2013/09/28

人生いつからだって…感謝の心で日々を送ろう

さすがに今朝は日課(?)の草取りが出来なかった。昨日から県外に出張しているからだ。

それでもほぼ同じ時間帯に目が覚めるのは草取りの〝功徳くどく〟に違いない。感謝の気持ちを込めて、ホテルの窓から射し込んでくる柔らかな秋の陽光に手を合わせた。

さて、功徳と言えば、他ならぬ仏教用語である。その仏教界の大御所であった酒井雄哉ゆうさいさんが去る23日、87歳で亡くなった。天台宗総本山・比叡山延暦寺の中でも最も位の高い「大阿闍梨」(だいあじゃり)の称号を持たれていた方だ。

酒井さんを一躍有名ならしめたのは二度にわたる「千日回峰」(不眠・断食を伴う荒行)の達成。修行のために歩く距離は地球一周分にも相当する約4万キロだとか。

それだけでも驚いてしまうが、54歳と60歳という〝老境〟での飽くなきチャレンジ精神には、まったくもって脱帽だ。

師は多くの著作をのこされている。筆者も一冊(題名失念)だけ読ませていただいた記憶がある。随分と日が経っているので中身のことはよく覚えていないが、若い頃は相当な〝暴れん坊〟だったようなことが赤裸々に書かれていた。

読後、思ったのはこういうことだ。「大阿闍梨という偉いお坊様でも初めから立派だったわけではない。人生いつからだってやり直せるんだ!」と。つまり「生きる勇気」を授かった、というわけだ。

しかしながら、いかんせん凡人の身の悲しさ。時にそうした有難い教えのことをすっかり忘れてしまって、ふがいないことを続けざまに為してしまっている自分がいま、現実ここにいる。嗚呼…。

   ※    ※   

先日、101回目の島原倫理法人会モーニングセミナーに出席した。講師は崇台寺前住職の安藤光宣さん。愚息3人が空手道場でお世話になった恩師でもあり、何と言っても浄土宗の同門でもある。

安藤さんのお話を伺って驚いたのは、昨今の世の中の、心の乱れぶり。何と、仏壇のない家が7割もあるのだそうだ。

また、「直葬じきそう」という言葉も初めて聞いた。葬儀などは一切行わず、すぐにご遺体を火葬場に運び込むものだとか。その比率が都心部ではすでに2割に達している、という。

何という情けないことだろう。「日本人はついにここまで堕落したか…」などと筆者ごときが嘆いたところで何の解決策にもならないことは判り切っている。

しかし一方で、心のどこかで「自浄作用」がいずれ働くはず、それが日本人だ、という期待を抱いていないわけでもない。

はて、凡人の一人として何を為すべきか。せめては日々、仏壇に拝み、「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」…といった感謝の言葉を心から述べることにしよう。


2013/09/26

半沢直樹は必ず帰る!!…はて、今年の流行語大賞は

「自分で自分をほめたい」と涙ながらに語ったのはアトランタ五輪(1996年)の女子マラソンで銅メダルに輝いた有森裕子さん。その言葉は同年の「流行語大賞」にも選ばれた。

ところで、気の早い話だが、今年の「流行語大賞」には何が選ばれるのだろう?昨夜、サウナ風呂の後で、ひとしきりその話題で盛り上がった。

或る人は2020年の東京五輪誘致を決定づけた「お・も・て・な・し」を一押しで取り上げた。すると、傍らの御大がバスタオルで股間の辺りをやけに丁寧に拭きながら「いやぁ~いやぁ~、『じぇ・じぇ・じぇ』(NHK)ばない」と反論。

まるっきり根拠はないが、筆者の予想では「じぇ・じぇ・じぇ」が大本命で、歴代第4位という高視聴率(関東地区42・2%)をはじき出した『半沢直樹』(TBS・日曜劇場)発する「倍返しだ!」が有力対抗馬か。

