2008/10/30

20桁目が「不可思議」…渡辺清孝さんの或る勘違い

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

瑞穂町伊古が〃ルーツ〃である、本年度のノーベル化学賞受賞者、下村脩さん(80)に「文化勲章」が贈られることになった。さらには「名誉県民」(長崎県)&「名誉市民」(佐世保市)とオメデタ続きである。

まさに「郷土の誉れ」であり、先ごろ上京した折も、会う人ごとに受賞話で盛り上がった。その中から〃傑作選〃を1つ。

既報の通り、下村さんは2006年度に「朝日賞」を受けている。この賞は学術世界に留まらず、文化、芸能など幅広い分野で活躍した人に贈られるもので、下村さんと同年度の受賞者には小説家の村上春樹さん、狂言の野村万作さんらがいる。

「日本の作家で一番ノーベル賞に近い」と言われている村上春樹さんの名前が取り上げられているのも、すでにこの賞を受けているからだろう。

実は、この「朝日賞」ではないが、「朝日スポーツ賞」受けた島原半島人がいる。2000年度に受賞した、前国見高校サッカー部総監督の小嶺忠敏さんだ。

筆者が〃傑作選〃に取り上げたいのは、小嶺さんとも極めて近しい国見町多比良出身で、関東島原半島会の重鎮としても活躍中の渡辺清孝さんから聞いた話だ。

渡辺さんによると、「朝日スポーツ賞」の受賞者は、帝国ホテルで開かれる祝賀パーティに本人以外に3人の同行者を許されている、という。いわゆる正式な〃招待客〃として。

ある日、同賞事務局から渡辺さんのもとに「何月何日何時から朝日スポーツ賞のパーティを開催するので、貴方様にも是非ご出席いただきたい」旨の案内状が届いた。

最初のうちは「何のことやらサッパリ?」と首を傾げていた渡辺さんだったが、想像をたくましくしているうちに、ある結論にたどり着いた。

「そう言えば、俺は大学生の頃、毎朝3時半に起きて朝日新聞を配達していたからなぁ。でも、それから何十年も経っているのに、今頃どうして…。まぁ天下の朝日だから、特段変な誘いではないはず」。〃半信半疑〃のまま正装して指定の時刻にホテルに到着してはじめて〃事の次第〃が判明したのだ、と。

経過をたどってみれば他愛もない話であるが、これが渡辺さんの口調を通して聞くと、何十倍にも面白く聞こえてしまうから、とても不思議だ。

ところで「不可議」と言えば、仏教用語「不可思議」の略称であるが、一、十、百、千、万…と続けていけば、二十桁目の「単位」の呼び方が「不可思議」なのだそうだ。

いま、世の中は米国に端を発した株価の暴落や円高等で、先行きが読めない状況が続いているようだが、それとて高々「兆」の位ではないか。

まだまだ人間には「不可思議な力」が残っているはず。渡辺さん、そうでしょう!!


2008/10/29

風邪は自然に任せる!?…高倉健に倣って立待したが…

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

早くも風邪をひいてしまった。一昨日から鼻はグスグス、目はショボショボ、時おり大きなクシャミをしては周囲のひんしゅくを買っている。幸いなことに、少し出かかった発熱は、生姜湯と玉子酒のダブル効果で、すんでの所で食い止めた。ただ、少し体がだるい。

よく「風邪は万病の元」と言われるが、以前ある人の薦めで野口晴哉(のぐち・はるちか)さんという整体師の方が書かれた『風邪の効用』という本を読んだことがある。

簡単に言うなら、風邪を退治しようというのは間違いで、経過するものとして捉えるべきだ、という論旨。つまり、熱が出ても成り行きに任せておけば、あとは自然と治癒するものである、と説く。

著者はその一連の過程を「蛇が脱皮をするようなもの」と例えている。確かに言われてみたら、発熱後の爽快感はかなりのもの。興味のある方は「ちくま文庫」から出ているので、ご一読を。630円。

とは言っても、昨今の「RSウイルス」などによる新型インフルエンザは、決して侮れない恐い病気だ。ご心配の向きは早めの予防注射を!!ウン?ところで俺は今日、一体何を書こうとしているのだろう。度重なるクシャミと咳で、ただでさえ渇水状態の脳味噌に何か異変が起きたか!?

そうそう思い出した。今日は「風邪の話」だった。先日、東京・目白の「椿山荘」で開かれた吉永小百合さんの「トークショー」でのこと。吉永さんにとって、今回の『まぼろしの邪馬台国』は数えて113作目。「風邪の話」が飛び出したのは、1980年に「高倉健さん」と共演した『動乱』撮影中の一コマ。

この映画は北海道がロケ地となって撮られ、吉永さん自身も「もっと寒さに強くならなければ!!」と、クランクイン前夜(冬場)に窓を開けたまま眠ったのだそうだ。

結果、風邪をひいてしまった吉永さんだったが、さすがに「健さん」だけは違った、と。万全の体調で臨み、昼食の時もロケバスに戻ることもなく、立ったままの姿勢で黙々とカレーを食べていた、という。

吉永さんはこの時、凄まじいまでの「健さん」の〃役者魂〃を目の当たりにすることによって「再び映画の世界で頑張って行こう、と思い直しました」と述懐していた。

さて、問題はこのトークショー後のこと。ホテルの関係者から別室に呼ばれた筆者を含む「地元3人組」は、「吉永さんと記念写真を撮りましょう」との甘言に引かれて、ある部屋で待機。

