2010/04/25

同行二人のセールス…いつか八十八ヵ所巡りを!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

久しぶりに弊社の若手社員と「同行(どうこう)セールス」なるものを実施した。懐かしかった。他でもない、我が身を振り返っての話だ。

今を遡ること30年前。徳島県。当時は専用の営業車をあてがわれることもなく、ただひたすら歩かされた。俗に言う「飛び込み営業」というやつだ。

「とにかく歩け!革靴3足を履きつぶせば、営業のイロハが少しはわかってくるだろう」。叩き上げ上司の持論だった。

最初のうちは愚直にその指示に従い、一日に何十軒も回っていた。が、さして効果も現れず、そのうちに「嫌気」がさしてきた。と言うより、「なんでこの俺が…」という身の程知らずの素朴な疑問でもあった。

そんなある日、「出張に行ってこい!」という命令が出た。「えっ、どこ。東京だろうか?」と胸躍らせていたら、取引先の信用金庫が募集している四国八十八ヵ所の「霊場巡り」というではないか!?

愕然ときた。つい何ヵ月か前まで花の東京の「ど真ん中」で生活していたというのに、田舎の寺回りかよ…。正直、嫌で嫌でたまらなかったが、命令には逆らえなかった。

そのツアー(?)は客に先んじて八十八ヵ寺を訪問することから、「先どり」と呼ばれていた。つまりは、足腰の弱った老人に代わって「お札」や「奉納帳」のお世話(運び役)をする仕事だった。

町中にあるお寺はまだ楽チンだったが、場所によっては、肩に食い込むほどの大きな荷物を背負って急峻な山道を登らなければならず、実際かなりの「重労働」であった。

確かその時は徳島県内の20ヵ寺ほどを「先どり」したのだが、肉体の疲れとは別に、想いもよらない、不思議な「充実感」が味わえたのも事実である。

あれから30年。いま巷では「お遍路さん」がブームだという。ほんの一部にせよ、実際にその行程を歩いた身としては、何となくその人気の秘密がわかるような気もする。

話は変わるが、普賢岳災害の折、「童話作家」を名乗る妙齢のご婦人が島原を訪ねて来られ、何かのいきがかりでお世話をするようになった。聞けば、二番寺か、三番寺の「お嬢様」と言うではないか。

筆者は「ここぞ!」とばかりに自らの「悲しき体験談」をややオーバー目に伝えた。すると、そのご婦人の喜ばれること!初対面なのに一挙に打ち解けることができたのは、まったくもって「お大師様」のおかげである。

最近は「歩き」と「脳の働き」などとの相関関係を論じた書物も多く出版されているようで、筆者も大いに関心を持って読んでいる。できたら、今度こそ強制ではなく、自発的に八十八ヵ寺を巡ってみたい!

そんな思いに駆られた「同行(どうぎょう)二人」のセールスであった。


2010/04/24

松永先生の「バホー」…含蓄豊かな日本語の表現

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

愛すべき我が息子(三男坊)の大好きなI先生が叱る時の口癖は「この愚か者めが!」だそうである。それとは何の因果関係もないが、このほど行われた党首討論で、鳩山首相は自らを「愚か者」と称した。

一向に埒(らち)が明かない「普天間基地」問題を巡っての谷垣自民党総裁とのやりとりの中で出てきたものだが、同じ「愚か者」でも、もう少し元気を出していただきたい。何だか余りの覇気の無さに、心配が先立ってしまう。

その「愚か者」に相当する言葉については、一般的には、関西が「阿呆」(あほ・あほう)と呼ばれているのに対し、関東では「馬鹿」(ばか)が使われているようだ。

その境目がどこに引かれているのか定かでないが、ちょうどその「中間点」に位置する名古屋近辺では「たわけ」が主流のようだ。ちなみに関西の「ど阿呆」に匹敵するのが「くそたわけ」。「これを言われたら本当にガックリくる」と、ある愛知県人がこぼしていた。

ただ、こうした蔑み(?)の言葉には、ある種「親しみ」が込められているのも事実である。大阪近辺で「あいつは阿呆な奴やでー」と言われても、「人間性」自体を否定しているものなんかでは決してない。むしろ「褒め言葉」に近い、と言ったら言い過ぎか!?

一方、関東の「馬鹿」にしたって、可愛らしい女の子が「馬鹿、馬鹿、もう知らないから…」などと言って涙を浮かべたりする様は、これはもう「愛情の裏返し」に他ならない。

このあたりが「フーリッシュ」や「スチュピッド」などといった単一的な表現しかない「英語」との大きな隔たりであろうか!?と言っても、何の根拠もないのだが…。

ところで、島原弁では「馬鹿」「阿呆」の類いのことを何と言うのだろう。すぐに思い浮かんでくるのは「ツークレ」とか「ツータクリン」といった言葉だが、他に何があるかな…?

