えている。

 ちなみに「チェスト」とは鹿児島地方で〃気合〃を入れる際の方言で、「チェスト行け!」などといった使い方をされる。

 話が相前後したが、香蓮ちゃんが芸能界入りするきっかけとなったのは、昨年8月に実施された「第11回全日本国民的美少女コンテスト」で「演技部門賞」を射止めたことから。

 現在は大手芸能プロダクションの「オスカー」に所属し、学業の合間を見て上京。厳しいレッスンに打ち込んでいるそうなので、今からスクリーンでの活躍が楽しみだ。

 新聞の見出しの通り、「第2のゴクミ(後藤久美子・33歳)」となるか。はたまた、同コンテスト先輩の米倉涼子(31)や上戸彩(21)を凌ぐか。

 いやいや目標はもっと高目に置いて、吉永小百合さんのような〃存在感〃のある女優さんに、是非育っていただきたい、と心から願っている。

   ※    ※  
 
 (追伸)本来であれば掲載に当たっては、「春ちゃん」と「千絵さん」の了解を得なければならないところですが、何分「引っ越し」と「掃除」で忙しいものですから…。悪しからず。


2007/07/26

歓迎!!吉永小百合様 - 早く来い来い〃東映映画〃 -

 25日付の島原新聞に、東映が宮崎康平・和子さん夫妻をモデルにした映画の製作に取りかかる、という記事が出ていた。

 前から〃風の噂〃で聞いてはいたが、いよいよ実現の運びとなって嬉しい限りだ。しかも、場合によっては、吉永小百合さんが主演(島原滞在ロケ)するかもしれない、という。

 団塊の世代を中心とした〃サユリスト〃ならずとも、今から待ち遠しい、夢のような話だ。自慢ではないが(単にミーハー感覚)、拙者は吉永さんと同じ早稲田文学部の出身だ。

 最近では早稲田もつとに偏差値が高くなって、優秀で勤勉な学生が集まっているそうだが、昔は決してそうではなかった。「何が何でもワセダへ!!」というフリークも多かった。

 特に〃文学部〃となると、就職率は悪いし、あてどない〃文学ロマン〃を追究しているような輩がゴロゴロ。独特の雰囲気を漂わせていた。

 一方で〃芸能界〃を志望する者も多かった。同世代のタレントでは余りパッとしたのは出ていないが、文学部に限って言うと、伊丹映画『お葬式』で濡れ場を演じた高瀬春奈や、中井貴恵(貴一の姉)、井上純一らがいた。

 この前、スポーツ新聞を買って読んでいたら、「女優の戸田恵子と井上純一がすでに離婚していた」というゴシップ記事が載っていた。

 戸田恵子と言えば、最近は声優(アンパンマン役)としても活躍している売れっ子だが、昔は「あゆ朱美」という芸名でデビューした歌手だった。知ってました、かつての大ファンだった奥村市長さん?

 心理学の相場均教授の夫人が、原爆詩の朗読者として、吉永さんとともに長崎とも縁が深い、舞台女優の高田敏江さん。テレビドラマ『ケンちゃん』のお母さん役だった人だ。

 同ゼミを超優秀な成績で卒業したのが俳優の加藤剛さん。「加藤君はよく勉強していた」が同教授の口ぐせでもあった。

 実は、拙者も一時期〃役者〃に憧れていたことがあって、同郷の大先輩、草野壬二郎さん(元小浜町長)の紹介状を持って、印南喬教授(演劇学)のご自宅を訪れたことがある。

 場所は東京を代表する高級住宅地、成城学園。和風の落ち着いた佇まいで、玄関戸を開けると、小柄な先生が出てこられた。

 当時、先生は確か高瀬春奈の主任教授だった。「そう、役者になりたいのか…」。しばし沈黙が続いた後、先生から「あせらず、しっかり勉強しなさい」と一言。脈がないと見て、そのまま引き下がった。


 帰り際、奥様から高級石鹸の詰め合わせを頂いたので、その晩は下宿の同居人らとともに久しぶりに銭湯に出かけた。


 北海道室蘭の出身で青学に通っていた鈴木何某という男は格段に汚れていて、頭部から黒い汁が滴り落ちていた。


2007/07/25

心新たに凡事徹底!! - 数十年の垢落としに悲鳴 -

 NTT島原ビル2階から1階へ引っ越し作業を進めて、はや10日余り。ひとまず内装工事も完了し、事務所としての体裁も整ってきた。

 ところが、いざ細部の清掃に取り掛かると、徹底しないと気がおさまらない性質なので、アレやコレやと大忙しだ。それほどまでにNTTビルは大きいし、汚い。

 先週末は、賃借していない分まで含めて、外窓すべてを清掃した。まず、水道ホースで水をかけ、脚立に昇って拭き掃除。幾分か水垢は残ったものの、満足のゆく出来栄えだ。

 音無川沿いの市道に面した植え込みにも、思い切って手を入れた。枯れ枝が目立つツゲの老木を、クモの巣もろともに抜去。さて、次は何を植えようか、と迷っている。

 マキの木もそこやかしこに枝を伸ばしており、何とも目障りだ。チェーンソーを借りて、枝落としをしよう。

 今日24日は、外壁に顔をのぞかせているダクト(通風孔)の清掃に挑んだが、想いのほか苦戦した。傍目には、ちょうどスズメが巣を作っているように見えたが、中身は全然違うものだった。

 脚立を梯子に換えて内部を覗くと、何やら羊歯の葉のようなものがゴッソリと詰まっている。最初は割り箸で、届かない部分は長目のプラスチック棒でつついた。

 すると、出てくる、出てくる…〃数十年の垢〃が。すべて掻き出すまでに1時間以上を要した。

 休む間もなく各室ドア上部の窓ガラス拭き。噴霧式の泡状洗剤を振り掛けると、たちまち〃鼈甲色〃をした汚れが浮かび上がって、滴り落ちてくる。

 最初は濡れ雑巾。次に半乾き雑巾。仕上げは乾拭きの〃三段階〃作戦。しかし、1時間も磨いていると、さすがに〃嫌気〃もさしてくるが、透明度を増したガラス戸を見るのは単純に気持ちが良い。

 何故かくも〃掃除〃に拘るのかには〃理由〃がある。別段、宗教的な意味合いとかでなく、イエローハット創始者の鍵山秀三郎さんの〃経営哲学〃を信奉しているからだ。

 「凡事徹底」。鍵山さんご自身が本に書いたり、各地の講演会でお話されたりしているので、すでにご存知の方も多いと思うが、簡単な事でも徹底して続けていくことは難しい。

 先週の日曜日、成功している八王子の釣具メーカーの女性社長をラジオで紹介していたが、この人も「徹底して整理整頓を実践することで生産性が格段に向上した」と語っていた。

 人は綺麗なもの、楽しい場所に多く集まる。事の道理だと思う。

 「掃除をしているからといって直ちに経営が上向くものではない。しかし、業績が良い企業は、例外なく職場が綺麗だ」。これからも是非〃指針〃にしたい、鍵山さんの教えだ。


2007/07/24

大ジョッキが小ぶりに - 屋上ビアガーデンは大阪発 -

 待望の「梅雨明け宣言」が今日(23日午前)発表された。週間天気予報を見ても、今週はほぼ毎日のように晴れのマークが付いている。

 宣言と同時に、まるで〃初秋〃を想わせるような爽やかさだが、こんな気持ちの良い天候はそうそう続くものではない。うだるような〃猛暑〃の襲来も時間の問題だろう。

 夏場は何といってもビール。一汗かいた後の一杯は、何物にも換えられない〃至福の瞬間〃だ。そう、ビアガーデン(ホール)の季節である。

 そんなことを考えていたら、先日、島原観光ホテル小涌園の足立進一社長からお誘いの電話をいただいたので出かけてきた。

 暮れなずむ有明海の静かな波音、頬を撫でる潮風…。「宣伝が行き渡っていない」(同社長)ということで、人影はまだまばら。

 はちきれんばかりのメタボ腹を、片やアロハシャツ、片やエプロンで覆い隠した中年男の二人連れ。傍目にはどう映ったか気になるところだが、やけにビールが、焼肉が、鳥唐…が美味い!!