時にその『半沢―』の話だが、皆様は予想通りの結末だっただろうか?恐らく、勧善懲悪型ドラマに似つかわしくない「意外な収め方」に首を傾げられた方も多かったのでは…。

通常であれば、性悪な上司の悪事を暴くと同時に、所属組織(都市銀行)の窮地を救ったわけだから、論功行賞的な辞令が出されても良かったはずだ。

しかし、結果として半沢は頭取の鶴の一声で、子会社の「東京セントラル証券」への出向が決まる。率直に言って、この時点でTBS側の思いが透けて見えた感じがする。

それは原作者である池井戸潤の作品リストを見直してみれば、至極当然な成り行きとして映る。今回のドラマの下敷きになったのは『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』とされているが、その続編として書かれているのが『ロスジェネの逆襲』という去年の作品である。

主人公は同じく半沢直樹で、子会社の証券会社の社員として、親会社の都銀相手に大活躍するという、極めて似通った筋立てである。想った以上の高視聴率に、関係者が二匹目のドジョウを狙っているとしても別段不思議でも何でもない。いや、きっとそうするに違いない。

最後に、なぜ冒頭に有森さんの言葉を持ち出したかについて、少しだけ言い訳をさせていただく。実は、先般の連休以降、筆者は自宅周辺の草取りに励んでいる。少しだけ家人が手伝ってくれたが、孤軍奮闘と言ってもよい。

今朝も5時前に起床。出勤までの約3時間、ひたすらその作業に没頭した。おかげで体はクタクタ。アレルギー性鼻炎は突発するわ、汗疹はできるわ、もう散々である。でも、気持ちだけは清々しい。

筆者の余りの豹変ぶりに、母は「じぇ・じぇ・じぇ」と驚いている。「お母様、これが僕の孝行の『倍返しですよ!』などと言ったら、ちと言い過ぎか!?


2013/09/20

ロマンティックな月見!?…同志社OBのMT先生のこと

19日は「中秋の名月」。島原市内でも夕方から、海・山の各所で、その月を愛でる公的な催しが賑やかに繰り広げられる、とか。多分、昼間この天気だから間違いないだろう。

蛇足ながら、「中秋―」の日取りは決まっているものではなく、昨年は30日、一昨年は22日、そして来年はぐっと早まって8日だそうだ。

さて、NHK大河ドラマ『八重の桜』が人気だが、月の話で思い出すのは主人公・山本八重(後の新島襄夫人)が会津降伏の折に詠んだ次の一首―「明日の夜は 何国(いずこ)の誰か ながむらん なれし御城(みしろ)に 残す月影」

長い籠城戦の末に、奮戦むなしく敗れ去った会津藩。八重はこもごもの思いを胸に、鶴ヶ城三の丸の雑物蔵の壁に櫛を使ってこの和歌を刻んだ、と言われている(=上杉時代館)。

その後に生まれ変わった八重の〝変身ぶり〟についてはテレビを観ていただきたいが、1つしかない月を、「同じ時間帯に」、それぞれ「別の場所から」眺めるという設定は、何とロマンティックなことか!

可能であれば、そうした〝状況〟に我が身も置きたいと願うが、いかんせんもうその〝若さ〟がないし、肝心要の〝相手〟がいない(勿論、経験もない)。今となっては「月観て一杯」がせいぜいか…。

ところで今日(19日)は、午前中に「島原振興局」と「FMしまばら」との間で、防災情報の提供に関して協定を結ばせていただいた。

詳しい内容については別途新聞記事やKTN、NCCのニュースをご覧になっていただくとして、会見場では語らなかったが、個人的には様々な思いが交錯して感慨深かった。

現在、ロックシェッドが設置されている区間は、筆者高校時代の通学ルートであったからだ。当時(昭和40年代後半)は、雨が降る度に土砂崩れが起きて、よく通行止めとなった。

そんな折、活躍されたのが八重とも無縁ではない同志社OBで国語教師だったMTさんだ。先生は南串山町・小津波見在住で、バス通学生の生活指導役としても活躍されていた。

例によって通行止めになったある日のこと、先生は「いずれバスは動き出すだろう。しかし、自分は教師だから、その前に学校に行っておかねば!」と、耕運機(テーラー)を駆って出勤されたのだそうだ。

その〝逸話〟〃が本当かどうかまだ確認はしていないが、事実だとすれば、当時の時代状況を彷彿とさせる、何とも微笑ましい話ではないか。

直木賞作家の山本兼一(『利休にたずねよ』)に本屋大賞の百田直樹(『怪物と呼ばれた男』)…。先生に限らず、最近の同志社OBの活躍ぶりは目覚ましい限りだ。

ひょっとして先生も、筆者と「同じ時間帯に」…。仮にそうだとしても、全然ロマンティックなんかでない!!


