2008/05/31

蟻には蟻の魂がある!!…巨象が口にする虚しき批判

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務清水眞守‐

親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない。文字通り、「親の意見」の大切さを表した諺だが、「親でもない人間」からとやかく言われると、ちと受け止め方は複雑だ。

何日か前の民放テレビのワイドショーで、島原地域の災害関連の各種施設を、「税の無駄遣いの象徴」として告発する内容の番組が流された、という。

あいにく見ていないので論評のしようがないのだが、地域住民の誰しもが知っている方から、同番組に対する「憤りの投書」を預かった。題して「象と蟻」。

投書子はまず比喩的表現で、「突然、巨大な象が密林から現れて、その巨大な足で蟻の巣を踏み潰そうとしている」と前置き。名指しこそしていないが、巨象が「東京」、蟻は「島原」を指すもの、と想われる。

続く章では、歴史的な噴火災害を受けての数々の災害復旧・復興対策を、ハード・ソフト両面から総括。官民一体となって取り組んだ「がまだす計画」の意義と成果を唱えている。

その上で、昨年11月アジアで初めて開かれた「第5回火山都市国際会議」を通じて、確かに感じ取った「復興の手応え」を強調。併せて、世界各国の火山・砂防学の研究家から寄せられた評価(賛辞)の幾つかを紹介している。

さらにまた、今後の島原半島地域の重要方針の一つとして掲げている「ジオパーク構想」の動きについて言及。「将来を担う子どもたちの科学探求や自然保護思想の育成はもとより、防災思想の醸成にも大きな効果が期待できる」と。

同時に、「(今回のテレビ報道は)巨象が密林(首都圏)から島原(地方)に出て来て、小さな目でちょっと垣間見ただけの表層的な非難」「未曾有の噴火災害から復興へ向けての経過も何も知らない思いつき批判だ」と、バッサリ。

返す刀で「巨象は巨象なりの大問題(新銀行東京)を抱えているでしょう」と指摘。「どうぞ、ご自身の問題解決に専念していただき、地方の蟻が取り組んでいる『安心安全なまちづくり』には口を差し挟まないでいただきたい。蟻には蟻の魂がある」と結んでいる。

同番組を収録したビデオはいずれ見せていただくとして、素直に災害当時の状況に立ち返ってみても「都市部の人々からご批判を受けるようなことは、断じてない」と信じる。

いずれの災害対策も官民が一体となって取り組んだ、憲法第16条の精神(請願権)に基づいたもの。何より五百万人をはるかに超える署名の数が、当時の国民の声を明確に代弁しているのでは。

率直に言って、バブリー発想の「リゾート法」関連施設と、我が島原半島を同列に扱っていただいては困るのである。かつて、池田勇人首相は「山より大きな『猪』は出ない」と喝破されというが、どうやら今回の批判の主は「巨象」ならぬ「虚像」だったりして…。


2008/05/29

不思議な「挨拶」の語源…気持ちの良い島商の生徒達

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

厚く雲の垂れ込めた灰色の空を見上げながら、「フー」と溜息をつく。いかん、溜息をつくと、幸せが逃げて行ってしまう。ここは笑顔だ!!

朝の散歩で出会う見知らぬ人々にも、努めて「挨拶」をするよう心がけている。すると、大概の人は笑顔で返してくれる。

気持ちがいいのは島商の生徒たち。クリクリ坊主の悪ガキども(?)が、ペコンと頭を下げて「オハヨーす」。

「挨拶」の重要性に関しては、元島原高校教頭で長崎北高校長や、県立美術館長などを歴任した田中正明先生(前長崎女子大学長)から、懇々とうかがったことがある。

今改めてその「語源」をたどってみると、これが何とも面白い。白川静編『字通』(平凡社)を拾い読みしてみた-。

そもそも「挨」の意味は、1.撃つ、後ろから背を撃つ。2.強く押す、推しのけるように撲(う)つ。3.「よりそう、せまる、順序に次第する。

一方の「拶」は、韓愈(かんゆ)の詩から、迫る意に用いる。手でおす動作のことだ、と。

その二文字が組み合わさって、どうして現在のような意味になるか不思議だが、本来は「大勢がおしあう、または禅家で問答することだ」という。

まさか「挨拶」の話で〃禅問答〃まで出てくるとは驚きだが、たかが「挨拶」、されど「挨拶」である。

我が社の向かいは保育園で、朝夕はちょっとした送迎ラッシュである。正面玄関前に堂々と車を横付けする母親もいれば、駐車場に知らん顔で乗り込んでくる強心臓の持ち主も。

音無川沿いのその道は、白土湖線とアーケード街を結ぶ生活道路なので、比較的車の行き来が多い。したがって、小さな子供の横断には危険も伴う。

時間に追われたお母さん方が「安全確保」だけを気に留めて、そそくさと子供の手を引っ張って渡られるのは結構だが、「挨拶」がないのは寂しい限りだ。

全部が全部ではない。中には「おはようございます」「こんにちは」と頭を下げていかれる親御さんもいる。気持ちがいい。「どうぞご遠慮なさらずに、駐車場を使って下さい」と言いたくなる。これが〃人情〃というものだ。

これから夏場にかけては、花壇回りだけでなく道路に「打ち水」をすることになる。「挨拶」の重要性を歯牙にもかけない厚顔の主は、ホース上にタイヤが乗っかろうとも知らぬ顔。そんな時は、罪のない子供の顔さえ憎らしく映る。

語源の問題はともかくとして、「挨拶」は大事だ。人間関係の潤滑油である。日々〃仏頂面〃で暮らしている人間を見ると、「かわいそうに…」と思う。

いかん、また溜息が出てきた。それでは最後に、学習院方式で「皆様、ゴキゲンヨー」。


2008/05/28

全面改装で〃新機軸〃…雲仙観光ホテルの石毛GM

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ゲストに「雲仙観光ホテル」の総支配人(GM=ゼネラルマネージャー)石毛芳子さんを招いての「ターニングポイント」(4回目)の放送が26日夜、無事終了した。ホッとしている。

本来であれば、昨年秋口の就任直後を見計らってインタビューすべきところであったが、諸般の事情で今日まで延び延びになってしまっていた。したがって本稿は、CATV&FMの生放送で紹介できなかった点も含め、改めてその「人物像」に迫りたい。