10年近く前に島原高校の校長をなさっていた松永勇先生は物理が専門で、筆者も口加高校に在任されていた折に教わったことがある。その頃の先生の渾名は「バスクリーン」だった。由来はいたって簡単で、その当時、テレビのCMで流れていた外国人タレントに似ている、というただそれだけのこと。

その後の人事異動で島原高校に赴任された同先生の渾名が傑作なので、謹んで紹介しておく。それは「バホー」というもの。物分りのよい読者の方ならもう気付かれたと思うが、それは「バカ」と「アホー」の組み合わせ言葉である。

さらに詳説を加えるなら、授業の最中に興奮してしまった同先生が思わず口走ってしまった、というのが真相らしい。どうせなら鳩山さんも「私はバホーですから」と開き直れば、少しは議論の「バッファー」(緩衝材)になっただろうに…。


2010/04/23

あらま、ロタックス!?…「メーカー品」の懐かしい響き

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」 - 。天下の大泥棒、石川五右衛門が辞世の際に本当にそう言ったのかどうか知らないが、インターネット時代の今も、洋の東西を問わず,その手の「ニュース」には事欠かないようだ。

間近に迫った「上海万博」のPRソングの盗作問題。すでにテレビ等でも盛んに取り上げられているようなので、今さら説明も要すまいが、実態は岡本真夜さん(日本人楽曲家)の作品の「完全なるパクリ」ということだ。

彼の地(中国)に限らず、発展途上にあるアジアの周辺各国では、多くの欧米&日本ブランドの「コピー商品」で溢れかえっている。かく言う筆者も以前、尊敬する先輩からタイ旅行の土産に「時計」を貰ってヌカ喜びしたことがある。

「こっ、これはロレックスではないですか。本当に頂いてもいいんですか」。欣喜雀躍する筆者に、先輩は「高かった」と一言。しかし、その様子がどうもおかしい。何やら含み笑いをしているようなのだ。

果たして、その時計は使い始めてから1週間も経たないうちに動かなくなってしまった。改めて文字盤の裏面に刻まれたスペルを見ると、「ロタックス」としか読みようがないアルファベットが刻まれていた。

まあ、これなどは罪の無い「冗談話」で通じるとしても、巨額の開発費を投じて生まれた製品や、一流のアーティストの手になる作品が「本物を装って」大量生産される事態は、当事者ならずとも黙って見逃すわけにはいかないだろう。

ところが、敵もさるもの。当局の摘発など「へのかっぱ」の呈で、地下に潜ってはせっせと模造品づくりに励む。今さらながら「モグラ叩き」とは良く言ったものだ、と感心する。

今でこそ「ブランド(品)」という言い方は日本人の間でもすっかり定着しているようだが、少し前までは、同じような意味で「メーカー品」という表現を使っていた。つまり、信頼の置ける一流メーカーが責任を持って仕上げた「本物商品」ということだ。

ところが最近では、その表現がほとんど聞かれなくなってしまった。とある登山用具店で交わされた、中年男2人の会話にそれが象徴される。

「お客様、こちらがパタゴニアという商品でございます」と店員。すると1人の男が「そりゃ、メーカー品かない?」と悪びれず尋ねたところ、別のもう1人がたまらず笑い出した。「どっでんメーカー品じゃろもん。そがん時にゃブランド品て言うと!」。

最後にブランド品にまつわるクイズを1つ。日本人で最初にルイ・ヴィトンを買ったのは誰?答えは明治の元勲、後藤象二郎。明治16年のことだそうで、きちんと顧客名簿にもその名が残っている、という(出典=青春出版社・話のネタ㊙ノート)。


2010/04/22

実の親以上の心配り!…「椿の森学園」の番組に感動

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ここ数日間、書類の整理に追われている。ふだんサボっているので、まったくもって「自業自得」なのだが、やればやるほど「迷路」にはまっているような気がする。

外では雨上がりの曇り空のもと、ウグイスがさえずっている。その啼き声は、我が心理状態を反映してか、「ホー、ホケキョ♪」でなく、「モー、放っとけよ!」と聞こえてしまう。かなりの重症だ。

気分転換に戸外へ。雨に洗われた新緑がひときわ鮮やかだ。もう整理作業なんか止めて散歩に出かけようかとも思ったが、後のスケジュールを考えれば、それも出来ない。

タバコをふかしながら、宮本秀利さん(宮本造園)がFMの開局時に植えてくれたヤマボウシの木の具合を見る。全部で3本あって、うち1本は昨夏の炎熱で危うく枯れかけていた「因縁付き」である。

もっと説明するならその木は、後の「必死の水遣り作戦」が功を奏して、辛うじて一命を取りとめることが出来た。そう、筆者自身にとっても「復活&再生」を象徴する、とても大きな意味を持つ「存在」なのである。

ただし、「後遺症」がいまだに残っている。昨秋、いったん「狂い咲き」(?)したせいか、他の2本に比べて、本来の芽吹き時期を逸しているようなのだ。

が、そうした由々しき事態もこのところの陽気に誘われてか、ようやく改善されようとしている。遅ればせながら、葉っぱが開き始めてきたのだ。

先週末、NHK総合テレビ(全国放送)が、大村市内にある「椿の森学園」(社会福祉法人)を取り上げていた。そこでは親の虐待などによる「トラウマ」に苛まれた18歳未満の子どもたちが共同生活を営んでいる。

番組では500日という長い時間をかけて、この春高校を卒業した「アオイさん」という女の子の成長記録を追っていた。その丁寧な取材ぶりは、「さすがにNHK!」である。

最初のうちは固く心を閉ざしていたアオイさんだったが、周囲のスタッフの暖かい励ましで徐々に立ち直っていく。そして、ついに希望する短大への進学を果たす。

一番心を打ったのは最後のシーン。学園を出てアパートで一人暮らしを始めたアオイさんに、担当の若い女性職員が生活上の注意点を事細かに綴った「手作りノート」をプレゼントしていたのだ。

果たして実の親でもそこまでの「心配り」が出来るものだろうか…。ややもすると「小遣い」という安直な形で片付けようしてはいまいか…。何とも考えさせられる結末でもあった。

ヤマボウシの木は何も言わない。ただ、日に日に緑の度合いを増してくる若葉のつぶやきは、想っている以上に重い。もう絶対に枯らさない!


