2011/08/30

野田氏、早慶戦に勝利…前途多難な「船出」ながら

「ノーサイドにしましょう、もう」―。民主党の新代表(=次期総理)に選ばれた野田佳彦さんは当選決定後の挨拶の中でそう呼び掛けたが、まずもって無理だ。

それが甚だ難しいのを一番よく分かっているのは当のご本人だろうから…。だからこそ敢えて、この「ラグビー用語」を修辞として使ったのだろうが、すでにあの時点から新たな「権力闘争」がスタートしているはずだ。

期せずして、今回の代表選の決選投票は、早慶戦となった。それぞれの出身校が、「野田=早稲田」「海江田=慶應」の構図だったからである。

かつては暗黙のうちに、政治家&マスコミは早稲田、経済界は慶應―という「棲み分け」のようなルールが存在していたが、最近はいずれの舞台でも慶應サイドが押し気味のような感じだった。稲門関係者にとっては一矢を報いた思いか…?

ともあれ、前途多難な「船出」ではあるが、新しい総理の誕生に対して、率直に「祝意」を表することは無論やぶさかではない。

振り返ってみると、野田さんの「勝因」の一つは、演説の上手さだろう。2千回を超えるという選挙区(船橋駅前)での街頭演説で培った「話術」は短い選挙期間ではあったが、テレビ報道等を通じてもいかんなく発揮されたようだ。

増税論議云々の是非はともかくとしても、主張する内容にブレは少なかったし、落ち着いた語り口にはある種の「説得力」も伴っていた、ようにも思う。

一方の海江田さんは、中国の故事にも詳しかった故・野末陳平さんの秘書出身という経歴からか、随所に難解な言葉づかいも見られたが、最終最後で持ち出した「座右の銘」(人生意気に感ず)は余りにもお粗末ではなかったか?

要するに、徹頭徹尾「政治家であること」を意識して活動してきた愚直な人間と、やや才が勝ち過ぎた人間との違いが露出した結末であろう。

新総理は54歳というから筆者とほぼ同世代。父は自衛隊員、母は農家育ち。千葉という東京の近郊で育っていながら、どことなく「田舎臭い感じ」がしないでもない。

それに、あの風貌。柔道の有段者で大の日本酒党だという。年齢相当に適当に脂ぎっているし、ステテコ姿も似合いそうだ。

週刊誌の情報によれば、2人の息子がいて、長男は筑波大の医学部生。次男は高校生で、柔道界の有望株だともいう。

松下政経塾の後輩で国民的人気の高い前原誠司候補の出現で、一時は危ぶまれた「総理の座」をグイと引き寄せた「腕力」に一定の敬意を払いつつも、どこか「不安」が拭いきれないのも、国民等しく思っているところだろう。

マスコミの「ご祝儀報道」もそう長くは続くまい。一敗地にまみれたか「剛腕」をどう御していくのかにも注目が集まる。


2011/08/27

山頭火の心境でした…思わずはまった〃水のワナ〃

今週は何かと行事が重なり、ついつい本欄もおざなりな対応となってしまった。ただ、そうこうしているうちに、季節はすっかり本格的な秋景色へと鞍替えしてしまったようだ。

そうした中、今年もまた島原外港一帯では、「がまだす花火大会」が盛大に開催された(25日夜)。いつになく心配された天候も何とか持ちこたえ、絢爛豪華な6千発の花火が、どこからともなく集まった多くの見物客の胸を焦がした。

当代を代表する天才編集者の一人、松岡正剛さんが週刊ポスト誌の9月2日号の巻末に、『名残』(なごり)というタイトルで一文を寄せている――。

〈夏の日本は花火の夏だ。こんなに浴衣が似合う夜はなく、こんなに日本の夜空が鮮やかに彩られることもない。打ち上げが連発してくると、思わず胸の内なるものが起爆するようでたまらない〉

〃天才〃はこの序章を前ふりに、鉄砲鍛冶に始まる近代日本の花火の歴史をひも解き、次なる時代を築いていった、先端技術への革新を意味する「テクノトランスファー」というキーワードを導き出している。

そこまで深く思いを馳せながら花火大会を楽しんだ観客など恐らく皆無だろうが、一方でまた、筆者ほど〃惨めな思い〃をした人間もまずおるまい。

会場付近には多くの露店が軒を並べ、浴衣や甚平姿の家族連れやカップルなどでごった返すほど賑わっていた。〃悲劇〃はその最中に突如、生まれてしまったのだ。トホホ…。

話は相前後するが、仕事上のカボチャテレビ&FMしまばらによる現場からの〃中継〃と並んで、個人的には新湊1丁目のSさん宅での〃大宴会〃に呼ばれることが、毎年の恒例行事となっている。