途中、椅子を薦められたが、健さんばりに立ったままの姿勢で待つこと約20分。残念ながら、吉永さんはスケジュールの都合とやらで、ついぞ現れずじまい。「高倉健」ならぬ「長崎県」の面々はぐっと唇を噛みしめたのでありました。


2008/10/28

やっぱ、先生は先生!!…〃手の内〃見透かされ脱帽

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いくつになっても、先生は先生である。母校の口加高校で「国語」を教わったF先生(加津佐町在住)のことだ。

先月、福岡市内で開かれた「島原高校同窓会総会」に、筆者が出席した記事が目に留まったのであろう。「まったく君は母校のことは忘れてしまって」と、軽くお叱りを受けた。

その口加・福岡地区の同窓会総会が先週土曜日(25日夜)に、駅前の博多パークホテルで開かれた。細かく数えてはいないが、百人くらいは出席していたのではなかろうか。

残念ながら同級生は一人も参加していなかったが、同じく「あやめが丘」で青春の一時期を過ごした面々は、どこで会っても気のおけない〃仲間〃である。

思いもよらない後輩の訃報にびっくりしたり、ひょっとしたら今後ビジネス上の繋がりが期待できるかも知れない先輩とも出会えるなど、いつもながらの〃人間交差点〃であった。

さーて、件のF先生。一時期、島原高校にも勤務されていたことがあるので、ご存知の向きも多いかと思うが、筆者が紅顔の美少年だった高校生当時から、からっきし頭が上がらない、恐い存在である。

授業で何を教わったかは良く覚えてはいないが、生活指導部の主任教諭として、眼鏡の奥から放たれる、あの独特の〃鋭い視線〃で睨(にら)まれていたことだけは事実である。

自慢ではないが、筆者は生まれながらの健康優良児で、保育園から高校まではすべて〃皆勤賞〃で過ごした。もっとも、もその反動で、古里を離れてからの学生時代の暮らしぶりは、〃自堕落〃そのものであったが…。

F先生で今でも思い出すのは、ある寒い冬の朝の出来事。たまたま寝坊して昼近くに登校していたら、下足室で呼び止められた。

「おい、どうした今頃?」。一瞬ドキリとした挙句、咄嗟に口から出た言葉は「ちょっと風邪をこじらせまして、ちょうど病院へ行ってきたところです。大分楽になりました…」。

そんな間抜けな空言を〃百戦錬磨〃の先生が見逃すはずがない。「注射は?」「もちろん打ってもらいました。とても痛かったです…」。

「へーそう。それじゃ腕をまくってごらん。右?左?おかしいね、消毒液の臭いがしないようだけど…」。その後のことはすっかり忘れてしまった。

最近では「郷土史」の研究に余念がない先生だが、もともとは文才に恵まれた〃モノ書き〃である。「山岡荘八、五木寛之(当時売れっ子だった)…実に下らん。それらに比べると、文芸評論家の加藤周一の文章はスゴイ!!」

福岡会場で久方ぶりにお会いしたのだが、筆者の〃手の内〃を知り尽くしたご指摘には、改めてうなだれるしかなかった。やっぱ、先生は先生であった。


2008/10/26

中越地震から4年…たまたま出張先で遭遇

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今週は出張続きで、すっかりご無沙汰してしまった。最低でも1週のうち3回は自らに義務付けているので、今日出稿すれば、その〃ノルマ〃は果たしたことになる。

佐賀県であったCATV業界関連の会議は社員に任せて、2泊3日の日程で関東方面へ出かけた。昔からそうだが、飛行機の座席に着くと途端に眠たくなるのはどうしてか?

移動の時間を利用して書類の整理や読書などにいそしみたいと思うのだが、ついウツラウツラとしてしまう。目覚めた時には機内サービスも終わっていることが多く、何だか損をしたような気分だ。

今回の出張のメーンは新潟県内での関係先との打ち合わせだったが、たまたま訪問した23日は、「中越地震」の発生から4年が経過した記念日であった。

雲仙市に次いで来年の「全国棚田サミット」の開催地に決まった十日町市を皮切りに小千谷、長岡の両市を回ったのだが、夕暮れ時になって急きょ「旧山古志村(長岡市に編入)に行こう」という話になった。

途中、信濃川中流の「妙見堰」という所に立ち寄って、消防レスキュー隊による感動的な〃男児の救出劇〃が繰り広げられた近くの現場も案内してもらったが、復興工事が順調に進んでいることもあって当時の面影は余り窺えなかった。

そこから山道を抜けるように走って、10分ほどで旧役場庁舎に着いた。辺りには多くの報道陣がたむろし、弔いの蝋燭の炎を掻き消すかのように、テレビカメラのライトが眩いばかりの光を放っていた。

多くの区長の皆さんに混じって、村長から衆議院議員に転じた長島忠美さんの巨躯が見えた。隣席には和歌山県田辺市長の真砂克敏さん。

「はて、どうして?」と素朴な疑問が脳裏をかすめたが、挨拶を聞いてみて納得した。近い将来必ず訪れるであろう「南海沖地震」を想定して、関係を蜜にしているのだという。

その南海沖では、島原市出身の小林照明さんがグループリーダーを務める海底探査船「ちきゅう」が来年3月から本格調査に入ることになっている。周囲の喧騒をよそに、何かしら「災害列島日本」の宿命のようなものを感じた。