2013/09/19

免許切り替えを前に…怪しげな夜中のチャイム

運転免許証更新の知らせを受けてひと月余り。写真は用意しているものの、いまだ手続きを済ませていない。

誰しもそうであろうが、何となく警察の門はくぐり難いもの。出来得ることなら係わりたくない、と思われているのでは…。

ところが、市民感覚とは勝手なもの。何か〝困った事〟が起きると、真っ先に思い浮かべる相談先は警察である。

もっとも最近では、被害届けを出そうにも、まともに取り扱ってくれなかったが故に、悲惨な事件にまでつながってしまった事例も幾つかあるようだ。

私事で恐縮だが、半月ほど前、島原警察署を訪ねた。ご多分にもれず、我が家にとって〝困った事〟が発生したからだ。

それは、ある夜のこと―。さんざんテレビを観た挙げ句に、傍らの読みさしの本を読んでしまおうと深更まで居間で起きていた矢先に起きた。

「ピンポーン♪」「ピンポーン♪」…と、来客を告げるチャイムが怪しげに4回も鳴ったのだ。音からすると、中庭にある裏玄関の方だったから、まずはそちら方をと、ガラス戸越しに確認したが、誰もいない。

ひょっとして何かの聞き違いで、通りに面した表玄関かも…。恐る恐る開き戸をあけてみたが、人影も何も見当たらない。何せ真夜中である。

では、一体誰が?怪訝な思いで居間に戻ったら、母と家人が「なぁ~ん一体、今のチャイムは?裏玄関の音やったとん」と、眠そうな目をこすりながら起きてきた。

「アンタ男やろ!外に出てその辺ば見てこんね」との命を下されたので、熊野古道逍遥の折に仕入れてきたスギの杖を携えて、自宅周りをウロウロ。

が、痕跡のようなものは何もない。これはもう完全なるミステリーだ!ただ、その晩は気色が悪くて寝室に戻らず、裏玄関に近い応接間のソファで寝た。

一夜明けて、再び周辺を捜索してみたが、特段変わった様子は何もない。ワザワザ中庭に入ってまでイタズラをするとも思えないし…。しかし、今の世の中、物騒だから…。

「そうだ、警察に行こう!」ということで、生活安全課に事の次第を詳細に申し上げた。担当の方は「今後も何かあったら遠慮せず110番へ」と親切に対応して下さった。

一方、自衛策として、懇意にしている電気屋さんに頼んで、センサー式のサーチライトを2カ所に設置してもらった。

幸い、その後は何も起きずに過ごしていたら、今度は昼間に弱々しい響きで「ピンポーン♪」「ピンポーン♪」。たまたま母と一緒に現場近くにいたので、単なる機器の老朽化による誤作動であることが判った。

島原署の方には、とんだご迷惑をかけてしまったようだ。


2013/09/18

福知山がいま“大変”…全島原挙げてご恩返しを!!

「義を見てせざるは勇無きなり」。『論語』の一節だそうだが、まさしくその通りだと思う。

ただし、それにはタイミングがある。事が収まってしまってから「どうした!?」「どうした!?」と押っ取り刀で駆け付けるようでは、上方お笑いのコントのようなものだ。

島原市の姉妹都市、京都府福知山市がいま、大変な状況にある。ご存じの通り、去る8月15日の花火大会での爆発事故(死傷者約60人)の余韻も冷めやらぬうちに、今度は台風18号(16日午後)に伴う集中豪雨で街中がすっかり水に浸かってしまった。

被害の詳細な実態はまだつかめていないが、歴史に残るような甚大な規模の自然災害であることは間違いない。本稿とは別に、同市に本社を構える両丹日日新聞社から被災写真を送ってもらっているので、そちらをじっくりとご覧になっていただきたい。

不謹慎な言い方かも知れないが、福知山はいま「火攻め」「水攻め」の苦境に置かれている。ちょうど今から20数年前の島原(深江含む)が苦い経験を味わったように…。

細かなことを言えば、「水害」と「噴火災害」との違いはあったにしても、ともに市民の日常生活や市政運営に密接に係わることであるから、本質的には同じことである。

皮肉にも、福知山が大水害に呑み込まれていたその時間帯、島原地方は典型的な初秋の日本晴れの天候に恵まれていた。

テレビニュースで伝えられる悲惨な状況を複雑な思いで眺めつつも、どうしようも出来ないのもまた冷徹な現実であった。それから丸1日。我々は一体どうすればいいのか…?