昭和23年2月生まれの60歳。いわゆる「団塊の世代」に属する。生誕地は栃木県大田原市。弓の名手、那須与一や唐辛子の産地として知られる、人口八万弱の地方都市だ。

横浜の県立短大を卒業後、昭和43年に日本航空入社。同期にマルチタレント、劇団ひとりの母。国際線の客室乗務員を経て、同47年から約1年半にわたって秘書室勤務。

上司は、佐賀県生まれで〃日航の天皇〃とまで崇められた松尾静馬会長(当時)。部下にはやさしい人柄だったようで、「とても好々爺のお方でした」と、振り返る。

在任中にボンベイやモスクワの航空機事故、赤軍派による「よど号ハイジャック事件」などと遭遇。新婚旅行先から急きょ呼び戻されたことも。

コンピュータ関連企業勤務だったご主人との間に、男の子2人。平成5年から4年間、社員研修の会社「ビーフォーシー」の専属講師を務める。

「ビー」は「ブリッジ」、「シー」は「ケアー」の頭文字。「まあ、困ってらっしゃる方のお世話係、とでも訳すのでしょうか…」と、屈託ない解説。

が、その時の経験は、後に勤務する「浅草ビューホテル」(平成9年~)で存分に活かされることになる。肩書きは宿泊部・宿泊課・お得意様担当支配人。

一言でいえば、ヨーロッパの老舗ホテルなどで見られる、「コンセルジュ」の役回りだ。このシステムは都市部の高級ホテルを中心に、日本でも次第に根付きつつある。

日本コンシェルジュ協会にも所属。浅草での働きぶりが堂島ビルヂング会長(大阪)の目に留まり、昨年9月、雲仙へ。

颯爽とした身のこなしと、人を逸らさない話術。何より笑顔が素晴らしい。「施設の全面改装も終え、いよいよこれからが本番」と腕ぶす。

上高地の「帝国ホテル」とも並び称される、雰囲気抜群の「ダイニング」(大食堂)では、パスタやチーズ・フォンデュの新メニューも。「地元の皆様も是非お気軽にお出かけ下さい」ということだ。


2008/05/27

あわや〃イーグル〃の怪…ゴルフ用語になぜ鳥の名前

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日曜日は久々の完全オフで、早朝からゴルフに出かけた。某機関が主催するコンペだったが、メンバーにも恵まれ、とても楽しい充実した休日を過ごすことができた。

たまのゴルフであるから上手かろうはずはないのだが、そこは名にしおう〃贅肉と煩悩〃の塊。「ひょっとして…」の〃欲望〃がいつしか頭をもたげてきては、必ず失敗する。

スタートホール1番、パー4。残り150ヤードのラフから6番アイアンで放った2打目のアプローチが、あわやカップイン。一緒に回っていたメンバーも驚いたが、何より自分が一番ビックリした。

おかげで、このホールは実にウン年ぶりの「バーディー奪取!!」となるのだが、残りホールはメタメタ。野球で言う「隅1」の結果と相成った次第。

ところで、ゴルフ競技の点数に「鳥の名前」が使われるのはどうしてだろう?例えば、本来4打で「パー」となるところを、2打目でカップインすれば「イーグル」。すなわち「鷲」の意味だ。

さらに、これがロングホール(パー5)の場合、2打目で入れると「アルバトロス」(アホウドリ)ということになる。調べてはいないが、「バーディー」の呼び名からして、「小鳥」から来ているのは明らかだ。

勝手な思い込みだが、これは恐らく「鳥類」という、人知を超えた自然の力を借りての〃偉業〃ということに違いない。まあ、調べれば分かることだろうが、ご存知の方があれば是非ご教授いただきたい。

ゴルフ場での「鳥」と言うと、「カラス」の存在が即座に浮かんでくるが、連中の標的は常に、新品の白いボール、もしくは黄色やピンクのカラーボールのみである。小生のようなヘボゴルファーが後生大事に使っている〃傷だらけ〃のボールには見向きもしない。

ところで、その「カラス」にまつわる恐ろしい話を、プレー後の表彰式で聞いた。何と、最近では生まれたばかりの「ブタの赤ちゃん」を狙っているのだという。

当社が入居しているNTTビルにも「カラスの軍団」が多く出入りしている。さしずめ、その〃黒服姿〃は暴力団のようでもあり、空からの脱糞被害にもほとほと困り果てている。

鳴き声をあげる際の身体の上下運動や、二本足を交錯させてのよちよち歩きは、時にユーモラスでもあるが、ゆめゆめ油断は禁物。何せ連中の本性は家族思いのギャングである。

週の初めからトリトメのない話で恐縮だが、英語の諺にも言う―「アーリー・バード・キャッチーズ・ザ・ワーム」。つまり、「早起きは三文の得だ」と。

こちらは小生得意のスコア「トリプル」とは無縁のようだが、早起きは単純に気持ちが良い。今朝も5時前に起きた。


2008/05/26

石毛総支配人がゲスト…名前は〃時代〃を反映して

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

数日前の本紙『ときの声』欄に、「スチュワーデスという呼び名が客室乗務員に変わって残念…」云々という文章が掲載されていたが、名前というのは時代を反映して面白い。

最近の「誕生コーナー」を見ていて、つくづくそう感じる。女の子で、語尾に「子」が付く例は滅多に見かけなくなってしまった。男の場合も、「男」や「夫」での結びはまずない。

先日、会社の前でバッタリ出会った海望荘の若女将が、同趣旨の発言を残して、けたたましく立ち去って行った。同世代でもあり、その点での考えは完全に〃マッチングゥ〃である。

冒頭に「名前は時代を反映する」と書いた。例えば、大リーグで活躍中の松坂大輔投手(レッドソックス)の名前は、かつて甲子園を沸かせた早実の荒木大輔投手(後にヤクルト)に由来したもの、との記事を読んだ覚えがある。

少し趣きは異なるが、戦後世代の「和子」もそうだ。多くは「平和な世界」の実現を願って名付けられたものだろうが、先般の「映画を成功させる会」で、南島原市の松島市長が「吉永小百合さん演じるのが宮崎康平夫人の和子さん。ちなみに、私の妻も和子」と言っていたのには笑った。

小生の名前「真守」はこれまで、「まったく」と言って良いほど見かけたことはなかったが、島原市が進めている「百年のまちづくり事業」の校正作業の過程でとうとう目にした。

幕末期に活躍した島原藩の志士、丸山作楽らと行動を共にしていた「梅村真守」という方だ。経歴等についてはまったく知識がないので、近いうちに郷土史家の野村義文先生にでも尋ねてみよう、と思う。

自分の事ばかり書くとまた家人がむくれるので、少しだけ触れる。その名「聖子」(きよこ)は、昭和39年、東京オリンピックの時の「聖火リレー」から来ている。そのせいか(?)、同級生にも「聖子」という名前の人が多いようだ。

時代を反映しているのは、何も人名の類いの固有名詞ばかりでない。この不況の世の中、「公務員」というのは、何となく「生活が安定している」といったプラスのイメージだが、本来は「公僕」という呼び名が相応しい。

英語でも「パブリック・サーバント」と訳すくらいだから、余り威張ってもらっても困るというのが、庶民の偽らざる心境だ。その伝でいけば、「スチュワーデス」の意味も、元々は「女性の執事」であるから、さして変わりはしない。

しかし、である。物事にはなべて「イメージ」というのが付きまとう。今はどうか知らないが、かつてスチュワーデスは「才色兼備」の代名詞だった。ましてや国際線ともなると!!

次回の「ターニングポイント」のゲストは、その国際線スチュワーデス(JAL)出身で、雲仙観光ホテル総支配人の石毛芳子さんだ。上手く飛べますように!!


