普通のどこが悪いの? - 世間は成績だけでは渡れない -
大木金太郎が26日亡くなった。プロレス全盛時代、「頭突き」を武器に、力道山やG馬場らとともに観客を沸かせた名物レスラーだった。
つかこうへい原作の『熱海殺人事件』での犯人役は一字違いの「大山金太郎」。学生時代、池袋の舞台で演じたことがあるから、忘れない名前だ。
ところで島原市内のイベントでは、ここ数年、「川田金太郎」という名前が一人歩きしているようだ。先の「しまばら温泉不知火まつり」の前夜祭でも、司会を務めていた。
聞くところによれば、東京出身で10年ほど前から国見町在住とか。司会のほか、ラジオのパーソナリティー、作詞作曲と大層なマルチタレントぶりだが、率直に言って、印象は…。
個人的な見解なので読み飛ばしていただいて結構なのだが、島原市内のイベントを地元在住の人間がこなせないというのも、寂しい限りだ。
「苦手」ついでに話をすれば、タレントの磯野貴理子も〃お呼びでない〃人間の一人だ。時々、島田紳助が番組中でからかったりしているが、「芸人」でありながら「芸」がない。と言うより、やかましいだけで「味」がない。
それでも、あーやってタレント生命を長らえているわけだから、相当要領が良いのだろう。まあ、どうでも良いことだが。
そんなことより、富山県の高岡南高校に端を発して、進学校における社会科の履修問題がにわかにクローズアップされてきた。ざまぁー見ろ、だ。
筆者が学んだ口加高校は一番偉いのが歴史のある「家政科」で、その下に「普通科」と「商業科」(今はない)がぶら下がっていた。
昼のチャイムが鳴ると、土手を駆け下りて行っては、家庭科の皆様方がお作りなった「ご馳走」を頂戴していたものだ。一方、売店では商業科の綺麗所がパンや牛乳を売っていた。
名物教諭に山崎松治さんがいた。日本史や倫理社会を教えていたが、現に教壇に立っている先生方も〃教え子〃なので、頭が上がらない人が多かった。
東大から代議士となった久間章生さんを教えたのが誇りで、授業そっちのけで、その優秀ぶりを語って聞かせてくれた。また兄弟の名前を間違うのは日常茶飯事だった。
三年生になっても日本史、倫社の授業は続き、天皇家を語る時には尊敬語。試験問題の選択肢は「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」と振ってあった。
島原高校理数科の生徒が何かの席で「僕たちは普通じゃない!!」と胸を張ったとの話を聞いたが、普通でどこが悪いの?世間には頭の良い人は一杯いるし、成績だけでは渡れないのが「世の中なのよ」(上から読んでも下から読んでも同じ)。