翌24日も、早朝から被災の爪痕を案内してもらった。地滑り現象で大きく削り取られた山肌には、すでに多くの緑が再生しており、長く尾を引く噴火災害との違いを想わせた。

但し、自然の猛威のもとに為す術もなく河川の中に沈んだ何棟もの被災家屋を目の当たりにした時には、思わず身がすくんでしまった。「いつか見た、悲惨な日常の光景」がそこに確かに存在していたからだ。

地元紙で、CATVで、コミュニティFMで、地域の安全対策のために何ができるのだろうか?新幹線の車窓の向こうに広がる越後の山並みを眺めながら、今度は眠れなかった。


2008/10/22

素晴らしき我が故郷…「ジオパーク認定」へゴー!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原半島三市を挙げて取り組んでいる「ジオパーク構想」(地質公園)が、実現へ向け大きく動き出したようだ。

20日夕方には、国内での選考結果を知らせる電話が、地元の推進連絡協議会長を務める吉岡庭二郎・島原市長のもとに寄せられ、関係者は一様にほっとした表情。

国内の他の候補地は北海道の洞爺湖有珠山、新潟県の糸魚川で、今後正式な申請手続きを経て「ユネスコ認定」とつながる。時期的には来年秋ごろ、となる見通し。

ともあれ、慶賀の至りである。推進メンバーの一人として奔走した雲仙岳災害記念館長の河本冨士雄さんや、県島原振興局の新旧担当者のご尽力に改めて敬意を表する次第だ。

何せ「国内第1号」である。昭和9年に先陣を切って我が国初の国立公園に指定された「雲仙」にとっては、重ねての栄誉であろう。

また、原城をはじめとしたキリスト教関連施設の「世界遺産登録」を目指している南島原市にとっても、大きな弾みとなることは間違いない。

島原にとってもこの上ない朗報だ。未曾有の長期大規模噴火災害を乗り越え見事復興を成し遂げた、4期16年間にわたる吉岡市政の「集大成」と位置付けることもできよう。

まだまだ「最終決定」ではないので、くれぐれも油断は禁物だが、ここは一つ、素直に喜んでも差し支えはないだろう。本当にそう思う。

振り返ってみれば、一月ほど前に実施された学術関係者による「現地調査」の段階から、確かにその「予兆」はあった。

懇親会場での吉岡市長の口ぶりは決意と自信に溢れていたし、締め括りの万歳三唱の音頭をとった太田一也九大名誉教授の言葉は「太鼓判」そのもの。事実上の「勝利宣言」だったような気がする。

今、率直に感じることは、我が郷土「島原半島」の素晴らしさである。海あり、山あり、温泉あり、湧水あり…。これらはすべからく「太古の昔」からの贈り物に他ならない。

地質に詳しい寺井邦久先生(県教委)の説明を幾度か聞いたことがあるが、現地で暮らしていながら、その成り立ちについて余りにも「無知」であったことを恥じ入るばかりだ。

本当に「灯台下暗し」とはよく言ったもの。足元の宝物の存在をすっかり見逃しておきながら、我々は「田舎だ」「不便だ」と騒いでいただけではないか。

一周百キロ強の小さな半島にすぎないが、ノーベル化学賞の頭脳だって生まれた。国民的大女優が主役を張った全国ロードショーの舞台も、まぎれもないこの地である。

世界に冠たる、全国に誇れる我が郷土。あとは「仏作って魂入れず」の愚(ぐ)をおかさないようにしなければ。


2008/10/21

ウルトラマンより怪獣!?…「もっぱら君」がデビュー

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「薪能」「不知火まつり」も終わり、いよいよ島原の秋も深まりゆく。音無川沿いの桜並木も早々と葉を落とし、せっせと冬支度にいそしんでいるようだ。

今回、島原城周辺に会場を移して行われた「まつりパレード」(18日午後)では、久しぶりに「着ぐるみ」をまとった。CATV&FMの統一キャラクター「もっぱら君」の初舞台であった。

着用は今から30年以上も前の、小浜温泉「湯祭り」以来のことで、暗闇で吹き出る汗に青春の〃ほろ苦さ〃を思い出していた。

「もっぱら君」の人気は上々だった。八尾病院前のスペースをお借りして特設スタジオを設置。テレビ&ラジオの共同企画でお送りしたが、2時間以上もの長きにわたって絶えず傍らに寄り添ってくれた、可愛らしい女の子がいた。

引率のお母さんによれば、ふだんから「もっぱら君」の大ファンということで、「出来ることならお家に連れて帰りたい」とまでもの有難いお言葉!!まったくもって「着ぐるみ冥利」に尽きるその囁(ささや)きを空気孔越しに耳にして、感涙にむせんだ次第。

「もっぱら君」は特注品である。頭部、腹部、脚部の三層構造からなり、頭上には冷却用のファンまで取り付けられている。しかしながら、実際に身に付けてみてはじめて、幾つかの〃欠点〃に気付いた。

まず、「手」というか「羽根」の位置が随分と下方にあるため、子どもたちと握手をしようにも実感がわかない。何だか、団扇で蝿を追い払っているような感じなのである。

脚の動きにも随分と制限がかかって、咄嗟(とっさ)の行動がなかなかとれない。結果、踊りづらいし、段差も苦手。その点、体の線にフィットした他の「着ぐるみ君」たちより、どうしても〃躍動感〃に欠けるきらいがあるのだ。