 これから8月にかけて、土曜の夜には長崎市内からエレキギターを抱えた4人組が生演奏(計3回)するほか、不定期ながら、地元バンドの出演も決まっているそうだ。

 ところで、ビアガーデンはいつごろから始まったのだろうか。インターネットの百科事典「ウィキペディア」によれば、日本で最初の屋上ビアガーデンは昭和28年に登場した大阪・梅田の「ニュートーキョー大阪第一生命ビル店」。

 屋上に限らなければ、明治8年に麒麟麦酒の創始者として知られるコープランドが、自宅を改装して開いた「スプリング・バレー・ビヤ・ガーデン」が始まり、とされている。

 最近は、大概どこのビアガーデンも前売チケッ制で〃飲み放題〃とし、料理はバイキング方式を採用しているところが多い。

 ところが、最近は昔と違って、「この時とばかり!!」に、馬鹿飲みする輩が少なくなったのか、大ジョッキが随分と小ぶりになっているような気がする。

 学生の頃、仲間と一緒に、千葉・習志野までサッカーの試合に出向いたことがある。打ち上げは駅前のビアガーデンだった。

 さんざん飲んだ揚句に電車で帰ったのだが、一人カバンがやけに膨らんでいるのがいる。不審に思って中身を確かめると、大ダイジョッキ数個とアルミの灰皿が詰められていた。

 どうやら、彼にとって酒場は〃生活雑貨〃の調達先だったらしく、部屋を訪ねると、元禄寿司(回転ずし)や新宿の居酒屋などからくすねてきた食器類で溢れていた。

 新宿と言えば、以前島原振興局長だった葺本昭晴さん(県議会事務局長)の弟さんが「ニュートーキョー新宿店」の店長をしている、と聞いたことがある。今度行ってみよう。


2007/07/22

本当に〃やらせ〃なの? - すっぴん魂でいきましょう -

 北京産の肉まんに含まれている段ボールの比率は6割だった - との訂正記事を出したばかりなのに、今度は《あれはテレビ局の〃やらせ〃だった》との報。

 おいおい一体どうなっているんだ、と愚痴っていたら、ある古参社員が「あれは世界各国からの余りの反響の大きさに、当局が驚いて事態収拾を図っただけ。実際のところはわかりませんよ」と慰められた。

 ミートホープ社(北海道苫小牧市)を皮切りに、世間を騒がせた挽肉問題。「羊頭狗肉」の故事の世界を地でいく、何とも〃後味の悪い〃幕切れとなりそうだが、一言でいえば「捏造」「誤魔化し」である。

 「捏」の訓読みは「こねる」。消費者からすれば、何の肉か判らない材料を「こねくりまわされた」揚句に、商標を偽って買わされていたわけだ。

 『字通』で調べてみると、「捏」の語源は、轆轤(ろくろ)で土器の形を整えることに由来しているらしい。とすれば、今回の一連の事件は、完成した土器が、「信用」「信頼」ともども粉砕してしまった、ということか。

 英語で「捏造」を意味する単語は「インベンション」「ファブリケーション」などだが、日本語にもなった「メイク・アップ」(化粧)にもそうした意味があるようだ。

 すなわち、余り美しくない女性が、素顔に化粧を施すことによって「醜」の部分を覆い隠す。立派な「捏造」の類いである。そのような女性に入れあげる多くの殿方は、ある意味、被害者!?

 化粧をしていない素顔の状態を「すっぴん」というそうだが、「す」は「素」として理解できるが、「ぴん」とは一体何?広辞苑(第四版)を引いたが、掲載がない。

 マージャンで言うところの「ピンズ」と何か関係があるのか。こんど〃雀鬼〃として知られる本屋の旦那(Kさん)に会った時でも、訊いてみよう。

 その「すっぴん」をタイトルに冠して健筆をふるっているのが女優の室井滋さん。週刊文春に連載中の『すっぴん魂(こん)』で、もう五百回以上を数えているから大したものだ。

 芸能界においては、達意の書き手が時々登場する。室井さんもその一人だが、宮崎康平先生が生前よくおっしゃっていた。「森繁(久彌さん)は文章もうまかっぞ!!」。

 どういうわけかその一言が耳に鮮明に残っており、時々〃森繁本〃を買い求めては、楽しませていただいている。

 この大御所が若かりし頃に、東宝の『社長シリーズ』で演じて見せた役柄はまさに〃秀逸〃。社長以前の生身としての〃男性〃の「すっぴん」状態がそこに描かれている。

 「すっぴん」とは、手を加えない「そのまんま」の姿。宮崎県知事の評判の良さもその辺りだろうか。


2007/07/21

マニキュアVS勤勉思想 - シャレ男だった河野一郎さん -

 原稿を書いていると、ついついタバコを吸いたくなる。良くない習性だ。「分かっちゃいるけど止められない」ってやつだ。

 2階から1階に引っ越してきたばかりで、「環境の変化」に合わせて「禁煙」に再々…チャレンジするチャンスなのに、もったいないと思う。

 何も言わないが、社員スタッフの視線が気になる。「今度こそ本気で取り組むから!!」と反省しつつ、書類の整理をしていたら、昨年末に撮影した「メタボ」の〃断面図〃と久しぶりに面会した。

 中央部にデーンと位置するサーモンピンクのその様は、酒を飲んで赤ら顔になった〃マンボウ〃のようにも見える。あれから半年強、お前もまた随分と成長したのだろうな…。

 社員の皆さんはここ数日、交替で健康診断を受けている。拙者も受けようかなぁ…とも思うが、病気が見つかるのが怖い。人一倍臆病なのは、自分が一番良く知っている。

 ただ、親しくしている人が先月、続けざまに入院・手術をしたりした。見舞いに行って「早期発見に越したことはない」と、実感をこめて語られたら「やっぱり…」と心が傾く。

 何とも煮え切らない性格。昔だったら、「女の腐ったような奴」と揶揄されるところだろうが、今時、そんな言い方をしたら大変。もう言ってしまったか。

 世の中には色んな考え方があろうが、個人的には「らしく」という生き方に憧れる。「男は男らしく」「女は女らしく」というあれだ。

 ところが、最近の世の中は「男女同権」の思想が行き渡りすぎたのか、何とも形容しがたい「中性」の魔力をやたら撒き散らす輩が跋扈(ばっこ)している、ようにも思われる。

 先日、朝日新聞の土曜版か日曜版かで「ネイル・アート」の特集記事が組まれていた。

 普通、爪(ネイル)というのは鼻クソをほじくるか、貧しい時に火を灯すものであって、飾り立てるものではないと思っていたが、時代は変わった。

 若い頃は淡いピンクのマニキュアが似合う女性が好きだった。最近では、特段のお呼ばれでもない限り、何も付けていない方に好感が持てる。

 手に付けるのがマニキュアで、足の指に付けるのがペディキュア。そして除光液がリムーバー。何でこんな事を覚えているのだろうか。化粧品会社の社員でもないのに…。

 思い出した!!農相などを歴任した自民党々人派の重鎮だった河野一郎氏(現衆議院議長、河野洋平氏の父)はとてもオシャレな人で、爪にはマニキュアを塗っていたと、ある本で読んだことがある。