時間帯で言えば9時前後であろうか…。心温まる歓待にすっかり気を良くした筆者は、中継スタッフを激励すべく、一路現場へと向かっていた。

すると、どうしたことだろう。これほど混み合っているのに、誰も陣取っていない〃空きスペース〃があるではないか?薄々「おかしい…」とは感じていたが、ほろ酔い気分も手伝って「エイヤー」とばかりに飛び降りた。

瞬間!目の前が真っ暗になった。最初は何のことか判らなかったが、要するにそこは〃水路〃だったのである。気付いた時には全身びしょ濡れ。周りのネーちゃん連中には花火以上に大受けで、水に浮いたスリッパ探しにご協力をいただいた次第。

さて、その先が大変。取りあえずSさん宅に戻って水浴びしようと庭木用のホースを手にしていたら、不憫に思った奥様が全身の着換えを用意して下さった上に、お風呂のシャワーまで使わせていただいた。

〈しぐるるや ひとのなさけに なみだぐむ〉―。まさに、山頭火の心境とはこのことか!と一人ごちた。


2011/08/24

時機(タイミング)逸した残暑見舞い…黄門様も視聴率には勝てず…

最近どういうわけか『水戸黄門』(TBS系)にハマっている。再放送ではなく、里見浩太朗さんが出ている最新版のやつだ。

ここ2週、両親とともに茶の間で観た。「最初から筋書きの分かった勧善懲悪劇」などというもっともらしい批判など〃どこ吹く風〃だ。自分が正直に「面白い」と感じているのだから勝手でしょ!

ただ、この日本に冠たる〃長寿番組〃も、低視聴率には勝てず、とうとう今期限りで打ち切られるそうだ。残念、無念…。

同シリーズは、学園紛争の余韻冷めやらぬ昭和44年、「ナショナル劇場」としてスタートした。初代黄門様は東野英治郎さん。

以来、その役は西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さんときて、現在の里見さんへと続いている。個人的な話で恐縮だが、佐野さんと石坂さんとはお会いしたことがある。

主題歌はずっと変わらず『ああ人生に涙あり』―〈人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙の後には 虹も出る 歩いて行くんだ しっかりと 自分の道を 踏みしめて♪〉

単純と言えば単純な歌詞だが、人生の〃真実〃を言い当てている、とも思う。そう、昔から言うように、世の中おしなべて「苦あれば、楽あり」だ。

ただ筆者のように「苦ばかり」が相当期間続いていると、アイドル路線から一転して新興宗教に走った桜田淳子さんのように「クッククック…」と呟きながら、この世にいるはずもない〃青い鳥〃を追い求めるようになる。ご注意!!

ところで、同じ時代劇でもNHKの大河ドラマと違って、民放の場合は必ずスポンサーが付く。ほぼ15分刻みで繰り返されるこのPR活動もまた、楽しみと言えば楽しみだ。

なぜなら、大概そこに登場してくるのは〃今が旬〃の人気タレントだから、である。今の『水戸黄門』で言うと、福岡県出身の吉瀬美智子さんだ。

映画やテレビなどでの配役は〃キツーイ〃感じの役柄が多いようだが、「エコ商品」を扱っている同社のCMの中で演じているのは、和服の良く似合う〃優しい〃奥様だ。

季節柄を反映して、そのキャッチコピーには、万年筆を手にした吉瀬さんによる「残暑お見舞い申し上げます」とのナレーションが被せられている。

別段、このCMに触発されたわけではないのだが、実は筆者も盆明けに「残暑お見舞い」を出そうと準備をしていた。ところが、ところが…。

思いもよらぬ「長雨」が続いているし、そのせいか「残暑」と呼ぶ程でもない。「ひょっとしたらこのまま秋に流れ込むのでは…」との予測もあるくらいだ。

それに、涼風を献上しようと意気込んで撮影した花(写真)の名前は間違っているし…。もう「トホホの涙」である。果たして、この後に「虹」が出てくるのだろうか?


2011/08/21

大鵬似の佐々木監督…「白秋」に向け何を植えよう?