2008/05/24

奥様はスゴ腕の編集長…ご主人は金融界のエリート

月刊文芸春秋6月号に、作家にして文藝春秋創始者の菊池寛を演じることになった西田敏行さんの手記が載せられているが、何の因果か、22日付の読売新聞文化欄には、別冊文芸春秋の女性編集長を「フロント4」という人物欄で取り上げている。

花田朋子さん。42歳。誰あろう、島原市白土町の山崎本店酒造社長、山崎重裕さん(77)の三男、山崎敦司さん(44)のお嫁さんだ。確認はしていないが、姓が異なるのは単に、ビジネス上のペンネームということだろう。

かつて同社には、江川紹子らを育て上げた花田紀凱(かずよし)という名物編集者(週刊文春やマルコポーロなどの元編集長)がいたが、何かしら関係があるのだろうか。ただ言えることは、同じ「花田姓」ではあっても「畑」は随分と違う。女性・花田は「文芸畑一筋」のようである。

読売の記事によると、この5年間で直木賞受賞作13作のうち、花田編集長が担当したのは何と6作品。表現を換えるなら、それらはすべて別冊文藝春秋(隔月刊)の連載の中から生み出されたもの。

ちなみに、それらの作品名は「星々に船」(村山由佳)、「邂逅の森」(熊谷達也)、「対岸の彼女」(角田光代)、「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん)、「風に舞い上がるビニールシート」(森絵都)。

一方で、花田編集長は映画にもなった一昨年の直木賞受賞作「容疑者Xの献身」(オール讀物)の作者、東野圭吾さんの担当者としてもつとに有名だそうで、後に新聞連載となった「手紙」の文庫本化を成し遂げ、現在百七十三万部を売り上げている、という。

東大卒のこの才媛を射止めたのが、敦司さんということになるのだが、こちらも同じ東大卒。ご主人の方も経歴では負けていない。財閥系の旧さくら銀行から経済産業省への出向を経て、現在は三井住友銀行横浜法人管業所長副部長の要職にある。

私事だが、我が家は山崎本店とは遠縁関係にあり、「まが玉」(銘柄)の名付け親は、島原新聞社先代社長の清水治代だ。さらに余談であるが、この敦司さんと家人は小学生時代、同じ塾で学んだという間柄でもある。

それにしても、どうして同じ島原の地に生まれながら、片方の家族だけが「ラ・サール」→「東大」といったエリート街道をひた走れるのだろうか、不思議だ。これじゃまるで人生における「上下分離方式」ではないか!?

いや、いや、人生には色んな「ルート」がある。新幹線の旅は確かに便利で快適だが、各駅停車の鈍行にも、それなりの楽しみがあるぞ!!

自らにそう言い聞かせながら夕食のビールをあおっていたら、「ただいまー」と、三男坊が元気良く帰って来た。見ると、その頭はクラブ活動で五厘刈りに剃られていた。嗚呼…。


2008/05/22

マツバボタンは凄い!!…老いるほど頭を垂れる…

小学生の頃は「廊下は走るな!!」との教えで育ってきたが、同じ〃響き〃でも「老化」の方はなぜか〃駆け足〃でやってきているような感じだ。

連日の早朝散歩のおかげで腰の具合は極めて良好。ところが、背骨部分が軽くやばい。立ったまま物を拾おうとすると、実に変な音がするのだ。機械で言うなら、「油切れ」の兆候だろうが、もうこれ以上の「脂肪注入」は危険を伴う。

いやー、それにしても痩せない。連休中に登山した絹笠山山頂でおさまった記念写真を、昨日頂戴したが、我が事ながら、何とも論評のしようがない。

歩き始めて、かれこれ1カ月以上が経つ。ところが、痩身効果のほどはサッパリ。食事もこれまでご飯3杯だったところを1杯半に抑えているのに…。

本当に「継続は力」なのだろうか…と、つい疑ってしまうが、「途中で諦めるから失敗。成功するまで続ければ成功なのである」との森本元成さんの教えで何とか踏み止まって頑張っているというのが実情だ。

ただ、早起きはとても気持ちが良い。澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んで歩いていると、何だかウキウキしてくる。堀端では、小鳥のさえずりに混じって、ウシガエル(食用)の鳴き声も。島原外港ビルで土産物店を営むM氏の話によれば、同カエルは抜群の〃精力源〃というが、真偽のほどは定かでない。

それより、会社の花壇に水を撒きながら我が身の〃衰え〃を日々実感している。花の名前はマツバボタン。この花は見るからに生命力が強そうで、朝からギンギンの状態で〃屹立〃している。男性諸氏には改めて説明は不要だろうが、いわゆる〃朝立ち〃の勢いである。

今では都知事となった石原慎太郎氏を世に送り出した『太陽の季節』の主人公は、それを用いて障子紙を破いたというが、本当だろうか?大体において、この手の話は〃誇張〃を伴うもの。従って「水に浸けたバスタオル何枚かの重みに耐えた」などという〃武勇伝〃は眉唾に違いない。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」をモジって言えば、「老いるほど頭を垂れる息子かな」といったところだろうか。情けない…。

ところで、関東島原半島会のパーティ会場で、久方ぶりに荒木ミサ子先生とお会いした。御年80云歳のご老体だが、元気溌剌とされていて安心した。

その荒木先生が、小生の顔を見るなり取り出したものが、近所の「とげ抜き地蔵」で買い求めたというお守りセットだった。

面食らう小生を前に本場仕込みの〃島原弁〃が炸裂した。「アタンな魚ん骨ば引っ掛けたげなとん。こいばいつでん持っときなんへ。そしたら大じょぶ」。

荒木先生、有難うございました。とこっで〃言う事ば聞かん息子〃の教育はどがんすれば良かっじゃろかい?


2008/05/20

遠距離生中継に成功!!…青梅にあった吉川英治記念館

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この春最大のビッグイベントだった「関東島原半島会」の〃生中継〃を無事に終え、日曜の夕方便で帰郷した。NCCの前原晃昭社長とは期せずして同じ飛行機だったが、松島世佳南島原市長とは別便ながらほぼ同時着。空港片隅の喫煙コーナーで、互いの労をねぎらい合った。

700人以上が集まったパーティの盛会ぶりについては、すでにカボチャテレビで紹介済みなので、敢えて〃重複〃は避ける。それにしても、大した結束ぶりであった。一つだけ注文を付けるとすれば、普段の地域づくりに関しても、こうありたいものだ、と願う。

実行委員会の方々のご苦労の程は言わずもがなだが、忘れてならないのは当社社員スタッフの頑張り。まさに〃縁の下の力持ち〃の役回りを存分に果たしてくれた、と考えている。それは現場に出向いて行ったメンバーに限らない。1千キロも離れた地点からの音声&映像情報を滞りなく受配信してくれた留守部隊の活躍も見逃せない!!

