2010/05/30

待ち合わせ場所云々…「モヤする」って分かる?

「ランデ・ブー」(逢引き)というフランス語はもはや余り使われなくなってしまった。それでも、辞書を引けば、「宇宙船同士の接近」という解説と併せて論じられている。

もうこの年齢ともなれば、「ランデ・ブー」も「デート」も何もあったものではないが、仕事以外の場面でも「待ち合わせの場所」は必要となってくる。

東京の主要スポットの一つである「渋谷」で言うと、「(忠犬)ハチ公前」がその定番だが、余りに人垣の数が多くて、どこに「ハチ公」がいるのか、遠目には判然としない。

特に筆者のようなタバコ狂いには、どこでもいいから近くに「喫煙コーナー」があるかどうか、が最重要課題。「ハチ公前」にはそれがある!

同駅前にもう一か所だけ有名な「待ち合わせ場所」がある。そう、これまたよく知られた「モヤイ像」(南口)のことだ。

「像」そのものは昭和55年に伊豆七島の新島(にいじま)から運ばれたものだそうだが、その原型はイースター島(太平洋上のチリ領)の「モアイ像」に由来しているというから、何やらややこしい。

ふだんは滅多に行くこともないが、もうかれこれ20年以上も前に一度だけ、東京在住の従弟(大学生)との待ち合わせで使ったことがある。

由来の話はその折に仕入れたもので、島原方言の「モヤ」(?)にも通じるということを知って、思わずニンマリしたことを憶えている。

最近の子どもに「モヤする?」などと言っても通じるはずもないが、元々その語源は、船を綱で繋ぎ留めるという意味の「舫(もや)う」から来ているというから、由緒正しき大和言葉なのである。

所変わって、現在改装工事が進められている東京駅。そこで誰かと待ち合わせた記憶もたいして残っていないが、昔は「銀の鈴」というのが有名だった。今でもあるのかしらん…?

最近、上京の折によく泊まっている銀座界隈でいけば、やっぱり四丁目交差点の三越デパート前に鎮座まします「ライオン像」だろう。ここは「ハチ公前」のように混雑はしていないが、田舎者にも一目瞭然の「ランドマーク」なのだ。

三越がなぜライオンなのか知る由もないが、百貨店業界の「百獣の王」たらんとする意気込みで設置したことだけは確かだろう。ただ、昨今の不況風の中では、その「雄叫び」もかき消されているようで…。

つい先日、同じ三越でも福岡店の「像」の前で待ち合わせしていたら、その由来が書いてあった。原型はロンドン・トラファルガー広場のネルソン記念塔下のライオン像なのだそうだ。

もっとも、最近ではみんなが携帯を持っているので、そうそう「待ち合わせ場所」に拘る必要も少なくなってきた。時代は大きく変わった。嗚呼「iPad」が欲しい!!


2010/05/29

出張&総会の心得!…眠気覚ましに〃四苦八苦〃

夏の甲子園大会(高校野球)が開催される8月上旬から盆過ぎにかけての阪神タイガースの試合日程は、ホーム球場が使えないために、俗に「死のロード」と呼ばれている。

さしずめ、筆者にとっては、先週末からの1週間が「それ」に充当した、と言えよう。ただし、監督や選手と違って、勝敗を賭けたゲームをするわけではないので、気楽と言えば気楽なものではあったが…。

ご案内の通り、5月中旬から6月いっぱいは、あらゆる業界で「総会」や「取締役会」の日程が目白押しだ。筆者もこの1週間で東京、長崎、福岡などと計6カ所の会場を駆けずり回ってきた。

主催する立場でもないのでさほど神経をすり減らすこともないのだが、「島原~福岡間」を、2日足らずの間に2往復しなければならなかった一昨日~昨日にかけては、さすがに疲れ果てた。

高速船&電車はまだまし。眠たければ、シートに身をあずけて眠ればよいのだから…。ところが、スケジュールの都合でどうしても車で移動しなければならない時が困る。

運転手付きのお偉いさんと違って、どうしても自らハンドルを握らなければならず、眠ってなんかいられない。眠気を感じ始めたら、車内で大声をあげたり、舌を噛んだり、皮膚をつねったり、と「悪戦苦闘」が続く。