但し〃存在感〃の大きさでは誰にも負けない。鮮やかな山吹色の巨体といい、大きな目玉といい、幼い子どもたちの「心」を捉えて離さないうってつけのキャラクターだと言える。

我々が高校生の頃に流行った「着ぐるみ界」のスターは「仮面ライダー」だった。まだメジャーになる前の明石家さんまが敵役の「ショッカー」だったことは有名な話だ。

しかし何と言っても、その「大御所的な存在」と言えば、ウルトラマンであろう。〈ウルトラの父がいて、ウルトラの母がいて、そしてタロウがここにいる♪〉

今改めて口ずさみながら、その道徳的な歌詞の内容に頷(うなず)くことしきりだが、かつてデパートの屋上でウルトラマン役を務めた親しい友人が漏らした言葉が面白い - 。

「そりゃー怪獣の方がいいですよ。同じギャラなのに、ウルトラマンは最後まで戦わないといけないんですから」。なるほど〃正義の味方〃はいずこの世界でもつらいんだ。


2008/10/18

どうなる総選挙日程?…〃同一選〃の可能性も浮上

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「政治が悪い?でも、その政治家を選んだのは、他ならぬ〃有権者〃であるあなた方ですよ!!」。〃文化人〃と称する人に言われるまでもなく、確かにその通りで、今更ながらに納得する向きも多かろう。

が〃現実〃となると、これがなかなかに難しい。やれ親戚、同級生、同郷人…などと「推薦」「選択」の基準はまちまちだ。

16日、景気対策のための補正予算が成立したことを受け、政局はにわかに緊迫の度を増してきた。焦点は、麻生総理がいつ〃伝家の宝刀〃である「解散権」を行使するか。

前官房長官のように早々と「11月30日説」を唱える人もいれば、まだまだ「年明け」を予想する評論家もいたりして、〃百家争鳴〃の様相である。

紙面を見ると、株価の〃乱高下〃がこの状況にさらに追い討ちをかけているようで、混迷の度合いは益々深まるばかりだ。

海の向こうのアメリカでは最終3回目のテレビ討論が開かれ、どうやら民主党のオバマ候補が逃げ切りそうだ。小浜温泉の〃勝手連〃の皆さん方には、待ちに待った朗報だろう。

所変わって島原。米大統領選はともかくとして、島原市民にとっては〃総選挙〃の日程は大いに気を揉むところ。そっくりそのまま、戦術の在り様にも係わってくるから、だ。

仮に〃同一選〃となったら、いずれの陣営に追い風が吹くのか。また政党の推薦をどう取り付けるのか、或いは無視するか…。いずれにしても〃風〃を読む〃軍師〃の腕次第だ。

ところで、16日付の長崎新聞1面コラムでは「メディア・リテラシー」の問題を取り上げていた。記事によると、その言葉の意味は「メディアを読み解く力のことだ」という。

ただ「メディア―」と言っても、その裾野はとてつもなく広く、口で言うほど簡単に取り扱える「テーマ」ではない。

ところが「世の中」良くしたもので、その問題の本質に鋭く迫る文章に、期せずして出くわすことができた。『マークスの山』や『レディ・ジョーカー』などで知られる作家の高村薫さんが『アエラ』(10月20日号)に連載しているコラムの一節だ。

高村さんは先に辞任した国交相や大阪府知事などによる〃舌禍事件〃を取り上げ、「公私の区別の無さであり、公共の精神の欠如である」とバッサリ。

その一方で、情報を受け取る側の我々の「言語感覚」に対しても、「(発言者と)同じ次元で、大いに問題あり」と断じている。

勝手な解釈ながら、「目糞、鼻糞を嗤(わら)う」といったところか。なるほど、その視点で昨今の政治情勢を考えれば、冒頭の文化人の〃お説〃もむべなるかな、という気がする。

投開票まで後一月半。有権者は「メディア・リテラシー」を発揮できるか?


2008/10/17

有明の満月を楽しむ!!…しばし〃借金〃の事も忘れて

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「環境は人を制す」と言うが、こうも良い天気が続くと、ついつい気持ちが高揚してしまう。銀行さんには悪いが、何だが「借金」のことも、まるで別世界の出来事のようだ。

昨夜(15日)は「満月」だった。一月ほど前に決行した「島原半島一周ウォーク」の際にも感じていたことだが、「有明海の月夜」は殊更に美しい。その思いも強かったので、昨夜はカメラ片手に秩父が浦にある知人の家を訪ねた。

午後六時過ぎ、はやる気持ちを抑えながらカメラに三脚をセットしていると、歌ではないが〈出た、出た月が。まーるい、まーるい、真ん丸い、お盆のような月〉だった。

実は、一昨日も長浜から猛島にかけて散策したのだが、この日は時間が遅かったこともあって、すでに月は頭上高くに位置し、やや青みを帯びた光が、辺り一帯を照らしていた。

他所のことは知らないが、「有明の月」の出始めは赤みがかっている。それが早朝の「日の出」を想わせるように、段々と熊本側から上がってくるのだ。

初めのうちは、か細い一本の線。それが時間の経過に沿って、次第々々に幅を広めていく。色は黄金色に近い。潮位の変化も見逃せない。さっきまで波間に浮かんでいた岩瀬がいつの間にか姿を消し、この海が「遠浅」であったことを再認識させてくれる。

