2008/07/31

失敬千万なヤギ野郎!!…回転寿司はなぜ時計回り?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日の続きのような話だが、「はて、その後のシバザクラ植栽予定地はどうなっているのだろうか」と、早朝現地を訪ねた。

5時半過ぎ、熊本側から昇る太陽を背に、まずは堤防の上に立った。お日様は夏特有の肉厚の入道雲に隠れてなかなか姿を見せてくれなかったが、かえってその分、有明海上の反射光が素晴らしい景観美を演出していた。

余りの神々しさに、思わず両手を合わせて遥拝(ようはい)。「日の出」の美しさは地域によって見る角度で大きく違うのだろうが、この日、締切堤から眺めた「サンライズ」の姿は最高であった。

踵(きびす)を返して山手に向き直ると、平成新山が、これまた見事な「朝焼け」。20年近く前に、あれほどの「長期大規模自然災害」を引き起こした「張本人」とはとても想えない静けさをたたえていた。

坂を駆け下って、お目当ての「ヤギ&ヒツジ牧場」(金網フェンス囲い)に辿り着いた。もうすでに、全身汗ぐっしょりだ。

「メー、メー」と鳴き声を真似して呼びかけたら、遥か向こうから「親子」と思しきヤギ3頭が一目散に駆け寄ってきた。その機敏な反応に、心の底から「可愛い奴」と感動したのだが、次なる行動には、正直ド肝を抜かれた。

筆者の顔を見るなり「フン!!」といったような表情で、こちらへケツを向けてオシッコを飛ばしてくるではないか。まったく失敬千万な野郎だ。

一方、ヒツジの方はと言うと、呼びかけに応じてはくれるものの、動きはいたって緩慢。時おり顔を向けるだけで、その身はひたすら草むらの中に横たえたまま。

季節柄、マムシの被害も気になるところだが、専門家によれば「ヤギやヒツジには『抗体』があって、一晩眠れば、元気を取り戻す」というので安心した。

後ろ髪を引かれる思いでその場を後にし、残りの時間は「まゆやまロード」をひた歩いた。通常の堀端コースと違って急勾配のため、想っていた以上に時間を要したが、雰囲気が異なり面白かった。

一番の違いは「音」。下界ではいま、耳をつんざくような「蝉時雨」の大合唱だが、さすがに眉山の裏手まで登ると、蝉の鳴き声は皆無である。

代わって聞こえてくるのは、いささか季節外れのウグイスの声。「ホー、ホケキョ」「ケキョ、ケキョ、ケキョ」…。時たま山鳩やカラスの鳴き声が合いの手のように響く。

直線距離にして2キロくらいしか離れていないのに、どうしてこうまで違うのだろう?やはり高度の問題だろうか?

恐らくあと半月もすれば、蝉時雨も上ってくるのだろうが、同時に「回転寿司はなぜ時計回りか?」という根源的な疑問が頭を支配してきた。どうして?


2008/07/30

ヤギVSヒツジの決闘…飽くなき〃食欲〃に脱帽!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

暑さにかまけてさぼっていた事務所前の「花壇」の植え替えがやっと終わった。1本38円の日々草がにわかに勢いを取り戻し、道行く人々の目を楽しませてくれている。

音無川を挟んで斜向かいの屋敷跡では、ヒツジが2匹、のんびりと草を食んでいる。昭和30年生まれの筆者の干支は「羊」。

ついでに、血液型は「A」。そして星座は9月生まれの「乙女座」。ここまで書くと、いかに自分が平凡で弱々しい存在であることか、と改めて認識する。

巷では「血液型」の本が良く売れている、という。確か日本人で一番多いのは「A型」だったが、その比率は国によって大きく異なる、という。

ちなみに、我が家は家族全員が違う血液型だ。それにならってか、愚息3人の性格も各自それぞれ。傍から観ると、これがなかなかに面白い。

ところで、動物にも血液型はあるのだろうが、それはどういった影響を及ぼすのであろうか。例えば、同じような格好のヤギと、ヒツジの違いは?

先週末、シバザクラの整備予定地で、改めてシゲシゲと見比べてみた。同じような餌を食べているのだろうが、ヤギは随分と痩せて見える。

一方、ヒツジは毛で覆われているせいもあろうが、どちらかと言うと、フックラとした感じだ。けど、脚は細い。

一緒に汗を流した島原振興局の職員さんによると、ヒツジよりヤギの方がしっかりしている、という。その証拠に、ヒツジは斜面をドテッと滑り落ちるが、ヤギは四肢を使って上手に下ることができる、と。

昨夜、「ターニングポイント」に出演してくれた同局々長の濱本磨毅穂さんが「ヤギ対ヒツジ」の〃決闘〃の模様を面白おかしく語ってくれた。

それによると、ヤギはドーンと一発〃頭突き〃をかませた後で、威嚇するように立ち上がって構える。これに対し、ヒツジは前脚でヤギの頬っぺたをペタペタと叩きにいくのだそうだ。

何とも緊迫感にかける〃八百長〃のような戦いぶりだが、話を聞いただけで自然と笑いがこみ上げてきてしまう。それより、一回は観てみたいものだ。

だが、なにより驚くのは、双方の飽くなき〃食欲〃である。搬送車両から降りるや否や、もうその辺の葉っぱをムシャムシャ。「ご立派!!」と言うしかないほどの健啖ぶりだ。

そして、よく鳴く。「メー、メー」と甘えたような口調で媚を売る。もともと同種の類いだから、ついつい情けも湧いてこようというものだ。

先日も川向こうから鳴き声が響いてきた。管理者の奥様に案内されるままに近付くと、鉄格子に首を挟まれまま泣いていた。

その場は無理やり押し込んで取り繕ったが、よもや同じ失敗を犯さないだろうか、と水撒きをしながら気がかりでならない。


2008/07/28

常岡浩介さんが出版…プーチンの〃血塗られた闇〃

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

国際ジャーナリスト「常岡浩介」と聞いても、すぐにピンとくる人は余りいまい。一方で「リトビネンコ暗殺事件」(〇六年・ロンドン)は世間を震撼とさせたことでまだ記憶に新しい。直截な表現をすれば、元ロシア連邦保安局中佐(スパイ)だったアレクサンドル・リトビネンコへの〃単独インタビュー〃に成功した人物が常岡である。