そんな時、「もう一つ先のパーキングエリアまで頑張ろう!」などと欲を出してはいけない。本人は通行車線(左側)を規定の速度で走っているつもりでも、知らない間に速度が落ちて「ハッ!」とする瞬間が必ずある。

ポイントは、気付いた時点ですぐ最寄りの「休憩ポイント」で仮眠すること。5分でも10分でもよい。その効果は抜群で、目覚めの程はすっきり爽やかだ。近くに売店があれば、カフェイン系のドリンク剤で補強するのもまたよし。

夜の宴会もほどほどに切り上げること。総会後には、たいがいパーティ形式で美味しい料理が山積みされているので、ついつい箸が伸びてしまうが、長丁場の出張ともなれば、これが案外クセモノなのだ。

当然、「食」ばかりでなく「飲」の方も伴うことになるので、ついつい「調子」が出そうになるが、最近はなるべく「自重」を心がけている。

となると、困るのは「長い夜」の過ごし方だ。持参した本や雑誌などを飛ばし読みしながらテレビをつけっぱなしにして眠りに就く、というのがいつものパターンなのだが、齢のせいか、いかんせん朝が早い。

4時前後にはもうすっかり目覚めてしまって、手持ち無沙汰この上ない。各局のニュース番組も同じ内容の繰り返しだ。あと2時間ゆっくり眠ることが出来れば、昼間の運転にも支障をきたすまいに…。


2010/05/27

筆者の勘違いでした…佐仲さんゴメンナサイ!

イカン!イカン!まったくもってイカーン!のであります。この私めが。特段、「油断」しているつもりもないのですが、どうにもショーもない「過ち」を重ねている次第でして…。

その「事実」をはたと知らされたのは、先般上京の折。「東京医科歯科大は私立ではないぞ。歴史ある著名な国立大学ではないか!」と、筆者の手になる「紹介記事」(佐仲雅樹さんの大学教授就任)を読んだ郷土出身の画家、永田力さんが慨嘆されていた、という話を聞いたことから。

人間の「思い込み」とはかくも恐ろしいもので、それを耳にするまでは、露ほどの疑いを抱くこともなかった。ご実家の「佐仲味噌総本店」の皆様には大変に失礼を致しました。この場を借りて深くお詫び申し上げます。

ただ、「言い訳」がましいが、あの名人脚本家だった向田邦子さんでさえ、『荒城の月』の歌詞の一節「巡る盃」を長い間「眠る盃」とヒガ覚えしていたのは有名な話でもあるし、それ自体が著作(随筆集)のタイトルともなっている。

ところで、拙稿冒頭の「イカン」の話に戻るが、沖縄県知事の仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)さんが「やっぱ移転先は辺野古周辺しかありませんでした…」などとする鳩山首相の正式回答に対して「心象」を述べた言葉が、同じ響きの「遺憾」であったことはまだ記憶に新しい。

そのやりとりの一部始終を報じた24日付の朝日新聞(東京版)の一面には、「首相=断腸」VS「知事=遺憾」の二本見出しが大きく躍っていた。元々どちらの表現も政治家の方々がよく使われる言葉ではあるが、皆さん「語源」を認識した上でおっしゃっているのだろうか。

まずは「断腸(の思い)」だが、解説によれば、子猿を人間にさらわれた母猿の「深い悲しみ」が語源と言われている。子猿の安否を気遣う余り、船上まで追いかけてきて憤死した母猿を開腹してみたら、腸(はらわた)が細々にちぎれていた、という中国の故事にならう、のだそうだ。

一方の「遺憾」については、「期待したように事が運ばず、極めて残念に思うこと」とする意味が一般的だが、外交上の使い方はより複雑なようで、こんな生半可な知識でこれ以上深入りしたら、イカン!イカン!イカンぜよ!