〃晴れの舞台〃でいち早く当社の存在をご紹介いただいた島原市の吉岡庭二郎市長の心配りにも深謝。ここで得た自信は大きく、今後のCATV業界の未来にも大きな一石を投じることにもなろう。

東京3泊目の目覚めも爽やかだった。この日は少しルートを変え、霞ヶ関から赤坂見附一帯を歩いた。日枝神社裏の坂道は、日比谷高校名物の〃遅刻坂〃として知られる。その隣が火事になったホテルニュージャパンだったが、若かりし頃にそこで修業していた岩本哲男さん(蛭子町、元九州ホテル料理長)の姿はもうこの世にない。

一ツ木通りもすっかり様変わり。昔見た名前はほとんど見かけない。島原出身の田近東吾さんが敏腕外信部記者として活躍していたTBS本社も大きくセットバックしていた。

最終日は空港集合の自由行動日としていたので、愚息を伴って伊豆大島からこの春に転居した、青梅市内の義妹夫婦宅を訪ねた。都心から随分と離れており、特急快速を使っても乗換えを入れると、ゆうに2時間近くはかかった。

離れ小島から多摩の山奥へ - 。せっかく〃花のお江戸〃にいるのに、この夫婦も随分と〃酔狂な〃連中である。しかし、その先入観は駅に着いた途端に粉々に粉砕された。

渓流美が素晴らしい!!電車内は〃山歩き姿〃の初老の人々で溢れている。電話での指示通り、駅前の横断歩道を渡ったら「マモちゃーん」…。聞きなれた甥っ子の声。外地で孫に出会ったような気分だ!?

義妹の案内で、近くに吉川英治記念館があることを知った。第3回目の「ターニングポイント」のゲストは、その吉川英治賞(昭和42年、第2回)にも輝いた宮崎和子さん。何の準備もしていない。果てどうなることやら…。


2008/05/18

岡田社長も顔を見せる…大盛況の関東島原半島会

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

相も変わらず、せわしない日々だ。15日夜には、江川紹子女史紹介の外科医(静岡県在住)と諫早で会食。16日朝から東京に出て、宮崎和子さんとご一緒している。

宿泊先は島鉄観光のパックで取ってもらった全日空ホテル。かなりグレードの高い施設であるが、飛行機とセットでの激安な料金設定は有難い。

15階の部屋からはホテルオークラが見下ろせる。例によって夜明けとともに飛び起きた。外付けのエスカレーターを降りて右手に曲がると、すぐ「桜坂」だった。

ひょっとして本県出身の人気タレント、福山雅治が歌ったのは、この坂だろうか?上りつめたら、霊南坂教会があった。

泉ガーデンの脇を抜けると、サウディアラビア王国大使館。六本木通りに出て、〃24時間営業〃の「回転ずし」がにぎわっていたのには驚いた。

外苑東通りとの交差点付近には、体格のよい黒人の姿に混じって化粧の浮いた日本人女性。そうか今日は土曜日か!?

まだ一度も行ったことのない「六本木ヒルズ」でも散策してみるかと足を伸ばしたら、あった!!あった!!バカでかいビルが。

エスカレーターで上ると、卵を孕んだ巨大な蜘蛛のオブジェ。いったい何の意味?でも、おかげで足の数が8本あることが分かって良かった。

眼下にはテレビ朝日。そう言えば、NCC長崎文化放送の前原晃昭社長はここのご出身で、来る時の飛行機が一緒だったが、どういうわけか〃アゴヒゲ〃をたくわえておられた。

迷いに迷って赤坂山王下まで出た。時計を見ると、もう1時間以上も歩いていた。疲労で膝がガクガクしてきたが、目指すホテルはもうすぐそこだ。

昔は全日空ホテルのある場所は「溜池」(ためいけ)と言っていたが、いつの間にやら「赤坂」の地番が付けられている。

「溜池」には以前、小生が勤めていた旅行会社のホテルがあって、修業時代の伊勢屋旅館の草野肇社長もここで働いておられた。名物は確か「鷹匠料理」だった、と記憶している。

やっとの思いで部屋に辿り着いたら、ゆうに1時間半を超えていた。

さて、今日はいよいよ関東島原半島会の創立60周年記念大会だ。社員と一緒に会場の東京プリンスまでタクシーで移動。割と近場で、基本料金の710円で到着した。

すでに八幡実行委員長らは受付ロビーで打ち合わせを兼ねた朝礼を開いていた。来賓の一番乗りは、雲仙市の奥村市長。颯爽と階段を駆け上り、職員スタッフにゲキを飛ばしていた。

この原稿は1階の喫茶ロビーで書いているが、開場1時間前ともなると、島原弁でざわついてきた。東映の岡田社長もご挨拶にお見えになる、という。


2008/05/17

実効性のある大会に!!…14日現在、730人が申込み

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

17日正午から芝公園の東京プリンスホテルで開かれる「関東島原半島会創立60周年記念大会」に参加するため上京している。

参加者は当初の予定(500人)を大幅にオーバーして、14日現在で何と730人。八幡秀昭さんをはじめ実行委員会のメンバーらは「嬉しい悲鳴をあげている」とか。

会場の「鳳凰の間」は、この日ばかりは島原半島の「飛び地」と化すだろう。何と食材に限らず花卉類まで「地元産」で埋め尽くすということである。

既報の通り、「カボチャテレビ」と「FMしまばら」では、現地からの〃生中継〃に挑む。一抹の不安は隠せないものの、ここまで来たら「チャレンジ精神」でぶつかるのみだ。

当日の賑わいぶりは後日レポートしたいが、「創立60周年」ということは、人間で言えば「還暦」の年齢だ。ということは、これはもう紛れもない「歴史」である。

単純に計算して、発足した年は戦後間もない昭和23年(1948)。いわゆる「団塊世代」のベビーたちが次々と誕生していた頃だ。果たして、その時代の東京の様子は?年表やグラフを元に、主だったニュースを調べてみた。

社会面で見ると、「帝銀事件」「覚醒剤ヒロポンの乱用」「東宝争議」「踊る宗教」「昭電疑獄」…。吉田茂自由党総裁が首班指名されたのは10月15日。芸能関係では、昭和の歌姫、美空ひばりがこの年の5月に本格デビューを飾っている。

いちいち拾い上げたらきりがないので、この辺りで打ち止めにするが、日本の西の果ての「片田舎」から出て行った当時の人々の心中やいかに。ましてや、世相は戦後の混乱期。飛行機で日帰りも可能となった昨今の風潮とは、土台ステージが違う。

華やかな祝いの宴に水をさすつもりは毛頭ないが、やはり「先人」あっての「現在」である。社員共々襟を正して臨みたい。

さて、先般の金子知事の視察(12日)でも、本大会の話に少し触れたが、同知事も「ほー、700人以上も集まられますか。大したものだ」と、驚嘆した様子だった。

しかし、さすがに県政トップの人だけに、政治的な感性が鋭かった。早速その話の後で間髪を置かず、「それって『ふるさと納税』に繋がらないか」と、畳みかけてこられた。

小生が初めてこの企画の話を伺った際に、八幡実行委員長の口から出てきたキーワードが、この「ふるさと納税」という言葉だった。決して、都会に出て成功している人々に無心を求めようという、つもりで言っているのではない。

その点は重々誤解なきよう!!支え合って「人」である。育てるだけ育てて、後は知らんという「教育的過疎地」だけにはなりたくないものだ。首都圏での「古里談義」が実効性を伴うよう、改めて願っている。