沖合いを往く大型の旅客船が港に入るたびに、潮流が一気に変わる。遥か向こうの灯台の赤い光は、5秒に1回の割合でウインクを送ってくる。無人の島影からは、時おり鳥の鳴き声が聞こえてくる。知人によれば、野生のタヌキも棲息している、という。

元来が九十九島自体、約二百年前の眉山大崩壊でできた「流山」(ながれやま)だと言われている。そう、ここ秩父が浦は「県立公園」だった。それらは、島原半島三市が現在一体となって「ユネスコ認定」を目指している「ジオパーク」(地質公園)の、重要な構成要因の一つでもある。

1万5千人もの犠牲者を出した歴史的な大災害から立ち上がった先人たちも、毎年空気が冴えわたるこの時節には、こうして月の光を愛(め)でてきたに違いない。

「月には癒(いや)し効果がある」と言われて久しいが、その柔らかな照明の中に身を置いていると、確かに「安らぎ」を覚えてくるから不思議だ。

一夜明け、いよいよ今日は「十六夜」(いざよい)。朝一番、気分良く目覚めて東の窓を開けたら、鮮やかなオレンジ色の日射しが飛び込んできた。

さあ、新しい一日のスタートだ!!その勢いで、散歩の途中で山手を眺めると、昨夜の余韻を惜しむかのように、大きな「月の輪郭」が居座っていた。

ここは一つ、与謝蕪村に倣って〈コスモスや 月は西に 日は東に〉。字足らず、お粗末でした…。


2008/10/16

養老孟司先生の警鐘…本当に昔の日本は良かったか?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

やはり我々を取り巻く「バカの壁」は相当に厚く、かつ高いらしい。『アエラ』(朝日新聞社・10月20日号)に掲載された養老孟司先生の「大脳博物館」というコラムを読んで、改めてその思いを強くした。

原稿用紙1枚半程度のわずかな字数で、事の本質をつく〃筆力〃はさすがである。今回のテーマは「日本が再びはげ山になるとき」。先生はまず、「森林破壊に話が及ぶと、『昔の日本は良かった』などと口走る人がいるが、本当だろうか」と疑問を投げかける。

その上で、「箱根」「六甲」という日本を代表する観光地(森林)の、今昔の様子の違いを引き合いに出して、人々の〃思い違い〃を正す。

先生によれば、「箱根」も「六甲」も、石油資源が活用されるようになって「緑」を取り戻したのだそうだ。つまり、昔の日本にとっての「燃料」は、森林から取れる「薪」(まき)に他ならなかったのだ、と。

言われてみたら、確かにそうだ。以前は「炊事」にせよ、「風呂焚き」にせよ、燃料はすべて山から取れた「薪」だった。火付けの際の小道具として、古新聞や枯れて茶色になった松の葉などが重宝がられていたことを思い出す。

「五右衛門風呂」もすっかり姿を消し、今では見かける機会も少なくなってしまったが、我々が小さい頃には、竹筒の先っぽに小さな穴を開けた「火吹き」という道具があった。

「五右衛門風呂」で言えば、サイホンの原理を先輩から教わったことを覚えている。今のバスタブのように排水溝など付いてなかったので、ホース内の圧力差を利用して残り水を汲み出す原始的な方法だったが、単純に面白かった。

「ゴーカキ」というのもあった。庭の落ち葉などをかき集める時に使う「熊手」のような物だが、その目途は「風情」などではなく、まさしく「生活そのもの」であった。

閑話休題。先生は我が国の行く末を、次のように危惧しておられる - 「森林をはげ山にしてしまった、間違った『過去』がありながら、国土をどう利用するかという将来計画がまったく見えてこない」。

また - 「自給すべきは食料だけではない。自然保護を視野に入れつつ、食料を含めすべてをどうするか(が問題である)」とも。

さらに続けて - 「『勝負』に弱い日本のことだ。エネルギーを買い負けし、木々を燃やして山を再び裸にする時代がやってくるのでは」と警鐘を鳴らす。

どうやら先生の今回の矛先は「宮崎県」(中山前国交相&東国原知事)に向けられているのではなかろうか…。最後はこう結ばれている - 。

「ころころ代わるのはいいが、おらが町に道路を造るための予算を分捕るための大臣だったら、誰がなっても日本の将来は目に見えている。すなわち山ははげるのである」と。


2008/10/11

「男の修行」について…山本さんからのメッセージ

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

機器の調整で山本悌一郎さん(緑町)のもとを訪ねた弊社の社員が、20年以上も前の島原新聞の切り抜きと併せて、山本五十六語録と、海軍兵学校・五省の写しを預かってきた。

聞けば、「これを君の所の専務に渡してくれ!!」との言伝(ことづて)を添えられたとの由で、かしこまって頂戴した次第。

山本五十六篇の「男の修行」にはこう記されていた - 〈苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である〉

また、海軍兵学校の「五省」にはこうあった - 〈至誠に悖(もと)るなかりしか。言行に恥ずるなかりしか。気力に欠くるなかりしか。努力に憾(うら)みなかりしか。不精に亘(わた)るなかりしか〉