結論は簡単だ。いま島原市民として出来ることをやるしかない。島原市役所を基点にして、被災地が困っていることは何か?また被災住民の方々は何を求めているのか?―の諸情報を正確につかんで、早め早めに行動に移すことだ。

グズグスしているような暇はない。何よりも動き出すことが肝要だ。でなければ、「姉妹都市」締結に何の意味があろう?

支援の方法は走りながら考えていけばいい。正確な情報を捉えて、それぞれ持っているものを出すのである。お金のある人はお金を、体力のある人は体力を、物を持っている人は物を―といった具合に。

島原の皆さん、思い出しましょう。普賢岳噴火災害の当時、或いはその後も、福知山市民の方々からどれほど温かい励ましとご支援をいただいたか、を。

この際「他所からも助けてもらったではないか」とかいった〝屁理屈〟は忘れて、まずは歴史的にも繋がりが深くて日頃から親交を結んでいる福地山の地を応援しましょう!

「島原新聞」も「カボチャテレビ」も「FMしまばら」も、及ばずながら全力を尽くします。いつ?今すぐでしょう!!


2013/09/14

裏表なしで接しよう!!…世界が相手の「おもてなし」

「お・も・て・な・し」という言葉が最近、にわかに注目を集めている。きっかけを作ったのは、美形キャスターとして呼び声も高い、あの滝川クリステルさん(35)だ。

今月8日早朝、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、「2020年・東京オリンピック開催」を訴える日本チームの一員としてプレゼンテーションに立った滝川さんはにこやかな表情で、左手を使ってその5文字を区切り読みしながら、その後に合掌のパフォーマンスもやってのけた(言語はフランス語)。

振り返ってみると、フジテレビ時代の滝川さんの〝売り〟は、斜に構えてニュース原稿を読み上げるスタイルだった。それが今回は意表をついた〝正面突破〟。拍手喝采である。

ところで、「おもてなし」とは一体どういう意味なのか?広辞苑を四版、六版と続けて引いてみるが、見当たらない。おかしい?

仕方がないのでネットで検索。すると、何のことはない、「もてなし」に丁寧語(接頭辞)の「お」が付いているだけのいとも簡単な話であった。

英訳すると、通常は「ホスピタリティ」が充てられるそうだ。しかし、日本語の場合はさらに〝奥〟が深いらしく、「前橋市にはその真髄を教える専門学校まである」と、12日夜のNHK『ニュースウォッチ9』は特集を組んでいた。

さて、我が古里における「おもてなし」の実態やいかに?世界ジオパークの再認定も正式に決まり、原城跡が世界遺産の候補地に選ばれるのも時間の問題であろう(早ければ13日にも!?)。

改めて言うまでもないが、ジオパークや世界遺産を目指して近い将来、多くの観光客が押し寄せてくる事態は容易に想像される。

さてその時、これまでのような〝接客態度〟でいいものだろうか?ここは一つ、官民を問わず、深く考え、前向きに対処することが大事だ。

もっと言うなら、「おもてなし」の精神はひとり観光事業のみに求められるものではない。業種を問わず、老若男女すべての地域住民が持ち、それこそ〝裏も表もなく〟実践しないといけないものだ。

海があって、山があって、温泉や湧水が湧いていて、食材も豊富にある。だからと言って、他所から来る人々は絶対にそれだけでは満足しない。

「ようこそ島原半島へ!」の心からの歓迎とともに、滞在の期間中、あるいは帰ってからでも、「また是非訪れたい」「友人にも教えてあげよう」などとお客様を感動させることが出来なければ、我々の「おもてなし作戦」は失敗である。

