2013/04/28

安全運転で行こう!!…じぇ、エクセレント…?

早くも大型連休に突入した会社もあるようだが、我々のような零細企業にとっては〝夢のまた夢〟のような話だ。

しかしながら、たとえ細切れであったとしても〝お休み〟を頂けるのは有難い!さぁ~どこへ行こうか?などと思案しているが、確たる計画はまだない。

とすれば、家族の呪縛から逃れてゴルフ三昧?いやいや、そうは問屋が卸すまい。何しろ我が家でクルマの運転免許を持っているのは筆者のみ。連中がそのまま許すはずはない。

きっと「どこかへ連れていけ!」と言われるに決まっている。少しは筆者の苦労を想えば、「泊まりがけ」の提案があっても良さそうなものだが「今から予約は取れんじゃろもん!」の一言で却下される。

一体、家族の中での自分の地位はどうなっているのだろう…。いつだったかこんなことがあった。

連日の仕事で疲れ切っているところに「○○に連れてって!」とのお達し。それがさも当然のような口ぶりだったので、いささか頭にきてこう口走った。「オイはこの家の運転手か!」

かなり声高に申し上げたつもりだったが、発言の主はひるむどころか実に冷静な口調でこう切り返してきた。

「違う!!ユーはエクセレント・ドライバー。すなわち、卓越した運転手さんなのよ。もっと自信を持ちなさい」と。〝二の句〟がつげなかったのは言うまでもない。

ところで今朝、東京版の夕刊紙の中で面白い記事を見つけた。愛知県名古屋市の国道で今年2月、スピード違反でつかまった同県の職員に下された〝処分〟についての話題だ。

こういう見出しが付いていた。「危篤の父のためでも…/速度超過に減給6カ月/愛知県の職員」。

中身を読み進めていくと―。制限速度の53キロオーバー。何とか父の臨終に立ち会おうと、アクセルを踏み込んだ結果、道路交通法に著しく抵触してしまった、という?末だ。

罰金額は9万円(略式命令)だったが、県が下したのは「減給10分の1×6カ月」という甚だ重い懲戒処分。程度や状況の差こそあれ、筆者もつい先日同じような経験をしたばかりだったので、つくづく考えさせられてしまった。

実は、あのコラムを掲載した後、とある読者の方からキツ~イ〝お叱り〟を頂戴したわけだが、確かに反論の余地もないほどに的を射たご指摘であった。

しかしながら本音を言うと、釈然としない気持ちは今でも残っている。ただ、これだけは言える!「いかに理由があろうとも、事故を起こしては何にもならない」ということ。

連休期間中、皆さんもスピードはなるべく控えめにして〝安全運転〟で参りましょう。エクセレント・ドライバー(?)からのお願いです。


2013/04/27

イボは切除したけど…目の上のタンコブだけは

「身体髪膚(しんたいはっぷ)これ父母に受くあえて毀傷(きしょう)せざるはこれ孝の始めなり」(出典・孝経)。

改まって言うまでもなく、体を傷つけないことは何よりの〝親孝行〟のはずである。なのになぜ、ヒトは意図的に〝メス〟を入れるのだろうか…?

常々そんな思いで暮らしているが、我が事となると、そうとばかりも言っておれない。右瞼の下に「イボ」ができて気になってしょうがなかったので、先日思い切って〝手術〟をしてもらった。

執刀医はご近所(上の町)の宮崎伸一郎先生(宮崎病院長)。診察室に入って症状を告げるなり、先生は一瞬深刻そうな表情を浮かべて見せ、お付きの看護師さんにこう指示を出した。

「え~っと、ペンチと錆びた包丁を用意して。それから病室は301号室」。もちろん〝冗談〟には決まっているが、「痛くはないだろうか?」と多少は気になった。

ベッドに横たわること数分間。錆びた包丁ならぬピンセットでの手術は無事に終了。仕上げに小指の爪ほどの大きさの絆創膏を貼られて、ハイおしまい!