「女」を書かせたらこの人の右に出る者はいないと言われる、吉行淳之介さんの小説に、『驟雨』(しゅうう)という作品がある。昭和29年に「芥川賞」を受賞した名作だ。

学生時代に読んだのだが、筋立てはともかくとして、極めて〃官能的〃な描写の数々にひたすら想像力を膨らませて頁をめくっていたことだけは覚えている。当時は今よりもっとアホだったから、まず「驟雨」の意味を知らなかった。

有体に言うと、「夕立」とか「にわか雨」のことだそうだが、事実、雨の降り方にも色々ある。昨今の「ゲリラ豪雨」など論外としても、霧雨の状態を指す「こぬか雨」とは何と素敵な響きか。  

だから、歌詞にもなるのだろう。筆者がまだ若かりし頃に流行った2つの作品を思い出す―。

〈こぬか雨に 芯まで濡れて 消えたあなたは 何処にいるの♪〉=ちあきなおみ『私という女』。〈こぬか雨降る 御堂筋♪」=欧陽菲菲『雨の御堂筋』。

前置きが長くなってしまったが、今年の夏は「盆」を挟んで、もうウンザリするほどの長雨続きだ。こうなったら「矢でも鉄砲でも持って来い!」といった気分にもなりかねないが、「鉄砲雨」だけはご免こうむりたい。とにもかくにも、もうこれ以上の「災害」は要らない。

ところで、皆さんもすでに感じられていることと思うが、このところめっきり蝉の鳴き声を聞かなくなった。まさに〈おどみゃ 盆ぎり 盆ぎり♪〉の『五木の子守唄』を地で行く変わり身の早さだ。

昨夜、久方ぶりに島原城周辺を散歩していたら、堀端沿いはもうすっかり秋の気配。リーン、リーン…という「虫の音」が疲れた耳に心地よかった。

中国の古典では、季節を「色合い」で表す、という。つまり、春は「青」で「青春」、夏は「朱」で「朱夏」…といった具合に。

その「青」の話でいけば、戦場カメラマンの渡部陽一さんの好きな色は「青です」だそうだが、筆者はテレビ等でこの方の顔を見るたび、俳優の篠田三郎さんに良く似ているな、と思う。

だからといって、どうこうといった話ではないのだが、今やすっかり〃時の人〃となった女子サッカー「なでしこジャパン」監督の佐々木則夫さんは、大横綱だった大鵬関と瓜二つだ。特に目の具合が。

色んな記事を読むと、同監督は病身の奥様のことを慮って一時期はサッカー界から身を引いたそうだが、そうした〃苦労人〃だけに、先のワールドカップでの優勝は余計に喜ばしく思う。

さて、これから迎える秋の色は「白」。すなわち「白秋」である。我が事務所の玄関先を見やると、サルビアをはじめ「朱系統」の花が多いが、これから何を植えよう…。迷ったら「原点」(白紙)に戻るしかないか!


2011/08/20

思い出す江川の雄姿…甲子園、いよいよ決勝戦へ

第93回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)もいよいよ佳境を迎え、後は決勝戦を残すのみ。拙稿を書いている時点ではどうやら、作新学院(栃木)を下した光星学院(青森)と、日大三高(東京)との戦いになりそうだ。

青森県勢の決勝進出は、太田幸司投手(後に近鉄)が引き分け再試合で活躍して以来、実に42年ぶりとか。ユニフォームの袖の部分を見れば、「八戸」とある。県庁所在地でもないのに、本当によく頑張っているよな~。アッパレ!!

高校野球はそれぞれの青春時代を写す「アルバム」のようなものだ。幼い頃には「兄貴たち」が活躍し、いつしか「同世代」に移り、そして「息子」や「孫」へと引き継がれていく。

今年はかなりの数の試合を観た。印象を言えば、「なでしこジャパン」の影響か、いつにも増して〃粘り強い〃戦いをするチームが多かったように思う。

同世代の「アルバム」の話に戻れば、作新学院の象徴的存在は何と言っても〃怪物くん〃の異名をとった江川卓投手。憎たらしいまでの落ちついたマウンドさばきで〃剛速球〃を投げ込み、次々と三振の山を築いていった〃雄姿〃はいまだに忘れられない。

卒業後に進んだ法政大では、押しも押されもしない大エースとして活躍。他大学の関係者から見ると、まるで行く手を阻む〃仁王様〃のような風格を備えていた。

余談だが、作新時代にバッテリーを組んでいた小倉というキャッチャーは早稲田に進んだが、対戦の度にキリキリ舞いさせられていた。一方、当時の早稲田には日大三高出身の吉沢という強打者がいて、時々ホームランを打ったりしていたが、後にプロ入り(阪急)したものの、余りパッとしなかった。

ところで皆さんは、東京六大学野球の対抗戦で飛び交う「ヤジ合戦」の文言をご存知だろうか?特段の〃悪意〃もなく使われている言葉なので紹介しておくと――。

まず、早稲田は「バカだ」。慶應は「テイノ―」。法政は「ア」を付けて「アホーセイ」。明治の場合は、チョコレートのCMをもじって「ちょっとコーレ」と指がくるくると回される。
東大と立教をどう呼ぶのかは知らない。

野球とは少し離れるが、最近のテレビ(バラエティ番組)では、「バカキャラ」が大流行りである。その中の一人に、巨人軍OBの元木大介がいる。

出身校は大阪・上宮高校。これまでは単なる「野球バカ」の学校とばかり思い込んでいたが、何と同校は我が菩提寺の本山、浄土宗知恩院派の系列校ではないか!?