六九年、島原市生まれ。医師の父と教師をしている母のもとに生まれ、島原高校から早稲田大学に進んだ。卒業後4年ほど長崎放送の報道記者をしていたが、思うところあってフリーランサーに。現在、活躍の舞台は〃世界〃。その常岡がこのほど、アスキーメディアワークスから新書本を出版した。タイトルは『ロシア 語られない戦争』(チェチェンゲリラ従軍記)。

帯に書かれたキャッチコピーは色合い以上にショッキングで、「プーチンの血塗られた闇」とあるが、本文を読み進めていくうちに、決してオーバーな表現ではないことが次第に明らかになってくる。同書はサブタイトルにある通り、常岡が9年の長きにわたって「チェチェン独立派」のグループと行動をともにした〃体当たり戦記〃である。が、そこに描かれているのは、言葉で言い表せるような生やさしい世界ではない。

恨み、嫉み、裏切り、忠誠、信仰…。ありとあらゆる人間の感情と理性がないまぜになって話は進む。命の危機に晒されたことも一度や二度ではない。だが、すべて〃事実〃であることの重みが作品に奥行きを与えている。一言でいえば、すぐれた「ノンフィクション」であり、「事実は小説より奇なり」という言葉の普遍性を浮き彫りにした形だ。つまり、平和を希求する常人の意識や想像を遥かに超克したルールで動いているのが、現代の「ロシア国家」である、と。

常岡は取材の過程でイスラム教に入信している。洗礼名シャミル。それこそ常人の感覚で言うと、「なぜそこまでして?」という素朴な疑問が湧いてくるのだが、「真実を伝える」というジャーナリズムの原点に根差せば、当然の帰結だったのかも知れない。

誤解を恐れずに言えば、常岡の体内を駆け巡っているのは「正義」という熱き血潮に相違あるまい。そのままNBCに留まっていれば、平穏な人生が送れたであろうに…などとの詮索は、この際まったくの野暮というものだ。巻末付録にまとめられたリトビネンコへの単独インタビューは、恐らく記者としての常岡の「金字塔」であろうが、そこに留まろうとしないところがいかにも硬骨漢の常岡らしい。

現在はアフリカで元気に取材活動を展開しているやに聞いているが、健康に留意して、さらに皆を戦慄させるような迫真のレポートを送ってほしい、と願う。同郷の先輩としての立場から、幾分の羨望と大いなる賞賛を交えて。[文中敬称略]


2008/07/26

母親が言葉遣いの先生…「老廃物の塊」とのご指摘

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「憮然とする」「檄を飛ばす」等々の本来の意味を問う文化庁国語世論調査の結果がまとまった、という(25日朝日1面)。

それによると、言葉遣いの過ちを正してくれるのは、いずれの世代でも、父親より母親の方が圧倒的に多いそうだ。

冒頭の慣用句について、同じ質問を弊社スタッフにしてみたら、案の定というか、「憮然」の意味を「ふくれっ面」と履き違えている向きが殆んどだった。

恥ずかしながら、筆者自身もその類いで、まったくもって面目ない。正解は「失望してぼんやりとしている様子」のことだ、という。ここは素直に、一つ勉強になった。

商売柄、言葉遣いに関しては人一倍気をつけているつもりだが、正直知らないことだらけである。まあ「言語学者」でもないのだから、そう気にする必要はあるまいが、テレビ放送等で女子アナが「感動」表現として「もう鳥肌が立ちました!!」などと言っているのは許せない。

先日もテレ朝のスポーツ担当アナが「全英オープンゴルフ」の中継番組で、この過ちを犯していた。敢えて正解は伏せるが、プロである以上は、正しい〃語法〃で伝えていただきたいものだ。

ついでで恐縮だが、「~的」という言い方も鼻につく。数年前から「自分的には…」などと使用されているようだが、何となく馴染めない言い回しだ。

それより、一昔前にCMか何かのきっかけで流行った「名詞+ドゥ」の表現の方が、まだユーモアがあって良い。例えば「煙草する?」といった具合に。

ところで、昨晩も良く飲んだ。ただしハシゴ酒はせず、「どうしても島原温泉に入りたい」という遠来客の要望を受けた形で、小涌園の大浴場に案内した。

筆者は、待ち時間を利用して「台湾式フットマッサージ」なるものをやってもらったのだが、これが頗る気持ち良かった。

時間にして20~30分のコースだったと思うが、最初のうち飛び上がるほど痛かったものが、筋肉がほぐれるに従って、変な意味ではなく〃快感〃に変わっていくのだ。

「お客様、随分と『老廃物』が溜まっていますね」。「へー、そう。若いつもりだけど…。痛っ、痛ーい」。浴衣がけの隣の男性客も時おり〃奇声〃を発していた。

サービス完了とほぼ同時に、遠来の二人連れも風呂から上がってきた。「あー、気持ち良かった。最高ですね、島原は」。まるで自分の事のように嬉しくなって、「朝風呂はもっと素晴らしいですよ」と答えていた。

帰りのタクシーの中で、数年前に満99歳で普賢岳登山を果たした老人の話題になった。以前にも書いたと思うが、その遠来客の叔父に当たる人物だ。

「今年で百三歳になりますが、まだまだ元気ですよ!!」。心の中でさらなる〃研鑽〃を誓って別れた。


2008/07/25

島原城の蓮が満開!!…読者の皆様に「涼風献上」

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

冷房のため閉め切った窓越しに、蝉時雨の〃大合唱〃が聞こえてくる。今日も朝から暑い。午後には30度を超えるであろう。

昨日は大村、諫早、長崎と回ったが、いずれの訪問先でも大粒の汗が吹き出て、シャツの袖口から滴り落ちた。これも〃肥満〃のせいだろうか…。

「涼風献上」。我が師、草野壬二郎翁(元小浜町長)が好んで使う「書中見舞い」の決まり文句だ。簡潔な表現の中に、相手を慮る気持ちがこめられている。

さて、本日24日は「土用丑の日」である。朝、新聞折込みのチラシを見ながら、家人が母と話していた - 「お母さん、久しぶりに鰻にしようか」。

「ゴメン、オイはきょう要らん。東京からお客さんの来らすと…」と小声で呟くと、「エーッ、またぁー!!」と、双方から冷ややかな視線。まあ、これも一種の「涼風献上」の類いか?