いよいよ来年は長崎国体。7年後の東京オリンピックに向けて、世界が相手の「おもてなしレース」はすでに始まっている、といっても過言ではない。


2013/09/10

2020年は東京で…経済効果は150兆円超

ヤッター!バンザーイ!7年後、2020年の第32回夏季オリンピックの開催地に、日本時間8日早朝、「東京」が選ばれた。

〝朗報〟は宿酔の頭を抱えながら布団の中で聞いた。一足先に目を覚ましていた家人がブツクサ言いながら教えてくれたのだ。

スポーツにはからきし無縁の家人であるが、名前だけは先の東京オリンピック(1964年)に由来している、という。何でも、誕生したその日に「聖火」のリレーが島原城を出発したのだそうだ。

それはそうと、発表以来、テレビでは明けても暮れても「オリンピック」「オリンピック」のオンパレードである。

8日がたまたま「新聞休刊日」に当たっていたからかも知れないが、同じ顔ぶれを何度も何度も見せられて、いささか〝食傷気味〟の方も多いのでは…。

ただ、個人的な思いとしては素直に「嬉しい!」。ここ一番で、日本人の〝底力〟のようなものが存分に発揮出来たのかな、という気がするからだ。

一説によれば、近くて遠い国から、嫌がらせにも似た外交的な振舞いがあったとも報じられているが、結果良ければすべて良し、だ。

オリンピックは言わずと知れた、純然たる「スポーツの祭典」である。そして、そこでは民族の壁を超えた「感動」が必ず生まれる。

スポーツは正直だ。何より「ルール」が最優先されるのがいい。そこが「感動」の源(みなもと)でもある。

ややもすると、政治や経済の世界では「駆け引き」ばかりが最優先されるきらいがあるが、オリンピックの各種競技においてはそんな事はご法度だ。

一方で、開催国にとっては国威を発揚するだけでなく、経済的な波及効果も必ず伴う。韓国しかり、中国しかりである。

両国ともソウル、北京の大会を機に、新たな「経済大国」への道が切り拓かれたことは記憶に新しい。

日本だって例外ではない。経済白書が「もはや戦後ではない」と論じてから8年後に、先の「東京五輪」が開催された。そこに照準を合わせて東海道新幹線や東名高速が開通した。

随分と以前に「ホテルニューオータニ」(東京・紀尾井町)の特集番組を観たことを覚えているが、今を時めく「TOTO」も、オリンピック開催と連動したプロジェクトを機に、ナショナルブランド化への道をたどっている。

2020年東京大会の経済効果については「3兆円」(都知事周辺)とされているようだが、日本全体で見れば「ゆうに150兆円を超える」と、知り合いの証券会社の人間が電卓を叩いてみせた。

その数字が嘘か真か分かりはせぬが、「スポーツの祭典」に恥じないようなルールを遵守した官民を挙げての取り組みを望みたい。


2013/09/06

向田さん逝きて33年…『半沢』効果でTBS浮上

民間放送(第1号は日本テレビ)が始まって60年。その世界ではいまだに「視聴率」が番組の最終的な価値基準であることに変わりはない。何となれば、その数字こそが経営の屋台骨となるスポンサー料に直結しているからだ。

通常、1%の視聴数は100万人と言われており、いま人気の『半沢直樹』(TBS系)の今月1日放送分のそれは30%だったから、3000万もの人々がテレビの前に群がって「倍返しだ!」のセリフを楽しんでいたことになる。

当然のことだが、テレビの関係者はキー局・地方局に係わらず、一様にその動きに〝一喜一憂〟しているのが実態だ。

仕事柄、県内外の民放局を訪ねる機会もあるが、調子の良い局は、受付のコーナーからエレベーターの中に至るまでペタペタとその数値を貼り出している。

率直なところ、違和感を覚えないでもない。しかしながら、選挙戦における〝得票数〟のようなもの、と思えば合点もいく。

さて、その過激な競争の中で、今年の8月放送分に関しては、TBSがフジテレビを抜いて3位に浮上した、とスポニチアネックスが報じている(5日付)。

1位は日本テレビで、2位はこのところ絶好調のテレビ朝日。ゴールデン帯(午後7時~10時)では、2位と3位との差は僅かに0・3ポイントだった、とか。

TBSの視聴率を押し上げた立役者はもちろん『半沢直樹』に他ならない。しかし、これとていつまでも続くという保証はどこにもない。

30年ほど前までは、在京キー局の中で最下位の指定席は東京12チャンネル(テレビ東京)と決まっていた。今と違ってNET(テレビ朝日の前身)は「振り向けば12チャンネル…」などと揶揄されていた。

