2011/07/28

厄介者が貴重な燃料に…水藻からバイオエタノール

間もなく『もっぱらマガジン8月号』が各家庭に新聞オリコミで配付されるが、筆者が担当している「妄言多謝」の欄に関しては、執筆時期とのズレに些か頭を痛めているところだ。

何せ10日から2週間のタイムラグが生じるものだから、その時は「新鮮だ」と思っているネタも、時が経てば古びてしまう。島原地方の方言でいうなら「ねまって」しまう。

したがって、同マガジンの中で書いていることは、見方によっては、少々タイミングを外してしまったような気がしてならない。でも、もう取り返しがつかないので悪しからず…。

ところでこの前、夕方のテレビニュースを視ていたら、中国・青島(チンタオ)の海水浴場に水草が大量に発生して、その処置に現地の行政当局も困り果てている、とのことだった。

どうやら、その「正体」はアオサの一種ということだったが、広がっている範囲が日本の新潟県の全面積に匹敵するくらいと言うから、さすがに大国!ハンパではない。

レポートによれば、何とか家畜のエサなどとして使えないかどうか検討が重ねられているということだったが、確たる「決め手」には至っていないようだ。

所変わってニッポン。こちらは淡水湖での話。滋賀県の琵琶湖と言えば、我が国最大の湖だが、そこでもご多分に漏れず、次から次に生えてくる大量の水藻の除去処理が頭の痛い問題なのだそうだ。

1週間ほど前のNHKの『おはよう日本』の中で取り上げられていたトピック的な話題だったが、こちらでは中国と違って、一歩進んだ「再利用」の取り組みが報じられていた。

主体となって研究を進めているのは、長浜バイオ大学の大島淳教授らのグループ。何と!そのままだと厄介者にしか過ぎない水藻から、石油に代わる新しいエネルギー源としてここ数年世界的に注目を集めているバイオエタノールを検出した、というのだ。

その映像を視て、筆者がヒザを叩いて喜んだのは言うまでもない。水藻の種類が我が白土湖のものと同じかどうか知らないが、除草船の外観も、水揚げされる藻の形状も、ウリ二つだったのだ。

さらに言うなら、エタノールの原料となるのは、トウモロコシのような高価な食用植物ではなく、雑草や廃材からでもOK!というのだから、こんなに有難い話は滅多にあるまい。

これまで本欄やマガジン誌面を使って、しつこいまでに白土湖の管理のありようについて随分と不躾な記事も書いてきたが、何だか「一筋の光明」が見えてきたような気もする。

話は変わるが、来る9月9日~10日には、熊本市で「九州創発塾2001」(九州内7県紙主催)という催しがある。大会テーマは「九州から行動する、地域環境との共生」。もちろん、出席する。


木は無口だけれど…黄色い葉っぱが物語るもの

「カンテンノジウ」と言っても若い人にはなかなか伝わらないだろうが、さしずめ昨夕のにわか雨がその部類だろう。漢字で書くと、「干天の慈雨」。

最近は地球温暖化の影響とやらで、予測のつかない局地的な集中豪雨。いわゆる、「ゲリラ豪雨」による浸水被害等が大きな社会問題ともなっているが、夏場のシャワーは屋外でも気持ちの良いものだ。

ただ、昨夕は見事なまでに気まぐれな天候に裏をかかれてしまった。クソ暑い最中に約1時間を費やして散水を施した挙げ句、知らない間に夕立に見舞われていたのだから。

それより何より腹が立ったのは、午後7時過ぎの帰宅直後に宿敵の母から賜った次の一言。「あんた、ひょっとして今日、水ば撒いてきたろ。あたしなんか、日頃の行いの良かけん、今日は撒かんで良かった。やっぱ、天の神様は人間ばよう見とらす!」。

勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべて、筆者の努力を嘲笑うかのように揶揄(やゆ)されたものだから、カチンと来ないはずがない。おまけにビールを飲もうと思って冷蔵庫を開けた途端、「ダメダメ、今から出かけるけん、運転手ばしてくれんね」。

「チ、チクショー、このクソババアめが」と思ったが、そこが婿養子の辛さ…。反射的に笑顔をなして「わかりましたお母様、ビールは帰ってきてからにしましょうね…」と、ことさら〃柔らかめ〃に冷蔵庫のドアを閉めた。