いずれの文章も文語調の重々しい響きで、いちいち山本さん独特の、あの迫力満点の声音(こわね)で諄々(じゅんじゅん)と諭されているような気がしてならない。

山本さんとは、筆者の結婚披露宴で総合司会の大役をお願いして以来の古い付き合いだ。でも、なぜ今のこの時期に、このようなメッセージを…。

にわかには思いつかない。ひょっとして、先般新潟へ出張したことを本欄に書いたことがお目に留まったのだろうか…。

下種の勘繰りはさておくとして、事実、筆者は先月末に山本五十六の生誕地、新潟県長岡市のFM局を訪ねている。二度目の訪問だったが、被災地同士ということで、先方の社長ともやけに馬が合った。

長岡に限らず、弊社が親しくさせていただいている局の関係者には〃歴史好き〃が多い。都城に行くと「島津発祥の地」から始まり、延々と「西郷神話」が続く。

筆者は格別〃歴史好き〃ではないが、いずれの地でも歴史上の「郷土の英傑」について熱く語る姿が目に付く。例えて言うなら、これが「土地のDNA」と言われるものだろうか。

越後・長岡はひとり山本五十六に限らず、河合継之助(峠)、小林虎三郎(米百俵)ら多くの「偉人」を輩出している。そして来年のNHK大河ドラマの主役は、上杉謙信・景勝父子の知恵袋として活躍した直江兼続だ。

折りしも今年の同ドラマの主役は、宮崎あおいの熱演で大人気の「篤姫」(薩摩)。特段意図したわけではないが、結果としてこうなったことに、ある意味〃歴史の必然性〃を感じる。

もっと言うなら、再来年の同ドラマは「坂本龍馬」。島原を起点に都城(霧島)、長岡、土佐へと繋がる〃未来ドラマ〃を夢みている今日この頃だ。

また、こんな事を書いてしまって…〈言行に恥ずるなかりしか〉。山本さんの野太い声が耳に痛い。


2008/10/10

また出た〃ノーベル賞〃…4人目は本県ゆかりの下村さん

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

スゴイ!!日本人4人目のノーベル賞が出た。物理学賞の3人に続いて、今度は化学賞だ。政治不信に、株価の大幅下落、母子殺人などと暗いニュースが続いていた中で、久々の明るい話題に日本中が活況を取り戻しているかのようだ。

しかも4人目の下村脩さんは長崎大学薬学部の出身だ。東大や京大などと旧帝大系が席巻している中での地方国立大出の受賞者誕生は、大あっぱれの〃快挙〃である。

こうなると、いささかでも縁(えにし)のある関係者が、やたらと顔を出してくる。そして「郷土の誉れ」「我が事のように嬉しい」などとの画一的なコメントが並ぶ。

別段、ケチをつける気持ちなどないが、少しでも知り合いの人物が一度、位人臣(くらい・じんしん)を極めれば、親戚・友達の輪はパッと広まっていく。

逆に、良く知っている者でも、その人が何かヘマをしでかしたりしたり、社会的に謗(そし)りを受けるような事件を引き起こすとなると、当初から〃他人事〃であるかのように一斉に口をつぐむ。まあ、これが「世の中」「渡世」「浮世」というものなのだろうが、時代をうんと遡って、兼好法師の論評でも聴いてみたいものだ。

記事によると、下村さんと本県とのつながりは「長崎」「佐世保」「諫早」などが取り上げられているようだが、その出生地は島原市の姉妹都市、京都・福知山市とあった。

「ならば!!」と「浮世」の掟に従って、拙筆を揮(ふる)おうかなー、とも思ったが、止めておこう。繰り返すが、ケチをつける気持ちは毛頭ない。

ところで、物理学、化学ときたが、文学はどうなるのだろうか?巷の噂では、日本人で一番ノーベル文学賞に近い作家は『ノルウェーの森』などの著作がある村上春樹氏だと言われているが…。

仮に村上氏が受賞するとなれば、私学出身者では第一号の栄誉となる。もしそれが実現したら、筆者は間違いなく周囲が鼻白むほど騒ぎまくるだろう。

何せ、同氏は愚息が東京で暮らしている、学生寮の出身者である。入寮の際の面接資料には、著名なOBの筆頭にその名前が挙げられているほどだ。

ところが、事実関係をたどっていくと、同氏が在籍していたのは比較的短期間なのだ。それでも、寮側から言わせると、立派な卒寮生なのである。

余談だが、ノーベル賞についてネットの「ウィキペデア」のページを開いてみたら、「エピソード」の欄にこうあった―。〈数学にノーベル賞が存在しないのは、ノーベルが知人の数学者を嫌っていたためなど諸説ある。数学での最高位の賞はフィールズ賞である〉

ちなみに、ノーベル賞の賞金は約1億4千万円だが、フィールズ賞は100~200万円程度とか。日本人の受賞はこれまでに3人、ということだ。


2008/10/09

日経新聞は黒田さん…木原さん「NHK」に登場

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨夜(7日)自宅でNHKの7時のニュースを観ていたら、何と冒頭のシーンで国見町神代出身の木原国夫さん(島高4回卒、東京洋書社長)が、「株価暴落」の問題に関して街頭インタビューを受けていた。

木原さんとは先週上京した際に、銀座の本社事務所を訪ねてお会いしたばかり。しかもその時の話で「僕はよくマスコミ取材を受けさせられてしまうんだよなー」とこぼされていたので、思わず拍手を送ってしまった。