2008/05/16

家畜の「げっぷ」問題!?…カボチャ番組が今年も入賞

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

実は、弊社が制作した番組が今年も、財団法人日本ケーブルテレビ連盟九州支部主催のコンクールで、どうやら〃上位入賞〃を果たしそうな雲行きである。昨年は第3席。

事務局から寄せられた情報によると、予選を通過したのは10作品で、今月28日に福岡市内のホテルで開かれる同定期総会が〃本選〃になる、という。

同コンクールには、自主制作を行っている九州・沖縄内の約80社のケーブル局から、30点を超える応募があった。

カボチャテレビの作品は「羊・ヤギを使って環境にやさしいまちづくり」というタイトル。日々の情報番組「しまばらNOW」の中でも紹介されたものだ。

現時点でのトップはすでに一昨年度に〃グランプリ獲得〃の実績のある、佐賀県の伊万里ケーブルテレビジョンが制作したドキュメント番組「トンテントン~祭りの行方」。

弊社を含めて5位までは〃僅差〃の違いしかないので、今から本選の結果を楽しみにしている。ちなみに県別で見ると、10位以内の入賞局は、福岡、佐賀、大分が各2社。長崎県下では弊社のみだ。

そんな嬉しい知らせを聞きながら、15日付の朝日新聞を読んでいたら、何と「首相の動静」を報じている政治面に、〈日・NZ首脳、研究合意/家畜の「げっぷ」抑制策で協力へ〉の3本見出し!!

小生は思わずヒザを叩いてしまった。何故なら、弊社の作品ではいち早く「その問題点」を〃指摘〃していたからだ。しかも、極めてユーモラスに!!

このままだと内容が分かりづらいと思うので、少し朝日の記事を借りて、補足説明を試みると - 。

〈福田首相は14日、ニュージーランドのクラーク首相(女性)と首相官邸で会談。地球温暖化を進める温室効果ガスの一つで、家畜が排出する「げっぷ」に含まれるメタン発生の抑制策の共同研究を進めることで合意した〉

一方、同日付の島原新聞(二面)を見ると、県島原振興局と島原農高のタイアップによる、ロバやヤギ、ヒツジなどの「食の習性」を検証・活用する「ふれあい動物園」の記事が掲載されていた。

弊社の作品はまさしく同局や同校との「共同作業」の中から誕生したもの。平たく言うと、今や国際ネタともなっている「家畜のげっぷ問題」を取り上げている点がミソだ。エヘン!!何も小生が威張る話ではないが…。

まあ、そんな事より、地元の身近なニュース素材がグローバルな「地球環境問題」まで繋がるなんて、これまでは到底考えられなかったこと。

素直に、単純に驚くと同時に、先代の早稲田大学総長、奥島孝康さんが提唱していた「グローカリズム」という言葉の意味を改めて噛み締めている。

そう、我々は〃地球市民〃なのだ!!


2008/05/15

教育界に大きな一石!!…あの藤原フェローとも面識

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「骨身を削って働け!!」(昨報)と言われても、今朝体重を計ったら、丸呑み効果で、さらに何キロか増していた。一体、どこまでいくのだろう…。

さて昨夜は、映画「まぼろしの邪馬台国を成功させる会」というパーティが小涌園で開かれ、久々に女優、宮崎香蓮ちゃんと出会うことができた。

しばらく見ない間に随分と大人びて、垢抜けていた(古臭いなぁー)が、そこはそこ、年齢はまだ14歳、島原一中の3年生だ。

ロビーでの時間待ちの間に、母親の千絵さんが紹介してくれたが、「あっ、今流行(はや)りの人だ!!」と、丸い目をさらに丸くして微笑んでくれた。

「今流行りの」???一瞬、何の事かと想いを巡らしていたら、理由は単純至極「メタボのおじさん」ということだった。

チクショー、今に見ていろ香蓮ちゃん。おじさんも見違えるばかりのシャープな体型になって、そう例えて言うなら「高倉健」のようになって、映画で競演しようではないか!?

そんな〃妄想〃を膨らませながら、家路につく前にエキストラ仲間のお店で一杯。植木等風に言うなら「これじゃダイエットに良いわけないよ…」→「分かっちゃいるけど止められない!!」てもんだ。

ところで、一昨日から本紙で連載が始まった平井雷太さんは、宮崎康平さんの文学仲間で早稲田の後輩でもある吉田安弘さんの息子さん(次男)だ。確かご長男は以前、日本航空のロンドン支店長を務められていたはずだ。

その辺りの事情はいずれご本人が寄稿の中で触れられると思うが、文中に出てくる東京・杉並区立和田中学校の前校長、藤原和博さんのことについて少し触れたい。

藤原さんはリクルート社の出身で、現役時代は伝説上の凄腕社員だった。もう10年も昔の話だが、藤原さんは突如退社した後、再び「フェロー」(年俸契約の客員社員)として同社に迎えられる。

当時、小生もその華麗なる転進ぶりと合理的な考え方に魅かれ、何冊か著作も読んだ。講演を聴いたこともある。ちょうどその風貌は、歌手の「さだまさし」のようだった。

それがいつしか教育界へと乗り込み、公立学校長に就任されたのは、2度目のビックリだった。リクルート仕込みのアイデアは教育現場でもいかんなく発揮され、「よのなか科」という実学的な授業体制もスタートした。

最近では同校に「塾」のシステムを導入するなどして物議をかもしているが、旧弊や固定観念に縛られない「自由な発想」と「行動力」は、傾聴に値するものだと高く評価している。

今、我が国の教育界は大きな転換点、いわゆる「ターニングポイント」を迎えている。同連載が島原半島地域の教育の在りように大きな一石を投じてほしい、と心から願っている。


2008/05/14

3.5センチの魚骨が喉に…麻酔を打ってようやく抜去

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

奥歯にモノが挟まるくらいはまだ許せるとしても、場所次第では、そう簡単に事は運ばない。何やら「奥歯にモノが挟まった」ような言い方だが、11日夜から12日朝にかけて、喉の奥に〃魚の骨〃が突き刺さって往生してしまった。

久闊を叙して、一汗流した後にいただく生ビールの味。新鮮な肴と、気のおけない仲間たち。一日の締め括りに相応しい、充実した時間帯だった。

〃悲劇〃は突然にやってきた。得も言えない塩加減で焼き上がったイサキの骨が、喉の奥深く絡まってしまったのだ。最初の内は高をくくっていた。ゴハンを丸呑みすれば何とか成る!!くらいの〃軽い感覚〃でいたのだ。

ところがドッコイ!!二次会場のスナックのママさんのご厚意で、いなり寿司や食パンを丸呑みしても、その〃違和感〃はビクともしなかった。家に帰ってからも、その状態は変わらず。エーイままよ!!とばかりにネタの外れた握り鮨を片端から口に放り込んだ。それでも駄目…。

ラチがあかないので床に就いたが、今度はなかなか寝付けない。時々、洗面台に立っては、指を押し込んでみる。が、〃獲物〃の在り処がどうしても掴めない。そのうち諦めて、「いずれ消化されるさ…」と、誰かがスナックで囁いていた、根拠のない言葉を反芻(はんすう)しながら、必死で目をつぶり通した。