当時の雄はTBS(東京放送)で、「報道のTBS」「ドラマのTBS」などと社員諸氏の鼻息も随分と荒かった。

その後、漫才ブームを巻き起こしたフジテレビが「面白くなければテレビではない」とのキャッチフレーズのもと大躍進。日本テレビと熾烈なトップ争いをつい数年前まで続けていたことは記憶に新しい。

ところで話は変わるが、NHK総合で放送された『クローズアップ現代』(4日夜)では、脚本家で多くの人気テレビドラマを書き下ろした、向田邦子さんの没後33年を特集していた。

インタビューの中で向田さんと親しかった黒柳徹子さんがとある〝裏話〟を披露していた。それによると、向田さんの口癖は「人生すべてあざなえる縄のごとし」だった、という。

今となっては確かめようもないが、向田さんもやはり「視聴率」を気にしていたのだろうか?いやいや、そんな「俗物」なら、もうとっくの昔に忘れ去られてしまっているはずだ。

…享年51歳。改めて早過ぎる死を悼む。


2013/09/05

プロの業に驚嘆!!…ゼロから発した豊後高田

東京在住の老齢のオヤジさんが7月上旬、娘さんの運転する車に乗って島原新聞社を訪ねてきた。聞けば、前泊地は島原とも縁の深い大分県・豊後高田市。

着くなり、弊紙について根掘り葉掘り取材を開始。古びた応接用のソファーにどっかと腰をおろし、大学ノートを広げて、やおらカバンから高級そうな万年筆を取り出した。

記録用のICレコーダなどは持参していない。対面を重視する、根っからのアナログ取材だ。ふと、噴火災害当時に、雑誌の取材で東京からやって来た著名なルポライターの仕種しぐさを思い出していた。

もちろん初対面ではあったが、醸し出す雰囲気からすぐに打ち解けた。会社経営にかまけていつしか忘れていたが、取材記者独特の同じ〝臭い〟が漂ってきたのだ。

次々と繰り出される質問に対して訥々とつとつとしか答えられないもどかしさを感じつつも、覗き見る万年筆の運びは殊のほか滑らかだった。正直、「これがプロのわざか!」と唸った。

取材そのものは写真撮影も含めて一時間強で済んだ。後は島原自慢の美味い酒と肴を挟んでの懇親会。久々に〝談論風発〟の中に身を浸した。

それからちょうど2カ月。ほとんど忘れかけていたところに、一昨日、洒落た装丁の印刷物が送られてきた。『リベラルタイム』というビジネス関係の月刊誌(10月号)だ。

紹介が遅れてしまったが、お運びいただいたのは『サンデー毎日』の元編集長・四方しかたひろしさん。全国各地の「郷土紙」の取材を行っているとのことで、弊紙の連載で10回目。ちなみに、前回は岡山県の「津山朝日新聞」。「次回は青森県を訪ねる予定だ」とか。

四方さんは政治部出身だそうだが、「余り馴染めずに社会部との間の〝中二階〟で仕事をしてきた」と苦笑い。TVでもおなじみの鳥越俊太郎さんは週刊誌時代の後輩だという。

誤解のないように言っておくが、そんな著名な人に取材を受け、雑誌にまで紹介されたことを自慢するために書いているのではない。四方さん自身「地域紙の頑張りがその土地の浮揚に欠かせない」が持論で、その点では筆者と考えがピタッと一致している。

一方で、趣味人でもある四方さんは『蕎麦春秋』という別の月刊誌も手掛けており、「お前さんは島原ソーメンの産地の人間だから仲間に入れてあげる」と、特別に入会許可を下さった。

冒頭の話に戻る―。豊後高田市にある蕎麦屋の軒数は現在13店。まったく〝ゼロ〟からの出発だったと言うから、ひょっとして、何かしら今後の展開に向けての〝天の啓示〟ではなかろうか…?