   ※    ※  
 
ところで、ここ2日ほど仕事の都合で早朝の散歩をサボっているが、堀端の蓮(はす)が〃満開〃である。八尾病院前は白色系の花がほとんどだが、魚住病院前まで行くと、薄紅の大輪も見ることができる。

帰途、その八尾病院前で、今年市役所を退職したばかりの吉田俊典さん(地域振興課長→島原城振興協議会事務局長)と出くわした。スリッパ履きの軽装ではあったが、肩にしたカメラは大層立派であった。

ひとしきり喋っている間に、蓮の話になった。「ほんて、清人(西川)が元気な頃は、こん石垣にハシゴば掛けっから、よう撮影に来よった」。「あいが、朝はよ電話ばしてくっとじゃもん。『花ん開く時、パンパーンて音んしーよっ』て。実際、来てみれば何の音もせんとに…」。

実はこのガセネタは、筆者が読んだ連城三紀彦さん(直木賞作家)の何かの作品の一節を、西川さんに伝えていた事に由来する。

「蓮の花ん咲く時にゃ、ポーンて音んすっとげなど。知っとった?」。「ヘー、そりゃ面白かとん。行ってみゅーかい」。

確かそんなやり取りがあって、西川さんの本格撮影が始まった。まだ周囲が薄暗かったので、恐らく4時を少し過ぎたくらいの時間帯だったのだろう。

「モシモシ、何しよっと?いま堀端に来とるとばってん、蓮の花んやっちゃやかましか。凄か。はよ来んね!!」。吉田さんも筆者も、あの独特の声音にコロッと騙されたくちだ。

音の真偽はさて置くとして、出来上がった作品は実物以上に素晴らしく見えた。そのうちの1枚は、我が家の夏の〃風物詩〃として床の間を飾っている。

〈ドブに落ちても根のあるやつは いつかはハチスの花と咲く…〉。この日、吉田さんと別れた後、自然と口に出た。そう言えば、吉田さんは話しながら幾分か涙ぐんでいた。そう〈泣いているんだ兄さんは…〉解かる?西川さん。


2008/07/23

ゴルフ場で愛を叫ぶ!!…よくぞ見つけた「結婚指輪」

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈この広い野原いっぱい咲く花を ひとつ残らず あたなにあげる あかいリボンの花束にして〉 - 。森山直太朗の母、森山良子、若かりし頃の名曲だ。

この時、作詞を担当した小蘭江圭子が意図した「花」が何であったかは知るよしもないが、相手が目に付きにくい、小さな、小さな「指輪」となると、そうそう簡単にかき集めるわけにはいかない。

が、〃奇跡〃は起きるものである。ナント広大な敷地面積を誇るゴルフ場内で失くしてしまった「エンゲージリング」を探し出した人間がいるのだ。

時は先週末。場所は諫早・チサンカントリー「橘」コース。ふだんから筆者が尊敬してやまない某経済人の誕生祝賀コンペでの出来事だ。

この日、たまたま筆者とその紛失者はパートーナーであった。時おり降りつける雨をも物ともせず、我々は順調に好スコアを重ねていた。

そして、前半も残り3ホールといった所で〃異変〃が起きた。と言うより、くだんの君が、大事なものを失ってしまったという、極めて重大な〃事実〃に気付いたのである。

「ない、ポケットに入れていたはずの結婚指輪が見つからない!!」。筆者も含めた残り3人とも途方に暮れてしまった。間の悪いことに、チサン特有の分厚い霧も巻いてきた。

雨脚も強まってきたので「もうハーフで打ち切るか」という意見も出たが、当事者にとっては、そんなことより指輪、指輪…。虚ろな表情で「足取り探し」の旅に出た。

残り3人は後半戦に突入。いずれも大変に気がかりではあったが、他の参加者との兼ね合いもあったので、ひとまずはプレーに没頭していた。

すると、「有明」コースの3ホール目を過ぎたあたりで、何やら背後から大きな声が響いてきた。「あったぁー!!」。後を振り向くと〃喜色満面〃の笑顔が、巨体を揺さぶりながら、コブシを振り上げて近づいて来るではないか。

「良かったぁー!!」胸を撫で下ろす筆者。あとの2人もプレーの手を休めて拍手を送った。

ところで、どうした拍子に落としたのだろう?本人に状況を聞くと、指輪をはめたままだと指が痛いので、ズボンの後ポケットに入れていた。それが、手袋を引き出す祭に絡まって飛び出たものらしい。

本人に言わせると、見つけ出したのは、他でもない「愛の力」なのだそうだ。別段、否定はしない。恐らく、否きっとそうだろう。でも、その余波ですっかり調子を崩してしまった、このオレはどうなるの?

エッ、それが「実力」でしょう!?まあ、当たっているだけに、反論はできないか…。かくしてこの日、同ゴルフ場は指輪落としが愛を叫ぶ〃世界の中心〃となったのであります。

ところで、誰が指輪をオ・ト・シ・タ・カって?それは内緒です!!


2008/07/19

バカの後知恵なのだ!!…「氷河」が溶け始めているのに

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

久しぶりに島原城のラジオ体操会に参加した。軽く堀端を周回して、西口の登城門からのぼった。背後の眉山の上には、白い雲が糸を引くようにたなびいていた。

〈雲にのりたい やわらかな雲に のぞみが風のように 消えたから…〉。ミニスカート姿の黛ジュンが歌っていたのは、もう40年も前のことか…。

飛行機の窓越しに眺める天空の情景は、いつ見ても神々しい。巧く表現できないが、人間は宇宙と地球の狭間で生かされているんだな、という気がする。

初めての海外旅行は北極回りのヨーロッパだった。最近は直行便が当たり前だが、昭和50年代当時はアラスカのアンカレッジ経由が普通だった。

先日「ターニングポイント」に出演して下さった雲仙観光ホテル総支配人の石毛芳子さんとも盛り上がった話だが、当時のJAL便では「北極点通行証明書」なるものを機内で配っていた。

日本で暮らしている通常の感覚で言うと、昼と夜の長さは「ほぼ半々」。しかし北極圏に近い地域に行くと、季節によってその配分は大きく異なってくる。

今のシーズンは「白夜」と言って、真夜中なのに昼間の明るさが残っており面食らってしまうほどだ。これだと、非行少年も「深夜徘徊」ができなくて困っているのでは!?