これに比べると、落語の謎かけのような「如何」の場合は、事の責任を相手方に転嫁するようなもので、軽過ぎる気もする。さーて、今日27日は全国知事会議。沖縄県の基地負担軽減のために、首相はどう話を切り出すのだろう。

まずは「いかが?」という意味の「如何」だろうか。はたまた、どこも協力してくれる所がない事態を憂える「遺憾」だろうか。沖縄県民の方々の割り切れない心情を慮りつつ、人間社会の身勝手さ、民主主義遂行(政治)の難しさを感じる。


2010/05/26

隆尋さんかく語りき…藤井副知事とはゼミ仲間

〈今年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』です。私は坂本龍馬の故郷である高知県で開催されている『土佐・龍馬であい博』の総合プロデューサーを仰せつかっております〉

〈期間は今年の1月15日から来年1月5日までの1年間ですが、おかげさまで、当初の年間集客目標の40万人に対して、現時点ですでに30万人の人出を集めています〉

〈確かに、それはそれで大変に結構なことなのですが、すべてに満足しているわけではありません。建物の造りやロゴマークなどを見る限り、『地域性』が存分に発揮されているとは言い難いからです〉

〈『龍馬伝』の舞台はこれから、高知だけにとどまらず、長崎、福井(松平春嶽)、品川、福山(いろは丸)などと移っていきますが、地方の方々が『ミニ東京』を追い求めてはいけません〉

〈それから、地元の県紙(高知新聞)に大きく紹介されたからといって、それだけで満足しているようでは、成功は望めません。大切なのは、全国ネットで発信していくことです〉

〈私の大学(一橋)時代の友人に経済産業省から鹿児島県に出向していた者がいまして、『芋焼酎を全国的に売り出したい』という相談を受けたことがあります。もう10年以上も前の話です〉

〈その頃、芋焼酎はまったく知名度がなかったのですが、色々と知恵を絞っているうちに、『人気』に火が付きました。それから、ご存知の通りのブームの到来です。おかげで、私は『さつま大使』の称号をいただいております〉

〈1人の人間が地元で使うお金は年間で121万円と言われています。つまり、これはどういうことかと言うと、人口が減少すれば、それだけ消費額が少なくなる、ということです〉

〈そこで提唱されているのが『地・産・地・消』という考え方ですが、それだけでは不十分です。外貨を稼ぐ『観光』と『外商』の2つの要素を付加しなければなりません〉

〈私が思うに、コミュニテイFMとインターネットは非常に相性がいい。東京・高円寺の商店街では今『ツイッター』が大流行です。他にも日光市の観光情報など元気な地方が沢山あります〉

〈『儲』という字は、『人』+『言』+『者』であり、また『人』+『諸』であり、また『信』+『者』でもあります。すなわち、『人』から情報を発信することが『儲け』(商売)につながるのです〉

〈さらに付言するなら、『叶』という字は、1日に10回『夢』を口にすること。皆さん、夢を持って頑張って下さい!〉

【追記】講演会終了後に挨拶に伺ったら、現長崎県副知事の藤井健さんと「同じゼミ」(少人数)にいた、とのこと。だとすれば、「知恵」を借りない手はない!そうでしょう、橋口振興局長さん?

‐おわり‐


2010/05/25

隆尋さんかく語りき…先進国ほど自殺率が高い

〈昔は『大きいことはいいことだ』と言われていましたが、これからはそうとは限りません。マンモスが滅んだように、大きな企業は『突然死』してしまうかも知れません…〉

〈ところで、経済指標の1つに『GNP』(国民総生産)というのがありますが、これからは『新GNP』でいきましょう。『元気』(G)で、『長生き』(N)、そして『ポックリ』(P)という生き方で!〉

まあ、それは冗談としても、『GNH』という考え方は大事でないか、と思うわけです。すなわち、同じ価値観を持つ者同志が『グロス・ナショナル・ハピネス』という視点で暮らしていくことが〉

〈そうした考え方に立って、『ヒト』『モノ』『カネ』『情報』等のハブ的役割(ハンドルの軸)を果たしていくのが、コミュニティFMではないでしょうか。人が居なければ、地域は成り立ちません。皆さん、地域の『縁の下の力持ち』になって下さいね!〉

〈さて、これから『りゅうじん流』の地域イキイキ・キーワードの話に移ります。『あ』=あそび心。『い』=いやし(心と体の健康)。『う』=うまい(質の向上)。『え』=えらばれる(ブランド化)。『お』=おもてなし(相手の気持ちになって考える)〉