しかし、朝が来ても状態に変化はなかった。いや、今度は〃痛み〃が伴ってきた。たまらず行きつけの医院の先生に電話して診てもらうことになった。

二度にわたる咽喉麻酔の後、鼻からカメラを挿し込まれた。恐る恐る涙目を開いて画像を見ると、白い骨の形がクッキリ。瞬間、痛みを忘れて感動的ですらあった。

そして、二度目のカメラ挿入。抜去の手術はアッという間だった。「これが戦利品です!!」。先生の淡々とした口調が面白かった。

「そうか、これが昨日からの〃悩みの骨〃か」。喉の奥に残る痛みとは裏腹に、いとおしくもある。長さを測ると、何と3.5センチもあった。

12日は既報の通り、大事な用件を2つ抱えていた。1つは金子知事の視察。もう1つは新番組『ターニングポイント』の生中継。どちらも小生が喋ることが義務付けられているので、麻酔の影響が懸念された。が、杞憂に終わった。

知事にはポイントを絞って当社の「経営方針」を簡潔に伝えることができたし、加えて、生出演までしていただいた。『ターニング - 』のゲスト森本元成さん(島原商工会議所元会頭)は名うての〃語り部〃で、終始リードして頂いた。

慌しい一日を終えてふと我を振り返った。さて今回のイサキの〃骨騒ぎ〃は何を暗示しているのだろうか?きっと「もっと〃骨身〃を削って働け!!」ということに違いない。


2008/05/11

人は見た目が9割!!…ザリガニの餌はどこに?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

壁に耳あり、障子に目あり…と思っていたら、何とブログにも〃監視〃するシステムがあったのだ。驚いた!!

拙稿も書き始めて早2年近くが経つが、社長の厚意で新聞に掲載してもらっているほか、インターネットでも検索できるようにしている。

先日、本欄のネット掲載を担当している社員が、とある1枚の資料を持ってきた。そこには「全国アクセス一覧」と題して、拙稿を検索した企業・団体名が地図入りで紹介されている。

それによると、最近アクセス数が一番多かったのはNTT系のネオメイト。次いでドコモなど。地元関係では島原市の名前も。

大学関係では東京大学を筆頭に、北海道大学、会津大学、岩崎学園など。変わった所では防衛庁、米国海軍、静岡がんセンターなどというのもあった。

マスコミ関係では、中央公論社、東京放送(TBS)、毎日放送(MBS)、高知新聞社など。日本放送協会(NHK)が顔を出しているのは、時々〃皮肉〃めいた記事を出している所以(ゆえん)か。

いずれにしても、地元内外の人々の目にも触れていることが判ったので、つい構えてしまいそうになるが、普段着の〃メタボ野郎〃のぼやきスタイルを今更改める必要もあるまい。

ところで「普段着」で言うと、小生の仕事着は、近くの「エレナ島原店」で買い求めた一枚千円の胸当てスタイルのエプロン(ジーンズ製)である。

これが殊のほか堅固な上に、頗る便利な作りで、大きな左右のポケットのほか、胸には筆記具を収めるスペースもある。汚れたら、洗濯機に放り込めば済む。

何より大きなお腹を覆い隠しているという〃安心感〃が捨て難い。ポケットには何でも無造作に突っ込めるし、時にはハンカチ代わりにもなり、便利この上ない。

一方で〃弊害〃もある。それは「ナフコ」などのDIY店や、花屋さんに行った際に生じる。つい、そこの〃店員さん〃と想われてしまうのだ。

先週はしつこいくらいに間違えられた。「ラジカセの電池売場は」「春菊の苗は」…。極めつけは男の子二人からの質問。「オジさん、ザリガニの餌はどこにありますか」だって!?

「君たち、人を外見で判断したら駄目だよ」と言いたかったが、何せ『人は見た目が9割』(新潮社)という本がベストセラーとなるご時世。責任の半分は当方か…。

ところで、島原市役所前にこのほど「えぷろん」という喫茶&弁当のお店がオープンした。聞けば、授産施設の「コロニーエンタープライズ」が経営しているとのこと。是非、皆様も一度お出かけ下さい。

そうそう「エプロン」で思い出した。石原都知事らも学んだ名門「一橋大学」は昔「東京商科大学」と言って、「官立・前掛大学」と呼ばれていたそうな。


2008/05/10

戦略的互恵主義って!?…2回目のゲストは森本元会頭

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨報は腹立ちまぎれに品のない書き方になってしまった。反省している。でも、悪いのはあくまでも〃花泥棒〃の方である。

さて、今週末から来週末にかけて各種行事が「目白押し」だ。物事が押し詰まっている様を、どうして「目白押し」と言うのだろうか。調べてみた。

岩波国語辞典によると、語源は木の枝に多数がとまるメジロの習性から来ている、ということだ。

関係ないが、我が愚息(長男)は東京の「目白」(文京区)にある学生寮で暮らしている。椿山荘と田中真紀子邸に挟まれている、閑静な住宅地だ。

その父、田中角栄元総理は、昭和47年に中国の毛沢東主席や周恩来首相(当時)らと会って、日中国交正常化の扉を開いた。

たまたま昨晩テレビを観ていたら、来日中の胡錦濤国家主席が、福原愛ちゃんと卓球を楽しんでいるシーンが映し出されていた。

大中国、13億の民を束ねる超エリートだろうが、その表情は温和な感じがした。だが、その実は分からない。それが「中国」「国際政治」というものだ。

新聞の見出しにも取られている「戦略的互恵主義」という表現がいかにも気にかかる。「戦略的」はともかくとしても、「互恵」となると、なかなかに難しいに違いない。

世の中はなべて「あちらを立てれば、こちらが立たず」という構図で成り立っているからだ。いずれにしても、市井の一般庶民としては、その成行きを見守るしかないのだが…。

閑話休題。今日9日は島原鉄道創立百周年の記念式典の日だ。小生も、この原稿を書き終えた後、会場の小涌園に向かう。

それにしても、この記念すべき年に、「南線」の廃止に踏み切らざるを得なかった塩塚社長の心中はいかばかりか…。

全ては歴史が断を下すことになろうが、列車が走らなくなって錆が目立ち始めたレールを見るにつけ、心が痛む。

週明け12日には、金子知事が島原市を視察する。実は、弊社もその訪問先の一つに選ばれていて、今から緊張している。

以前、知事室でお会いした時の印象からすると、相当せっかちなお人柄のようだ。くれぐれも粗相がないようにしなければ!!