問題はその先だ。そそくさと支払いを済ませて自宅に戻ったら、件の母が鼻歌をうたいながら洗濯物を畳んでいた。そして、絆創膏を見つけるなり一言。

「なぁ~んしたっね?」。「はい、イボが気になって仕方なかったので、さっき宮崎先生から取ってもらいました」。

〝術後〟の身としては、やさしい労いの言葉の一つも期待していたが、「フ~ン」と興味なさげに言うなり、その場を立ってトイレに行かれた。

その後、歩いて会社へ。当然、顔見知りの人にも会う。そしたら十人が十人こう聞いてくる。「どがんしたと~?」と。

こっちにとっては「我が意を得たり!」である。「いやぁ~、家庭に居ると色々ありましてですね~」とだけ答える。

すると、世間一般の人々は「ひょっとしたら何かしらまたヘマをやらかして、奥方筋からヤラれたのでは…」などと、勝手に想像をふくらませて下さる。

当方としては決してウソは言っていない。実際に家庭生活を送っていると、予想だに出来ないような色々な〝出来事〟が起きるのだから…。

夕食。黙って食べる。缶ビールを飲もうと思って席を立とうとすると、「傷口にアルコールは悪かろもん!」と、母娘見事なハーモニーで早速〝横やり〟が飛んでくる。

仕方なく、席に戻る。ひたすら無言でムシャムシャ。と、何かしら不吉な予感が走ったか、「まさかアンタ、私たちにお仕置きされたごて言いふらしとらんやろね?」とのご詮議。

イボはともかくも、「目の上のタンコブ」だけはどうにも切除のしようがない!?


2013/04/25

今後は紙上で連載…方言には土地の歴史が

江川さんは島原市役所を15年前に定年退所後、同僚だった横田一彦さんらとともに、それまで以上に地域に根差して、伝統行事の普及・継承や後進の指導・育成に当たってきた。

筆者が取材のためご自宅(浦田2丁目)を訪ねた時も、夏の精霊船流しについて、早くも近所の人から相談を受けていたところだった。

聞けば、「白山っ子ひろば」(公民館)の運営に10年、「お散歩パトロール」に7年の歳月を費やしてきた、とのこと。

趣味の方も多彩なようで、自宅の庭には色とりどりの季節の花々に交じって、多くの盆栽の鉢植え。5月5日の「こどもの日」には地区の行事に積極的に参加してくれる「こひつじ保育園」の園児たちに手作りの竹トンボをプレゼントする予定だそうだ。

閑話休題―。「方言」(島原ことば)の話に戻る。江川さんの聞き取り調査によると、「島原弁」を使っているかどうか(方言体験)は、次のように「年代」によって大きく異なる。

「30歳くらいまで」→ほとんどなし。「40歳前後」→最近の方言を使う。「60歳前後」→何とか昔言葉を使うことが出来る。「80歳前後以上」→本格方言を十分に使いこなせる。

また、「島原弁」の特徴についても以下のように言及している。

助詞の「が」が「の」に訛り、さらに「ん」に変化していく。【用例】①「手が痛い」→「手の痛か」→「手ん痛か」②「蟻が集まる」→「蟻の集まる」→「蟻ん集まる」→「アン・・の集まる」

さらに!「方言」とばかり思っている言葉の中には、「広辞苑」にも載っているような、日本古来の古い言葉もあるそうだ。

【用例】①「おめく」→喚(わめ)く②「おーくぁん」(往還)→行き来する道、本通り③「なえる」→萎える④「くじる」→えぐる⑤「こぎる」→値切る⑥「もや」→一緒、もやい(舫い)・船と船をつなぐ

⑦「じゅっんなか」→どうしようもない(術無し)⑧「しゃちこばる」→鯱強ばる、緊張して身体を固く強ばらせる…など。

順序がいささか逆になってしまったが、江川さんは用例集の冒頭で、昭和の中頃までよく使われていた「島原弁」は「熊本弁」や「長崎弁」ともよく似ていて、アクセントの面では「鹿児島弁」にも近い、という説も紹介している。

その理由については、島原湊(島原港)が対岸の熊本県の百貫や天草、茂木(長崎県)と海路でつながり、交流が盛んであったことと何らかの関係があるのでは、との推測だ。

そうした歴史的観点・・・・・からしても、「島原弁」が我々「しまばらんもん」の〝無形の宝〟であることは間違いない。江川さんのお許しもいただいたので、島原新聞では今後折にふれて、その懐かしい用例を紹介することにする。
―おわり―