〈以上、簡単に取りまとめてみましたが、改めて言えることは『ニーズ』と『ウォンツ』とでは、まったく意味が異なります。前者は『必要』なもので、今の日本では一通り揃っていますが、後者の『欲求』については、必ずしもそうとは言えません〉

〈統計で見ると、食べるモノにも事欠くような貧困な国では、自殺するような人はまず居ません。先進国ほど自殺率が高いのは、いわゆる『世間体』や『しがらみ』にまつわるものなのです〉

〈さて、これから少し方向を変えて、私が関わった『モリゾーとキッコロ』(キャラクター)の話をします。ご存知かと思いますが、これは5年前の『愛・地球博』の時に、私がネーミングしたものです。イラストレーターの「みうらじゅん氏」が名付けた「ゆるきゃら」の一種と言ってもよいでしょう〉

〈今では『ゆるきゃら』は全国的なブームとなっていますが、平城遷都1300年祭の今年の奈良博では、そうしたイメージから脱却して、キャラ立ちのする『せんとくん』というのを送り出しています〉

〈制作者は東京芸大大学院教授の薮内佐斗士(やぶうち・さとし)さん。たかが『キャラクター』などと侮ってはいけませんよ。その関連ビジネスだけで、16億円もの売り上げにつながるのですから!〉

〈選考の際に肝に銘じていたことは、みんなで選ばないこと。こうしたキャラクターを大勢で選ぼうとすると、必ず普通のイメージにとどまってしまうんです。それではインパクトに欠けてしまいます〉

‐つづく‐


2010/05/23

隆尋さんかく語りき…愛の反対は嫌いでなく無関心

〈亡くなった東京大学教授(西洋史)の木村尚三郎さんが、よくこうおっしゃっていた。『住んでよし、訪れてよし、の地域づくりを!』と〉

〈いかにも『観光地然』とした設定だけでは、地域づくりは失敗します。まずは、そこで暮らしている人々の『満足度』を高めないことには!そのためには『教育』が必要です〉

〈ただし、『教育』には幾通りもあります。『知育』『体育』『徳育』…。最近は『食育』というのもありますが、食とは『人』が『良い』と書きます。食は文化です〉

私はこれに加えて、『郷育』という考え方を提唱したい、と思います。つまるところ、『地域づくり』とは『人づくり』に他ならないんです〉

〈イギリスの歴史学者、トインビーはこう言っています。『民族を滅ぼすのはいとも簡単だ。その民族の歴史や文化を教えなければ、それだけで滅ぶ』と〉

〈日本には古の昔より松涛(しょうとう)や虫の鳴き声を愛でる習慣がありますが、そうした『文化的DNA』(ミーム)を伝えていかなければ、それらは単なる雑音として処理されてしまいます〉

〈もちろん『愛国心』は大切ですが、それよりもまず『愛郷心』を育むこと!そのためには、『地域の文化』を大切に伝えていくことが必要です〉

〈ただし、『愛』という概念は非常に難しいですね。NHKの大河ドラマにもなった直江兼続の兜の『愛』は、『愛染明王』から来ていますが、その解釈は何と言ってよいのやら…〉

〈その点、より分かりやすい表現でマザー・テレサが『愛』について語った言葉があります。『愛の反対は憎しみでなく無関心だ』というものです。いくら『アイ・ラブ・○○』と言っても『無関心』ではいけません〉

〈余談ながら、『嫌い』は『好き』の裏返しです。『愛郷心』を植え付け、育むという意味では、皆さん方が担っている責任は非常に大きいですよ!〉

〈話は変わりますが、私の大嫌いな言葉の1つに『勝ち組』というのがあります。ビジネスの世界でも使われているようですが、そもそも『戦(いくさ)』と『商い』とは別物ですから、そのまま当てはまるわけがありません〉

〈まあ、人心の掌握術やロジスティックなど幾つか『共通点』はあるでしょうが、『客』が介在するという意味では、まったく異質のものです〉

〈『戦』は『武力』と『武力』とのぶつかり合い。周囲の景観なんにかまっていられません。一方、『商売』では、店が汚ければ、お客様は来ません〉

〈同じく過った考え方に『地域間競争』というのがあります。隣の町が滅んだら、間違いなく自分達の町も滅びます。今後は『勝ち組』ではなく『価値組』を目指しましょう!〉

‐つづく‐


2010/05/22

隆尋さんかく語りき…不況を布教するのは卑怯!