前置きが長くなってしまったが、事務所前の植込みの1本が折からの〃熱中症〃でこのところ元気がない。つい数日前に気付いたのだが、常緑樹なのに葉の部分が所々黄色くなって落ち始めているのだ。

実は、昨夕も「このままじゃいかん!」とばかりに、慌てふためいて大量の水かけを行ったところだった。すなわち、黄色い葉っぱは〃命乞い〃をするその木が発した〃黄信号〃だったのだ。

〈樹木は無口だから、何も物は言わない。でもね、危機を感じたら何らかの素振りを見せるんだ。葉っぱを落とすということは、幹本体を守ろうという〃防衛本能〃なんだよ〉

何年か前に、別の木が枯れかかった時に、宮本秀利さん(宮本造園社長)から教わった言葉だ。その時は「なるほどな!」と思っていたが、目先の仕事の忙しさにかまけて、ついついおざなりな世話しか出来ないでいた我が身を恥じる。

こうなったらとにかく〃命の水〃を掛け続けるしかない。何年か前に比べたら、まだ〃症状〃は進んでいないようだ。

夕立前に水を撒くことの〃愚挙〃を、再び母にからかわれるかも知れないが、ここは一つ〃馬鹿〃に徹して続けるしかない。赤とんぼも飛び始めた。実りの秋も、もうそこまで来ている。ファイト!!


2011/07/27

国政、おかしくない?…クールビズの功罪を考える

夏場を少しでも涼しく!「クールビズ」が定着して久しいが、これがなかなかの曲者(くせもの)である。

思い出すのは〈郵政民営化、是か非か?〉で争われた2005年夏の総選挙。時の総理大臣、小泉純一郎が多方面からの批判をものともせず、クールビズをまとった〃涼しい顔〃で乗り切ったことは、いまだ記憶に新しい。

最初のうちはネクタイ業界などから反発の声も上がったが、今ではすっかり〃夏の風物詩〃のような雰囲気だ。

では一体、何(誰)が曲者なのか?自発的辞任を臭わしながら、言(げん)を左右にしてなかなか辞めようとしない現総理は、前総理からすれば「ペテン師」だそうだが、これまた一種の曲者に違いない。

外国人からの違法献金問題をはじめとして、次々と暴かれる「過去の不始末」に対する批判など、どこ吹く風。まさしくもって〃涼しい顔〃だ。

果ては、日本中を熱狂させた「なでしこジャパン」の快挙を逆手に取って、その〃粘り腰〃を絶賛し、「国民栄誉賞」を進呈することで延命を図る(?)という〃奇策〃まで繰り出してきた。

まあ、この程度のことは曲者揃いの政界なら至極当然のことだろうが、緊急を要する大震災や原発問題の解決を先送りにされているようで、今や涼しさを通り越して、寒気(さむけ)すら覚えている国民の皆さんも多いのでは。

いつの時代から、こんな行き当たりばったりの政治になったのだろうかと、ふと思う。ひょっとしたら、クールビズなるものが登場した頃合いと符合するのか。だとすれば、それを提唱した当時の小池百合子環境相の責任は重い?

ただ、昔から「襟を正す」という言葉に代表されるように、公式の場では男女を問わず、身だしなみを整えるのはとても大事なことである。

ましてや、国民生活に直結する大事な予算案や法案を審議する、神聖なる「国会の場」において、まるで流行の先端を競うかのような「ファッションショーもどき」は現に謹んでいただきたい。

郵政選挙の折に、ピンクのクールビズをお召しになって〃采配〃をふるっておられた武部勤幹事長(自民党)は今頃どうしておられるのだろう。最近はすっかりお見かけしないようだが…。

時移り、政権が交代して、現職にある枝野幸男官房長官のネクタイ姿もなかなか拝めそうにないが、一つだけ言えることは、クールビズでもネクタイでも「首が長くなければ見栄えがしない」ということだ。

その点、国民新党代表の亀井静香さんは素晴らしい!?髪の毛はいつもボサボサ。ネクタイの結び目は歪んでいるにせよ、きちんと着けてはおられる。もっとも、この方こそ「超」の付く曲者だが…。さて、ドン小西の採点は?