その日の夜には、第2回目の生中継番組「ターニングポイント」(午後7時~)が控えている。ゲストは島原商工会議所元会頭の森本元成さんだ。

当社の取締役であり、普段から何くれとなくお知恵を拝借している方だが、「生放送」となると一筋縄ではいかない。これまた緊張する局面となりそうだ。

そして来週末はいよいよ「関東島原半島会」の創立60周年記念式典(東京プリンス)。出席者は予定を遥かに超えて700人に届きそうだ、というメールが来た。


2008/05/09

〃花泥棒〃にご注意…いい年こいた大人がまあ!?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ヤイ、ヤイ、ヤイ!!どこの誰だか知らないが、勝手に他人様が可愛がっている花を根こそぎ持っていこうとする料簡はどういうこっちゃ!?〃事件風〃に記事を書くと、こういう調子か - 。

7日、午後2時45分頃、島原市白土町の某社敷地内で、寄せ植えしてあるプランターの中から、淡いピンク色の「ペチュニア」一株を盗もうとした老人がいた。

たまたま外出先から戻ってきた同社の役員が、その現場を発見。厳しく問い詰めると、その老人は「余りに綺麗だったので…」と理屈にもならない言い訳をした後で、「そう怒りなさんな」と黒色の軽自動車で走り去って行った。

車内の後部座席には女性の同乗者が一人。別に悪びれた様子もなかったので、激高した同役員は車のナンバーをひかえ、島原署に通報するよう社内スタッフに命じた。

実は、何日か前にも頭にくる〃事件〃が起きていた。表通りに面したソフトドリンクの自販機脇に置いていた「マリーゴールド」の花が3個ほど引きちぎられていたのだ。

俗に「花泥棒は罪にならない」と言われるが本当だろうか?法律の専門家ではないので、詳しいことは分からないが、どう見ても前者の場合は〃窃盗〃である。

少し前、満開の「チューリップ」が軒並み切って落とされるという、何とも痛ましいというか、心が寒くなる事件が報じられていたが、同じ花愛好家として、腹立たしい限りだ。

余りに綺麗だったから…。ふざけるな!!それじゃ訊くが、お前さんは、飛び切りの美人を見かけたら、人目も憚らず拉致しようとするのかい?

いくら何でも、それはしないだろう。相手が物言わぬ花なので、つい出来心で…とでも言うのだろうが、朝な夕なに面倒を見ている当事者の気持ちになってみろ!!

「アンタ、NTTの職員かい」だって。こちとらがどこの人間だろうが、お前さんがNTT回線の契約者だろうが何だろうが、そんな事は一切関係のない話だ。

いい年をこいた大人が一体何やってんだい。認知症の老人やら、善悪の判断がつかない幼児ならまだしも、車の運転もスムーズに出来るのだから、立派な健常者じゃないか。

「そんなに目くじら立てるな」だと!?これ以上追及しないのが、せめてもの〃お情け〃ってもんだい。わかったかい、このスットコドッコイ!!

なにーっ、まだ腑に落ちないってか?そんならNTTの番号案内でも何でも聞いてみな。何なら、自分で110番してみたらどうだい。

   ※    ※  
 
このところ島原市内でも玄関先を花で飾られているお宅が多い。皆様どうぞ心無い〃花泥棒〃にご注意を!!(被害者談)


2008/05/08

人の世は〃重き荷〃を… 連休最終日に雲仙登山を敢行

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水、眞守‐

長きにわたる「黄金週間」も終わった。だが、「黄金」とは名ばかりで、小生の場合は暦通りの4連休。うち3日間は何らかの形で出社したので、しっかりと休めたのは最終の6日くらいだ。

晴天に恵まれたその日、車で雲仙(宝原)へと向かった。ひょっとしたら「ツツジの群落」が観られるかな、と期待して出かけたのだが、まだ〃満開〃には程遠い状態だった。

そこを起点に、ふだんから可愛がって頂いている先輩方と一緒に「高岩山」に登った。何日か前の長崎新聞のコラム「うず潮」で、これまた大先輩の浅賀俊策先生(長崎市在住)が健筆をふるっていた山だ。

いつもの仕事着スタイルで集合場所に現れた小生の格好を見て、ある先輩が「良かけん、杖ば持っていけ!!」と貸してくれた。手に持つと伸縮自在な立派なピッケルだった。

さすがに日本一の「富士山」や「屋久島」を次々と征服した山男(?)の言葉だけに、ピッケルの軽さとは裏腹に、その響きにはある種の〃重み〃が感じられた。やがて、その言葉の意味は〃実感〃となって我が身に降りかかってきたのである。

ハッキリ言って、最初のうちは「標高千㍍弱の小山」と高をくくっていたが、一休みしたあとの急勾配にはホトホト苦労した。その際、殊のほか役立ったのが件(くだん)の「杖」であった。

何せ典型的な〃メタボ体質〃である。そんじょそこらの人間とは、背負っている〃肉の総量〃が違う。ヒーヒー、フーフー…。足取りの鈍化と比例して、悲鳴の声も高まる。

残り50メートルの石段を登る頃には、もう断末魔に近い絶叫調であった。それでも、皆さんの後押し(精神的な意味合い)と「杖」の支えで、何とか頂上を極めることができた。

ガクガク状態の膝をいたわりつつ巨岩の上に立つと、平成新山の山容から雲仙の温泉街まで手に取るようにわかった。さらに奥まった社前の広場からは、湯島(談合島)や天草の山並みが一望できた。

「登りは短く、下りは長く」。教わった通りの「杖」の使い方で、一度も転ぶこともなく出発地点の宝原公園まで辿り着くことができた。所要約1時間。弁当の美味かったこと!!

午後の部は、予定していた「矢岳」を止めて、白雲の池から「衣笠山」に登ったが、「高岩山」ほどきつくはなかった。それでも最後、百㍍ほどの石段は恨めしい限りであった。

息を切らし、脚を引きずりながら、暖簾などによく刷られている徳川家康公の遺訓をいつしか思い出していた - 〈人の世は〃重き荷〃を背負いて…〉。

「まったくその通りだ!!」と思いつつ2つの山を征したが、下山後の体重計測定では〃重き荷〃に何ら変化はなかった。


2008/05/03

昼食に並んでまでは… - コインの不始末で8千万円 -

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「群集心理」とはこのことを言うのだろうか?ガソリンの値上げを見越して長蛇の列が並んだ、という報道に触れる度に、割り切れない思いに苛まれる。

煽るマスコミのせいにするのは簡単だが、それより、1バーレル当たりの原油原価が数ドルしかしないものが、小売の段階で百ドルを超えるというのが、チャンチャラおかしい。

産油国の大富豪がジェット機を何十台も持っているとか、病院へ行くのにお供の者が何百人もゾロゾロと付いていくなど、土台バカげた話である。

そもそも埋蔵量がどれくらいあるのか分かりもしない話を、「限りある資源」と偽って値をつり上げるアラブ商法。まったくもって阿漕な野郎どもだ。

日本は昔も今も「技術立国」だったはず。ところが、最近ではその「不文律」も段々と怪しくなってきている。

ハッキリ言って、何でもかんでも石油に委ね過ぎている、現代の社会構造自体が狂っている。「技術立国」であれば、早く「代替エネルギー」を開発すべきである。

いや、水面下ではもうある程度「研究」が進んでいるのかも知れない。早く発表して、世界に冠たる「ニッポンの底力」を誇示してくれよ!!