写真家の西川清人でもない、はたまた芸人の西川きよし、西川のりおでもない著名な「ニシカワさん」の話を聴いてきた。そう!マーケティングコンサルタントの「西川りゅうじん(隆尋)さん」と言えば、知る人ぞ知る〃知恵者〃。

その実績を時系列的にたどっていくと、80年代が「ウォークマン」の販売促進。90年代は一世を風靡した「ジュリアナ東京」や「福岡ドーム」のオープニングイベント。さらには様相を一新した京都駅ビルの商業開発にも携わった。

今世紀に入ってからもその活躍ぶりは「顕著」の一言で、「愛・地球博」のイメージキャラクター「モリゾーとキッコロ」、「六本木ヒルズ」に「表参道ヒルズ」…などなど本当に枚挙に暇がないほどだ。

前置きが長くなってしまったが、先般東京で開かれた日本コミュニティ放送協会(JCBA)総会での講演は、すこぶる面白かったし、タメにもなった!少しだけ「紙上再録」をお許しいただいて-。

演題は《地域イキイキ化計画》~コミュニティから始まる地域再生・日本再生~。なにやらお堅い内容みたいだったが、そこは名うての語り部!与えられた1時間の枠をフルに使って、我々の腐りかかった脳味噌を見事にカクハンしてくれた。

何よりその例え方が面白い。〈ラジオのDJは単なる『皿回し』ではないですよ。ジョッキー(騎手)として、地域活性化のために『鞭』を入れて下さい〉

〈何でもかんでも『不況』のせいにするのはよくないですね。まるで『不況であること』を『布教』しているみたいで、それはある意味『卑怯』な考え方だと思うんです〉

〈皆さん、よく『大変だ』とおっしゃる。でもよくよく考えてみたら、それは『大きく変わる』ということですから、別段変化すること自体が悪いということではないんですね。要は捉え方の問題です〉

〈よく言われるように、CHANGEの『G』を1文字変えれば、CHANCEなんですね。つまり、『G』のスペルから小さな『T』を取り除けばいいんですよ〉

〈では『T』とは一体何なのか?ゆめゆめタイガースではないですよ。それは『TABOO』(既成概念、固定観念、成功体験)ということです。日本は世界に最たる『高齢社会』ですが、どこよりも早くそれを体験できることは、それはそれで素晴らしいことではないですか!〉

〈コミュニティFMを運営している皆さんは、地域再生のハンドルとならなければいけません。ハンドルには『軸』が座っていることと併せて、『遊び』が必要です」。この両者の間合いが大切なんです〉

〈昔から『温故知新』『不易流行』などと言われますが、ビジョンなき民は必ず滅びます。しっかりとしたビジョンを持って経営に取り組んでください〉

‐つづく‐


2010/05/19

素顔の街を見る楽しみ…築地の賑わいと安さに驚嘆

旅行や出張の楽しみの一つは朝早くその街を散策すること。なぜなら、化粧を剥いだ、その街の「素顔」が見えるからである。

これまでで一番素晴らしいと感じた街は、ドラマ『白線流し』で有名になった長野県松本市。国宝の松本城を中心とした城下町だが、住宅地の隅々まで清掃(美意識)が行き届いており、住民の文化レベルの高さがうかがえた。

子供たちがまだ小さかった頃に出かけた大阪はバイタリティ溢れる大都会ではあったが、どこか雑然としていて、いま一つ馴染めなかった。ただし、嫌いではない。

既報のように昨日から上京している。宿舎は銀座の外れにある小さな古いビジネスホテル。近代的なシティホテルと違って、時間がとてもゆったりと流れていて、田舎者には気が落ち着く。

5時過ぎに目が覚めたので、近くの界隈をぶらついてみることにした。15分ほど歩いて、築地の場外市場に着いた。

もうすでに、ものすごい「活気」である。竹製の買い物カゴを提げて仕入れに来た調理人風のオヤジさん、写真撮影に余念のない外国人、仲むつまじい日本人の若者カップル…。ぼやぼやしていると突き飛ばされそうな威勢の良さだ。