2010/04/20

本物を選びましょう!…カラスは「敵」か「味方」か

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

過日、某ゴルフ場を訪ねた際、視線の遥か向こうの先に、おびただしい数のカラスの群れがたむろしていた。キャディさんに尋ねると、黄金虫(カナブン)をついばんでいるのだ、と。

それまでカラスについては、箱から取り出したばかりのニューボール(特にカラー球)を狙う「窃盗団」のイメージが強かっただけに、その話を聞いてちょっと見直した次第。

ところで、島原市の「奥座敷」とも言える折橋地区のシバザクラ園もそろそろ見頃を迎えつつあるというので、先週末、その様子を見に行ってきた。寒さのせいか、まだ「満開」には少し早い状況だったが、周辺の整備も進んでおり、これからが楽しみだ。

自然界には必ず「天敵」がいる。無論、シバザクラとて例外ではない。先進地、埼玉県秩父市の関係者によれば、根っこの部分を食い荒らす「黄金虫」がそのにっくき相手である、という。

とすれば、カラスの存在は、願ってもない「援軍」のはずだが、18日付の朝日新聞『青鉛筆』(社会面コラム)では、真逆の事態を報じていて面白かった。

取り上げられていたのは米軍基地の街、山口県岩国市。そこの駅前ロータリーの花壇に植えられているシバザクラ(約百株)を抜いていた「犯人」が、他ならぬカラスの一味だった、というのだ。

はて、カラスは「害鳥」なのか「益鳥」なのか?駅前で遊んでいる以上「エキチョーだろう!」だなぁーんて遊んでいたら座布団を持って行かれそうだが、相次ぐ「新党」の結成は、民主や自民などの「既成政党」にとってはどっちなのだろう?

断っておくが、この「日本国」を何とかしないといけないという「崇高な志」を持って立ち上がられた新党の関係者を、「烏合(うごう)の衆」などと揶揄(やゆ)するつもりなど毛頭ない。その点はくれぐれも誤解のないように!

所変わって、南島原市。合併後2度目の市長&市議選の火ぶたが切って落とされ、有権者の選択結果は次の日曜日(25日)には出されることになっている。果たして現職が勝つのか、はたまた新人か。

中国の古典(詩経)にこんな諺がある - 「誰か烏(からす)の雌雄を知らんや」。その意味は、善悪の判断は、烏の性別を見分けるくらいに難しいのだ、と。

また一方で、「百年河清(かせい)を俟(ま)つ」と同義で、「烏の頭の白くなるまで」という言い方もあるそうだ。ただ、同市に限らず、地方は今や瀕死の状態であり「百年…」などと悠長なことを言っている場合ではない!

有権者の皆さんにはどうか、それぞれの候補者の「能力」と「人柄」をしっかりと見極め、投票行動に結び付けていただきたい。ゆめゆめ「烏」を「鷺」と取り違えなさらぬように!


2010/04/17

大村のFMも健闘中!…カルミネさんが島原を紹介

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

東日本には季節外れの「寒波」が押し寄せているそうだが、我が古里は幾分か「肌寒さ」こそ感じるものの、気持ちの良い「晴れの日」が続いている。どうかこのまま継続してほしいと願うが、思うようにならないは「人生」と同じだ。

昨日までは出張で大村市に居た。かつては県内には8市があって、それぞれの地域の「中核都市」としての機能を果たしていたが、その後の「平成の大合併」で「新たな市」が続々と生まれた。例えて言うなら、今や世の中は「群雄割拠」の呈だ。

そんな中、大村市にもちょうど1月前にコミュニティFM局が誕生した。県内では6番目。その放送形態は島原とほぼ同じで、「生」と「自前」に徹底的にこだわっている。

そうした「よしみ」もあって、同市内を車で走る際には、周波数を同局の「76.3メガヘルツ」に合わせるようにしている。

正直言って、各パーソナリティの「語り口」はまだたどたどしく、決して巧いとは言えない。ただ一方で、生まれたばかりの、ある種「高揚感」に溢れていて、大変に清々しい。

パーソナリティの名前は聞き逃したが、昨朝一番に聴いた「大村の自慢話!」には腹を抱えて笑いながらも、ただならぬ「気配」(潜在力)を感じたのも事実である。

島原市制70周年の記念すべき年に水をさすつもりなど毛頭ないが、「県内3番目の市制施行都市」などと胡坐をかいている間に「人口規模」も「街の勢い」も抜かれ去ってしまった。ただし、それはデータ上での話である。

何度も言うようだが、島原には「島原の良さ」(歴史&風土)がある。イタリア生まれのカルミネ・コッツォリーノさん(有名シェフ)がその点に注目した話はすでに既報の通りだ。

そのカルミネさんが自身のブログに「島原訪問」の記事を書いている。最初はイタリア語だが、もちろん日本語バージョンも写真付きで掲載されている - 。

〈島原市の火山のふもとには本当に美味しいお野菜やイチゴ、牛乳と天然ミネラルウォーターがあります。イタリアのナポリ市にあるベスビオ火山と似ている所がありました。島原市の市長さんと農業高校の校長先生にお会いすることができました〉

〈農業高校の生徒さんは野菜を育てたり、フルーツジャムを作ったりしています。今後うちのリストランテで島原の食品を使ってみたいと思いました。それでは、チャオ!〉

昨夜、自宅のパソコンでそのページを繰りながら、まだ見ぬ上戸彩さんとの「サンヨー食品」のテレビCMを「YouTube」で確認した。すると、いた!いた!あの人懐こい笑顔の持ち主が!