 また、その記事には河野一族の先祖は二宮尊徳の薫陶を受けていた、との説も。「マニキュア」と「勤勉思想」。何が何だか判らなくなった…。


2007/07/20

Tさん一行富士に登る - 「6対4」の比率を間違える -

 中国産の肉まんに、段ボール片が含まれていた話を本欄で取り上げたら、「比率が間違っている」とのお電話をいただいた。

 本来は「豚肉4割に対して、段ボール6割」とすべきところを、アベコベに理解していたわけだ。申し訳ございませんでした。

 4割と言えば、日本の食糧自給率でもある。逆に言うと、6割は諸外国からの輸入食品でまかなっているわけだから、何とも心もとない。

 憂国の識者はそこを衝く。「食糧(料)を輸入している外国で飢きんが起きたら、『まずは自国民!!』となるのは事の道理。そうした事態が生じたら、政府はどうするのか」と。もっともな指摘だと思う。

 数字の話に戻ろう。「6対4」と言えば、焼酎をお湯や水で割る際の比率だが、これは人によって千差万別。新湊2丁目のTさんは、まず水を入れない。

 その代わり、カチワリを鼻先がつかえるほどにうず高く積む。これが〃T流〃の飲み方で、最後は全員がフラフラ状態。

 そのTさん一行約20名が先日、「富士山」登山にチャレンジした。帰島後もう幾度も〃報告会〃を開催されているようで、拙者も先日、その何回目かの会合に呼ばれた。

 五合目まではバス。そこから幾つかのパーティに分かれて本格登山。山小屋のトイレが有料だったかどうかで揉めていたようだが、全員山頂を征服されたのは〃ご立派〃の一言だ。

 しかしながら、その日を迎えるまでには人知れぬ〃苦労〃が。皆さん、何カ月も前から久住、九千部、普賢…と秘かに〃訓練〃を重ねていたのである。

 「富士に登るバカ、登らぬバカ」という言葉があるそうだ。富士登山はそれほどまでに難しくもあり、また簡単である、との例えのようだが、やはり登った者でなければ、その〃醍醐味〃は分からないだろう。

 またまた農業の話に戻る。とは言っても、赤城徳彦農水相(48)のこと。祖父の宗徳氏については、幼心にその名前だけは覚えている。

 就任後すぐに事務所の経費問題がクローズアップされたのは周知の事実だが、「東大法卒」のエリートの割には、何とも歯切れの悪い答弁が続いている。

 17日の記者会見には顔に絆創膏を貼って登場。記者団の質問に対して「大したことではない」を繰り返していたが、誰だって知りたいのが〃人情〃というものだ。

 拙者は〃人相見〃ではないが、この人、良く見ると、俳優の時任三郎がナッカブッチョルような顔をしている、と思いませんか。余談ですが、座右の銘は「真実一路」だそうです。

 それにしても、話が「アッチ飛び、コッチ飛び」するなぁ…って?自分でも呆れています。

 ただ、これは列車が山登りする際の「スイッチ・バック」っていう方式ですよね、クライマーの豊田常務さん(島鉄)!?


2007/07/19

人生変えた決勝の負け - やっぱチョーさんは面白か -

 日経新聞最終面の連載読み物『私の履歴書』の今月号は、長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督を取り上げている。

 余り熱心な読者ではないので、業界記事以外、大概は読み飛ばしているのだが、一時代を画した〃背番号3〃が、その人生をどのように総括しているのか、興味深い。

 17日付の紙面では、後に奥様となる西村亜希子さんとの出逢いから婚約に漕ぎ着けるまでのくだりを、実にユーモラスな筆致で描いている。

 「(初デート当日、朝四時に目覚めて)時間つぶしに、家の前のどぶ板を外して両側全部のどぶ掃除をした。それでも時間があまる。今度は、家から京王線の上北沢駅まで200メートルほどの道路をチリ一つないぐらいに掃いて回った」。

 さて、「長嶋」(N)と言えば「王」(O)だが、小学校の図書室で初めて手にした読み物は『王貞治物語』だった。毎日のようにテレビで放映される、一本足打法。一挙に読み進んでいった。

 お父さんが中国人で、お母さん(富山県生まれ)とともに、下町で小さな中華料理店を営みながら〃世界のホームラン王〃を育てた、という苦労話。

 優秀だった兄は慶応卒の医者。現在は新宿区内で開業している。一年ほど前、どこかのテレビ局で取り上げていたが、顔の造作は王監督とウリ二つだ。

 野球選手としての「王」を一躍有名ならしめたものは、早稲田実業時代の活躍だが、朝日新聞の販売店「ASA島原北部」が出している折込機関紙『北の風』(第61号)に面白い話が紹介されている。

 見出しは〈新聞に載らない内緒話・「夏」の再会〉。明治大学校友会・埼玉県東支部報で紹介されていたもので、試合は昭和33年8月3日の東京都大会決勝。

 舞台は神宮球場。すでに全国制覇の実績を持つ王投手を擁する早実は、延長12回表で明治高校を5対1とリード。誰もが勝利を確信、甲子園行きの切符と宿を手配した。

 ところがその裏、明治の大逆襲が始まる。そして、最後は宮澤政信選手のサヨナラ打で大混戦に終止符が打たれる。同時に、早実の5連続甲子園出場は夢と消え、切符も宿舎もそのまま明治に譲られた。

 王監督はその試合を振り返って、「いい試練だった。神様が『あまりのぼせてはいかん。ひとつ痛い目にあわせてやろう』と思ったんじゃないか…」などと述懐。

 一方の宮澤氏(現在、会社社長)。「王さんはあの試合で投手断念の踏ん切りをつけた、という。あのまま甲子園に行っていれば、後の人生も大きく違っていたはず…」といった趣旨のコメントを残している。

 夏の甲子園の予選が全国各地で行われているが、二人の再会の日も近い、という。どうだ〃良い話〃だろう、ハンカチ王子君。


2007/07/18

「箱入り娘」の正体は!? - 驚いてしまう中国食料事情 -

 「段ボール入りの肉まん」と言っても、これまでは別段〃違和感〃は感じなかったが、テレビで報道された中国の〃食料事情〃を知ると、構えて訊かざるを得なくなった。

 それによると、材料のほぼ〃4割〃は段ボールが占めていた、というから驚きだ。どんな味がするのだろうか。中国4千年の歴史は、そう簡単にはバレない〃秘策〃でも持ち合わせているのだろうか。

 日本でも昔、旧制高校の猛者たちが、辞書の頁をムシャムシャ喰って単語を覚えていたという話があるが、ひょっとしてこの逸話が〃逆輸入〃されたのか。まさか!?