2011/07/23

『心訓七則』に照らせ…世の中で一番悲しい事は…

「こちらは○○○です。ただちに犯罪はやめなさい。あなたの行動は逐一監視されています」―。

いつになく早起きして出社一番乗りを果たしたら、突然、天井のランプが点滅して、冒頭の警告アナウンスがシャワーのように降りかかってきた。

どうしよう?予期せぬ事態にオタオタしていたら、今度は机上の電話機がけたたましく鳴り始めた。恐る恐る受話器を取ると、警備会社からの連絡だった。

 「どうしました?」「いやー、あのー、ちょっとー」。シドロモドロの口調になって事情を伝えたら、「入口の脇の機械にセキュリティカードをかざして下さい」と、紋切り口調でガチャン。

〃騒ぎ〃自体は指示通りに動いたおかげで、ごく短時間で収まったのだが、誰もいない室内で何だか変な気分になって、急に笑い出してしまった。

自分の事務所に、自分が入って、お金まで払っている赤の他人から注意を受けることの〃自己矛盾〃。笑わないでおれようか!

しかし、これぞ紛れもない〃現代〃である。街じゅう至る所に監視カメラが設置され、時に犯人逮捕に結び付くこともある。また、犯罪の発生を未然に防ぐ〃抑止効果〃があるのも周知の事実である。

ただ、人間には本来〃良心〃というものが備わっているはずだから、たとえソノ場では言い逃れが出来たとしても、よほどの悪人でない限り〃呵責の念〃から解放されることはない。

諺に曰く「天知る地知る我知る人知る」(悪事や不正はいずれ必ず発覚する、という意味)。出典は中国の『後漢書』で、「四(し)知(ち)」とも言うそうだ。

関連して、これと似たような名言に「世の中で一番悲しい事は、嘘をつくことです」というのがあることは、読者の皆さんもよくご存知であろう。

久しくこの発言の主は慶應義塾の創始者、福沢諭吉翁とされてきたが、どうやら最近になって違うことが判ってきた、という。

ただ、誰の作どうかということに関係なく、これまで『心訓七則』としてあがめられてきたこの名言録は今の時代にも十分過ぎるほどに通じるものだ。

①世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つと云うことです②同惨めな事は、人間として教養のない事です③同さびしい事は、する仕事のない事です。

④同みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です⑤同尊い事は、人の為に奉仕し決して恩にきせない事です⑥同美しい事は、すべてのものに愛情を持つ事です―そして⑦が嘘篇。

どうです皆さん、これらを読んで何か心に思い当たる節(ふし)はありませんか?「いや、私は百%この線に沿った人生を歩んでいる」。そう断言できる貴方は、余程の正直者か、大した嘘つきです。


2011/07/22

黒澤流〃究極グルメ〃…ウナギ&ステーキ&カレー

「あれっ、もうこんなシーズン?」と我が耳を疑いながら微かな蝉の鳴き声を聞いたのは確か5月中旬。諫早市の長崎国際カントリーで行われたゴルフコンペでのことだった。

それが今はどうだろう。冷房の効いた事務所を一歩出れば、あっちからもこっちからも、耳をつんざかんばかりの〃蝉しぐれ〃の大合唱である。

「ミーン、ミーン…」というその響きは、ミーン主党代表にして日本国総理大臣の椅子に異常なまでの〃執着心〃を見せて恥じない菅首相の〃断末魔〃の叫びのようでもある。

さて、騒ぎに騒がれた、テレビ電波の《完全地上デジタル化》の決行日(24日)まで、いよいよ残り2日となった。

弊社としても打てるべき〃告知手段〃については、可能な限り実施してきたつもりだが、それでも旗振り役の国の予想では、29万世帯の〃地デジ難民〃が出てきそうだ、という。

しかし、ここで「困った!どうしよう?」などと慌てふためいたところで事態の根本的解決には繋がらない。ギリギリまで最善を尽くして《Xデー》を待つのみだ。

ただ、そうした中でも〃救い〃があるとすれば、「カボチャテレビに加入していさえすれば、一部アナログ波以外はそのまま引き続いて視聴が出来る」ということだ。

筆者があらゆる機会を通して、口すっぱく「そう慌てなさんな!」という所以(ゆえん)が、実はそこにある。

今の筆者の〃心境〃を一言でいえば、「俎板(まないた)の鯉」といったところか。つまり、今さらバタバタしても始まらない、と。(でも皆さん、今後もカボチャテレビを応援して下さいね!)