さて、今日18日、日本初の「ジオパーク認定」(ユネスコ)を目指して、島原市の吉岡市長が島原半島を代表して上京した。

現在までのところ、3つの指定席を4地域で奪い合う〃少数激戦〃の様相だが、同市長の口ぶりには何かしら〃自信〃めいたものが溢れているようなので、ここは一つ期待して!!

筆者はもとより、科学とはほど遠い人間で、「地層」云々に関してはこれまで何の興味も関心もなかった。ところが、元島原高校教諭の寺井邦久先生の話を聞いてからは、俄然「面白み」を感じている。

今にして「失敗であった」と反省しているのは数年前に実施したアイスランドツアー。彼の地には、「地球の割れ目」なる地質遺産があり、巨大な「氷河」も存在していた。

先日、誰かが警鐘していた。「北極圏の氷が溶け出すと、メタンガスが噴出し、その影響は二酸化炭素どころではなくなる」と。

その話を傍目に聞きながら「エライコッチャ」と思ったが、はて「何をすべきか」と問われても、俄かに答えは見い出せない。

せめてはアイスランド滞在時点での記憶を呼び戻そうとアルバムをめくってみたが、そこに写っているのは美しい色合いの風景写真ばかり。

そうだ1つ思い出したぞ!!「年々、氷河が溶解しています」と、現地のガイドが言っていた。こういうのを総称して「バカの後知恵」という。

[NEW!] iPhone / iPod touch で読んでみる。


2008/07/18

常用漢字で感じること…自分で「淹れる」コーヒーの味

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

16日付の新聞に「常用漢字」の記事が出ていた。それによると、新たに188文字を加え、5文字を外して、全部で2128文字にするそうだ(文化審議会・漢字小委員会)。

晴れて〃仲間入り〃を果たすのは「俺」「茨」「岡」「韓」「畿」など。「銑」「錘」「勺」「匁」「脹」の五文字が枠外へと去る。

個人的な思いを言えば、別段どうでもよい。漢字で書きたければ漢字を使えばいいし、嫌なら使わなければ済む話だ。

ただ、新聞紙上で時々見かける「漢字+ひらがな」の表記は、余り見栄えのするものではない。と言うより違和感すら覚える。

ところで、「俺」という字に良く似た漢字に「淹」というのがある。お茶などを「淹れる」といった場合に使うのだが、一体これはどうした文字?もちろん「常用漢字」ではないだろう。

広辞苑はじめ関係本をめくってみたが、とうとう解説欄に到達することは出来なかった。どなたかご存知の方がおられたら、教えていただきたい。

筆者がどうしてこの「淹」に拘るのかについては、大学生の頃の同人誌時代までさかのぼる。当時はすべて手書きの原稿だったのだが、物知りで聞こえた或る同人がこの文字をしきりと使っていたからだ。

どうして「入れる」としないで「淹れる」にするのだろう?正直、不思議でならなかった。でも、これが〃文人〃としての彼の誇りだろう、と納得した。

申し遅れたが、同人誌の名前は『夙』(しゅく)と言った。「夙(つと)に」という使い方からして「(朝)早く」という意味だそうだが、それとは別個に「天皇陵の番人」という記述も見つかった(広辞苑)。

確かその当時何百部か刷ったのだと思うが、転居を重ねているうちにどこに仕舞いこんだのか現在は分からないままだ。

小生の役回りは編集・発行責任者だった。今にして思うに、まとまった〃作品〃を書く技量など持ち合わせていない〃仲間〃に対しての、みんなの思いやりだったのだろう。

表紙を描いたのは東京生まれで、現在は三越日本橋店などで個展(陶芸)を開くなど活躍中の人物だ。もともと実家が華道の家元で〃天賦の才〃に恵まれた男だった。

最近はとんとご無沙汰しているが、卒業前に交わした言葉を今でもよく覚えている。「長崎に帰って教師にでもなるのか?」「いや、田舎には帰らん」 - 。

あれからもう30年近い歳月が流れた。様々な紆余曲折を経て田舎に帰った、典型的な〃中年男〃が現在の姿だ。

あいつが言ったように長崎に戻って教員採用試験を受けていれば、受かっただろうか…。まさか!!大分県教委の無様な〃醜態〃記事を読みながら、自分でコーヒーを「淹れて」いる。ああ苦い!!

[NEW!] iPhone / iPod touch で読んでみる。


2008/07/17

名付けはとても難しい…荒野さん「直木賞」に決まる

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

7月14日は「パリ祭」(フランス建国記念日)と並んで、「芥川賞」「直木賞」の選考日とばかり思い込んでいたが、どうやら間違っていたようである。

ということで、今夏の第百三十九回目の受賞者は15日に決まった。芥川賞が、中国人初の楊逸(ヤンイー)さん。そして直木賞は、井上荒野(あれの)さんが選ばれた。

楊さんは44歳。中国東北部・ハルビンの生まれで、1987年に来日して以来21年目の受賞。日本語を母国語としている、選りすぐりの優れた文学者でさえ難しいのに、「スゴイ!!」の一言につきる。

一方の井上さん(47)は、作家の故・井上光晴さんの愛娘。このところ随分と頻繁にマスコミに登場しているなあ、という感じがしていたが、なるほど、こうした〃伏線〃が引かれていたのか。

それにしても「荒野」とは、随分と思い切ったネーミングである。さすがに〃硬骨漢〃で鳴った文学者だという気がする。

名付けに関しては、エッセイストの阿川佐和子さん(作家・阿川弘之さんの愛娘)が以前、面白いことを書いていた。兄弟のうちの一人の名前が、近くの青山墓地で見かけた墓碑から、散歩中の父親が拾ってきたもの、だと。