元に戻って「群集心理」で言うと、昼飯時に並んでいる連中の気が知れない。そりゃ安かったり、旨かったりするお店だろうが、「食いたきゃ並べ!!」という料簡が気に入らない。

世を挙げての「グルメブーム」とやらで、テレビなんかで紹介されたらドッと人が集まる。とにかく一度は行っておかないと乗り遅れる、とばかりに「群集心理」が働くのだろう。

以前に訪れた札幌のラーメン横丁もそうだった。機内誌などに紹介されている「ひぐま」という店だけが大流行で、後は閑散。

とにかく、待ちはご法度なので、目の前の「源八郎」という店に飛び込んだ。個人的には旨いと思ったが、今もあるかどうかは知らない。

ひと頃テレビで流行ったラーメン番組が大嫌いだった。アゴヒゲなどを生やした頑固系の親爺が出てきて、スープの出来を吟味しながら弟子を叱り飛ばす。

叱るだけならまだ良いが、そのうち「人生論」なんぞを語り始める。作家の嵐山光三郎先生が言っていた「ラーメン屋の親爺が哲学なんぞを語るな」と。まったく同感である。

ボヤキついでにもう一つ。昨日(1日)のニュースでやっていたが、ブラジル移民百周年の記念コイン(五百円玉)のデザインのやり直しに、財務省が八千万円を投じる、と。

いくら東大を出た大秀才だかどうか知らないが、作者の了解を取らないで「見切り発車」をするなんて愚の骨頂ではないか。

いっそ五百円といった半端な額ではなく、万札をジャカスカ刷って全国民に配ってくれよ。そうすりゃ借金もなくなるのに!?


2008/05/02

ツバメの季節到来!! - スポーツ風景も様変わり -

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

確か、週間天気予報では今週いっぱいは「晴れ」だったはずだが、早くもぐずつき、折角のゴールデンウイークも出鼻をくじかれた格好だ。

まあ、それはともかくとしても、ことしは5月1日が「八十八夜」だという。「八十八夜の別れ霜」という言葉に代表されるように、この日を境に霜も降らなくなる。

「八十八夜」と言えば、何と言っても茶摘み。島原観光ホテル小涌園(足立進一社長)では、「コーヒー」「イチゴ」に続いて「茶風呂」を提供する、という。

百聞は一見に如かずだから、実際に入ってみれば分かることだが、メタボの身からすれば「緑茶の香り」も結構だが、「ウーロン茶」の薬効も捨てがたい。

もう随分と香港にも行っていないので忘れてしまったが、アバディーンに「ジャンボ」という海上レストランがあって、海鮮料理の後にウーロン茶で手を洗ったことを覚えている。

船上では、現地の老人たちが大きなマージャン牌で遊んでいた。本場・中国の事情は知らないが、当時からすると、小生の周囲ではマージャン人口は激減したように思う。

学生時代は授業そっちのけで雀荘に足繁く通った。行き付けは「ジャワ」という店で、女優くずれのママさんが仕切っていた。

中に毛色の変わった爺さんがいて、ゲームそっちのけで煙草をふかしながらいつも読書に耽っていた。その人が日活全盛期に「ヌーベルバーグの旗手」として騒がれた、中平康監督だったとは後で知った。

窓越しに曇り空を恨めしく見上げていると、何やら見慣れない小鳥が飛んでいる。よく目を凝らして見ると、何のことはないツバメの親子だった。

へーそうか、もうツバメが飛来してくる季節になったか。ツバメと言えば、「スワローズ」。今でこそ「ヤクルト」だが、昔は「国鉄」の球団だった。

エースは、ご存知「カネやん」こと金田正一投手。我が国プロ野球史上で、前人未到の四百勝を成し遂げた大投手だ。

「カネやん」で思い出すのは、絶対に肩を冷やさなかったこと。幼い頃に読んだ少年雑誌の記事によれば、夏場でも必ず掛け布団にくるまって寝ていた、という。

ところが、最近のプロ野球関連のテレビニュースを観ていると、アイシング(冷却措置)をした格好で、ピッチャーがインタビューに応えている。一体いつごろから変わったのだろうか?

同じような疑問が「ウサギ跳び」についても言える。少なくとも昭和40年代の前半までは、「ウサギ跳び」は必須トレーニングの一つであったはずだ。

それが学校現場から忽然と消えたのはいつごろか?はたまた、どうして取り止めになったのか?

月の節目に、様々な思い出を振り返りながら、花に水を撒く。今日5月1日はメーデー、そして次男の誕生日であった。


2008/05/01

「忘年会」はそもそも - 酒は飲めずとも風を飲め -

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

半袖だとまだちょっと肌寒く、かと言って長袖を羽織れば暑苦しい…。贅沢を言えばきりがないが、薫風が心地よいシーズンとなった。

いよいよ5月、ゴールデンウイークも始まる。個人的には、今のところまったく予定なし。天気も良さそうなので、再び自転車で島原半島一周の旅に出ようか?まさか!!

先日、所用で訪れた銀行で、商工会議所の荒木専務から呼び止められた。何だろうと思って振り向くと、A4版の色付きチラシをひらひら。

「地酒でがんばを食おう会」のご案内だった。時=5月20日(火)、会場=南風楼。17時からの利き酒会の後、本格宴会に移るという。

会費三千円。定員になり次第〆切るということなので、申込みは早めに事務局(電話62-2101)へ。ファックス(62-2393)でもOK。

趣意書の部分を読み直していたら、同会の始まりは「昭和52年」とあった。ということは、もう30年以上も続いている、由緒正しき催しなのである。

だが、残念ながら世は挙げての焼酎ブーム。地酒どころか、ひと頃「まぼろし」と称されたバカ高い日本酒を口にする機会も、めっきり少なくなってしまった。

ところで、「まぼろし」と言えば、今年は『まぼろしの邪馬台国』(東映)である。封切りも11月1日に決定したというから、今から楽しみだ。

もともと「地酒 - 」の発案者も宮崎康平さんであることは有名な話だが、たまたま先ごろ紹介した永六輔さんの本『もっとしっかり日本人』にも、そのくだりが書いてある。

〈酒というのは、その土地の米を、その土地の水で、その土地の男たちが作ったもので、礼儀としてそれを飲まなきゃいけないんだ〉

〈旅先で酒を断ることは失礼だ。飲む真似だけでもしなさい。できるだけ大杯をもらって。飲むのができないんだったら、酒の上を渡ってくる『風』を飲め〉

その本によると、永さんは下戸(げこ)とのことだが、ひとしきり「忘年会」の由来について語った後で、宮崎さんから教わった「酒の飲み方」を紹介している。

このシーズンに「忘年会」だなんて、些か季節はずれの話題だとお思いだろうが、さすがに永さんの話は面白い!!いわゆる「そもそも論」である。

永さんによれば、「江戸時代には『忘年会』という言葉はなく、『年忘れ』といっていた。『年』というのは今年あったことを忘れるのでなく、『自分の年齢』を忘れること」なんだそうだ。

つまり、一年の締めくくり的な意味合いでの、昨今の「忘年会」の在り様は〃邪道〃なのである。

そうか、これでまた一つ利口になったぞ。今晩あたりスナックで!!またまた〃年甲斐〃もなく…。