元木以外の卒業生名簿(有名人)をネットで見ると、何と小説家の司馬遼太郎さんがその筆頭だった。元木に限らず「バカキャラ」の〃実態〃は闇に包まれたまま。ひょっとしたら、それを面白がっている視聴者が一番の「バカ」なのかも。


2011/08/19

この国の行く末は…菅政権カウントダウン?

一旦は「辞任」を示唆しながらも、「一定のメドがついたら…」との付帯条件を盾に、なかなか職を離れようとしなかった民主党代表、菅直人首相もいよいよ年貢の納め時らしい。

各種報道によれば、今月内にも代表選挙が行われ、次期首相が決まる予定だそうだが、政界は常に「一寸先は闇」の世界。決して予断は許されまい。

こうした状況下、最近は子供たちの間でも、宿題を先延ばしする時などに「一定のメドがついたら…」といった表現(言い訳)がよく使われているそうだ。ところで、「メド」って一体何だ?

漢字で書くと「目処」や「目途」。よく議会答弁などにも使われる言葉で、「もくと」と読む人もいる。岩波・広辞苑(第六版)を引いてみた。

【目処】=目指すところ。めあて。だいたいの見当。目標。【目途】=めあて。見込み。めど。

普通に考えれば、この場合、東京電力のフクシマ原発事故に端を発した「放射能汚染」や、未曾有の地震・津波被害を受けた人々の救済対策をどうするか―というところに〃問題点〃は集約されるだろう。

しかし、それ以外にも急を要する政治課題が山積しているわけだから、「一定のメド」という曖昧模糊(あいまいもこ)たる言い草だけでは、どうしても〃責任逃れ〃の感はぬぐえない。

ひょっとしたら、菅首相は「言葉遣いの名人」か。ただ、その能力は率直に認めるとしても、「いまの日本には本当の政治家はいない。政治をなりわいにしている人だけだ」と憤慨した米倉弘昌経団連会長の指摘には、何かしら考えさせられるものがある。

素人ながら、「国家」や「国民」という基本的なスタンスで考えてみれば、「安全」を重視するか、「経済」に重きを置くかということになろうが、誰が考えてもそんな「二者択一」的な問題ではないはず。これぞ「国の舵取り役」の難しさであろう。

しかしながら、こうしている間にも、「世界」(経済)は刻々と動いているわけだから、「日本」(国民)としても動かないわけにはいかない。さあ、どうする我が国のトップ・リーダーの皆さん?

何だか、柄にもないことを取り上げてしまって困り果てているが、残りスペースは今朝起きがけに考えてきた菅首相の「五十音カルタ」(抜粋)でお茶を濁すことにしよう。お好みで「漢字」を当てて下さい。

【否定語】=アカン、イカン、オカン、キカン、シカン、スカン、ノカン、ヒカン、フカン、ミカン、ムカン、ヤカン、ヨカン、リカン【肯定語】=カカン、サカン、ナカン

思いつくままに列挙してみたのだが、否定的な響きが肯定派を圧倒しているようだ。まあ、「政権末期」とは、得てしてこんなものだろうが…。


2011/08/17

何も盆の15日に…記憶にない雨の精霊流し

今年の精霊(しょうろう)船(ぶね)はまさに「嵐の中の船出」となった。聞くところによれば、20年近く前にそれに近い「悪天候」があったというが、筆者の記憶にはない。

これは一体何なのだろう?南からの湿った大気の流れ込みによるもの、といった「科学的な解説」は一々ごもっともだが、何もこんな日に荒れなくても、というのが「庶民感情」であろう。

といった次第で、例年とはかなり異なった雰囲気の中で、平成23年のお盆は過ぎ去っていった。

明けて16日は護国寺・三十番神の夏の例大祭。筆者も「無病息災」等を願ってお参りしたのだが、いつもながらに「迫力満点」のご祈祷をいただき、身も心も清められた感じだ。

さて、これからいよいよ本格的な秋の訪れである。秋と言えば「実りのシーズン」の代名詞であるが、何せ今年は春先に列島全体を震撼とさせた「東日本大震災」に襲われた上に、さらに先月には「豪雨災害」が追い打ちをかけた。

テレビが映し出していた新潟県三条市の五十嵐(いからし)川(がわ)の堤防決壊や同十日町市の土砂崩れの様子は、いずれも以前に歩いたことのある「思い出の地」でもあっただけに、余計にショックが重なった。