 現代中国の発想でいくと、「箱入り娘」の正体は一体何者?段ボールで思い出した!!そう言えば以前、NBCの社員の人が〃自虐的〃に話していた。

 「上京した際に『どこにお勤めですか』と銀座のホステスに訊かれたので、NBCでは通じないと想い胸を張って『ナガサキホウソウだ』と答えたんです。すると、相手の反応は『へー、段ボールを扱ってらっしゃるんですか』と…」。

 だいたい挽肉料理に関しては、以前から「あそこの製品にはネコ肉が入っている」などといったまことしやかな〃噂話〃が飛び交っていた。まったく根も葉もない話だと思っていたが、そうでもないことが今度の一件で良く判った。

 それにしても「中国」という国はとても日本人的な感覚、発想では捉えきれるものでない。それほど大きいし、懐も深い。

 挽肉問題一つ取ってみても、つい先ごろ日本で大騒ぎした「ミートホープ社」の犯罪が軽く思えてしまうから(実際はそうでもない!!)不思議だ。

 そう言えば、もう久しく中国に行っていない。拙者が頻繁に訪れていた頃(昭和50年代)の中国の人々は実に素朴だった。

 今では東京をも凌ぐ大都会に発展している上海の観光地に立っていると、「先生、私はいま日本の勉強をしています。鎌倉幕府は1192年にできました。富士山の高さは3776メートルです。当たっていますか」と、市井人が近寄ってきた。

 また、ホテルの部屋に置いてあるゴミ箱に、履き古した靴下などを捨てたままチェックアウトすると、後から「忘れ物がありました」などとバスまで届けてくれたりしていた。

 料理も〃圧巻〃だった。朝食から10数品が並ぶ中華のフルコースで、2日も続くとゲンナリした。一番まいったのは常温のビール。中には製造の過程で生じた澱(おり)が浮かんでいた。

 それより驚いたのは香港から列車で広州に入った時。主婦と思しき女性の買い物カゴの中身はヘビ。その晩のオプショナルツアーは、ハトやアルマジロなどを味わう「ゲテモノ喰い」だった。

 段ボールなんかまだまだ序の口!?


2007/07/15

「すだち」の思い出 - 中元は〃人間贖罪の日〃なのだ -

 「御中元」の季節である。我が家でも、日頃ご無沙汰している方々などから色々と頂戴しているようだ。有り難い話だ。

 個人的には徳島特産の「すだち」を贈ることにしている。徳島の人々はこの〃柑橘〃にとても誇りを持っており、旅する時にも必ず持参する。

 最初にその〃風味〃に出合ったのは、鳴門のドライブインだった。見よう見まねで冷奴にかけたら、これが抜群の美味!!

 以来、病みつきになったが、コーヒーにまでその汁を垂らしているのを見て「そりゃあんまりでしょう…」と〃苦笑い〃したことを覚えている。

 『今日は何の日?』(学研)によると、旧暦7月15日は「中元」だという。ちなみに正月15日が「上元」、10月15日が「下元」と呼ぶのだそうだ。

 もともとは中国に伝わる「道家」の説によるもので、特に中元は「人間贖罪(しょくざい)の日」として、神に供物をして盛大に祝った、とされている。

 これが日本に伝わり、仏教の「盂蘭盆」(13日 - 16日)の習慣と結合して、現在の「御中元」の風習が生まれたものらしい。

面白いのは、関東と関西で時期に差がある点。関東では7月1日から15日くらいまで。関西だと、7月下旬から8月15日頃まで、と若干遅れ気味だ。

 「すだち」の話に戻る。毎年発送をお願いしているのは「K青果」という市場の仲買人さんだ。

 拙者は先代の頃から可愛がってもらった。営業に行くと、酒の臭いをプンプンさせながら「えーい、ジャマジャマ、どけ。言うこと聞かんかったら、ぶち殺すぞ、この野郎!!」。

 前掛け姿の赤ら顔はどことなくユーモラスでもあったが、大日本帝国陸軍仕込みの迫力は相当なものだった。体格も良かった。

 ある時、一緒にオーストラリアに旅行することになった。出発前、先輩から渡された部屋割リストを見ると、こともあろうに拙者と同室。

 初めて触れる夏冬逆の南半球の大地は圧巻で、車窓から眺める広々とした海岸では、トップレスのブロンド美人達が気持ちよさそうに寝そべっていた。

 ふと、傍らに座っている先代の方に目をやると、市場では見かけたことがないような温和な表情を浮かべ、鼻水をすすっていた。今思うと、あれも〃旅情〃の一つだったのだろうか。

 ホテルに入ると、気ぜわしく部屋回りをする拙者を捕まえて「おい、そんなに気を使うな。人生は要領をもって本分とすべし、だ」と労わってくれた。

 さらに一仕事終え、シャワーを浴びて休もうとしたら、テーブルの上には持参した日本酒とすだちが「ごくろう様」のメモ書きとともに置かれていた。

 お礼を言おうと思ったが、「じゃかましい」と怒られるに決まっているので、その晩は黙って寝た。


2007/07/14

参議院選挙スタート - どう働くか「振り子理論」 -

 第21回参議院選挙が12日公示された。投開票日は当初の予定より1週間延びて今月29日。

 長崎選挙区(定数1)の顔ぶれは届け出順に次の三氏。【1】小嶺忠敏(62)=自民新・公明推薦・元国見高校サッカー部総監督【2】渕瀬栄子(51)=共産新・元大瀬戸町議【3】大久保潔重(41)=民主新・国民新推薦・元県議。

 今や話題沸騰(?)の年金や格差問題、久間発言…などでもっと盛り上がるもの、と思っていたが、白熱にはほど遠い静かな滑り出しだ。

 ズブの素人だが、選挙に関しては、一定の「原理原則」のようなものがある、と理解している。題して「振り子理論」。

 天才イチロー(オリックス→マリナーズ)の打撃がそう評されるが、右に傾いたら、次は左にといった具合に。言い換えるなら、「庶民の知恵」「バランス感覚」とでも言ってよいか。

 そうした観点から、今度の参院選を眺めてみると、面白い。野党陣営は、先の郵政民営化選挙で大きく与党に流れた票が、今度は自分たちに来るもの、と想っているだろう。

 一方、与党からすれば、もう手ひどくバッシングされたのだから、そろそろ〃潮目〃が変わる、との読み(期待感)が出てくるのも当然と言えば当然だ。

 現在、比例区を含む本県選出の国会議員は、自民党が衆議院4人・参議院1人。対する民主党は衆議院2人・参議院2人。ほぼ拮抗している。

 果たして今度はどっちに振れるのか。自民党は「参議院の議席を民主党に独占させてなるものか」と思っているだろうし、民主党は「形勢逆転の絶好機」と捉えているだろう。

 次に、少し観点を変えて診てみよう。県北、県南で分けて考えると、離島を含んだ県北が衆議院3人、参議院1人。県南は衆議院3人、参議院2人。こちらも見事なまでのバランス・オブ・パワーである。

 漏れ聞くところによれば、大久保陣営では「諫早市選出の国会議員を!!」と、一丸となって〃炎のチャレンジャー〃を支えているらしい。

 一方の小嶺陣営。戦前の予想では、抜群の知名度で圧勝するものと想われていたが、ここにきて〃センターフォワード〃が突然退場するなど些か苦戦の様相。勝敗のカギは旗幟鮮明にして〃ピッチ〃に入った知事の活躍次第か。

 果たして有権者の「振り子」の針はどっちを指すのか。自民か民主か。諫早か島原半島か。泣いても笑っても、残り2週間の勝負だ。

 おっと失礼、もう一人の候補者を忘れていた。どうも上田泉さん(前島原市議)が引退してから、その存在が希薄になってしまっていた。申し訳ない。

 渕瀬さんも〃ウーマン・パワー〃を発揮して、しっかりガンバッテ下さい!!