実は、木原さんは小生と面談する前日も読売新聞の取材を受け、その談話の一部が同日の夕刊紙に掲載されていた。「二度あることは三度ある」と言うが、木原さんの場合は、とてもその比ではないようだ。やはり〃銀座〃という土地柄のせいだろうか…。

ところで、マスコミの話で言うと、一昨日(6日付)の日本経済新聞の文化欄を見て驚いた。普賢岳の火山灰を使った装飾品の創作活動に取り組んでいる大分県中津市在住の黒田幸子さん(「クレイアートジャパン」主宰)の特別寄稿文が掲載されていたのだ。

小生もこれまで幾度か取材等でお会いしたことがあるが、とてもチャーミングな妙齢のご婦人である。島原との係わりはすでに15年以上も前から。今では5つの教室を開き、月に一、二回は泊りがけで来島されている、という。

しかし、つくづく考えるに「島原」とは何と恵まれた土地柄だろう。木原さんらの郷土出身者は何くれとなく面倒を見て下さるし、黒田さんにしても、一切〃無縁〃の立場ながら、片道4時間もかけて駆け付けて下さっている。

こうした動きを〃当然〃とでも捉えようものなら、それは大間違いである。誰だってそれぞれの生活拠点があるし、いかに郷土、被災地とはいえ、〃限度〃もあろうというものだ。

ここは一つ素直に「有難い」という感謝の気持ちを抱いて、真摯に「自活の道」を切り拓いていくべきである。同時に、他の被災地や海外の最貧国等への対応も忘れずに!!

ところで、今朝(8日付)の各紙を見ると、6年ぶりのノーベル賞受賞記事が一面、社会面ともに大きく取り扱われている。その傍らには、緒形拳さんの訃報記事。さらにその脇を固めるように「長崎くんち」が続き、福岡県職員による収賄事件も載っている。

昔から「新聞は社会の木鐸(ぼくたく)」と言われて久しいが、IT全盛の現代においても、本質的には、その役割は変わらない。嬉しいこともあれば、悲しいこと、腹立たしいこともひっきりなしに続く。それが「世の中」というものだ。

昨夜の7時のニュースの途中で「ただいまー」と帰ってきた愚息に「おい、ノーベル物理学賞が一遍に3人もばい!!」と言ったら、「じゃ、僕は平和賞でも狙うかな」との答え。まあ、外れてはいないけど…。


2008/10/08

米博物館に「ちきゅう」…早稲田ファンだった毛利さん

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

元口之津町長の毛利高根さんが5日、亡くなった。83歳だった。何期目かの町長選出馬の際にお会いしたのが初めてだったが、三菱信託銀行上野支店長も務めた経歴からも分かるように、周辺の町長さんとは少し異なる、スマートな雰囲気をたたえていた。

町長職を退かれてからは滅多にお目にかかることもなかったが、何年か前に筆者の母校の機関誌上でその名前を見つけて驚いたことがある。

取材等を通じて卒業生でないことは知っていたので「なぜ?」との思いが先によぎったが、創立125周年の寄付名簿一覧を見ると、確かに「長崎県・毛利高根」とあった。

後でわかったことだが、毛利さんは九州大学出身でありながら、「大の早稲田ファン」ということだった。恐らく、官立にない自由闊達な校風に好感を抱かれていたものと想う。校友の一人として、心からご冥福を祈る。

ところで先日、海洋研究開発機構の小林照明さん(島原市出身)からメールを頂戴していた。弊社の生トーク番組『ターニングポイント』(8月11日放送)にもご出演いただいた、あの海底探査船「ちきゅう」でグループリーダーを務めている方だ。

そこには共同通信と時事通信の「外電記事」が添付されていた。いずれもワシントン発で、「ちきゅう」の模型が「スミソニアン自然史博物館」に設置され報道陣に公開された、とのニュース。

模型の大きさは実物の100分の1で、長さ約二メートル、高さが1.5メートルほどあるという。製作費として約260万円がかかった、とも。

「スミソニアン」と聞いてすぐ原爆搭載機の「エノラ・ゲイ」のことを思い出したが、それは同じスミソニアンでも「航空宇宙博物館」と呼ばれる別の建物だった。

小林さんら関係者の話によれば、日本は「宇宙」開発では米露中などの後塵を拝しているが、地球上のすべての生物の「起源」とも言うべき「海洋」の研究では断然トップを走っているのだ、と。

その遅れている「宇宙」の話だが、たまたま昨日、諫早方面へ車を走らせている途中で聴いていたNBCラジオで「宇宙での結婚式費用は2億4千万円ほどかかる」とレポーターの永松さんが話していた。

番組の中でも「そんなに掛かるんだったら、ウカウカ離婚も出来ないね」などと妙な〃盛り上がり〃を見せていたが、披露宴に呼ばれたら一体全体いくらくらい包んだら良いものだろうか…。

まあ、そんな話は当面あり得ないとして、今月から来月にかけては随分と「祝儀」が続く。家計的には苦しいが、めでたい話はいくらあっても嬉しいもの。しばらくは「飲み」に行くのを止めにしよう!?