2013/04/24

もっと方言を使おう!!…江川さんが「島原弁用例集」

〈ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。余りにも有名な啄木の作品だが、ここで云う「停車場」とは上野駅のこと。その上野駅が間もなく終着駅でも始発駅でもなくなってしまうと、数日前の新聞に載っていた。ただし、今日取り上げたいのは「駅」ではなく「訛り」(方言)の方だ。

最近のニュース番組を視ていると、全国問わず、若者や子供たちが「標準語」を流暢に話している。ある意味「国語教育の成果」であろうが、一方でその傾向を寂しく思っている年配者の方も多いのでは…。

21日付けの毎日新聞の一面コラム『余録』欄に面白いことが書いてあった。かいつまんで云うと、「自閉症などの発達障害児は方言をしゃべらない確率が高い」などとする大学教授の説を紹介しているのだ。

同教授によると、方言には「仲間への帰属意識」「他集団との差異化を表す機能」などがあるが、発達障害児はこれらを理解し使いこなすのが苦手だ、と。

コラム氏はこうした学問的事例を引きながら「方言の魅力はもっと評価されるべきである」と結論づけている。小難しい理屈は分からないが、筆者もまったくもって同感である。

前置きが長くなってしまったが、我々の古里にも愛すべき「島原弁」がある。しかし、最近では余り使われていない。殊に、若者世代で顕著である。

その傾向に業を煮やしたのか、元島原市総務課長の江川照男さん(75)=写真=がついに立ち上がり、「用例集」としてまとめあげた。ただし、この作品は江川さん自身が船津地区の生まれ育ちであるため、武家屋敷界隈で使われていた「家中ことば」とは一線を画すものである。

何はともあれ、著者のお許しをいただいたので、勝手気ままに引用させていただく。まずは「長文の置き換え編」から―。

【原文】ツマチんホンドウリんカドんカネやんがカからカタばカマれっカイカッタけんキャたらツウんでけた。そんツウばツンムシッたらシュンのでた。イトはなかったばってんカユウシてカユウシてドウガンならん。そいバッテンシランうちナオッチョった

【翻訳】津町の本通りの角の兼さん(という人)が蚊から肩を噛まれて痒(かゆ)かったので掻(か)いたら瘡蓋(かさぶた)ができた。その瘡蓋を掻きむしったら汁がでた。痛くはなかったが、痒くて痒くてどうにも我慢できない。それでも知らないうちに治癒(ちゆ)していた。       ―つづく―


2013/04/23

ついに〝特許出願中〟…弊社が電話をしない理由

月曜日の朝は白土湖周辺の清掃後、全体会議を実施している。ただ、会議とは言っても、ふだんの朝礼に毛の生えたようなもので、激しい意見がぶつかり合うような緊迫度はない。

時間にして約30分。最近は社員諸氏の仕事に対する意識も随分と変わっているようで、なかなかに傾聴に値する話も聞けるようになってきた。

さて今日は、その会議が終わった後で、島原市内に住む古参の従業員からしずしずと同業他社のパンフレット類が差し出されてきた。何でも、留守中に自宅に投げ込まれたものだという。

ムフム、なるほど…。相手さんも相当がんばっていることが分かる。「みんな、ウカウカしてるとヤラるっぞ!」と、真顔で注意を促しつつも〝路線〟の違いを改めて実感した。

かねてからご案内申し上げている通り、弊社では「ケーブルプラス電話」のサービスは今のところまったくの〝想定外〟だ。別にNTTさんの局舎に間借りしているからと言って、圧力をかけられているわけでもない。

より正確に言うなら、かつて、全国の同業他社に先駆けて大手電気メーカーと組んで真剣に導入を計画したことがある。もう7年以上も前の話だ。なぜ、その計画は頓挫したのか?理由は簡単だ。

折しも、台風の襲来を受けてしまいCATVの放送サービスが停まったことがある。直接の原因は停電のためだったが、その時、「ライフライン」としての「電話」の圧倒的な存在感を思い知らされた。