2007/07/13

僕の志望は〃親孝行〃 - 梅雨シーズンに「雨」を考える -

 いかに梅雨とはいえ、こうも雨が続くと、いい加減気分が滅入ってしまう。予報では明日も雨模様だ。

 「雨 雨 ふれ ふれ 母さんが 蛇の目でお迎え うれしいな ピチピチ チャプチャプ ランランラン」。北原白秋作詞、中山晋平作曲の童謡『あめふり』の一番だが、「雨」は歌謡曲の世界でも随分と活躍している - 。

 八代亜紀が「雨雨ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い」(阿久悠作詞、浜圭介作曲『雨の慕情』)と熱唱すれば、三善英史は中性的な歌声で「雨に濡れながら たたずむ女がいる」(千家和也作詞、浜圭介、『雨』)、と切ない〃女心〃を唄う。

 そして、ご当地では内山田洋とクールファイブのボーカル、前川清が「長崎は今日も雨だった」(永田貴子作詞、彩木雅夫作曲)、とビブラートを利かせた歌声で大ヒットを飛ばした。

 外国の曲事情についてはまったく不案内だが、『雨に唄えば』(シンギング イン ザ レイン)の名前くらいは知っている。

 少しじっくり考えれば、もっと次から次へと「名前」や「歌詞」が出てくるはずだが、きりがないのでここらで止める。

 それにしても「雨」はなぜそこまで詩情を駆り立てるのか。やはりいつの世も人々の心は渇いているのだろうか。

 そんな他愛もないことを、窓越しの雨を見ながら考えていたら、急速に雨脚が強まってきた。まさに土砂降り。

 そうだ、思い出したぞ!!確か、英語の慣用句では「イツ イズ レイニング キャッツ アンド ドッグ」と言っていた。英語の先生が嘘を教えていなければ、きっとそうだ。

 「地獄の沙汰も金次第」という諺は「マネー メイクス メア ゴー」と訳したはずだ。メアとは「成熟した雌ロバ」(駄馬)のことで、直訳すれば「金の力は駄馬をも動かす」から来ているのだろう。

 拙者の場合、こういうのはすべて〃受験英語〃の遺産である。何も30年以上も経って、憶えている必要もあるまいに、意外と性格的には〃粘着〃タイプなのかもしれない。

 思い出しついでに、この前、ミネ化粧品店の講演会があった際、同社の峯潔社長が「キューカムバー」(きゅうり)の話をされたが、英語の喩えでは、きゅうりは〃鼻持ちならない〃といった場合に使われていたのではなかったか!?

 さて、我が家には二人の受験生を抱えている。ともに成績は芳しくない。拙者は〃家人の遺伝〃だととっくに諦めているが、一応〃親心〃のようなものだけは持っている。

 一昨日だったか、三男坊(中3)と話をする機会があって、志望校を尋ねたら、ニヤリと笑って「お父さん、僕の志望は〃親孝行〃ですよ」との答え。

 予期せぬ返答に、うれし涙が「豪雨」のように流れ出たのであった。


2007/07/12

桑田を支えるスカイプ - 古武術の極意を福祉分野でも -

 巨人軍の元エース、桑田真澄が単身海を渡って、大リーグ(パイレーツ)で、〃良い味〃を出している。

 年齢はもう39歳だが、「番長」などと呼ばれて〃その気〃になって〃ダウン〃している清原和博(オリックス)とは好対照だ。

 高校当時、二人は言わずと知れたPL学園(大阪)の黄金期を作った中心メンバー。その前に池田(徳島)の時代があったが、水野雄仁(元巨人)らは、その迫力の前にひれ伏した。

 でも一体なぜ、この時期、ロートルの桑田に興味を持ったのか?きっかけは先日、あるテレビ番組で放送された映像のワンシーンだった。

 桑田は昨シーズンオフ、監督やフロントに相談することもなく、突然の「退団」表明。歩調を合わせるかのように、大リーグに挑戦する意向を発表して〃物議〃をかもした。

 そして迎えた今シーズン。メジャー初登板を目指して調整を進めていたが、予期せぬアクシデントで戦線を離脱。独り、リハビリ生活を余儀なくされた。

 カメラは、日本に残してきた長男(野球選手)から送られてきた〃初ホームランボール〃を手に、感涙にむせぶ父親の姿を捉えていた。

 ふと、その背景をみると-。何の変哲もないノート型のパソコンがあって、弊社と同機種の「テレビ電話」のセットが置かれていた。この時を境に、桑田の存在が急速に〃近い者〃に思えてきた。

これは決して「宣伝」でも「PR」でもない。インターネットを使ったブロードバンドの世界では、極めて簡単に「テレビ電話」が出来るのである。

そのソフトの名前は「スカイプ」。確か、ベルギーかどこかで開発されたものだが、最近ではもとから標準装備されているパソコンもある、と聞く。

カメラは1台当たり3,000円から4,000円くらいで、ベスト電器などの量販店で取り扱っている。しかもブロードバンドだから、通話料はいくら使ってもタダ!!

 弊社の〃資格王〃ことM君などは、何と「4元中継」で、県外の友人らと互いに顔を見合いながら、会話を楽しんでいる。桑田の復活もきっと、このシステムによるところが大きい、と推測している。

 拙者はインターネットや無線LANがどういった仕組みなのか、皆目見当がつかない。ただ、この業界に身を置く者として、ユーザーの皆様方に有効に使われていることが、単純に嬉しいのである。

 この先、桑田がどういったピッチングをするのか予測はつかない。ただ、9日夜に観た『報道ステーション』の特集で〃古武術〃の極意を取り入れているという話を聞いて、また興味が湧いてきた。

 それは「福祉」の分野でもすでに効果をあげている、という。この話はまたの機会にしたいが、おった、おった、この分野の専門家が、島原振興局に!!

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2007/07/11

〃ネオおっさん〃誕生 - 無理をせずに身の丈に生きる -

 「(株)プレナス」(佐世保市)は今や長崎県どころか、九州を代表する優良企業に成長した。そう、あの「ほっかほっか亭」の運営会社だ。

 拙者も時折、新町の「島原中央店」(萩原ミート)を利用しているが、先日、何げなく待合所のフリーペーパーを手にしたら、これがすこぶる面白い。

 本のタイトルは『ザッツ・エンター・オベント!ホッとタイムス』。7・8月号の巻頭特集は〃ネオおっさん〃。編集者によると、〃ちょい不良(ワル)〃の次のトレンドだそうだ。

 〃ネオ〃の特徴は、【1】ジム通いで体型がスマート【2】オヤジギャグを連発せず会話がスマート【3】若者に迎合せず年齢相応に対応する-などといったもの。

 記事では、色々とゴタクが並べられているが、要するに、「身の丈に生きる」という生活スタイルのことだろう。

 「身の丈」と言えば、中学生の頃に流行った〃ラッパズボン〃のことを思い出す。少し突っ張った生徒なら、例外なくそれを穿いてイキがっていた。

 テレビでは「ピンキー&キラーズ」の今陽子が同系のパンタロンをまとって『恋の季節』を歌っていた。記憶が定かでないが、ツイギーのミニスカートはその少し前だったか、後だったか…。

 似合う、似合わないは別として、自分も穿いてみたい、と思うようになった。人情である。

 しかし、「あんなのは不良が穿くものだ」と言って家では買ってくれない。そうこうするうちにイトコの〃お古〃が回ってきた。夢にまでみた〃ラッパズボン〃。

 「やったー!!」。小躍りして脚を通したが、裾が広がっていく肝心な部分から先がどうしても余る。結局、裾直しをすると、普通のストレートズボンに…。

 〈まだ若い〉〈成長の余地を残している〉一縷の望みを託して、自転車のサドルを上げ、牛乳をガブ飲みしながら、脚部が伸びるのをひたすら待ち続けた。

 が、そんな〃努力〃もすべて〃徒労〃に終わった。その冷徹な現実は、その後の拙者の人生を大きく狂わせるはめに。

 昭和30年代と言えば、日活映画の全盛時代。とりわけスターだった石原裕次郎のキャッチフレーズは「股下90センチ」。

 ところが、世代とともに日本人の体型も段々と欧米化し、裕次郎より背が低いはずの山田優(モデル)のそれはゆうに90センチを超えている、という。

 ついこの間までは、昔のくせで自転車のサドルを高くしていたが、この春里帰りした義妹がその恰好を見かねたのか、「お兄さん、余り無理しない方がいいよ…」とポツリ。

 訝るまもなく、素直にその忠告に従ったら、実に快適だ。やはり「身の丈」は楽。期せずして〃ネオおっさん〃が誕生した瞬間だった。


2007/07/10

回り道でも一本道!! - FMは北田社長にあやかって -

 引っ越しの途中でガランとした部屋。窓を開けると、湿気を帯びた東風が流れ込んでくる。天気予報を見ると、しばらく晴天は望めそうもない。

 NTT島原局舎は出来てからもうどれくらい経つのだろうか?50代半ばの老境にさしかかった人間が「小学生の頃にエレベータで遊んでいた」というくらいだから、40年以上は経過しているだろう。