ところで、今日21日は「土用の丑(うし)の日」ということで、大好物の「ウナギ」が一躍主役に躍り出るめでたい日でもある。

見た目にはグロテスクなこの魚だが、味も栄養価も抜群なのは言うまでもない。ちょっと蒲焼の匂いを嗅いだだけでも、自然元気が湧いてくるような気がするから不思議だ。

今日付けの『天声人語』では、食通としても知られた映画監督の小津安二郎さんが大のウナギ狂(?)だったというエピソードを綴っているが、世界のクロサワ(黒澤明監督)が「ここ一番!」の時に食べていたという特別メニューがあった。

もう随分と前にテレビで放送されていたことの受け売りだが、筆者も是非1回は食してみたい、と考えている〃究極グルメ〃だ。

レシピなんてものは知らないが、画面で紹介されていたのは、大ぶりのウナギの蒲焼と分厚い牛肉ステーキを並べて、その上にカレーのルーが豪快にかけられていた。

どうです、皆さん、今晩あたり黒澤流の逸品を召し上がってみては?もちろん、「食後の運動」の方もお忘れなく!


2011/07/21

なぜ人々は感動したか…浮かれ過ぎのテレビメディア

昨日から今日にかけて様々なニュースがテンコ盛りの状態で並んでいる。一体どれから手を着けたらいいのか迷ってしまうが、何と言ってもその筆頭格は誰も予想だにしなかった「なでしこジャパン世界一!!」であろう。

ただし、だ。「号外」に続いて「特集記事」を組んでいる新聞はさて置くとして、テレビメディアの度を越したあのハシャギぶりは一体何だ?

昨夜(19日)は9時過ぎから立て続けにニュース番組を視ていたが、NHK(ニュースウオッチ9)に続いて、テレ朝(報道ステーション)、日テレ(ZERO)と来て、締めはフジテレビ(ニュースJAPAN)だった。

いずれの番組にも、快挙を成し遂げた選手や監督らが出演して〃舞台裏〃の話などで盛り上がっていたが、交わされる会話の内容は〃冗談〃も含めてほぼ同一。

まあ、それだけ国を挙げて〃歓喜の渦〃に巻き込まれている証左であろうが、一夜明けてNHK朝の『おはよう日本』にまで借り出されている選手たちの姿を視た時には、さすがに気の毒になった。

背景にサッカー協会からの思惑に満ち満ちた指示があったのか、或いは選手たちが自発的に出演を申し込んだのかどうか知らないが、「少しは休ませてあげたら…」と感じた国民も多かったのでは?

なぜこうまで「なでしこ」の戦いぶりは世界中のサッカーファンを熱狂させたのか?勝手な分析ながら、それは一言でいって「アマチュアイズム」に他ならない、と思う。

より分かりやすく例えるなら、夏の甲子園大会(高校野球)のようなものである。個々人の身体能力は劣っていたにしても、気力とチームワークで勝ち取った栄冠!人々はその「ひたむきさ」にたまらなくシビレルのである。

まだ「結果」を知ることなく書かれた朝日新聞社の週刊誌『アエラ』(7月25日号)の記事によれば、キャプテンの澤穂希選手でさえ年収は約300万円。

もちろん「世界一」になったことで、特別ボーナスも進呈されるであろうし、マスコミに露出することで給与もギャラも大幅に積み増しされるであろう。

「信賞必罰」が世の習いであるから、それはそれで素晴らしいことには違いないが、どうにも選手たちの〃今後〃が心配だ。何せマスコミほど勝手気儘な連中はいないのだから。

良い時にはさんざん持ち上げておきながら、いざ結果が出なくなったら、試合とは何の関係もない「私生活面」も含めて手の平を返してくる。それがマスコミだ。

ゆめゆめ〃油断〃めされるな、「なでしこ」の姫君たちよ。それから、一部男子サッカーのOBのように〃電波芸者〃にだけは成り下がらないで!お願い!!