今回被災を受けた東北や越後地方は、日本を代表する「米どころ」である。それが一瞬のうちに荒野(あれの)と化してしまったことを想えば、世の中の仕組みとは何と儚(はかな)いものか…。

コメという字を漢字で書けば「米」。すなわち、「苗」から「稲穂」を経て、食することの出来る「米粒」の状態に至るまでには、「八十八回」もの「手入れ」が必要とされる。

国民全体が飢えないだけの「備蓄米」が保管されているにせよ、「新米」独特の「炊き立ての旨味」は残念ながら今年は到底望めそうもあるまい。

日本は古くから「瑞穂の国」と呼ばれるほどに、コメとの繋(つな)がりが深い。要するに、一定地域に定住して「集落」をつくって、そこで生計を営む「農耕民族」である。

これに対して、欧州等の「騎馬民族」は次々と新たな獲物を目指して、各地を転戦していく。その主食は「パン」。言うなれば、「小麦の文化」である。

国や地域の成り立ち、否もっと広い意味で言えば「歴史」というものを考えてみれば、この差は大きい。「決定的な違い」と言ってもよい。

秋口の収穫を楽しみに、こつこつと種を蒔(ま)き、苗を育てて日々の農作業に汗を流す。そうしたライフスタイルこそが日本人の原点であり、その精神的支柱が各地の「鎮守の森」や「寺院」であったはずだ。

ただ、残念ながら自然の神様は人間の思い通りには動いては下さらない。降り続く雨は不遜な人間社会に対する神の怒りの現れか、はたまた災害の犠牲となった幾万柱もの御霊から漏れる慟哭(どうこく)の涙なのか…。


2011/08/13

眉山は九ちゃんの横顔…JAL御巣鷹山事故から26年

聞いた話だが、有明町など北側から見た「眉山」の形状は、不慮の飛行機事故で亡くなった、歌手の坂本九さん(愛称・九ちゃん)に似ている、という。

1985年(昭和60)8月12日午後6時56分、東京発大阪行きの日本航空123便ジャンボジェット機は、群馬県御巣(おす)鷹山(たかやま)に墜落した。

同機には乗員・乗客合わせて524人が乗っており、うち520人が死亡した。まさに、我が国航空事故史上、最悪・最大級の惨事であった。

多くのビジネス客が集中する夕刻の時間帯に加えて、盆前の帰省ラッシュが重なったことが悲劇の輪を膨らませた、と言われている。

当時、筆者が勤務していた旅行代理店の支社でも4人分のチケットを販売。直接係わってはいなかったにせよ、今でも複雑な気持ちに変わりはない。

旅行業界に籍を置いた者なら知悉(ちしつ)していることだが、盆暮れの航空チケットを手に入れるのは、余程「至難の業」である。

個々人がネットで予約できる現代と違って、昔は1月前の売出日が「勝負」だった。より分かりやすく言うなら、偽名で仮予約を入れておいて、手じまい直前に名義替えという綱渡り手法で、大事なお客様に優先配分していたのである。それが「現実」だった。

犠牲者の中には前述の坂本さんのほか、阪神タイガースやハウス食品の社長さんなど多くの著名人も含まれていた。ともあれ、あれから26年の歳月が流れたことになる。合掌。

さて、坂本さんの話に戻るが、最近になってその代表作である『上を向いて歩こう』が再び注目を集めている、というニュースを度々目にする。作詞は永六輔さん、作曲は中村八大さんで、当時「六八九トリオ」で売り出していたのは読者の皆様もご存知の通りだ。

〈上を向いて 歩こう涙が こぼれないように 思い出す 春の日 一人ぼっちの夜 上を向いて歩こう にじんだ星を かぞえて 思い出す 夏の日 一人ぼっちの夜 幸せは 雲の上に 幸せは 空の上に♪〉

昭和30年代当時、この歌はもちろん国内でも大ヒットしたのだが、『スキヤキソング』と銘打って全米のヒットチャート№1に輝いたことでも知られる。

最近になってリバイバルヒットしている理由は他でもない「東日本大震災」。発生から5カ月が経ち、なかなか立ち直りのきっかけを掴むのに難しい状況は続いているが、「とにかく元気を出して行こう!」ということのようだ。

今朝たまたま早起きしたのと同時に、今日が8月12日であることに気付いて、とにかく有明町まで車を飛ばした。

ただ、お目当ての「眉山」(中腹部分)には、薄っすらと雲がたなびいていた。2万余の犠牲者を悼む坂本さんの頬を伝う涙なのだろうか…。


2011/08/12

二人のサカイさん…行ってらっしゃい、足立さん

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、「立秋」の声を聞いて、朝晩はめっきり秋めいてきたような感じだ。