 それにしても堅固(けんご)な造りだ。一説によれば、マグニチュード7クラスの地震には十分耐えられるというから、入居者にとっては何とも心強い〃城〃である。

 転居先の1階部分には先月末まで、島原広域圏介護保険課が入居していた。30人ほどが働いていたので、一挙に人気(ひとけ)が少なくなって、何となく寂しい感じもする。

 しかし、今年秋口にはコミュニティFM放送局がここで産声をあげる予定だ。果たしてどのような住民サービスができるのか?不安もあるが、前向きに進んでいこう!!

 と、昨日の日曜日(8日)。休日返上で書類の運び出しに汗を流していたら、ある人物から電話がかかってきた。激励だった。

 「視覚障害者の方から『大いに楽しみにしている』と言われてますよ。佐世保は今月スタートという話ですが、島原はいつ頃からですか。出力は」-。

 矢継ぎ早の質問に、地域住民の皆さんの期待の大きさと、事業の重大さを改めて痛感した。月並みな表現だが、典型的なメタボ体型ながら、身が引き締まる思いだ。

 予定では、アジアで初めての「第5回火山都市国際会議・島原大会」の開催に合わせて、11月1日には総務省から免許をいただいて放送を始めたい、と考えている。

 サービス内容等については、まだまだこれから〃詰めの作業〃をこなしていかなければならないが、既存のCATVに広域無線LANを交えた、画期的、かつ斬新なものにしたいと目論んでいる。

 市内中心部に位置する、歴史あるNTT局舎。屋上に上がれば、市内全域が一望できる。さらにその上の鉄塔は地上高50メートル。そこに送信アンテナを設置する計画だ。

 ところで、一昨日夜(7日)は「(株)北田物産創立30周年祝賀パーティ」(ウエディング石川)で美味しいお酒をいただいた。

 ともに〃旧知の間柄〃である吉岡市長、満井副会頭から心のこもった祝辞を受けた形で、主催者を代表して北田勘二社長が謝辞に立った。

 「回り道でも一本道!!」。実に力強かった。ひょっとしたら、拙者の聞き違いで「曲がり道」だったかも知れない…。

 が、そんなことはどうでもよい。そこには幾多の困難を乗り越えてきた清々しい男の笑顔があった。これはもう、あやかるしかない!!


2007/07/08

正義が国を亡ぼす!? - 人間は不完全極まりない存在 -

 一昨日は、明け方から激しい雨に見舞われた。少し寝坊していたら、高校生の次男が「学校まで送ってくれ」と。

 確かに送り届けて、朝飯を済ませたら、今度は中学生の三男坊が「お父さん、送ってー」と猫なで声で近寄ってきた。

 一瞬、父親としての威厳の保持と、甘やかし教育への疑問の狭間で迷ったが、やはり〃出来が悪い子〃ほど可愛く、ついついハンドルを握らされた。

 大手の交差点を右折して、堀端を時計と逆回りに半周。南陽堂前の変則三差路付近には、同類の〃親バカチャンリン〃がたむろしていた。

 この季節、若葉の緑が目に沁みる。巷では色々いやな事件が頻発しているが、やっぱり島原は、日本は美しい、と思う。

 以前にも書いたかも知れないが、有難いではないか。噴火災害時には、少しの雨でも〃必ず〃と言ってよいほど土石流が発生していたことを思うと。

 高田勇元県知事のコメントが忘れられない。「夜、長崎の公舎で雨音を聞く度、島原・深江のことが心配になって、居ても立ってもいられなかった」-。

 「国(自治体)が国民(市県民)の生命・財産を守るのは当然のこと」という論理は至極単純で、しかも全うなことだ。だが、その組織(システム)を稼動させるのは、不完全極まりない〃人間〃である、ということを同時に忘れてはならない。

 拙者が高校生の頃、梅雨期になると国道二五一号(南串山 - 加津佐間)でガケ崩れが頻発していた。当然のことながら、スクールバスも止まった。

 今のように携帯電話も普及していなかったので、復旧状況の把握も容易ではなかった。大雨が降れば、たいがい半日はつぶれた。

 しかし、偉い先生がいたもので、国語(漢文)を担当していたM先生(南串山町在住)は、雨の中を自家用の耕運機で学校に乗りつけたという〃武勇伝〃を残している。

 つい先年まで気付かなかったが、愛野展望台の一角に国道二五一号の敷設に尽力した、元建設大臣・馬場元治さん(南串山町出身)の銅像が建っている。

 普賢岳の噴火活動で手痛い打撃を受けた島原・深江地区はもとより、南目のガケ崩れ頻発地帯にも、頑強なロックシェッドが張られ、通行の安全性が確保されている。

 別段、舌禍事件で大臣を辞任したK先生を庇うわけではないが、馬場先生ともども島原半島には少なからぬ貢献をしていることも〃事実〃である。

 「覆水盆に還らず」の喩えにもある通り、国の安全保障を預かる大臣としては甚だ思慮を欠いた発言で、いくら弁明しようとも取り返しはつかない。

 ただ、よってたかって方式のマスコミ論調は…。「正義が国を亡ぼす」という山本夏彦翁の言葉を噛み締めている。


2007/07/07

「災」は「川」の一族 - 汚い河川管理に今日もタメ息 -

 7月7日はご存知「七夕」である。学研『今日は何の日?』によれば、五節句の一つで、天の川に隔てられた牽牛星と、織姫星が年に一度、この夜にだけ出逢うという伝説にちなむ。

 もともとは古代中国に伝わる「乞巧奠」(きこうでん)というという女子の技芸の上達を願った風習に、我が国神事の一種である「棚機女」(たなばたつめ)の信仰が結び付いたもの。歴史は古く、奈良時代から宮中行事として行われていた、という。

 この原稿を書いている時点での天気予報では、どうやら雨模様で、天の川のランデ・ブーは拝めそうにないが、天空のベールの向こう側に想いを馳せながら、「北田物産の創立30周年記念パーティ」で一献傾けることにしよう。

 同書に記されている7月7日の欄を見ると、他に「川の日」があった。建設省(現国土交通省)が平成8年に制定したもので、「七夕」伝説にちなみつつ、7月が「河川愛護月間」でもあることから。