2011/07/13

さだ作品は〃視覚的〃…進め!なでしこジャパン

サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の〃快進撃〃が続いているようで、誠にもって喜ばしい限りだ。

名前の由来が楚々たる振る舞いで世(界)に知られる「大和(やまと)撫子(なでしこ)」から来ていることは明らかだが、その果敢な戦いぶりは、まるで一番手柄を目指す「戦国武将」のようでもある。

中心選手は何と言っても、主将の澤穂希(さわ・ほまれ)だろう。褐色の長髪を無造作にくくった姿はどう見ても大和撫子のイメージとはほど遠いが、笑うと文句なく可愛い。

「この人、誰かに似ている!」というのは筆者の悪い癖(?)だが、澤選手の場合は『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)に出ている「かずちゃん」(名前は知らない)にそっくりだ。

悪乗りついでに言うと、世界陸上・やり投げ代表の村上幸史選手の表情や語り口は、現役当時の横綱貴乃花と瓜二つ?また、松本崇大村市長と古川康佐賀県知事もよく似てらっしゃる、と思いませんか?

いかん、いかん、また〃脱線〃してしまった。再び「なでしこ」バージョンに話を戻すと、いささかなりとも「園芸」に興味をお持ちの方なら、その花が清楚で可憐な趣きであることはご存知であろう。

さだまさしさんは唄う。〈撫子の花が咲きました 芙蓉の花は枯れたけど  あなたがとても無口になった秋に こわくて私 聞けませんでした あなたの指の白い包帯…♪〉

冒頭の歌詞とメロディーラインだけはうろ覚えで知っていたが、題名(『追伸』)は初めて知ったような気がする。

ネットで調べてみて思わず笑ってしまったのは「指」を「腕」に勘違いしていたこと。筆者の覚え通りなら、どうにも〃詩情〃が萎んでしまう。

この作品もそうだが、さださんの「詞」にはいつも唸らされる。上手い!筆者ごときが論評すべきではないが、何故ああも繊細極まる〃女心〃を読み解くことができるのだろうか?

最初に聴いて感動したのは、初期大ヒット曲『精霊流し』の中盤以降の部分。〈いつの間にさびついた(ギターの)糸で くすり指を切りました あなたの愛した母さんの 今夜の着物は浅黄色…♪〉

なっ、なんという観察眼、描写力!今でもその思いは変わらない。一言でいって、さださんの作品は小憎らしいまでに〃視覚〃に訴えてくる。

したがって、劇化しやすいということで、先日はフジテレビ系で『案山子(かかし)』をモチーフにした『故郷~娘の旅立ち~』というスペシャルドラマが放映された。

主演の堀北真希もオヤジ役の松平健もぜ~んぶ良かった。ところで、我が家の〃案山子〃のようなボンクラ息子からこのところ連絡がない。

〈手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい♪〉のに…。


2011/07/10

佐野さんが緊急出版…「東電そのものが政治だ」

東日本大震災を機に、それほどまでに日本という国全体が迷いに迷っているということの証左か。最近、本欄を書きながら「一体、どっちなんだ?」という思いに苛まれている。

元凶とも言うべきは、他ならぬ「フクシマ」に端を発した原発問題。肝心要の東電の対応は言うに及ばず、今や国政そのものが完全にダッチロール状態に陥っているように見える。

そんな中、胸のすくような著作に出合った。我が国ノンフィクション界の巨人、佐野眞一さんが病後の身や被爆の恐れも省みることもなく被災現地に入って、緊急出版に踏み切った『津波と原発』(講談社)という労作だ。

6月18日に初版が出て、その2日後には版を重ねていることからしても相当な売れ行きであろうが、そんなことより、「事の本質」(問題の核心)が感情を抑えた(事実を積み重ねた)鋭い筆致で描かれていて、文句なく面白い!