これを読んだ時は、腹を抱えて笑ったが、事実、名前を付けるのは本当に骨の折れる作業だ。筆者にも3人の息子がいるが、いずれの場合も命名したのは、岳父である。

長男の時は、我が家に久々に誕生した「男児」だったので、まったく出る幕はなかったが、次男の時には「今度こそ!!」と、腕ぶして臨んだ。

「命名辞典」を買い求め、朝な夕なに読みふけり、自信たっぷりに判断を仰いだ。しかし、結果は「そっじゃ、名前負けすっとん」の一言に沈んだ。

余談だが、本欄にも度々登場する三男坊の時は、家族全員ひたすら自然体(?)で受け止め、岳父の提案と同時に「そっで良か」とスンナリ決まった。

ところで、新聞各紙にも紹介されているように、井上光晴さんは若い頃に、現西海市の「崎戸島」で暮らしていた。筆者も何年か前に訪れたことがある。

その時は、鬼才!!深作欣二監督の遺児、健太氏が初メガホンを執った「バトルロワイヤル2」の撮影が、朽ち果てた〃炭住跡〃行われていた。

島にはこれといった施設もなく、町全体に寂れた雰囲気が漂っていたが、コバルトブルーの海の美しさだけは抜群だった。あの当時、「スケッチ」による町おこしを標榜していたが、あれはまだ続いているのだろうか…。

荒野さんも父親の文学碑が建つその島へ、幾度となく足を運んでいる、という。崎戸島には、何かしら郷愁を誘う昭和の〃原風景〃が確かに存在している。


2008/07/16

原油価格高騰の問題…結局は〃弱者〃にシワ寄せ

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「自分が作ったモノの値段を自分で決められんなんて、根本からおかしいと思わんかね?」。高田知事当時、長崎県総務部長だった小田浩爾さんから、冒頭のような問いかけをされたのは今からもう15年以上も前のこと。

いまだにその〃問題提起〃が脳裏から離れない。小田さんのその言葉は〃市場原理〃で買い叩かれる地元産品流通ルートに対する〃怒りの声〃であった。言うなれば〃義憤〃である。

ところで、原油高騰の煽りで、今や日本経済は大混乱の様相を呈している。15日には、全国の漁業関係者が一斉に操業を取り止めた。出漁すればするほど赤字になるのだから、何とも深刻な事態である。

もともと経済畑とはほど遠い世界を歩いてきたので「仕組み」そのものが分からない。が、ここまでくると、さすがに座視できない心境になってきた。

本屋に行った。早速、目に飛び込んできたのは「栄太郎飴」のような色合いをした新刊本だった。『緊急改定・知られていない原油価格高騰の謎』(技術評論社)。著者は芥田知至氏。

眠気をこらえつつ頁をめくってみたが、いま一つ〃問題の核心〃が掴めない。「セブン・シスターズ」「OPEC」…。我慢して読み進めていくうちに、朧気ながら輪郭のようなものが浮かび上がってきた。

それは、現在の原油価格が取りも直さず「先物市場」(投機資金)で決まっていること。これだと、我々庶民がいくら騒いでみたとしても、結局はその決定に従うしかないのか…。

それより、むしろ気になったのは「原油依存度」という初めて目にする言葉。つまりは、原油価格がいくら高くなろうとも、仕組みによっては影響度を弱めることができるのだ、と。

為替の変動とも密接に係わってくる問題だが、端的に言うと、「先進国」ほど割を食わないシステムが出来上がっている。誤解を恐れず言うなら、「先進国」を「大企業」に置き換えるとより分かりやすい。

同書の事例で言うと、遠洋マグロ漁船の場合、一隻あたりの燃料費は年間で約一千万円増。ところが、海外からの輸入品との競合で価格の転換ができない。

農業も同様で、トマト促成栽培で試算すれば、重油燃料の高騰で約二割もの所得減につながる、と言われている。このほかガソリンスタンド、運輸業などへの影響もつとに大きい。

ここまで読み進めてきて改めて分かったことは、要するに「原油高」の影響は、島原半島の主要産業を軒並み直撃している、ということだ。

その点、大手の企業が経営している電気やガスなどはまだ救われている。原油や液化天然ガス(LNG)の輸入価格に基づいて、それぞれ調整する仕組みが出来上がっているからだ。

小田さんが15年以上も前に指摘した〃怪しからん事態〃が何ら解決していないことが良く判った。


2008/07/15

紫式部も囲碁ファン!?…信長が贈った「名人」の称号

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

江戸幕府第十三代将軍・家定が13日、死んだ。NHK大河ドラマ『篤姫』でのことだ。汗まみれの体をサウナで洗い清めてから帰宅すると、母と家人が興奮して涙ぐんでいた。

「ちょっと、あん面白か将軍さんの死なしたとよ。そいも、篤姫さんには一月も教えらっさんで…。ひどかねー。衛星放送でいま再放送ばしよるけん、はよ観てみんね」。

ご指導の赴くままに夜の10時過ぎにBSチャンネルをつけると、夫婦そろって「碁石」で遊ぶ回想シーンが流れていた。なるほど、今日は「碁」に縁の深い一日だったなあ、と述懐した次第だ。

昨日における今日、すなわち日曜日の13日は、弊社と親和銀行共催の「第41回囲碁選手権大会」(島原半島囲碁まつり)が開かれた日であった。

気温33度を超えるやたらと暑いサンデーであったが、会場の同行島原支店2階ホールは、百人以上ものアマチュア棋士たちの熱気で、さらにボルテージが上がった。

優勝者の顔ぶれ等の紹介については本文にお任せするとして、今回何より驚いたのは「囲碁の歴史」そのもの。まったくもって「囲碁・将棋チャンネル」の社員の方の受け売りだが、これが頗る面白い。

まず起源については、古代「中国」。その証拠として持ち出されたのが、「琴・棋・書・画」(きんきしょが)という四文字言葉。説明を聞いて「なるほど!!」とヒザを打った。

日本に渡ってきたのは奈良時代の頃。校倉造りで有名な正倉院には、紫檀製(?)で引出し付きの碁盤が残されて、という。

時代は下って、平安時代。今年は「源氏物語」が生まれて千年のミレニアムイヤーだが、紫式部も、そして「枕草子」の清少納言も、女だてら(?)に囲碁打ちだったのだそうだ。