さて今日は午後から熊本出張。再び我が業界の監督官庁である総務省関係の会議が開かれ、社員とともに行ってくる。

フェリーに乗っていると、普段は目にしない島原の全景を見ることができる。日帰りの強行軍とはいえ、旅は旅。日常の煩わしさから解放される気分は何とも言えない。

ただ、出かける前からいくばくかの寂しさを感じないでもない。船上から眺める島原外港の「夜景」を想像してのことだ。

これまでなら、夕暮れ時の眉山をバックに、九十九ホテルや小涌園の明かりが「おかえりなさい」とやさしく出迎えてくれていたが、もうすっかり「過去の話」となってしまった。

ただ、今月中には新たな経営体も決まるそうなので、「復活の日」を待つことにしよう。恐らく、筆者以外にも同じような考えを抱いている人が相当数いるはずだ。

時に、その小涌園最後の社長となった足立進一さんが昨日、奥様の待つ埼玉県へと旅立たれた。その心中を慮れば、何とも言葉も見つからないが、氏の提案で軌道に乗りかけていた「シバザクラ公園」構想はこの先どうなるのだろう?

先の日曜日(7日)に行われた「除草作業」の折にでも、もう少し詳しい話を聞いておけば良かったのだが、熱中症一歩手前の体調がたたって、ついぞ機会を逸してしまった。

ただ、そうした中でも、嬉しい&頼もしい「兆候」がうかがえたことも事実だ。それは二人の「サカイさん」の存在。

たぶん、ご本人達はさほど意識されることもなく活動されているのだろうが、こういう人々が自然と暮らしている島原を、筆者は誇りに思う。

一人は先魁町にお住まいの「酒井さん」。元NTTに勤務されていた方で、確か吉岡前市長さんと島原高校の同級生だったはずだ。

筆者は時折、島原城堀端周辺を早朝に散歩するのだが、「佐久間邸」や「ホタルの里」などを黙々と清掃している男性の姿を見かけることがある。

それが酒井さんであることを知ったのは、「あー今朝もサカイさんが頑張ってらっしゃる」という、ラジオ体操帰りのご婦人連れ間の何気ない会話を耳にしてから。

そして、もう一人のサカイさんは、「さかい衣料品店」(蛯子町)のご主人だ。聞けば、保健センター裏の「海浜公園」(県管理)の除草作業を誰に言われるでもなく続けているとのこと。

幸い、7日の除草会場ではお二人の姿を確認することが出来た。足立さん、こんなに素晴らしい方々が島原では生活しているんですよ。「さよなら」でなく、「行ってらっしゃい」をハナムケと致します。


2011/08/11

独自の魅力を磨こう!…島原にあって都会にないもの

昨日は総務省主催の会議があって、久方ぶりに福岡まで出かけた。最近のパソコンの技術革新は驚くほど進んでおり、スケジュール表に「会場」を入れておけば、地図サービスまでもれなく付いてくる。

ただそれでも、生来の方向音痴ゆえに、車で近くまで辿りつくことは出来たものの、どうにも目的の建物が見つからない。仕方がないので、土地勘のあるキャナルシティーの駐車場まで引き返して、歩いていくことにした。

その前にちと腹ごしらえ。これまた久方ぶりに5階のラーメンスタジアムを訪ねたが、流行っている店とそうでもない所の歴然たる「差」に唖然としながらも、判官びいきで、ガラガラの店に飛び込んだ。

正直言って筆者は、博多名物の「長浜ラーメン」なるものは余り得手ではない。どちらかと言うと、「熊本派」である。

ただし昨日は、その手の店が見当たらなかったので、「味噌ラーメン」を選んだ。結果から言うと、これが頗る不味かった。主義からして、滅多に残すことはしないのだが、どうしても最後まで付き合えなかった。

そこから目指す会場までは、歩いて5分ほどの距離。ビルが林立する都会の夏は、田舎とはまた違った蒸し暑さでほとほと閉口したが、ほどなく見つけ出すことができた。

開会10分ほど前に到着したのだが、大ホールの会議室はすでに満杯状態。ひとしきり空席を探したが、後部座席はすでに埋まっていたので、仕方がないので前から2列目に陣取った。

机の上には分厚い資料集。これから2時間も説明を聞かないといけないのかと思うとウンザリしないでもなかったが、なかなかに中身の濃い話で真剣に聞き入ってしまった。

終了後は近くのカフェに飛び込んで一服。このまま駐車場に戻って帰ろうかとも思ったが、せっかく来たのだから、新装なった博多駅を見物することに。

筑紫口正面から見た。でかい!それに美しい!右には「阪急」のロゴ。そして左手には「東急ハンズ」。

「阪急」と言えば、かつて梅田店で長崎物産展が開かれた折に、伊勢屋旅館社長の草野肇さんから紹介を受けたTさんという人がいて、その方が博多駅ビルの広報戦略の責任者だというが、こちらには全然おこぼれがない。どうなっているんですかね、草野先輩?