テレビが視聴出来ない事態も相当困ったものだが、問い合わせをしようにも電話がつながらないとすれば…?今にして思うに、弊社がFMラジオに舵を切った瞬間でもあった。

〝無線〟のラジオであれば、たとえ停電していたとしても、必要な情報は住民の皆様にタイムリーに伝えることが出来る。

2年前の「3・11」の大震災後、壊滅状態となった東北地方のCATV局の某大幹部がいみじくもこう述懐されていた。「有線は無線に負けた…」と。

確かに、自然災害というものは、年がら年中発生するものではない。一方で、よくよく注意をしていても、来ないことがほとんどだろうし、むしろそうあって欲しいと願う。

しかしながら、放送を生業とする者にとっては「まさか!」の事態を最優先すべきだという〝信念〟には微塵の揺るぎもない。

このところ国内に限らず世界各地で地震の被害が相次いでいる。「もし、島原半島で…」という想定のもとに、カボチャもFMしまばらも日々放送を続けているのである。

申し遅れたが、弊社が開発に係わった「FMプラぷら」(スマホやタブレット端末で情報が取れる)がついに〝特許出願中〟まで漕ぎ着けた。「乞う、ご期待!!」と言っておこう。


2013/04/19

鎌倉幕府はいつ?…第三極は「ヒマラヤ」だった

「じぇ!」と思う、かつての受験生も多いのでは?鎌倉幕府の成立年が「1192」(いいくに)ではない、とする説だ。すでに一部の中学教科書では「1185」(いいはこ)と表記されているそうな。

また最近では、「聖徳太子は架空の人物だった!?」とする見方も登場するなど、日本の古代史をめぐって様々な論考が重ねられているようだ。

「昔」と言っても、たかだか30年ほど前の話だが、まだ中国大陸への旅行が珍しかった頃、観光バスから降りた途端に、勉強熱心な現地の男性から質問攻めに遭ったことがある。

「先生、鎌倉幕府はいつできたか知ってますか?」「富士山の高さは3776㍍(みななろ)ですよね」などと畳みかけられた。

そんな会話など端から予想もしていなかったので、たじろぎながら苦笑するしかなかったが、ただただその飽くなき〝向学心〟に驚くばかりであった。

今は知らないが、あの頃の日本人旅行団に対する中国の〝熱烈歓迎〟ぶりは凄かった。朝から中華のフルコースが並び、行く先々で「これあげます」とか言って、子供だましのようなプレゼントを手に近づいてくる人も多かった。

現在、日中両国間では、尖閣諸島の領有権をめぐって険悪な状態が続いているが、「古き良き時代」を知る者(旅行者)の一人としては、一日も早い関係改善を望むばかりだ。

話は変わるが、スピード違反でつかまった先週の日曜日、午後から家族そろって諫早へ買い物に出かけた。目指したのは国道沿いにオープンしたスポーツショップの「ヒマラヤ」。

大村店にはこれまでもよく出かけていたが、諫早店ができたことで随分と便利になった。ひとしきり店内を見回った後で、夏用のゴルフズボンのコーナーを訪ねた。

「えーと、ウエストは94、いや97…」などと物色したうえで、店員の女性に軽口をたたきながらイザ試着室へ。結果、「94」で収まったわけだが、裾が異常なまでに余っている。

針を打ってもらいながらふと足元を眺めると、先の女性店員が必死で笑いをこらえているのがわかった。そこに嫁と母が現れた。

「どーいまた、そがんも切らんばいかんとね。もう一着できるとじゃなかと?」などと、からかわれたが〃現実〃だから仕方ない。それでも、服を買ってもらった嬉しさは格別でルンルン気分で店を出た。

ところで「ヒマラヤ」の名で思い出した。昨年末の総選挙では多数の新政党が乱立して「第三極」と称されたが、その由来は「南極」「北極」に次ぐ「極地」という意味で「ヒマラヤ」のことを指すのだそうだ。

次期参院選まで残り3月。選挙後には、鎌倉時代を凌ぐような「いいくに」が出来るよう「第三極」の皆さんにも頑張ってほしいものだ。〔※ちなみに今日は連載1192回目でした〕


2013/04/16

科学あって哲学なし…ブタ、ネズミ捕りにかかる

〝クドカン〟こと宮藤官九郎が脚本を担当しているNHKの連ドラ『あまちゃん』が人気だそうだ。何でも視聴率は20%超えとか…。筆者も出来得る限り視るように心がけているが、なかなか思うに任せないのが悩みのタネだ。