戦国の世に移って、織田信長。稀代の「坊主嫌い」とされる信長だが、囲碁は好きだったようで、「日海(にっかい)上人」に対しては「名人」の称号を下賜した、と。これが今日の「名人戦」の始まり。

信長にしてその調子であるから、後に続く秀吉も家康も然りである。戦国の世が一言でいえば、〃陣地合戦〃であることを考え合わせれば、至極当然の帰結、とも言える。

先般、出張で鹿児島を訪ねた時も、たまたま歴史の話になった。「大河ドラマの中で、篤姫と小松帯刀(こまつたてわき)が囲碁を打っているシーンが映されているが、あれはあり得ない話」と、地元の好事家。

言われてみれば確かにそうだが、いまだに彼の地で〃西郷ドン〃の人気が高いのには驚いた。その西郷ドンを島流しにした島津久光公は大の囲碁ファンだった、とか。ややこしい。

   ※    ※  
 
近く、「囲碁の歴史」について前述の社員の方から投稿してもらう予定になっているので、どうぞお楽しみに!!

[NEW!] iPhone / iPod touch で読んでみる。


2008/07/12

禍福はあざなえる縄…今日は残りの人生の最初の日

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

出張で訪れていた鹿児島・霧島温泉(雲仙市姉妹都市)のホテルに、語呂合わせでもなかろうが、エッセイストの桐島洋子さんが色紙を残していた。

はっきり言って、字は余り上手くはなかったが、書かれている文章が気に入った。そこにはこう記されていた - 「今日は私の残りの人生の最初の日」。

宿酔の頭をポリポリ掻きながら妙に納得した。ちなみに、宿泊期日は昨年の12月20日とあったので、まだまだ最近のことだ。

ところで、若い頃から大変に可愛がっていただいた、とある恩人が、つい先日〃人生最期の日〃を迎えてしまった。

今年の3月に親しい仲間内で「古希の祝い」を挙行したばかりだったので、誰しも訃報の存在そのものを疑った。それほど急な旅立ちであった。

小生にいたっては、わずかその数日前の夜半に訪ねて色々と会話を交わした矢先のことで、いまだに信じられない。こう言うのを〃虫の知らせ〃と呼ぶのだろうか…。

故人は10年近く前に最愛の一人娘を病で亡くした。以降は雨の日も風の日も、それこそ一日も欠かすことなく〃墓参〃を続け、奇しくも今日7月11日が、その娘さんの〃命日〃であることを知った。

   ※    ※  

一方で〃めでたい話〃もある。この春、52歳という若さで藍綬褒章に輝いた、南島原市消防団副団長の大山秀孝さん(深江町)の受章記念祝賀会だ。

元深江町消防団長の石川嘉則さんらが発起人となって10日夜に開催されたもので、300人を超える出席者で賑わった。

久間衆議院議員はじめ来賓それぞれが心のこもった祝辞を送ったが、中でも感動したのは、家屋敷は言うにおろか、それまで生活の糧としていた田畑まで焼失した状況下での、とある人物との出会い。

他でもない、宅島企業グループ総帥、宅島壽雄さんがその人だ。推薦人は当時、深江町消防団長を務めていた石川嘉則さん。

「大山君は、大変に責任感の強い男。自信をもって推薦させていただく」。そう訴える石川団長の願いを、宅島さんは二つ返事で引き受け、発足後間もない「島原開発」(生コン工場)の責任者に抜擢した。

今を遡ること15年前。まだ普賢岳の噴火災害が激しかった頃の、夏場の出来事だった。

当時の大山さんの心境を下手な文章で語ることなど土台無理な話である。ただ、誰でもが知っている。大山さんが並外れた「精神力」と「責任感」の持ち主であることだけは。

その大山さんは、たまたまこの日が53歳の誕生日。よくよく考えると、小生と〃同い年〃である。

お礼の言葉は真摯な人柄そのままに「ありがとう」の連発だったが、何より傍らの奥様に捧げた一言に〃実感〃が込められていたような気がした。

禍福はあざなえる縄の如し、か。

[NEW!] iPhone / iPod touch で読んでみる。


2008/07/08

1日で3キロの大減量…山々は〃生気〃で溢れている

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

あれよ、あれよ…という間の「梅雨明け宣言」だった。そして7日はご存知「七夕」(たなばた)。色んな番組で薀蓄(うんちく)を垂れられているようなので、ここでは割愛する。

ただ、朝起き抜けに寝ぼけ眼の三男(高1)が「今日は七夕か…」と意味ありげな笑いを浮かべて、サインを送ってきた。聞くと、小学1年生の頃の七夕飾りに「お父さんとお母さんが離婚しませんように」と書いたのだそうだ。

それは、それは大変ご心配をおかけしました。でも、その当時、そんなに〃夫婦仲〃が悪かったっけ。一切〃記憶〃に残っておりませんけど…。

ところで、7日夜に予定していた『ターニングポイント』は、前もってお知らせしていたように、お休みさせていただく。理由は東京からのお客様だ。

総務省の「ICT地域活性化ポータル」が発表されたその日に、島原モデルの「広域無線LANシステム開発」に取り組んだ当事者同士が出会うことになろうとは、天の神様も粋な計らいをするものだ。

神様と言うと、これもまた神様のおかげだろうか?何とわずか1日で体重が3キロも減ったのだ。直接の要因は日曜日の雲仙登山の〃成果〃だが、目減りした体重計を眺めていると、何かしら〃天の配剤〃を感じないわけにはいかない。

吹越から妙見岳、そして普賢岳。5時間強にも及ぶ強行軍ではあったが、現実に成し遂げてみると、充実感でいっぱいだ。

普賢岳には平成9年4月29日の「山開き」以来、実に11年ぶりに登山した。率直に言って、あの時よりむしろ今回の方が〃楽〃に感じた。

年齢的なものを考えても、体重の増加ぶり(10キロ以上)を勘案しても、不思議の一言であるが、これは紛れもない〃実感〃である。ここにきて〃老人力〃が付いてきたのだろうか?