日本中の農海産物が首都・東京を目指して集まってくる、食の一大宝庫。マグロを目玉にした24時間営業の鮨屋が幾つもあり、早朝にもかかわらず人の列が並んでいる。

往来の向こうに神社の姿を認めたので、参拝することにした。災難を除き波を乗り切るという触れ込みの「築地鎮座・波除稲荷神社」があった。

手水(ちょうず)で身を清め、お賽銭を入れて、二礼二拍手。これで商売繁盛間違いなし、とスッキリした気分で道向かいの築地本願寺へ。

途中、見かけた瓶入りの「岩海苔」の値段を見ると、1個250円であった。先日、佐世保の土産物店で見たのは確か1050円だったから、なんと4分の1ではないか!

話は脱線するが、海産物が高いのか安いのか良く分からない時には、岩海苔の値段で判断することにしている。これが筆者流。通常は525円か630円なので、やはり築地は「バカ安!」である。

本願寺の境内は市場周辺と打って変わって、森閑としていた。正門をくぐり案内表示にしたがって、本堂へ。教えのままに、お香を焚いて、念仏を唱えたら、気分はより清々しく!

まだ出発時刻までには相当時間がある。もっと歩こう!ということで、銀座から日比谷に抜けて皇居周辺を半周。大手町から八重洲を経て宿舎にたどりついたら、2時間強が経過していた。

天候は晴れ。気温も「夏日」に向けて上昇しそう。これからシャワーを浴びて、会議に臨む。


2010/05/16

来週「活弁士」と再会…忠治とショパンは同級生!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

どうやら「日本プロ選手権」は石川遼選手にとって相当な〃鬼門〃らしい。これで3年連続の予選落ち。だが、「はにかみ王子」当時とは格段に試合後のコメント内容が良くなった。敗れてまたよし、だ。

ただ一方で、余りにソツのない受け答えに一抹の不安を覚えるファンも多いのでは…。何と言っても、まだ18歳の少年である。もっとハメを外してでもよさそうなもの、と考えるのは素人の浅はかさか?

まあ、何はともあれ、最終日(16日)までは天気ももちそうなので、観戦に出かけることにしよう。でないと、折角もらったチケットがもったいない!

ところで、週明けからFMの幹部スタッフとともに上京する。関連上部組織(JCBA)の総会への参加と併せて、各種の用事をまとめて済ませてくるつもりだ。

そのうちの一つが、「埼玉龍馬会」の会長、麻生八咫(やた)さんとの打合せ。先般、「龍馬ウォーク」(佐賀関~長崎)に参加された方で、懇親会の席でご一緒させていただいた。

麻生さんの本業は日本に数人しかいない、無声映画の「活弁士」(正式には活動写真弁士)。娘の子八咫(こやた)さんも後を継いでいるそうだ。

送っていただいた資料によれば、父親はれっきとした一九八八年度の文部大臣賞の受賞者。娘も第48回文部科学大臣杯全国青年弁論大会(2003年度)で同大臣賞を受けているというから、どちらも「本物」である。

その本物二人から「ぜひ島原の地で公演したい!」との申し出があったので、実現の可能性を探るべく再会することになった、という次第だ。

時に、「八咫」と言えば、サッカー日本代表の守り神「ヤタガラス」のこと。我が島原半島からも大久保嘉人&徳永悠平の両国見高OBが代表入りしており、これも何かの「ご縁」に違いない、と思う。

まだ日程も何も決まっていない段階で些か早とちりかも知れないが、恐らく演し物の一つは「国定忠治」という気がする。資料によれば、今年は忠治の生誕二百年だとか。

その名台詞は余りにも有名だが、全てを正確に覚えている人も少なかろうと思うので、後の参考までに、ここに再現しておく-。

〈赤木の山も今宵を限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、かわいい子分のてめぇたちとも、別れ別れになる門出だ〉

加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物(わざもの)、万年溜の雪水に清めて、おれにゃ、生涯(しょうげぇ)、てめぇという強い(つえぇ)味方があったのだ〉