「東急ハンズ」は渋谷の昔からの馴染みの店だが、懐かしいと言うより、遥かにパワーアップしていた。まあ、それより何より、駅ビルと地下道をつなぐ庇から冷気を含んだ煙霧が噴き出ていることに吃驚した。ただし、それとて島原の湧水のせせらぎに比べたら…。

物真似は絶対ダメ!博多など都会にないものを磨くことこそが島原半島の「生き残る道」である、と改めて実感した次第。


2011/08/04

ハスの命は短くて?…人生に失敗は付き物だが

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」―。作家、林芙美子(1903年~1951年)が好んで色紙などに書いた言葉だそうだ。

何ともやるせないその響きに、節電列島の猛暑がかぶさる。そして、わずか2日間だけ華麗な花を咲かせた挙げ句、その後は固く花弁を閉ざしたままでいる、我が家のハス一輪。言葉が見つからない…。

数日前の早朝、偶然目に留まったその花は、淡いクリーム色をしていた。型は小さくて、今を盛りと堀端で咲き誇っている絢爛豪華な大ぶり品種とは明らかに趣きが異なる。

写真でお見せできないのが残念だが、井戸水が滴り落ちる、苔の生えた年代物の石臼がその「生」(せい)の舞台である。仲間と言えば、土曜夜市で仕入れてきた金魚の赤ん坊4匹。こちらはチョロチョロと落ち着きがない。

こんなことならビデオカメラに一部始終を収めておけば良かったのに…とホゾを噛んだが、時すでに遅し。典型的な「後の祭り」である。

ここで失敗点を整理しておくと、いわゆる「先のばし癖」が招いた「災い」(ちょっとオーバーか)とでも言おうか。その時すぐに対応しておけば、ひょっとしたら「開花音」まで拾えたのかもと思うと、残念でならない。

浄土真宗の始祖である親鸞聖人は「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠まれたそうだが、こういう苦い経験をして改めて、その言葉の奥深さを味わうことができる。

一方、経済用語で言うなら、やるべき時にやらないのは「機会損失」とされる。別な例えをするなら、茶道の世界の「一期一会」というところか。

まあ、これに限らず日々反省することばかり多いのだが、他方で新たな発見もある。水面を覆う葉っぱに隠れたような恰好で、秘かに二輪目がツボミをふくらまし始めていたのだ。

こうなると、根が単純なものだから、俄然勇気が湧いてくる。今度は絶対に失敗しないぞ!と固く心に誓って、毎朝のように臼の回りをウロウロ。

とにかく、人生に「失敗」は付き物だ。誰でも必ず失敗する。でも、そこから立ち上がる姿勢こそが大きく問われるのである。

〈ドブに落ちても根のある奴は いつかは蓮(ハチス)の花と咲く 意地は張っても心の中じゃ泣いているんだ兄さんは♪〉

そっ、そうなんだ!ハスの花から学ぶことは多いぞ。それでこそ「極楽浄土」を象徴する、有難い花である。

「フーテンの寅さん」こと渥美清さんが亡くなったのは、今からちょうど15年前の8月4日だとか。

「おい、清水、お前さん相変わらずバカかい?」。蝉しぐれの間隙をぬって、どこからともなく、そんな声が聞こえてくるような気がした。


2011/08/03

男の顔は履歴書…ヤブ蚊はデブが好き!?

滅多に鏡を見ることなどないが、改めてしげしげと見つめ直してみると、くたびれ果てた50男がそこにいる。無理もない、四捨五入すればもう60だ。

一体、自分はこの年齢まで何をしてきたのだろう…?鏡に写った小汚い顔を見ながら、タメ息をつく。

「男の顔は履歴書、女の顔は請求書だ」と言ったのは、関西在住の小説家、藤本義一さんだが、誇るべき履歴など何もない。かと言って、「領収書」を切ろうにも、まだ人生の精算が終わっていないし…。

数日前から、鼻と右頬っぺたの境界あたりにニキビの親方のような赤い吹き出物ができて、余計に醜さを増している。おまけに鼻の穴が痛痒い。

原因は鼻毛を抜いた跡にバイ菌が付着したものとばかり思っていたが、知り合いの薬剤師に処方箋を見せたら、「あー、まだ副鼻腔炎が完治していなかったんですね」と、3週間分の薬をドサッとくれた。