それにしても、自然の営みの何と奥深いことか。鳥の鳴き声一つとっても、森林の中で聴くさえずりは一味も二味も違う。

間近に見るヤマボウシの群落も鮮やかだったし、山アジサイの可憐な花びらも捨て難い。フー、フーと息を切らして歩きながらも、山全体から〃生の息吹〃を嗅ぎ取ることができた。

普賢の山頂から眺める360度のパノラマには息を呑んだ。湯島(談合島)は言うにおろか、天草の島々、八代沖の不知火海までクッキリと望めた。

数万年ぶりの造山活動で現れた、日本で一番新しい山「平成新山」は、まさに〃指呼の間〃。山頂付近の水蒸気の噴き上げも手に取るように確認できた。

「あざみ谷」経由で辿り着いた仁田峠では韓国からの旅行団と出会った。カメラのシャッターを切ってあげたりして友好促進に努めたが、山に向かって「アンニョンハシムニカ」と叫んでいる姿には違和感を覚えた。そこは、やっぱ「ヤッホー」でしょうが!!


2008/07/05

一衣帯水の福岡&熊本…来週『ターニングP』はお休み

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

4日は地上デジタル放送の開始に伴う「区域外再送信問題」を協議する緊急集会(日本CATV連盟主催)に参加するため、急きょ上京している。

現時点で、NHKを含めた長崎県内5局の再送信同意はいただいており、すでに昨年12月からサービスを提供しているが、福岡や熊本の〃県外波〃となると、まだまだ各種の障害がはびこっている。

我が島原はご存知の通り、昔から〃電波銀座〃として知られているが、全てのアナログ放送が休止される2011年7月24日以降は、原則として〃県内波〃のみの再送信しか認めない、とされている。

正直言って、この基本方針がそのまま進められることは、当社に限らず、CATV業界全体にとって〃死活問題〃だ。事実、大分や長野などでは総務大臣や司法当局の判断を仰ぐまでの大騒ぎとなっている。

小生も先週は、福岡、熊本両県の民放各社を訪問。これまでの経緯を踏まえて、「何とか寛大な措置を」とお願いしてきた。反応は各社それぞれではあったが、概ねご理解をいただけたのではないか、と思う。

恐らく最終決定までには、まだまだ幾つか超えねばならない〃ハードル〃が控えていることだろうが、両県とも〃一衣帯水〃の位置関係にあり、古くから交流も盛んだ。

ましてや「九州は一つ」をテーマに、知事会議も定期的に開かれており、将来の〃道州制〃にもつながる世の中の流れを考えれば、〃県境〃でもって電波の壁をこさえることは果たして如何なものか。

よく言われているように、島原半島は長崎県における〃東の玄関口〃だ。もっと言うなら、福岡や熊本に一番近い〃長崎県〃が島原半島である。

有明海で隔てられているとはいえ、天気の良い日は〃対岸〃の様子がハッキリと見て取れる。船便だって大牟田、長洲、熊本と日に何十本も通っている。

考えようによっては、これは大きな〃地の利〃である。だが、残念ながら、現状ではまだ、その強みを十分に活かしきっている、とは言い難い。

先般、別件で熊本へ渡って、熊本日日新聞社の幹部の方とお話した際も、その話題となり「もっと盛んに交流を図るべき」との意見で一致した。

そうした声が届いたのかどうか知らないが、来週は熊本市内のコミュニティFM局の社長さんらが当社にお見えになる。実り多い会談になることを今から願っている。

   ※    ※ 
 
ここで一つお詫びをしなければならない事がある。毎週月曜日午後7時からカボチャテレビとFMしまばらの共同企画で放送している『ターニングポイント』を、7日はお休みさせていただく。

理由は、大切なお客様がその時間帯に来社されるため、どうしても調整がつかなかった。謹んでお詫びを申し上げる次第だ。申し訳ございません。


2008/07/04

霞か霧か、はたまた靄か…アナログ写真へのノスタルジー

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この季節、雲仙はよく「霧」(きり)におおわれる。島原方面から行くと、俵石の展望台を過ぎた辺りから急に視界が塞がれるので、面食らってしまう。

ところで、厳密に言うと、このシチュエーションでの「霧」という使い方は間違っているのかも知れない。広辞苑で調べてみたら、「春は『霞』(かすみ)で、秋が『霧』」と言うのだそうだ。

では、春でもない、秋でもない今のシーズンは何と呼んだらいいのだろうか?総称として、「靄」(もや)という言い方もあるにはあるが…。

「霧」にまつわる歌謡曲は昔から多い。ざっと思いつくだけでも『夜霧よ今夜もありがとう』(石原裕次郎)『霧にむせぶ夜』(黒木憲)『霧笛が俺を呼んでいる』(赤木圭一郎)…。枚挙にいとまがないほどだ。

個人的な思いで言うと、久保浩という人が歌っていた『霧の中の少女』という曲が、今でも印象に残っている。

〈涙はてなし雪より白い 花より白い 君故かなし あわれ少女よ 霧の中の少女 消えて帰らぬあの世街角 いまも僕の心のうちに生きてる君よ〉

橋幸夫や三田明の曲を多く手がけた吉田正さんの作詞だから、恐らくビクター所属の歌手だったのだろう。確かヒットしたのはこの1曲だけで、後の作品は知らない。

2番、3番を紹介する紙幅がないので端折らせていただくが、どう読んでもこれは、亡き恋人に捧げる〃挽歌〃である。子どもの頃は何も考えることなく口ずさんでいたが、実に暗い内容だ。