2008/10/04

ハインリッヒの法則…重大事件の影に無数の些事

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

秋である。久方ぶりに礫石原の県道を〃安全運転〃で走っていたら、すでにコスモスの花が満開であった。ピンクに紅に白…。乾いた高原の空気が肌に心地よい。

スポーツ、読書、芸術、そして食欲…。秋に冠する言葉は枚挙にいとまがないほどが、夏場の疲れがどっと出てくるのも、今日この頃である。

我が身も熱こそないが、二、三日ほど前から幾分か風邪気味である。鼻がグスグスして、時おり大きなクシャミをしては、周囲の顰蹙(ひんしゅく)をかっている。

それにしても巷(ちまた)は大変である。母親が我が子を手にかけ、ムシャクシャしたことを理由に、分別盛りの40代半ばの男が突如火を放ち、15人もの犠牲者を出した。

政界では、就任後間もない〃東大出〃の大臣が考えられないような〃暴言〃を吐いて失職に追い込まれ、米国発の〃不景気風〃は確実に我が国に到達する勢いだ。

しかし、大多数の市民にとっては「そんなのはよその出来事である」。いわゆる〃傍観者〃の立場でしか事の成り行きを見ることが出来ないのが、我々凡百の性(さが)である。

ところが、災害や災難の類いは、いつ襲ってくるか誰にも予測はつかない。いざ〃当事者〃になった段階になって慌てふためくのがいつものパターンだ。

「ハインリッヒの法則」というのがあるそうだ。それによると、一つの重大や事件が起きる背景には、29件前後の軽微な事件があり、さらにその後には300件近いヒヤリとする瞬間があるのだ、と。

つまりは「確率」の問題であるのだが、表立った事件や事故の影には、無数の〃予備軍〃が身を潜めている、ということだ。

先日、これまた久方ぶりに自宅で寛いでいたら、目隠しシールを貼られた葉書が届いていた。はて、見覚えのない発信元だが…と訝りながらシールをめくってみると、「貴方はこれ以上交通違反をすると免停ですよ」という警告だった。

大きかったのは「3点」も引かれたスピード違反。福岡への出張帰り、佐賀県内の高速道路で覆面パトカーに捕まった。

「お急ぎですか?何か急用でも?」。慇懃(いんぎん)な物言いがかえって頭にきたが、法律に触れている以上、仕方がない。

「違反金は国庫に入るのだろうか。それとも佐賀県か。どうせ納めるのなら長崎県の方が…」などと他愛もないことを考えながら帰途についた。

しかし、冷静になって「ハインリッヒの法則」に基づいて考え直してみると、大事に至らずに済んで良かった、のである。もうこれからは遮二無二にスピードを出すのは止めよう、と反省した次第。

しかし、違反点数が消えるまで「あと1年間」というのは長いよなぁ…。


2008/10/02

もっと素材の魅力を!!…出張の度に如実に感じる事

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

週初めから2泊3日の日程で東京に出張している。昨日は新潟県へ行った。当初は予定していなかったが、携帯パソコンに入ってきたメールを見て、急きょ予定を組み換えた。

宿泊先は〃銀座〃のビジネスホテル。とは言っても、道向こうは中年オヤジの巣窟〃新橋〃で、最寄り駅もJR新橋駅だ。

新聞各紙を読むと、何やらアメリカの金融情勢が危うい。その煽りを食らう形で、11月2日実施との下馬評が高かった総選挙の日程も、どうやらずれ込むのは確実なようだ。

それにしても習慣とは恐ろしいもので、最近はどこにいても朝5時半になると、パッと目が覚める。前の晩の就寝時間に係わらず、だ。本当に5分と違(たが)わない。

東京は夜明けが早いので、もうその時間帯には戸外は明るくなり始めている。準備をしていないので、前日のままの服装で散歩に出かける。

残念ながら2日間とも小雨に見舞われた。キヨスクで買った600円の傘をさして、金春(こんぱる)通りから国際通りへ。何週間か前の開店騒ぎで、店の前に〃長蛇の列〃が並んでいた「H&M」の間口は意外や小ぶりであった。

「三越」や「和光」などが建ち並ぶ4丁目の交差点を右折して昭和通りへ。横断歩道を渡ってそのまま真っ直ぐ行けば築地方面だが、京橋方向に踵(きびす)をかえす。 

右手前方には「銀座まるかん」の大きな看板。あのスリムドカンで財を成した斉藤一人さんの本拠地だ。その教えに従って、「ついてる、ついてる…」と、何度も唱えながら〃今在ること〃に感謝する。

その後はあてどなくさまよい歩く路地裏散策。夜には多くの酔客らで賑わうネオン街もひっそりと静まり返っている。それでもゴミの散らばりなどはない。さすがに銀座、と妙に感心してホテルへ。これが初日のコース。

2日目は4丁目を突き抜けて、有楽町の駅を目指した。駅前のビックカメラの隣は、旧都庁の跡に建てられた東京国際フォーラム。一昨日「まぼろしの邪馬台国」(東映)の特別試写会場となった所だ。

かつてGHQ本部が置かれていた第一生命本社を過ぎて、日比谷へ出た。まだ早朝のせいか、人通りもまばらだ。雨模様でジョギングする人の姿もさして見かけなかった…。

東京に限らず、土地々々には色んな〃表情〃がある。急用で訪れた新潟県内の地方都市にも、銀座の路地裏にも、その土地でしか味わえない独特の〃空気〃が流れている。

翻って我が島原。余りに〃自虐的〃な物の見方は、かえって〃逆効果〃になろうが、その持てる〃素材〃の魅力を生かし切っていないことだけは確かだ。

出張の度に、いつもそう思う。「どがんかせんば!!」は東国原知事の専売特許ではないはず。今回もその思いを新たにした。