まあ、そんなこんなで何とも憂うつな日々を過ごしている。ただ、血圧だけは主治医も驚くほど正常な値を示しているが、いつもは夏やせするのに、今年はどこにもそんな兆候は窺えない。

一番困っているのは腹回り。この前も「ジャストサイズ」と思って、格安チノパンの3本セットを通販で取り寄せたまでは良かったが、いざ穿いてみると、留めボタンがはちきれんばかりだ。

「これじゃいかん!」と思って、慌てて漢方のやせ薬を飲んでいるのだが、やたらと屁が出るばかりで、どうやら期待薄に終わってしまいそうな気配だ。

気分転換にショッピングでもしようと、時計を買いに出かけた。高度計が付いている真っ赤なベルトのデジタル時計。自慢げに母と家人に見せたら、まるで風呂場のロッカーキーみたいだ、と一笑に付された。

ということで、目下の楽しみは朝夕の水撒きくらい。最初のうちは木や花の根本に向けて、「ともに夏場を乗り切ろうぜ!」と願いを込めてジワジワと。

その作業が一通り終わったら、次は太陽に向けてストレート噴射。そこから徐々に強弱を調整していくと、虹が生まれてくる。最大の楽しみは、その虹の観賞だ。

傍目には初老のバカ親父の悪ふざけのように見えるだろうが、これが結構運動になる。ホースの巻き取りまで合わせて1時間も続けていれば、たっぷりと汗をかく。

恐らく、これが血圧の安定剤のような効用をもたらしているのだろうが、何より「打ち水」は気持ちがいい。ただ、閉口するのはヤブ蚊に咬まれること。

大概、気付かない間に4~5か所は咬まれている。母に尋ねると、肥っている人間は蚊の好物なのよ、と脈絡のないことを言う。せめて顔だけは守りたい、と思うが、もうどうでもいい蚊!?


2011/08/02

8月1日は「水の日」…八大龍王は水や雨の神様

最近のカーナビ機能は大したもので、朝一番にエンジンをかけると、乞うまでもなく「今日は何の日か?」を教えてくれる。ちなみに、8月1日は「観光の日」だ、という。

ところが、手持ちの本で調べてみたが、そんな記述はどこにもない。ならば!とネットで挑んでみたら、一昨年6月をもって廃止されていた。どことは言わないまでも、メーカーの〃いい加減さ〃が期せずして判った次第。

成り行きついでに、8月1日が「何の日か」を調べてみたら、あるわ、あるわ…。まずは語呂合わせで「肺の日」。日本呼吸器学会が制定。

ついで「麻雀の日」(牌(ぱい)から)、「パインの日」、「島の日」(ハッピー・アイランド)などがあって、珍しいところでは、「バイキングの日」というのもある。

少し脱線するが、日本で最初に食べ放題の「バイキング料理」を打ち出したのは、かの帝国ホテル。北欧のサービスをモデルに、1985年のこの日から始めたのだそうだ。

と、ここまでかなりの〃行数〃を稼いできたが、8月1日は、何と言っても「水の日」である。8月が年間を通して一番水を大量に使う月であることから、国土庁(現国土交通省)が〃節水〃を呼び掛けるために制定した、とのこと。

さて、今さら言うまでもなく、島原湧水群は環境省が定めた「名水百選」の1つである。ふだん我々は特段意識することもなく贅沢な水使いをしているが、これはもうそれだけで〃貴重な財産〃であることを忘れてはなるまい!

1日付けの『天声人語』(朝日)では、「ライバル」(競争相手)の語源がラテン語の「小川(rivus)から来ていることを紹介しているが、その後段の部分で面白い記述を見つけた。

今から800年も前に、時の鎌倉幕府将軍、源実朝が詠んだ和歌に出てくる「八(はち)大龍(だいりゅう)王(おう)」という神様のことだ。そのまま引くと、こういう作品だ―〈時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまえ〉

なぜ、筆者の目に留まったのかと言うと、以前、何の気はなしに八幡町と坂下町境の路地裏を歩いているうちに、小高い丘の上でその「石碑」に巡り合ったことがあるからだ。

その時、すぐ調べれば良かったのだが、生来の怠け癖から、何をお祀りしてあるのか分からないまま今日までやり過ごしてきた。『天声人語』によると、八大龍王は水や雨をつかさどる神様のこと。

記憶に間違いがないかどうか、自転車を漕いで現地まで足を運び、きちんと写真も撮ってきた。石碑の一段上には祠(ほこら)が建っていて、内部にはお供え物もしてあった。

一体どのような経緯(いきさつ)から八大龍王様が祀(まつ)られているのか、興味も湧いてきた。奉納してあった幟(のぼり)の主のもとを一度訪ねてみよう、と思う。