 白川静さんの漢字暦(平凡社)も7月は「川」を取り上げている。川に類する漢字は沢山ある。そのまま列挙してみると、「江」「河」「深」「順」「泰」「災」など。

 元になる「川」の字の原形は、流れている水の形で、線の長さは流れの強弱。面白いのは平仮名「つ」、カタカナ「ツ」が「川」の古音に由来している、という説。

 「泰」の字の解説は想定外だ。「人を両手でおし上げている形で、水中に陥った人を、左右から救いあげている様を表わす」と。それを略した形が「太」だという。

 「災」と言う字も「川」の一族だった。水流が遮られて横流する形から来ており、人火が「火」、天火が「災」。「災」は水火のわざわいを併せた文字だ、という。

 学研の記念日事典を読む限りにおいては、「川の日」の制定にあたっては、「災害」とは切り離されているようだが、期せずしてその目的と合致しており、なかなか興味深い。

 ところで、島原半島には大きな河がない。あってもチョロチョロ流れる小さな川だ。この点は本州や四国など全国の他地域を旅してみると、いささか羨ましくもある。

 鮎漁の解禁日は全国一斉で、確か6月1日だったと記憶しているが、島原市周辺の河川では規模からいっても、まずそうした風物詩は望めない。

 だからと言って、悲観する必要もなかろう。何と言っても、島原には全国でも屈指の湧き水がある。有明海だって運河になぞらえれば、魚種豊富な大河である。

 ただ、残念なのは、その小さな川でさえ周辺の〃生活雑排水〃が流れ込んで管理が行き届いていないこと。透明感溢れる湧水とのミスマッチに、今日もタメ息が漏れる。


2007/07/06

間もなく引っ越します - NTTビル2階から1階へ -

 NTTビル2階から1階へ近く引っ越す。現在入居中の2階フロアには、NTTの電話交換設備が入っているため、玄関ドアにはセキュリティ・システムが施されている。

 そのため、契約者の皆様をはじめ、用事でお見えになる方々に随分とご不便をかけてきたが、近々オープン・スタイルの事務所に衣替えする予定だ。

 ただ、CATV関連の送出機器やインターネットのサーバー類などを置いた機械室と、制作スタッフの部屋はこれまで通りの配置(2階奥)となる。

 田舎で育ったから、子どもの頃に引っ越しをした経験がない。転校してくる者も駐在所の子弟くらいでまずいなかった。一つだけ記憶にあるのは、小学2年時のこと。

 昭和38年だったと思うが、五島の福江市で大火が発生して、顔にヤケド傷を負ったNという男の子が転校してきた。確か兄と妹がいて、住職が保護司をしている近くのお寺に預けられていた。

 Nは小柄だったが、どことなく拗(す)ねたようでもあり、見た感じ、喧嘩が強そうだった。いつしか何かのトラブルで殴り合いになった。

 本気で戦ったら、意外と弱かった。ただ、気分は滅入った。後から担任の先生に「他所から来て、友だちもいない子をイジメテどうするの」と叱られた。今度はこっちが泣きたい気分になった。

 しかし、喧嘩をしたことで仲良しにもなれた。ただ、境遇からくるものか、Nは地元の人間とは明らかに違っていた。

 中学を卒業してからは全くの音信不通。何年か後の同窓会場に現れたNはミュージシャンでもあるまいに、長髪のタンクトップ姿だった。元気にしているのだろうか?

 またまた悪い癖で脱線してしまった。引っ越しの話に戻る-。

 今でこそ「サカイ」や「アート」などという新手の引っ越し業者が登場しているが、我々が学生の頃の引っ越しは「日通」と相場が決まっていた。

 労働市場は貧乏学生。大学の学生課や学徒援護会などの貼り出しを見ては、一日数千円のバイト代欲しさに、よく駅前に並んだ。

 後で気付いたことだが、時々〃ご祝儀〃をくれる家もあった。そんな折はいつにも増して張り切った。肉体労働と引き換えにノドを潤したホッピーの味。今でも忘れられない〃青春のほろ苦さ〃だ。

 ただ〃弱点〃も抱えていた。もとより不器用なものだから、家具類の組立などを頼まれるのが大の苦手だった。

 ある時、友人のO氏と訪ねた世田谷の閑静な住宅地。品の良い老婦人からベッドを作るよう頼まれた。二つ返事で引き受けたものの、どうにもネジが余る。

 仕方がないのでポケットに入れて、そのまま帰った。申し訳ないが、その後のてん末は知らない。


2007/07/05

腹立ちア・ラ・カルト - 怪しからんぞ『五足の靴』 -

 先日、藪から棒といった感じで、ある酒席で「訳の分からんコラム」と吐き捨てられた。別段、親しくもない人間から。

 乾杯前の素面での発言だっただけに、怒りを通り越して呆れた。席は一人置いて右隣。確たるご批判なら耳も傾けようと思ったが、そんな様子は窺えない。ご本人はいたってゴキゲンの様子だった。

 まあ〃軽口〃の類いだろうが、こちらはたちまち鼻白んだ。ゴルフで言うなら、ショットの直前に、〃チャチ〃を入れられOBを叩いたような気分だ。

 しばらくは我慢して居たが、腹の虫が収まらなかったので、二次会は御免こうむった。翌朝、家人にその話をしたら「相手にせんで良かさ」と一言。

 余りに卑近な事例で申し訳ないが、言葉はそれ程までに人を傷つけるものだと痛感した。一方、場合によっては、励ますものでもある。ここはぐっと堪えて「他山の石」としよう。

 と、この原稿を書いていたら、旧知の人から「こともあろうに、しかるべき地位にある人間(政治家)から、ウチの社員がバカ呼ばわりされた」と、憤懣やるかたない口調で電話がかかってきた。

 「私は選挙でも応援した。私個人に向けられた批判なら構わないが、可愛い社員のことをよくも…。最も言葉を大切にしなければならない職種の人間にあるまじき暴言だ!!」と、息つく間もないくらいだ。

 その上で振られたのが、先日の久間防衛大臣による〃舌禍事件〃。「歴史認識の問題以前に、被爆関係者の心情を想えば、あってはならない発言だった」と残念がった。

 ところで、少し以前の話だが、さる筋から「島原人よ怒れ!!」とのメールを頂戴した。その矛先は岩波文庫から出ている『五足の靴』という作品に対して、であった。

 同作品は明治40年夏に書かれた匿名の紀行文で、新聞にも26回にわたって連載された、という。作者は「五人づれ」とされているが、解説には雑誌『明星』に集う若き詩人たち、と何やら思わせぶり。

 随分と以前から耳にしていた〃問題の作品〃でもあったが、実際に買い求めて読んでみて、「これはひどすぎる」と思った。

 5人づれとは北原白秋、平野萬里、太田正雄(木下杢太郎)、吉井勇、そして与謝野寛(鉄幹)。いずれも日本文学史上に名を遺した人物だ。

 福岡、唐津、佐世保、天草などを経て島原入りした五人だが、その記述が余りにもお粗末だ。事実無視。とても文学者の表現とは思えない。メール発信者よりの「怒れ!!』とのご指摘もむべなるかな、である。

 余りにおぞましいので引用を避けるが、あの叙情派の小椋佳が師とも仰ぐ白秋先生がこの五人組に含まれていようとは…。しかも岩波書店から…。

 こりゃ黙っちゃおられんばない。抗議ばしましょで!!

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2007/07/04

奥深い剣道の「残心」 - 勝利のポーズも色々だが… -

 昨日の月曜日(2日)は、やたらと早起きしてしまって、テレビのチャンネルをザッピング(次々に回していくこと)していたら、テレ朝系で「第62回全米女子オープン」の模様を放映していた。

 日本からは宮里藍、大山志保、横峯さくらの3人が出場していたが、残念ながら、来年度の出場権を獲得できたのは宮里(10位)のみ。他の二人はあと一歩のところで及ばなかった(22位タイ)。