で、改めて思った。風土と人が「フード」(食材)を造るのだ、と。そう、大村にも負けるわけにはいかないのだ!


2010/04/14

全国136番目の組織化…龍馬に追い付き、追い越せ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日の午後からすっかり「龍馬漬け」である。今朝も早くから島原外港まで出かけ、「全国龍馬社中」(橋本邦健会長)の面々とともにウォーキングを楽しんできた。

今年は特に折からの『龍馬伝』ブームで、例年にも増して龍馬関連のイベントが盛んなようだ。島原半島でも、松尾卓次さん(島原城)や、松本和子さん(市教委)らが「火付け役」となって、その「足跡」に注目が集まっている。

そのような中、「ついに!」と言うべきか、「やっと…」なのか知らないが、我が地でも龍馬ファンの「寄る辺となる組織」が昨日付けで、正式に発足した。全国136番目。

まだ「会則」も何も決まっていないのだが、「会長職」だけは、永年の実績と熱意が実って、「ゆうもあ亭」マスターの八木國男さんが全会一致で選ばれた。メデタシ!メデタシ!

実は筆者も昨夜、その「発会式」に参加させて頂いたのだが、これが滅法面白かった。何せ集まった面々は人後に落ちない「龍馬ファン」ばかり。宴席は端から盛り上がった。

圧巻だったのは橋本会長の挨拶。「おまんら、龍馬に憧れているばかりじゃいかんぞ。龍馬に追い付き、追い越せの気概で、地域の発展のために全力で動け!働け!」と。

筆者はたまたま正面の席を用意してもらっていたので、親しくお話する機会に恵まれた。確かに、同会長の仰ることは一々筋が通っている。「実績」が物を言っている感じだ。

酒席での話なので正確に聞き取れていないかもしれないが、まったくの「徒手空拳」から7年余の歳月をかけ10億円を超える浄財を集めて「龍馬記念館」を造ったことや、空港の名称にまで「龍馬」の名前を冠した武勇伝を聞けば、自ずと納得もいこうというものだ。

同会長は言う。「折角この世に生を授かった以上、人間は何かをせんといかん。そう、生きた証しだ。おまんは、この世に何を遺そうとしちゅーがや?」- 。

とここまで聞いていて、龍馬にまつわる、とある「失敗談」を思い出してしまった。まだ県議になる以前の奥村慎太郎・現雲仙市長がらみの話だ。当時、筆者は四国に居た。

同市長も昔から「大」の付く龍馬ファンで、休みを利用して一緒に「桂浜」へ向かった。確か、その時は冬場であったが、折角ここまで来たのだから、「記念写真」を撮ろうということになって、「龍馬像」の前で上半身裸になってもらった。

筆者は、幾つか「決めのポーズ」を要請しながら、必死でシャッターを切りまくった。撮影は成功したはずだった。

が、その後がいけなかった。次に訪ねた「土佐闘犬センター」で、不覚にもフィルムの交換ミスを犯してしまったのだ。

どうもその時以来、同市長の筆者に注ぐ視線は冷たい!?まあ、当然の報いではあるが…。


2010/04/13

井上ひさしさん逝く…〃減反〃に怒り心頭だった

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今日は「訃報」の話。ただし、どなたも身近な人物ではない。まずは作家の井上ひさしさん。山形県出身。75歳。各紙とも大きくな取り扱いだ。

多方面で活躍された方だが、我々世代にとっては、何と言っても『ひょっこりひょうたん島』(NHK)。ガキの頃、食い入るようにその画面を眺めていた。

博士、ドン・ガバチョ、トラヒゲ…。個性あふれるキャラクター揃いで、それぞれ、中山千夏、藤村有弘、熊倉一雄といった錚々たる顔ぶれが「声」を担当していた。

小説『手鎖心中』で直木賞に輝いたのは昭和47年。筆者がその〃生身〃を拝見したのは昭和50年のこと。永六輔、小沢昭一さんらと共にコンサートの舞台に立たれた姿だった。

確かその場は小沢さんが〃仕切り役〃で、お得意のハーモニカを演奏されたのだが、井上さんは「ボクは〃出っ歯〃なので、巧く吹けないんだなぁー」と、軽妙に交わされたように憶えている。

後年、テレビ番組の中で烈火のごとく怒られている姿を見かけたのは、時の政府が「減反政策」を打ち出した折のこと。「貴重な水資源を涵養していく意味でも、日本古来の水田を枯らしてならない!愚挙だ!」との主張には、同じ田舎育ちの身として大いに共鳴したものだ。