ところで、この忠治と同年にポーランドで生まれたのが「ピアノの詩人」と呼ばれるショパン。生き様は違っても後世まで名を遺したという意味では、どちらもすごい人間である。


2010/05/15

転職成功!の朗報届く…何とか観たいプロの試合

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

これが俗に言う「五月晴れ」であろう。本当に一片の雲も見当たらない。空気は爽やかだし、日射しもまだそう強くない。

早朝、島原城の堀端を歩いてみると、そこかしこに可憐な花が咲き乱れている。商高前の「緑のトンネル」(桜並木)の若葉も見事だし、振興局玄関先のヤマボウシは早くも白い花を付けている。

こんな絶好の季節に、手入れの行き届いた名門コースでプレーできる石川遼君ら(プロゴルファー)はなんと幸せ者よ!おまけに、勝てば2800万円もの賞金が貰える。羨ましい限りだ。

さて、13日開幕した「日本プロ選手権日清カップヌードル杯」(パサージュ琴海アイランドGC)は、本県初めてのメジャー大会ということもあって、初日の段階で6600人もの観衆を集めた、という。

筆者のヘボゴルフ仲間の4氏も「仕事」を放り出して、2日目の早朝から観戦に出かけているようだが、よもや、本物を見て開眼するようなことはあるまい…。

パサージュ琴海には1度だけ訪れたことがある。と言っても、プレーではなくドライブの休憩がてらに立ち寄っただけだが、ロビー奥の喫茶コーナーから眺める海(大村湾)の景色は最高だった。

嗚呼、今頃あのゴルフ場でメジャーの大会が行われているのか、と思うとそぞろ気が落ち着かない。決勝ラウンドの土、日曜日は雨模様のようだし、このまま外出するふりをして観戦に行くか!?

そんな浮ついた気持ちでいたら、東京から1本の電話。何年かぶりに聞く懐かしい声だ。

「清水さん、○○です。お蔭様で転職後、ついに営業全体の取り仕切りをするトップの座まで昇りつめました。近々ご挨拶に伺います」。

電話口の声は感激の余り震えている。もともと「出世」とは縁のない世界で生きているので、他人様が偉くなった話はすんなりと受け入れられる。心底「良かった!」と思う。

と同時に、「イカン、イカン、○○君も様々な誘惑に負けずに頑張った結果、今日があるのだろう。ここは一つ我慢だ」と、いとも簡単に諦めがついたはずだが…。

昼休みに外に出ると、薫風が何とも心地よい。東京から「グッドニュース!」も届いた。先日植えてもらったトウカエデの木も順調に根付いている様子で、生まれたばかりウスバカゲロウの翅のような葉っぱが風にそよいでいる。

いや、待てよ!確かパサージュの玄関先で見かけた紅葉の木々は、トウカエデではなかったか?

「A型」という几帳面な性格上、疑問を疑問のまま放置しておくことは断じて許し難い。行かねば!かくして、休日のスケジュールは決まった。あーした天気になぁーれ、と。


2010/05/14

箸に始まり箸で終わる…棒ほど願って針ほど叶う!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

世の中には「箸にも棒にもかからん奴」(どうしようもない程ひどい人間)が必ずいる。だが、得てして、その類いの人種は異常な「自信家」だったり、「能天気」だったりするから、余計に始末が悪い。

のっけから、こんな書き出しで恐縮だが、今日は「お箸」の話を少し―。最近は至る所で「マイ箸運動」とやらが盛んなようで、島原市内でも商工会議所婦人会(竹下怜子会長)がウーマンパワーを炸裂させて、普及に余念がない。

その活動の一環として、先月22日には、代表らが島原市役所を訪問。市を挙げて環境問題に取り組んでいる横田市長に対して、手製の布袋に入った240膳を寄託した。余談だが、弊社も40膳をいただいているので、その一部は「もっぱらカード」の加入者に抽選でプレゼントしたい、と考えている。

さて、「箸」にまつわる話は数多いが、先日上京した折に、たまたま通りがかった「老舗専門店」の前で何とも面白い「説明書き」を目にしたので、一部抜粋して紹介しておく。

〈古来から箸は、人と人を結ぶ縁起物として大切にされてきました。「箸」も「橋」も語源は同じ、2つの世界を結ぶものです〉

日本では、こどもが産まれてから100日目に「お食い初め」という儀式を行い、こどもは箸を使い始めます。そして、人が亡くなりお骨を箸で拾い、茶碗にご飯を盛って箸をさし、仏前にお供えします。日本人は箸に始まり、箸で終わるのです〉