劇中、話題になっているのが「じぇ!」という岩手・北三陸地方の方言。もっと言うなら、現地の海女さんの間で使われている〝業界用語〟で、驚いた際の表現だとか…。つまりはその度合いに応じて「じぇじぇ!」、さらには「じぇじぇじぇ!」とエスカレートしていくのだそうだ。

まあ、それはドラマの世界だから置いておくとしても、実は昨日曜日、思わず「じぇじぇじぇ!」と叫びたくなるようなシーンに出くわした。午後1時から南有馬町で営まれた、或る葬儀に向かっている途中「スピード違反」でつかまってしまったのだ。

場所は広域農道の「みそごろう公園」付近。筆者としてはさほどスピードを出しているつもりはなかったが、脇から突然出てきた制服のおまわりさんに呼び止められた。

まさに「じぇじぇじぇ!」の心境である。警察官は全部で4人いた。前述したように、違反しているつもりなど毛頭なかったので、驚きを通り越して、何とも不愉快であった。

免許証を差し出す前に、スーパーのレジのような紙切れを確認せよ!とのお達し。「そこに何の根拠があるのか?」と言いたかったが、葬儀の時刻が迫っていたことと、弊社技術スタッフの仲間がその機器の開発に係わっていた話を以前聞いたことがあったので、そのまま認めることに。

「時速50㌔規制ですから15㌔オーバーですね」。失礼ながら、思わず「しょ~もない!」という言葉が飛び出た。何故なら、彼らの〝頼みの綱〟はそこに出て来た数値データのみ。科学あって哲学なし、だ。

ただ、腑に落ちないとはいえ、法律に違反したことは〝事実〟だから、指示があれば従うしかない。否応なくキップは切られた。そして迎えた月曜日、朝一で銀行を訪ね、大枚1万2千円也を国庫に納めてきた。

こんなことを書くと「引かれ者の小歌」という誹りを招くかも知れないが、軽度の交通違反でつかまった人々の大半はふだん、どう感じているだろうか?

誤解やしっぺ返しを恐れず言うなら、もっと明らかに犯罪性が高い行為(極端なスピード違反や酒酔い運転など)を選んで、検挙すべきではないか!

彼らも〝仕事〟として取り組んでいることは重々分かっている。しかし、より率直に印象を述べるなら、事故を未然に防ぐためというより、キップ切りそのものが〝自己目的化〟してはいないだろうか?

そんな悩みにも似た思いを毒舌持ちの友人に話したら、「ブタがネズミ捕りにかかったまで」と、いとも簡単に切って捨てられた。じぇじぇじぇのじぇ!?


2013/04/11

喪主の挨拶に拍手!?…会場うならせた“倉重節”

「孤掌難鳴」(こしょうなんめい)という韓非子の言葉がある。その意味は「片手では拍手することはできない」から転じて、「何事もひとりでは出来ない」、そして「人はひとりでは生きていけない」と続く。

のっけから話が脱線して恐縮だが、昨日(9日)島原会館で営まれた島原市元市長公室長、倉重貴一さんのご父君(夏男さん・享年94歳)の葬儀(導師は晴雲寺)に参列していて、ふと我が家の玄関先に掲げている色紙のことを思い出していた。

何となれば、葬儀の席では絶対に聞けないと思い込んでいた〝拍手〟の音が、倉重さんの畏友の一人、江東寺ご住職の両の掌(たなごころ)から発せられたからである。

通常であれば〝不謹慎〟の一言で切って捨てられるところであろうが、喪主である倉重さんの謝辞が〝拍手〟に値するような素晴らしい内容であっただけに、会場の至る所から〝賛同〟の笑いが自然と沸き起こったのである。

式には、倉重さんの島原高校当時の同級生である中村法道知事も姿を現した。祭壇には秘書役として仕えた鐘ヶ江元市長の生花。吉岡、横田、古川の歴代市長、県議、市議、市職員など多く恩人&知己らが「倉ちゃんガンバレ!」との思いを胸に参列していた。