作者の筆は、慇懃無礼を絵に描いたような対応が習い性となっている東電の体質を半ば嘲笑うかのように切り刻み、現代政治の貧困を嘆き、そして通り一遍の報道しか成し得ていないマスメディアの在りようを厳しく断罪している。

また、その批判の矛先が、原発を専門とする研究者や評論家、果ては「原発絶対反対!」一辺倒の考え方で凝り固まっている同業の士にまで向けられている点も興味深い。

圧巻なのは、第二部〈原発街道を往く〉の中に収められている数々の〃秘話〃。そもそも世界で唯一の被爆国である我が国に、どういった経緯で「原発」という発想が生まれ出てきたのか?(第二章)

さらに進んで、次章では〈なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか〉について、当時の政財界人脈をもとに詳説。それもこれも全て、実際に現地に足を運び、膨大な資料を読み込んでの〃実話〃である。是非ご購読を!

ところで、数日前の某新聞のコラム欄に、現在の菅総理(民主党)とはまったく肌合いを異にする小泉元総理(自民党)が、最近発したという言葉が紹介されていた。

それは元総理が在任中に、ヒザの故障にもめげずに本場所優勝を果たした貴乃花(横綱)に送った「感動した!」という賛辞をもじったもの。つまり、「菅、どうした?」と

単なる「語呂合わせ」という捉え方もあろうが、所属する政党こそ違え、先輩総理からの一言である。意味深なのかどうか…。

さて、その「菅、どうした?」についてだが、与野党問わず「辞めろ、辞めろ」の大合唱があるかと思えば、一方で「居座れ」(作家・池澤夏樹さん)という人もいる。

しかも、ページこそ違え同日の紙面での話だ。「一体、どっちなんだ?」と再び頭を抱え込んでしまうが、佐野さんは言う。「東電(原発)そのものが政治だ」と。ウムー…。


2011/07/09

テレビの不法投棄問題…地上デジタル放送化の陰で

〃冗談〃だとは分かっていても、随分とヒドイことを…。数日前に我が家の女性陣が筆者に投げかけてきた、ある〃言葉〃。

その日は不燃物の収集日。早朝からバタバタと片付けに追われていたお二方が手にしていたモノは、筆者が長年愛用してきた出張カバン。

ちょっと見はまだ十分使えそうなのだが、肝心のキャスター部分が壊れている。「こりゃ、持って行ってくれらすやろかい?」と母。家人が「不要品て書いとけば、よかっじゃ!」と応じた。

そして一瞬の沈黙の後、不気味な視線が及んで来た。「ちょっとアンタ、貼り紙ばしとくけん、こいば持って表に立っときなさい!」。悲しいかな〃実話〃である。

さて、地上波の完全デジタル化(7月24日)まで、いよいよあと半月となった。これまでも再三にわたって「対策はカボチャテレビで!」と呼び掛けてきたのだが、本編でも重ねてお願いする!!

何は差し置いても伝えたいことは、「カボチャに入っていさえすれば、24日以降も、一部アナログ波を除いて、そのまま今のテレビで受信できます!」ということだ。

従って、今流れているテレビ番組の下部に「アナログ終了」の字幕が出ようとも、何も慌てふためくことはない。しかし、そうは言っても、国の施策で進められる以上、おっつけ「準備」も必要だ。

現在、カボチャでは来る「Xデー」に向けてデジタル機器の設置作業に日夜追われているが、時間の制約上「その日」を跨いでの対策となるのは自明の理である。

翻って言えば、たとえ少々時間がかかろうとも、「放送のデジタル化」はいずれ実現するということ。矛盾した言い方ながら、「慌てず&急いで!」と筆者が口すっぱくお願いする〃所以〃はそこにある。

ところで、デジタルへの完全移行に際しては、全国的にも様々な〃波紋〃が起きているようだ。その一つが不要になった旧式テレビの不法投棄問題。

環境省によれば、平成19年以降、年平均で7万数千台もの古いテレビが山林だけでなく繁華街にも捨てられている、という。その傾向は今年に入ってからさらに顕著、とも。

法律に従えば、不法投棄は「5年以下の懲役か1千万円以下の罰金」ということになっているが、実情はその処理費用の大半は「持ち主不明」ということで、自治体が面倒をみているのだそうだ。

こんな財政難の折に、まったくもってケシカラン話であるが、筆者のような〃生身の不要品〃の扱いはどうなるのだろう?