さらに余談だが、四方さんは現在、自身の古里でもある京都市近郊で「郷土紙」の拡販にも取り組んでいる。コシの強い麺のような〝長~い付き合い〟になりそうな予感がする。


2013/09/04

あれっ、二酸化炭素は?…昔は「電気」が付いていた

人間はまことにもってワガママな動物だ。つい先日まで、あれほど「暑い!暑い!」と騒いでおきながら、今となってはもう誰もそんなことは口にしない。

島原界隈の世間一般における〝繰り言〟の中心は今や「雨!雨!雨!」。本格的な台風シーズンに突入したのだから仕方のないこととは言え、やはり身勝手の感はぬぐえない。

全国ニュースで「やれ何処そこで気温が40℃を超えた」などと取り上げられていた最中に、弊社のスタッフの一人が朝礼で面白いことを言っていた。

《二酸化炭素排出量云々の話はどこへ行ったのでしょう?それよりも今は『熱中症に罹らないように適度に冷房を入れましょう』などと至る所で喧伝されています。つまりは、人間なんて目先のことしか考えられないのではないでしょうか?》

ヒートアイランド現象に節電要請、原発の再稼働に賛成VS反対…。今の世の中、一体何が正解なのか分からなくなってきているのではないか?

数日前の新聞に「パナソニック製の洗濯機の生産台数が1億台を超えた」という記事が出ていた。それによれば、第1号機ができたのは昭和26年の9月。実に62年をかけての大台達成である。

同社の創業者である松下幸之助さんは「家庭の主婦を家事の重労働から解放する」と開発の意義を語ったそうだが、値段を聞いてビックリした。

何と5万3000円もしたのだそうだ。当時のサラリーマンの平均給与の約8カ月分ということだから、婚約指輪(通常、約3カ月分)の遥か上をいっていた、というわけだ。

テレビ放送(白黒)が始まったのはそれより遅れること約2年。これに冷蔵庫が加わって「三種の神器」と言われていた。

しかし、よくよく考えてみれば、洗濯機もテレビも冷蔵庫も「電気」がなければ、ただの「箱物」にしか過ぎない。

筆者の記憶では、さすがに「電気テレビ」とまでは言わなかったものの、洗濯機にも、冷蔵庫にも、その頭には「電気」の二文字が冠してあったように思う。違うだろうか?

いつしか、我々は電気があるのは「至極当然のこと」と考え始めるようになった。だからこそ誰も、「電気洗濯機」「電気冷蔵庫」などとフルネーム(?)で呼ばなくなってしまったのである。

余談だが、日本における「原子力発電の父」と言われているのは、読売新聞社主などを務めた正力松太郎さん(元警察官僚、政治家、実業家)である。

この人物の評価は他に委ねるとして、「プロ野球」や「民放テレビ」などもすべて、この〝大正力〟(影響力の大きさでそう呼ばれていた)が我が国に種を蒔いたものだ。

洗濯機の記事を読みながら、柄にもなく「当たり前生活」の是非を考えてしまった。


2013/09/03

またしても“雨”に…次こそロケットスタートだ

満を持して臨んだ大会だったのに…。折からの降雨の影響で〝延期〟になってしまった。他でもない「深江町民チャリティゴルフ大会」(1日・島原カントリー)のことだ。

前週の「宝友会」(宝酒造島原工場関連の定例コンペ)に続いての、意地悪な天の配剤に、またしても涙をのんだ。まっ、おかげで〝出費〟は減ったが。

「深江―」は、地元の商工会やライオンズクラブが中心となって「普賢岳噴火災害時にいただいた全国からのご支援に少しでも恩返しをしよう」と始まって、今年で15回目。

年々その輪は広まっており、今回も120人を超える腕自慢(?)が早朝から集まっていたが、開始早々から横殴りの大雨にたたられてしまった。

それでも一縷の望みを託して開会式等の行事は予定通りに―。筆者はインスタートの5番目で、初っ端から「ダボ」と、いつもながらの甚だふがいない滑り出し。そして、3ホール目に「中止!」の伝令。