 優勝争いを演じたのはクリスティー・カー(米国)と、昨年度賞金女王のロレーナ・オチョア(メキシコ)で、二人とも〃メジャー初制覇〃を懸けての戦いだった。

 結局、最後はカーがオチョアの追撃を振り切って幕を閉じた。優勝賞金は56万ドル、日本円に換算してナント約6千900万円だというから驚きだ。

 実はこの試合では、勝敗の行方よりむしろ、優勝者のパフォーマンスそのものに注目していた。初優勝だから、陽気なアメリカンらしく勝利の雄叫びをあげるのか…などと。

 ところが、カーの動きは違った。最後のパットを沈めた瞬間から、じっとその場に佇み、静かに両手で顔を覆った。完全に予想に反した形だったが、心地よい感動すら覚えた。

 男子プロの王者とも言うべきタイガー・ウッズの右手を突き上げるようなポーズは余りも有名で、アマチュアゴルフ界でも良く真似をする人がいる。

 本来であれば、拙者もその部類に入るところだが、飛距離から言って〃パー以上〃のスコアの可能性はないので、まずもってその局面に到達しない。

 ゲーム、スポーツに限らず、人生には「勝ち」「負け」が必ず存在する。眩いばかりに光り輝く勝利者。その陰でがっくりと肩を落とす敗残者。コンピュータの世界にも通じる「陰陽」の対比だ。

 そんなことを考えながら、ふと先日耳にした、剣道における「残心」の話を思い出した。教えてくれたのは、ゴルフの優勝経験豊富な宅島建設営業部長(取締役)の宅島寿孝氏。

 「剣道の試合では、自分の竹刀が相手をとらえたからと言って、舞い上がって喜んでいるようでは、絶対に『一本』とはなりません。大切なのはその後の『残心』なのです」。

 氏によれば、「そこが剣道と他競技との大きな違い。剣道の『一本』は『気』『剣』『体』が一致して初めて認められるもの」。

 そう言えば、オリンピックの柔道なんかでも、優勝した日本人選手が派手なガッツ・ポーズをしている場面を良く見かけるようになった。

 これも氏から聞いた話だが、大リーグではホームランを打った後に、決してその打者はガッツ・ポーズをしない。

 なぜなら、その行為は投手を侮辱することであり、次回の「死球」を約束することだ、と。こちらも奥が深い。


2007/07/03

今日で丸1年です - 襟を正して「原点」に!! -

 本欄をスタートしたのが、昨年7月2日付けの紙面。したがって、今日で丸1年。ほぼ2日に1回のペースで書き続けてきた計算が成り立つ。

 印象を一言でいえば「汗顔の至り」である。浅学菲才の身をも顧みようともしない拙者の〃我儘〃を、じっと聞き入れてくれている社長に、まず深謝。

 同時に、時としてきついお叱りを頂く、心から地元紙〃のあり方を考えて下さっている多くの読者の方々に、改めて感謝の意を表する次第である。

 先日、ある本屋を覘いたら、長崎新聞『水や空』や、論説を書き続けている高橋信雄さんの本を見つけた。タイトルは『平和コラム・信の一筆』(長崎新聞社刊・1,470円)。

 さすがに本島等長崎市長襲撃事件のスクープ報道で、1990年度の新聞協会賞を受けた気鋭のジャーナリストだけに、文章に無駄がなく、格調高くまとまっている。

 その本を目の前に置くと(まだ全部読んでいない)、何となく気後れしてしまうが、「一寸の虫にも五分の魂」だ。今後も「鼓笛隊の笛」的視点で、駄文を書き続けて行こう、と思う。

 話は変わるが、岳父である当社の社長は不器用な人だが、時として心に染み入るような〃粋な振る舞い〃をしてくれる。その一つが居間のコタツの上にさりげなく置かれている本。

 それは発刊されたばかりの話題の新刊本だったり、自らの書庫から取り出したシミの付きの昔の単行本だったりする。

 毎晩のように飲み疲れて我が家に辿り着いた後、いわゆる〃酔眼朦朧〃の中で目にするわけだが、その時々の悩みの解決方法や、今後に取り組むべき指針をさりげなく示唆してくれているような気がする。

 このコラム欄を書き始めて間もない頃に配本されていたのは、扇谷正造・草柳大蔵の対談集『きょうの、この24時間 - 各駅停車的人生論 - 』(経済往来社・昭和58年刊)という色褪せた1冊だった。

 扇谷氏は朝日新聞(週刊朝日)、草柳氏はサンケイ新聞(→週刊新潮)と、出身は異なるが、両氏とも歴史に名を残す名文筆家として知られる人物だ。

 二人の話で面白いのは、編集する側から見た新聞記事の読み方。「ベタ一段の記事」との小見出しに続く部分を読むと、今でも何やら考えさせられることばかりだ。

 草柳氏が「ベタ一段の記事を8ページにした男」との社会心理学者による自身の紹介記事を率直に喜んでいるのに対し、扇谷氏はイギリスの古典的な事例を引きながら、現代ジャーナリズムの盲点を衝いて見せている。

 似たような話を『室内』編集長だった名コラムニストの山本夏彦さんが書いている。「明治時代の新聞はすべてベタ記事だった。見出しは甚だ勝手な新聞社の価値判断だ」と。

 1周年を機に、「原点」に還ろう。

きょうの、この24時間 - 各駅停車的人生論 (1983年)
扇谷 正造 草柳 大蔵
経済往来社 (1983/12)


2007/07/01

さよならコンゲツバラ - 妊婦の気持ちが良く分かる!? -

 「そんコンゲツバラだけはどがんかせんね。そんまましとけば病気になるよ」。母が感に堪えないといった表情で、拙者の腹回りに鋭い視線を突き刺す。

 「お言葉ですけど、お母様。一番何とかしたいと願っているのは、この私なんですよ。何とかならないから、困っているじゃないですか!!」。

 母の言う「コンゲツバラ」とは、妊婦における「臨月状態」を指す。抑えても、抑えても泉のように湧き上がってくる〃食欲〃。昨夜もさんざん飲み回った挙句に、帰宅後〃カレー2杯〃を平らげた。

 テレビの深夜番組を見ていると、元米軍人ご推奨の「ブートキャンプ」に、ベルトを巻いて低周波振動を伝える「アルブレックス」。さらには「栄養補助食品」のようなものまで、まさに〃百花繚乱〃の世界だ。

 理由は良く分からないが、ここ半年ほどで急速に肥り出した。ベルトの穴はもう余っていない。「腹回りが85センチ以上あれば、メタボリック症候群の恐れあり」と脅されるが、もうそんなレベルではない。

 ところが、これと言って身体はしんどくない。血糖値も、尿酸値も、血中コレステロールもまだまだ〃安全圏内〃。強いて言えば、最低血圧が少し高いくらい。もっとも、半年以上も前の検診結果だが…。

 デブになって一番困ることは、容易に想像されることだが、服が合わなくなること。この前の葬儀では、夏用の礼服のズボンが入らず、黒ネクタイだけで失礼させていただいた。

 夏場は暑苦しいのでよほどのフォーマルな席以外はTシャツやポロシャツで通させていただいているが、裾の部分をズボンに押し込むか、前に垂らすかで悩んでいる。

 会社の若い連中に言わせれば、Tシャツをズボンの中に入れるのはオジさんスタイル。でも、垂らしていると、何となくダラしない感じがするしなあ…。

 これまで何十回も減量に挑戦しては挫折した。高価な栄養補助食品も買い求めた。結局、ウオーキングも長続きしなかった。

 先日の出来事。ダイエーの3階フロアで「ブルブル器具」を付けて試していたら、そこに置いていたはずの車のカギと携帯電話が忽然と姿を消していた。

 正しくは〃忘れ物〃だと思った親切な方が、わざわざサービスカウンターまで届け下さっていただけの話だったが、正直ちょっぴり焦った。

 さて、今日で月が変わる。いよいよ文月、7月だ。日を追うごとに温度計の目盛も上昇していくことだろうが、体重計の目盛は必ず下げてやる。今度は絶対に諦めない!!

 一方で、デブになって分かったこともある。「靴下を履くとき時や足の爪を切るときに困るんですよね」。予定日を一日過ぎた妊婦さんが相槌を求めてきた。これって、お互い〃産みの苦しみ〃の一種!?