改まって訊いてみたい―「俺って不燃物?」。よもや「お前なんか、煮ても焼いても喰えるか!」とまでは言わないでしょうね、我が家の母子殿???


2011/07/07

どっちでんどがろ…「緑の黒髪」ってどんな色

「アレ、間違ってましたよ。青でなく赤です!」との〃指摘〃を受けたのは数日前。有明町の海岸にウミガメが今年も産卵に訪れたとの話題で、筆者が誤って「アオウミガメ」と記してしまった件だ。

「まさか?」と思って発信元からの携帯メールをチェックしてみたら、確かに「アカウミガメが―」とある。いつものことながら〃早とちり〃してしまって面目ない…。

それでも、個人的には「どっちでんどがろ」と思っている。要するに「カメが産卵に来るほど綺麗な海の環境にある」というのがニュースであり、有明に住んでいる方々の誉れだと考えるからである。

ただ、逆を言えば、こうした態度こそが「物書き」としての筆者最大の欠点、才能の限界であろう。50も半ばを超えて今さらジタバタしても始まらないので先に進む。とにかく、マス目を埋める作業こそが私の仕事なのだから。

ということで、今日は「色」の話を思いつくままにしてみたい、と思う。常々疑問に感じていることの1つに「緑の黒髪」という言い方がある。

「黒髪」なのになぜ「緑」という表現を使うのだろうかと、前々から不思議でならなかったので、「ネット」で調べてみた。

今春の不正入試疑惑事件(京大や早稲田など)で山形の受験生も利用したとされる、例の「ヤフー知恵袋」(ベストアンサー)というやつだ。

それによると、「緑」は「みどり」とすべきで、色の意味ではなく、「新芽」や「若い枝」といったような、新しく生まれた、瑞々しい状態を形容したものだという。新生児を「碧子」(みどりご)と呼ぶのも、そこから来ている、と。

なるほど!納得、納得、大納得だ。それでは、信号の場合は、どうして「緑色」なのに「青信号」と言うのだろう?ネット上ではこう説明されている―。

昭和5年、日本で最初に信号機がお目見えした時、法令的には「緑色信号」と呼んでいたそうな。ただ、色の三原色は「赤」「青」「黄」であり、自然とこれに倣ったものだ、と。

そうした考え方に基づいて法令が改められたのは戦後の昭和22年。そもそも日本語では、緑色をした野菜全般を「青物」というし、さして違和感もなく受け入れられたようだ。

そうした「にわか知識」をもとに、よくよく今の信号機の色を眺めてみても、LEDの現代でさえ、純然たる「青」でもないし、かと言って「緑」でもなさそうだし…。

したがって、筆者が「(カメの甲羅の色が)青でん、赤でん、どっちでん良かろうもん」とうそぶいてみたとしても、余り罪つくりには当たるまい!?

てなことを書けば、きっとこうきついお叱りを受けるだろう。「白を黒と言うな!」と。


2011/07/06

慌てず〃ご相談〃を…地デジ対策はカボチャへ!!

アナログ電波の全面停止。すなわち、東日本大震災の被災地3県を除いて、全国一斉に地上デジタル放送が完全実施される「7月24日」まで、残りとうとう3週間を切りました。

カボチャテレビでも全社を挙げて「その対策」に追われているところで、ひっきりなしにかかってくる「問い合わせ」(電話)に、社員諸氏もいささかグロッキー気味です。

しかし、ここは何としてでも乗り超えなければならない「未来への剣ヶ峰」です。少々きつかろうと、厄介だろうと、性根を据えて頑張ります!

ところで、今回の「地デジ化対策」について、いささか「誤解」されている向きもあるようなので、本日は同対策の責任者の立場から「解説」を少々―。

一言でいうと、カボチャテレビに現在ご加入いただいている世帯に関しては、直ちにテレビ放送が視聴できなくなるようなことはありません!