果たして、その後の展開は…。日本中、全国に広がる、草ぼうぼうの荒廃地。我が国有数のコメどころの新潟県でさえ、荒涼たる風景が広がっている。これがまがうことなきニッポンの田舎の現状だ。今改めて、その〃慧眼〃に脱帽。

次いで、ジャーナリストの「ばばこういち」さん。この方もテレビでおなじみだったが、3年前に、同じく東京12チャンネル出身の田原総一朗さんと共に出られたCATV関連の講演会で、その〃謦咳〃に接した。

印象に残っているのは、話の内容より、むしろそのダンディぶり。ロマンスグレーの長髪を腕まくり姿でかき上げ、舌鋒鋭く問題の核心に切り込んでいかれた。大阪府出身。77歳。

最後に、島原市出身の『海燕』初代編集長、寺田博さん。島高から早稲田に進み、卒業後は宇野千代さんが創刊したスタイル社へ。その後、学燈社を経て、河出書房新社に移る。

そこで出会ったのが、再刊された『文藝』の名物編集長、坂本一亀さん。言わずと知れた、「教授」こと坂本龍一さんの父親だ。

もっとも、この方の「訃報」については、すでにひと月以上も前のことなので、すでにご存知の方も多いと思うが、諸事万般に詳しい平尾明さん(元島原市役所)から「文藝春秋5月号の蓋棺録に掲載されている」とのお知らせを受けたので、遅まきながら - 。

【追伸】今週の『ターニングポイント』は出張のため休みます。


2010/04/10

カルミネさん来る!…島原は「食の宝庫」と感動

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

カルミネ・コッツォリーノさんと言っても、すぐにピンと来る人は余りいないだろう。だが「イタリア料理(イタリアン)の巨匠」との冠を付ければ、「あっ、あの人だ!」と、その名前と顔を同時に思い浮かべる人も多かろう。

そのカルミネさんがこのほど、1泊2日の旅程で島原市を訪問した。目的は食材調達のための現地視察。東京から同行した案内スタッフともども市役所や島原農業高校などを精力的に回り、交流を深めた。

在日歴30年以上を誇るカルミネさん(すでに日本に帰化)は流暢に日本語を操り、島原半島産の「海&山の幸」に目を細めながら「美味しい!」を連発。年齢を感じさせない健啖家ぶりも見せ付けた。

筆者は弊社々員ともどもナビゲーター役を務めさせていただいたが、その感触は極めて良好!「素材そのものはどこにも負けないくらい素晴らしい。ただ、あと一工夫が必要」との〃注文〃も忘れなかった。

カルミネさんは現在、「神楽坂」を中心に、「原宿店」や「目白店」など都内で5店舗を経営。その人脈はキラ星のようで、文化・マスコミ・芸能界をはじめ〃著名人〃のご贔屓(ひいき)筋も多い、という。

以前にはフジテレビ系の料理番組『郁恵・井森のデリ×デリキッチン』に出演していた〃実績〃もあり、間近で見ると、なかなかの名タレントぶりでもある。何よりカッコいい!

仕入れたばかりのホットなニュースでは、来週から人気タレントの上戸彩さんとともに「サンヨー食品」のパスタのテレビCMに登場する予定で、さらなる知名度アップは確実。

カルミネさんに言わせると、島原半島の食材は極めて「イタリアン向き」だという。例えば、魚介類。東京の築地市場等で取り扱われている魚種は余りにも大味で、シェフとして正直食指が動かない、とも。

今回の来島で、すでに「商談成立直前」まで進んだ事業所もいくつか生まれてきており、今後の広がりに大いに期待を寄せているところだ。

カルミネさん一行と話していて感じるのは、地元の我々が気付いていない、その「価値観」。実は、都会人や欧州人の眼から見たら、この島原半島は「不思議ペニンシュラ」に見える、という。

別段、筆者が申すまでもなく、昨今、いや将来に向けても「食の安全確保」は人類全般にとって、必須不可欠の要素である。ところが、現実はどうか?

巷にあふれる外国産の、農薬まみれの安い食材ばかりに消費者の目が向いていないだろうか…。今こそ「トレーサビリティ」(食材履歴)をもっと重要視すべきである。

それから、忘れてならないのが「地域ブランディング」という発想。海あり、山あり、温泉あり、名水あり…。これが我が島原半島の売りである。

この恵まれすぎた古里の素晴らしさに、もうそろそろ気付いても良さそうなものだが…。


2010/04/08

島原には島原の良さ!…堀端の母子の姿で思い出す

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日の昼過ぎ、島原城の堀端で、入学式帰りと思われる一組の母子の姿を見かけた。母親は柔らかな色合いのスーツをまとい、背中にランドセルを背負った男児の表情はいかにも誇らしげであった。

こうした光景は特段島原に限ったものではなかろうが、城下町特有の風情はそうどこにでもあるものでもなかろう。「富士には月見草が良く似合う」(富嶽百景)と書いたのは太宰治だが、「島原には学校が良く似合う」と、個人的にはそう思う。

24年前、島原で暮らすことを決意した。今でもその時のことを鮮明に覚えている。それ以前も、またそれ以降も、ハプニング続きの我が人生であるが、たまたま車で堀端を走っていた折に、バッテリーがあがってしまったのだ。

もとより車を修理する術など知らず、周囲に知り合いも居ないその中で、親切にもお声を掛けていただいたのは島鉄タクシーの運転手さんだった。

「どうしました?」『いやー、急に動かなくなってしまって』「バッテリー切れですね」…。そんなやり取りの後で、その運転手さんは実に手際よく〃応急措置〃を施して下さった。

今でも忘れることのできない〃一コマ〃なのだが、その時見かけた女子高生の通学姿がお城の景観と見事になじんでいて、すっかり島原という〃土地柄〃に惚れ込んでしまった。

結婚後は、地元記者という仕事柄、県の島原振興局にもちょくちょくお邪魔していた。その際に、時の局長さんから伺った話も、これまた忘れられない!