倉重さんは筆者より5歳年長の〝兄貴分〟で、駆け出しの頃より公私各般にわたって、色々とご指導を賜った。また、個人的にもよく一緒に呑んだ。

噴火災害の時には、それこそ眠る間も惜しんで対策に奔走しておられた鐘ヶ江、吉岡両氏の〝懐刀〟として、次々と投げかけられる奇問&難問の処理に当たった。

一方で、口うるさい記者クラブの面々との付き合い方も実にスマートで、各社の信頼も厚かった。一言でいうと、見事な〝手綱さばき〟であった。

ある時、酒場の席でこんな〝約束〟を交わしたことがある。曰く「仕事と○○○(アルファベット3文字)は絶対に家庭に持ち込んでならぬ!」と。

もちろん〝冗談〟の類いであったが、災害の先行きがまだよく見通せない中で三男が誕生した折には、「約束ば破ったろ!」と、笑いながら責められた。その三男もはや二十歳を迎え、まさに〝今昔の感〟しきりである。

倉重さんの挨拶は人柄そのままに淡々と進んでいった。佳境(?)を迎えたのは、戦乱の最中での「お見合い即結婚」というご両親のエピソード話。そして、80歳でガンを患って以来の、10余年間にわたる故人の〝健康おたく〟ぶり。

倉重さんは会場を埋めた弔問客に対し、「父に代わる世帯主として、遺された母をこれまで以上に大切にすることを誓います!」と力強く結んだ。

ここでまた江東寺ご住職から〝拍手〟が送られた。そう、人はひとりでは生きてはいけないのだ!!


2013/04/03

皆さんご存知でした?…杮(こけら)と柿(かき)の違い

伝えたいことが余りに沢山にあると、何からどう切り出したらいいのか分からない。さしずめ今日などは〝そんな日〟だ。しかし、悩んでばかりいても先には進まないので、取り急ぎ思いつくままに―。

新年度入りを機に、弊社が大幅に「チャンネルプラン」を見直していることは先般お伝えしたばかりだが、限られた紙面なので、さらに文章で詳しく説明するわけにもいかない。

ならば!「広告」でもってお知らせしようかとも思うが、それはそれでなかなかに難しい問題だ。したがって、本稿ではポイントを絞って幾つか…。

【地上波】熊本放送(RKK)を取り止めた代わりに、福岡民放4波(RKB、TNC、FBS、KBC)を流す。現在、詰めの交渉中。近々、何とか!!

【お手軽パック】NHK長崎、及び県内民放4局、それに既存のTVQと福岡民放4局などから成る「地デジコース」に、CS系の専門チャンネルを加えた「お手軽パック」を新設。

お好みに応じて1680円から3460円まで「12コース」をご用意。この中には映画やスポーツなどの有料専門チャンネル(スターチャンネル、WOWOW)も含まれている。

詳しくは明日以降に予定している「広告」でご覧いただくとして、ここから先はいつもながらの〝与太話〟に入る。

2日はかねてから工事中だった「歌舞伎座」が完成して、その「杮(こけら)落とし公演」が行われたと、朝からテレビ各局が騒いでいる。

すでにご存知の方には「今更ながら」の話であろうが、恥ずかしながら筆者は今日の今日まで、「なぜ新劇場での初興業のことを『杮落とし』と言うのか?」実は全然知らなかった。

前々から不思議には思っていたが、「杮」(こけら)とは「木くず」のことなのだそうだ。ではどうして「柿」(かき)の字が充てられるのだろうか…?

事務所のテレビ画面を見ながら改めて不思議がっていたら、コンピュータの仕組み全般に詳しいS君が「もう耐えられない」といった表情で教えてくれた。

氏によると、「杮」(こけら)と「柿」(かき)とはまったく別の漢字だそうだ。しかし、そんな説明を聞いても筆者は腑に落ちない。

そこで食い下がってみたら、「市」の縦線部分が繋がっているのが「杮」(こけら)で、繋がっていないのが「柿」(かき)との説明。「でも、パソコン画面で見たら同じじゃないか!」となおもしつこく食い下がったら、「それは『ジスコード』と『ユニコード』の違いです」と、バッサリやられた。

後で渋々調べてみたら、S君の言う通りであった。すると、二人のやりとりを傍らで見守っていた経理のOさんが他のスタッフに同意を求めている声がかすかに聞こえてきた。

「嗚呼、いつもながらの専務の『コケオドシ』じゃわい!」。巧い!!