それは、総務省の外郭団体やNHK、県内民放各社との協力体制のもと、「デジアナ」という方式でこれまでの視聴習慣を「一定期間」に限って維持して行こうとする「基本方針」を定めているからです。

したがって、現在ご覧になられているテレビが旧式の「ブラウン管型」であったにせよ、カボチャテレビに加入していれば、心配には及びません。

ただし、です。それはあくまでも「アナログ→デジタル」への移行期間を混乱なくやり過ごすための「暫定措置」であることを、皆様よくご認識いただきたい、と存じます。

一方、国主導で進められている今回の対策では、「区域外再送信」の問題が全国的に大きくクローズアップされています。どういう事かと申しますと、「長崎県に住んでいる方は長崎県内の放送局の番組を視なさい」という、一種の「お触れ書き」のようなものです。

そこで「大きな問題」となっているのが、島原地域のような「電波銀座」に暮らしている「既存視聴者」の取り扱いです。何せ、このエリアではアンテナを上げれば、福岡や熊本の放送がそのまま流れてくるのですから。

専門用語ではこの現象を「スピルオーバー」と言います。すなわち、「県外波が自然とこぼれ落ちてくる」という意味です。

カボチャテレビでは現在、こうした「地域としての特殊性」を関係各機関に訴え、寛大なる「是正措置」を求めているところです。「必ず何とかなる!」という〃成算〃も併せ持っていますので、今しばらくお待ち下さい。

最後に島原地域の皆様(カボチャ加入者)に今一番お願いしたいのは「24日が迫ったからといって、決して慌てふためくことはない!」ということです。

かく言う筆者も「紺(こう)屋(や)の白(しろ)袴(ばかま)」。まだ、自室のテレビはアナログのままなのですから。


2011/07/03

マグロ船仕事術って…今年もアオウミガメ来る!

昨晩は久々にアルコールのない夕食を済ませて、溜まりに溜まったストレスをサウナ風呂で綺麗に洗い流した。おかげで気分は爽快。母とともに観戦した女子ワールドカップサッカーも日本チームの快勝で、ゆっくりと眠れた。

もちろん寝覚めの方も爽やかだったが、枕元のケータイを見ると、メールの着信ランプが点滅している。何だろう?と思って開いてみたら、今年も有明町の海岸にアオウミガメが産卵に訪れた、との由。

少し前のNHK連ドラ『ウェルかめ』の舞台となったのは徳島県南部の美波町。そこには「日和佐」(ひわさ)という地名の綺麗な海岸線があって、昔からウミガメの産卵地として有名な所だ。

その近くで生まれ育った漁師さんの息子がいて、筆者の旧くからの友人である。もう久しく会っていないが、随分と気風の良い男であった。

徳島の県民性も南と北では随分と異なる。どちらと言うと、外海(太平洋)に近い南部の皆さんは高知県人と似ており、一言でいうと「大らかな性格」の人が多い。

筆者の友人もそのタイプで、カラオケの十八番と言えば、四国に渡って初めて聴いた『おいらの船は300トン』という名調子の演歌であった。

〈港出たならマグロを追って 超える赤道南方航路 おいらの船は300トン 昔親父も乗って働いた 海は碧のインド洋 エンヤコラセー エンヤコラセー♪〉

最初耳にした時から「良い歌だなあ!」と感心した思い出があり、今でも一人で車を運転している時などに口ずさんでいる。とにかく「元気」が出てくる曲なので、読者の皆様もユーチューブ等で是非一度ご視聴あれ!

前置きが大変に長くなってしまったが、最近読んで大変に面白い!と思った1冊に、ダイヤモンド社から出ている『マグロ船仕事術』という本がある。

著者はバイオ系メーカーの研究者だった齊藤正明さん。有無を言わせぬ上司の命令で、大分県の津久見港から赤道直下へ向けて出漁していくわけだが、涙あり、笑いありの「体当たりドキュメント」だ。

詳しくは本を読んでいただきたいが、「職場が活性化する38のヒント」と帯でも紹介されているように、閉じられた社会空間の中で求められる「組織論」が見事なまでに展開されている。

また「はえ縄漁法」の解説や、一般には余り知られていないマグロという魚種の「生態系」などについても語られており、大いに勉強にもなる。

著者は現在、その貴重な航海体験を元に、講演活動等でも忙しいそうだ。そんなら「おいらも!」という気がしないでもないが、年齢が…。かと言って、カメの背中に乗って行けば、「浦島太郎」になってしまうしなぁー。嗚呼!