「県職員の間では、島原は一番人気なんですよ。何せ人柄がいい。玄関先を掃除する場合、お隣さんの分まで黙って履いてくれるような、そんな気質&風土なんですよ」。

一方で「マスコミ人気」も高かった。それは、「観光地ランキング」などといった代物ではなく、定年間際の、経験豊かな記者連中も「最後の勤務地」として島原を希望する者が多かった、というわけだ。

かくして、我が第二の人生も、この地におけるゆったりとした時間に沿って静かに流れていくはずだったのだが、2世紀ぶりの噴火災害が、その約束された「シナリオ」を根底から覆してしまった。

その〃余波〃とも言うべきなのか知らないが、災害前は島原に居を構えていた県職の人々も、多くは島原半島外から遠距離通勤をするようになったし、災害そのものが人心を歪めた面も否めない。

しかし、いつの世でも「島原は島原である」。かつて〃盲目の市議〃として活躍した宮崎東介さん(上の町)がしみじみと語っていた言葉を思い出す―「島原にゃ、島原ん良さのあっとたない!」。

桜吹雪の下で、満面の笑みを湛えた母子の姿に、久しく忘れかけていたものが蘇ってきた。


2010/04/07

花粉症の悩める日々…どうして洟は噛むもの?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

天気晴朗なれど、鼻むず痒し。花粉症には何かと辛いシーズンである。今朝からもう何回「洟(はな)を噛(か)んだ」ことか!

自慢ではないが、小職が使用しているティッシュペーパーはかなりの〃高級品〃である。現在はクリネックス社製の「ローションティシュー」。その前はネピア社の「鼻セレブ」を使っていた。

1箱いくらぐらいするのか知らないが、普段は飲み代の請求書にうるさい経理のお姉さん方が、この点に関してだけは妙にやさしい。いやいや、そのご好意に対して素直に「ありがとう!」と言わねば。

花粉症と付き合い始めてかれこれもう5年程が経つだろうか。時々は耳鼻科に行って「吸飲」の治療を受けているが、その場は良くても一向に完治する気配はない。噴霧薬の効き目もいまいちだ。

そんな我が身に飛び込んできたのが、新薬2種の発売情報。1つは「イオンの力で花粉などの侵入を防ぐ」との効能を謳った、アメリカ産の軟膏。小鼻の周辺にすり込めば自然と鼻水等が防げる、という。

そしてもう1つ。これは薬と言うより「器具」の一種。ちょうどマーガレットの花びらを小ぶりにしたような、蓋状の「鼻腔進入ストッパー」だ。

実はこの2種を数日前から使っているのだが、目立って効いているという感触はまだない。それより〃即効性〃で言うなら、先般上京の折に空港で買い求めたジェル状のカプセル剤が一番だ。

ただしこれにも問題があって、服用したら必ず眠くなる。注意書きにもその旨が記してあるので、分かってはいるのだが、余り昼間の仕事には向かない。

こうしてみると、いずれの処方も「帯に短し襷(たすき)に長し」といった塩梅(あんばい)だ。以前には「水虫の完治薬を開発したらノーベル賞!」との、まことしやかな話もあったが、この際「花粉症」の項目も是非その系列に入れてほしいものだ。

ところで、「洟を噛む」とはこれいかに?物を噛むのは口中の話であって、鼻腔に歯の生えているご仁など誰も見たことはないはずだ。なのに、なぜ?

本気になってその語源を調べれば、分かる話なのだろうけど、すっかり花粉症に支配された「脳内」にその余力はない。まあ、判じたところでどうってないのだが…。

〈あなたがかんだ 小指が痛い きのうの夜の 小指が痛い♪〉。伊東ゆかりが歌った旋律にあるのも「歯」であることは明らかだし、倍賞千恵子の『爪』だってそうだ。〈もうよしなさい 悪いくせ 爪をかむのはよくないわ♪〉

と、ここまで来て「臍(ほぞ)を噛む」という言葉の謎にぶつかった。臍とは「へそ」のこと。いくら体が柔らかいと言っても、それは無理でしょう!


2010/04/06

高田知事と田代弁護士…政治家と髪型の因果関係?