ここで歌われている「花」とは一体何の花を指していたのだろうか…などとハンドルを握りながら考えていたら、可憐な「ヤマボウシ」の群落が視界に飛び込んできた。

普賢岳噴火災害当時は、西川清人さん(故人)の指導のもと、写真に凝っていた。そして、この季節は「霧」(?)を目指して雲仙の山々を駆け巡った。

被写体はヤマボウシであったり、アジサイであったり…。時にはちょっと翳のある女性モデルを伴ったりもした。

最近ではデジタルカメラの普及で、その場で出来不出来が判別できるが、当時は現像するまで判らなかった。フィルムも状況に応じてプロビア、ベルビアと使い分けていた。

いま思うと、仲間全員、そのプロセスを楽しんでいた節がある。品評会もワイワイ、ガヤガヤ。仕事柄、タイトル付けは小生の担当だった。

もう写真を撮らなくなって久しい。ニコンだ、コンタックスだ、ライカだと盛り上がっていた時代がやけに懐かしい。

たまにアルバムの整理をしていると、懐かしい顔ぶれに出会う。中には亡くなった人もいるし、髪形や体型が大きく変貌を遂げた御仁もいる。やっぱり写真は楽しい。


2008/07/03

久しぶりの映画鑑賞…〃美容室〃にも行ってきた

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

以前、本欄でも紹介した映画『ぐるりのこと。』を観てきた。会場は長崎駅前、アミュプラザ5Fのシネコン。何やらゲームセンターのような所だった。

監督は長崎市出身の橋口亮輔氏。主演の法廷画家役を小説『東京タワー』原作者のリリー・フランキーが演じ、妻役の木村多江(出版者勤務)がとてもいい味を出していた。

この作品は、自身の〃うつ体験〃に基づいて、監督本人が書き下ろしたものだが、シリアスな状況設定にもかかわらず、全編を通じて何となく〃笑えてしまう〃から不思議だ。

簡単に筋立てを言うと、靴の修理人から法廷画家に転じた主人公と、その妻のラブストーリー。しかしその中には、現代社会が抱える様々な問題が含まれており、なかなかに考えさせられてしまう秀作だ。

個人的には、なるべく多くの皆さんに鑑賞していただきたいと願っているが、何せ長崎市内までの距離が…。それでも一見の価値あり、と思う。

実は、久しぶりに「映画館」なるものに足を運んだ。正直言うと、シネコンは〃初体験〃だった。したがって、「まるでゲームセンターのような雰囲気」と思ったのも無理からぬところである。

日曜日の最終上映時間に入ったせいもあろうが、周囲はガランとしていた。ビックリしたのは、若者カップルが手にしていたポップコーン包みの大きさ。まるでバケツのようだった。

しかし、それより何より嬉しかったのは、予告編で『まぼろしの邪馬台国』がかなり長時間にわたって流されたこと。

ナビゲーターはお笑いタレントの柳原可奈子。巨大なスクリーンいっぱいに現れ、白桃のような二の腕を剥き出しにしてPRに励んでいた。〃好感度〃はバッチリだと思う。念のため、封切りは11月1日。

ところで、映画を観る前に少し待ち時間があったので、近くの〃美容室〃に入った。その店には少しだけ面識があったのだが、やはり恥ずかしかった。

鏡が沢山ある空間はどうしても落ち着かず、週刊誌を渡されてもとても読む気にはなれなかった。迷っている間にシャンプーを2度やってもらった。

やっと雰囲気にも慣れかけてきた頃合いを見計らったかのように、「いかがいたしましょうか?」と、長身のイケメンが登場。

はて、困った。「いかが?」と言われても、もとよりこの見てくれだし、短くカットするにしても顔がでかいので限度がある。

思いあぐねた挙句、発した言葉は「チョイワルオヤジ」と言うつもりだったが、間違って「エロオヤジ」と口走ってしまった。

が、このイケメン君、さすがに心得たもので、少しも慌てず騒がず無言でハサミを動かした。約30分後、恐る恐る目を開けてみると、『ちびまる子』に出てくる「花輪君」のような頭が出来上がっていた。


2008/07/02

早稲田佳子的なるもの…人間として〃力量不足〃を痛感

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

カボチャとFMしまばら共同制作の生番組『ターニングポイント』(月曜夜7時~)の第9回目(30日放送)のゲストは、有明町大三東出身で長崎市在住の早稲田佳子さん(花滴庵主宰)をお迎えした。

自分なりに綿密な準備をしたつもりだったが、本番を終えて何やら〃欠落感〃ばかりが残る。早稲田さんに対しては、申し訳なさで一杯である。

何故なら、華道家としての、今日の「早稲田佳子的なるもの」の根源となる、幼き日のエピソードを飛ばしてしまったからだ。

小学時代、一家は長崎市の戸石地区に住んでいた。「あの頃は、母に連れられてスミレやレンゲなどの野花を良く摘んでいたわ」と、当時を振り返る早稲田さん。

最大の思い出は、幾つものバケツいっぱいに彼岸花を摘んできて、学校中の教室に飾ったこと。壁掛け式の花瓶は竹筒を工作したものだった、という。

何とも〃時代〃を感じさせる逸話だが、筆者には根っこの部分の〃本質〃が、ここに集約されているような気がする。

放送当日の「生け花」は二作ともご本人の手になるもの。わざわざ長崎からご足労いただき、放送直前に実家の庭で摘まれた〃野の花〃が主役だった。

残念ながら花の名前はほとんど判らなかったが、それぞれの〃個性〃を最大限に引き出しつつ、全体のバランスを整えた手腕は、門外漢ながら「流石」(さすが)の一言だ。

休憩中にいただいた「お抹茶」も「お菓子」も殊のほか美味しかった。「肩の凝りが取れて、楽になるわよ」とのコメントを賜ったが、終始、聞き手としての〃力量不足〃を痛感した一時間であった。

どういう訳か、筆者はこの方の前に立つと(座っても同じだが…)、見透かされているような思いが先立って、ついつい〃緊張〃してしまうのだ。

一言でいうと「器」の違いである。もちろん経験からくるものもあろうが、人間としての「幅」が違うのである。以前、長崎市内のホテルで開かれたNHK長崎放送局の開局70周年記念パーティで、そのことを痛感した。

とにかく、どのような場所にあっても〃堂々〃とされているのだ。筆者が田舎者の常で隅っこの辺りでチョコマカとしていたら、手招きいただいて「名刺を出しなさい」との命。

次々とご紹介いただいた面々は、いずれも長崎財界やマスコミ界の名だたる方々ばかりであった。

万事においてオッチョコチョイの筆者は「このお調子者!!」と、よくお叱りを受ける。しかし、不思議なもので、早稲田さんから叱責されても、少しも嫌な感じがしない。

まあ、それもこれも「器の違い」の為せる業。今後とも〃慈愛〃に満ちた鞭でぶって、ぶって!!変態か俺は???