川のように流れる「カート道」を眺めながらスゴスゴと引き揚げたわけだが、途中、落雷で倒れた松の大木に出くわして慄然とする一幕も。

事務局としても苦渋の判断だったはずだ。しかし、何よりも「安全が第一」だ。次回(今月21日)こそは、きっと晴れてくれることを願っている。

と言ったわけで、昨日曜日は急きょスケジュールが空き、「はて何をしようか?」と迷ってしまったが、結局のところは〝読書〟で日がな過ごすことに。

先週も小欄で書かせていただいたように、最近の小生のマイブームは『半沢直樹』である。いや、より正確に言えば、作者の『池井戸潤』である。

前者は、TBS日曜劇場で高視聴率を稼いでいる番組の主人公で、堺雅人の熱演ぶりが各方面で大きな話題を呼び、「社会現象」とまで称されている。

もちろん、昨夜のストーリーも固唾をのんで見守ったわけだが、実を言うと、その〝原形〟とも言うべき直木賞の受賞作はまだ読んでいなかった。

それは3年前に小学館から出版された『下町ロケット』という作品だ。新刊サイズで400ページを超える大作だが、一気に読ませてしまう〝筆力〟がこの人には確かに備わっているように思う。

話そのものが頗る面白いだけでなく、何かしら生きていく(=企業を経営していく)上での〝勇気〟のようなものを与えてくれるのだ。

ロケット関しては先日、「イプシロン」という日本製ロケットの打ち上げ中止のニュースが大きく報道されたが、この作品を読んでおくと、さらにまた感慨が深まるのではないか。その意味でもお薦めの一冊だ。

何の脈絡もないが、次のコンペでは必ず「ロケットスタート」を切ってやる!?


2013/09/01

夏の日のよき思い出…金子さんの話と花火大会

処暑しょしょ明けの1週間が過ぎ、いよいよ今日から9月。振り返ってみると、ことしの8月は公私ともども色んな事があり過ぎた。

しかし、今となっては全て過去の出来事である。もちろん取り返しなどつくはずもなく、と言って、心配していたほど最悪の事態でもなさそうだ。まっ、そのうち何とかなるさ!?

しかし、そうした中でも「よかったよなぁ~!」と思う話が幾つかある。1つは島原倫理法人会・第96回モーニングセミナー(8月19日)で聴いた金子宗弘さんの講演。

金子さんは島原市萩原三丁目で代々続く石材店を営んでいる。ふだんから「地域のために自分が出来ることは何か?」を考えているそうで、役職を頼まれたら「二つ返事で引き受けてきた」という。

ちなみに、これまでを振り返ってみると、島原幼稚園の保護者会々長に始まって、二小、一中、島原工業高校でPTA会長。最近では青年会議所、ライオンズクラブでも代表を務めている。

筆者の胸を打ったのは〝石屋さん〟ならではの職人気質が刻み込まれた次の言葉―。「頂いた『恩』は石に刻んで、『恨み』は水に流す」というもの。

金子さん自身が編み出した言葉なのか、誰かの受け売りなのか知らないが、もうそんなことはどうでもいい気がするほどの「名言」だと思って感心した。

金子さんはもう1つ感銘深い話をしてくれた。それは―「先祖の弔いは人間のみに出来る尊い行為である」と。

言われてみたら確かにその通りで、ライオンやサルやゾウ…などの動物がお墓をつくって、仲間内で拝んでいる光景など見たことがない。

最近では葬儀の在り方やお墓に関する考え方も様々あるようだが、金子さんの話を伺っていて「島原は今のままが一番いいんだ」との思いを強くした。

お次は「第21回島原温泉ガマダス花火大会」(同実行委)の話―。

ことしは特に姉妹都市の京都・福知山市であのような悲惨な爆発事故が起きていたため、同実行委員長の水元敦実さんをはじめ関係者全員が大いに気を揉んでいたが、無事に完了したのは何よりの「朗報」である。

聞けば、ことしのように最初から最後まで晴天の状態が続いたのは初めてのこと。もちろん花火そのものも素晴らしかったが、見物客・露天商の皆さんが一体となったフィナーレのまとまりぶりはさらに見応えがあった。

筆者もFMラジオの中継ポイント付近に陣取って事の推移を注意深く眺めていたが、警察関係者のご指導もよろしく、打ち上げ終了後の30分間で、実にスムーズに交通規制の解除が出来た。

来年以降もこうした後味の良い運営が続いていきますように!!