‐株式会社ケーブルテレビジョン専務 清水眞守‐

新年度になって早1週間が過ぎたが、正月と違って落ち着いて「お屠蘇(とそ)気分」を味わっているような余裕はない。ひたすら仕事に追われて、バタバタしている、というのが実情だ。

そんな中、高田勇元長崎県知事と田代則春弁護士(有明町出身・元検事)をゲストに迎えて、本年度初の『ターニングポイント』の〃収録〃を過日終えた。通常は〃生〃でお送りしているので、異例と言えば異例の対応である。

毎回そうであるが、今回は特に緊張した。何せ相手は二人。しかも名の通った「大物」であるだけに、番組前の打合せの段階からもう完全に「位負け」の心境であった。

助かったのは、お二方ともやさしかったこと。素人同然の番組進行に対して、終始にこやかに&大らかに接していただいた。やはり、功成り名を遂げた人物は違う!と心底思った次第。

その番組はきょう7日(水)午後7時から放送されるので、時間のある方はご覧になっていただければ、と思う。なお、10日(土)と11(日)も、通常通りに再放送する予定。

さて、すでにニュースで繰り返し取り上げられているように、自民党周辺の事情が喧しい。他でもない、与謝野馨さん(元財務相)らの離党の動きだ。

その与謝野さんの髪型について、今朝の『天声人語』欄に面白いことが書かれていた。若者の間では、寝癖などで少し髪型が乱れている様を「与謝野(よさの)る」と言うのだそうだ。

ただし、これにはちゃんとした「オチ」があるから素晴らしい!すなわち、与謝野さんの祖母、歌人の与謝野晶子さんの代表的歌集『みだれ髪』に由来している、のだと。

正直、この解説には思わずニンマリとしてしまったのだが、政治家の「髪型」と「政局」(立場&心境)とは何らか深い関連性があるのだろうか…?

まずは何と言っても小泉元首相の「ライオン丸」。昔、音楽室でよく見かけた「バッハ」(肖像画)を思わせるような「パーマネント長髪」を振り乱しながら、「郵政民営化」路線をひたすら突っ走って行かれた。

ついで、現職の鳩山首相。若い頃の写真をみると、クセ毛の長髪を「七三」に分けておられたが、最近は普天間移設等の「政治的逆風」をまともに受けてか、「オールバック」。

さらに面白いのは小沢一郎民主党幹事長の「七三分け」。以前は「右分け」だったのが、昨夏の総選挙で勝利を収めた直後は一転「左分け」に変身。

一時期、ワイドショーなどで話題になったこともあったが、件の献金騒ぎ等を境に、再び「右分け」に戻られているようだ。

最後に、若者言葉に逆らうようだが、「寝癖」で言うなら、国民新党々首の亀井さんの乱れ方が一番だ、と思うのだが、どうにも「オチ」が探せない。


2010/04/03

語り口に見る「人生」…飛島のこと知ってますか?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨報では、九大の太田一也先生の話を取り上げたが、「語り口」というのはその人の「人生そのもの」を反映しているように思えてならない。なぜこんな書出しかと言うと、先月上旬に出張先で観たドキュメンタリーの印象が余りにも強烈に残っているからだ。

番組名は『テレメンタリー』(テレ朝系)。その日(3月9日)は、山形県唯一の離島・飛島(とびしま)で、診療所の医師として活躍している杉山誠さんの「生き様」を特集していた。

杉山さん(静岡県清水市出身)は現在73歳というから、太田先生とほぼ同年代。ただ、顔の造作はともかくとしても、身体からにじみ出ている雰囲気が「瓜二つ」なのだ。

一方は九大出身の「火山学者」。はたまた一方は北大に学んだ「医師」なのだから、当然、違ってしかるべきなのだが、背後には同質の「オーラ」が流れているように感じた。

これは1つの物事に全身全霊を賭して打ち込んできた人間特有の「輝き」だろう。決して饒舌ではないが、話の内容は少しもポイントを外さず、言葉の端々に地域や住民に対する「慈愛の念」が見て取れる。

島原半島も老齢化が進んでいる過疎地だが、飛島とはとても比較にならない。周囲10キロの小さな平地の島に三百人足らずの住民が暮らし、その大半は80歳以上の老人。

交通手段にしても、40キロほど離れた本土の酒田市とは、片道90分を要する一日一便の定期船が運航しているだけ。時化ともなれば、何日間も欠航することもざら、という。

杉山さんは10年ほど前から単身赴任。住民最大の不安は「先生が島から離れること」。とは言っても、杉山さんとて生身の人間。いつ何時、家族のもとに帰ってしまう事態となるのか、保証の限りではない。

コラムに記している杉山さんの叫びは痛切だ。「辺地は多様である。内陸の過疎地は不便ながらもなんといっても地続きである。地続きのありがたさは、島にいるとよくわかる」。

一方、太田先生。地続きの「半島」で暮らしている点は、杉山さんより恵まれているとはいえ、地域そのものが「崩壊の危機」に直面した状況下での観測活動は、なまなかのものではなかったはず。

時折、会議等でお見かけするが、歴史的な『平成版・島原大変』の真実を確かな記録(データ)として後世に伝えるべく酷使されている両の手首の「テープ姿」が何とも痛々しい。

個人的には、いずれの機会かに同番組が太田先生のもとを訪ねてくれることを望んでいるが、それより先に島原農業高校の取り組みが、『いのち いただきます』というタイトルで、翌週に放送されていたのには驚いた。

そう、みんな一所懸命なのだ。太田先生や杉山さん、島農生などの姿を見習って、島原半島住民も、まーだガマダサンバ!


2010/04/02

太田先生の診立て…ダメ!無闇なボーリング

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

過日、島原半島ジオパーク推進連絡協議会の総会に出席させていただいた。中身そのものは予算案の審議などが中心で、特段紛糾することもなく閉会したのだが、どうにも太田一也九大名誉教授(同会顧問)の発した言葉が気になる。

同先生は言わずと知れた「普賢岳のホームドクター」で、災害当時より独特の味わい深い話し方をされる。どう表現したらいいのか良く分からないが、口を開く前に、一瞬だけ息を呑み込まれる、といった感じなのだ。

その口調に乗って出てきた端的な指摘が、「島原湧水群」の保全問題。すなわち、ホームドクターの眼から見た「症状」である。「懸念」と言い換えた方が、より分かりやすいかも知れない。

現在、島原市内には「眉山」を水源とする、名の知れた「湧水スポット」があって、連日多くの観光客で賑わっているようだが、ドクターの診立てでは「どうにも危うい」という。

なぜか?その疑問に対するドクターの答えはこうだ!「島原の湧水は元を質せば、『島原大変』(一七九二年)にたどり着く。それが最近は市内あちこちで、無闇にボーリング工事が行われ、本家本元を台無しにしつつある」と。

ドクターによれば、江里や宇土などの旧来からの神社湧水は枯渇・減少しているし、お城や武家屋敷と並ぶ観光名所でもある鯉の泳ぐまち(新町)の水量も漸減している、というのだ。

ドクターの指摘はさらに続く。「歴史に根差した本物の『島原湧水』と言えるのは、今回市が買い上げた新町の『四明荘』(旧伊東邸)。砂地から噴き上がるあの形状こそがまさに本物。行政も市民もあれこそ守らなくては!」と警鐘を鳴らす。

そうした一連の発言で困った(?)のは、議長役の横田市長。四明荘と合わせて、鯉の泳ぐまち全体の一体的な整備を図ろうと、富重跡の敷地を取得していた背景があるからだ。

こうしてこの問題の最終的な「政治判断」は市政運営のトップリーダーである横田市長に預けられた格好となったが、一方で市民レベルでも「湧水保全」のあり方について再考を促すきっかけにも繋がらないだろうか?

「ここ掘れワンワン」式にボーリングを実施し、「吾こそは『島原湧水の守護神』なり!」と、一人悦に入っているようなご仁はよもやおるまいと思うが、実態の程は分からない。

折しも、島原市の水道料金が新年度から値上げになったのは、まだ記憶に新しいニュースだが、災害当時に島原通信局長をしていた朝日新聞のNさんの言葉が急に思い浮かんできた。

「水道料金は他市に比べて安いのだから、少しは値上げしてもいい。ただし、それは保全の施策に生かすべき」と。今回のドクターの指摘と符合していると思いませんか、皆さん?


2010/04/01

有明中継局が完成…受信環境が格段に改善!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原市制施行70周年記念式典の、この佳き日に、本欄も700回という「節目」を迎えることができた。嬉しい。特段意図があって調整したわけではないが、「巡り合わせ」というのはこんなものだろう。

まあ、そんなことより何より、今日は「FMしまばら」にとって新たな「旅立ちの日」でもある。すでに幾度となく電波やインターネットを使ってお伝えしているが、「有明中継局」が完成したのだ。

それでどういう「メリット」があるのか、と言うと、これまで放送が聴き取りにくかった「湯江地区」などの受信環境が格段に良くなった。残念ながら、法律上の規制もあって「完璧」というわけにはいかないが、簡単な室内アンテナなどを取り付けることで、問題は全て解決する。

完成してしまえば、「メデタシ」「メデタシ」の拍手シャンシャンだが、途中の改修工事は困難を極めた。その理由は「同期中継方式」という神業のようなシステムを使いこなしていくためには、監督官庁の総務省の許可が必要だったのである。

他に汎用事例がなかったため、これがなかなかの「難物」だった。だが、「熱意」は必ず通じるもの。最初のうちは「疑心暗鬼」だった電波管理官の表情も、面会の回数を重ねるごとに緩んでいった。

何はともあれ、「FMながおか」(新潟県)の脇屋社長さん以下スタッフの皆さんには大変にお世話になった。加えて今日は、普段はなかなか手に入らない越後の銘酒をお祝いに頂いたし、コシヒカリまで頂戴した次第。

以前にも書いたと思うが、ここ数年の弊社の歩みは、NHKの大河ドラマや朝ドラと軌を同じくしている。始まりは薩摩の『篤姫』。島津発祥の地とされる都城のBTV局(霧島酒造)の皆さんに、まずは手ほどきをして頂いた。

そうこうしていたら、1年前から『天地人』と『つばさ』が相次ぎスタート。そして今年は、言わずと知れた『龍馬伝』である。

別段、追いかけているわけではない。時代がこの「島原」(弊社?)ににじり寄って来ている、といったら少し言い過ぎか?

ただ、事のついでにもっと述べれば、開局(平成19年)にあたってコンサルタントをしてくれたのは山口県宇部市(長州)に本社を置く、「FMきらら」の井上社長さんである。

それからもう一つ。もう一月半ほど前のことになろうか、福島県(会津)の資産家の方がわざわざ弊社まで訪ねて来られ、「これからCATVを始めたいと思うのだが…」と、相談を持ちかけられた。

こんな自慢めいた話を書けば、「まーた、あのホラ吹きが」と蔑まれてしまいそうだが、これらは全て「実話」である。ひょっとしておいらは、平成の龍馬?そうだ!今日は「エイプリルフール」だった。