なるほど!絶妙な「能書き」だなぁー、と感心していたら、すぐその脇に「幸せの『箸』渡しはいかがですか?」大書してあった。なかなか商売上手なオーナーさんである。

人通りを気にしながら荷物を足元に下ろしてじっくりと眺めていたら、今度は「箸の禁じ手」とあった。それでは、初めて知った「禁じ手」を幾つか-。

【涙箸】箸の先から汁をぽたぽた落とすこと。【空箸】お箸を一度料理につけておきながら食べないで箸を置いてしまうこと。【受け箸】箸を持ったままおかわりすること。

【込み箸】口に入れた食べ物などをさらにお箸で口の奥に押し込むこと。【移り箸】あれこれと卑しくおかずばかり続けて食べること。【二人箸】一つの食器の上で、二人一緒に同じ料理をはさむこと。

言われてみれば確かに思い当たるフシがある。果たして、読者の皆様の認知度は?筆者は今日改めて「デジカメ画像」を読み直してみて、「たかが箸、されど箸」との思いを強くした次第です。

ところで、昔よく聞かされた言葉に「『棒』ほど願って『針』ほど叶う」(余り欲張ってはいけない!)という箴言があったが、せめて「箸サイズ」くらい、我が胸の思いは実現出来ないものだろうか…。


2010/05/13

大往生だった隈長さん…他人のために生きる意義!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原市商店街連盟の元会長だった「玉屋」の隈部長太郎さんが10日、亡くなった。享年満98歳。堂々たる「大往生」と言ってよいだろう。

平たく言えば、隈部さんは岳父のポン友。図らずも先に逝ってしまった弊社初代社長、福山隆幸さんや会議所元専務理事の河野俊文さんともども「十日恵比須神社」(福岡市)を詣でるのが、彼ら「四人組」の新春の慣わしであった。

酒は余りたしなまず、口数も少ない方だったが、時おり「大胆な行動」に打って出られた。筆者が一番ビックリしたのは、70歳代半ばにして、我が身一つでチベットだったかに旅行されたこと。

かつて「団体ツアー」を専門とする旅行会社に勤務していた身からすると、羨ましくもあり、その飄々たる振る舞いに「大いなる敬意」を抱いたのも事実である。ご冥福を祈る。

その隈部さんと同い年なのが、聖路加国際病院理事長の日野原重明さん。昨夜はどうしてもその「講演」が聴きたくて、隈部さんの通夜は失礼させていただいた(葬儀には必ず参列致しますから、どうぞお許し下さい!)。

会場の諫早文化会館は二階席までほぼ満席の状態。驚いたことに、若者の姿も数多く見られた。もっとも、それもそのはずで、この日のテーマは『若い世代とシニア世代との心の交流~めいめいの行き方を考える~』だった。「新老人の会」長崎支部の主催。

主役の日野原さんはやや猫背気味なものの、最初から最後まで元気ハツラツ!時に会場の笑いを誘いながら、立ちっぱなしで約90分間にわたる講演とコンサートマスターを精力的にこなされた。

59歳の時「よど号ハイジャック事件」(昭和45年)に遭遇。「それから先は自分のためにではなく、他人のために生きることにした」と、自身の来し方を振り返る気骨の老医師。

一方で、悲惨な戦争体験をもとに「平和の尊さ」を唱え、「憲法9条を何が何でも守らなくては!」と訴えながらも、「核兵器廃絶!」のスローガンのみを前面に押し出した「被爆地長崎」の平和運動の進め方に疑問を呈する一幕も。

講演会終了後は著書の販売やサイン会に併せて「新老人の会」の会員申し込みのコーナーも設けられていた。筆者も成り行きのまま、「サポート会員」(年会費5千円)になることを決めた。

また、折角の機会でもあったので、買い求めた本にサインをしていただくことにし、列の最後尾に並んだ。日野原さんは微塵も疲れた様子を見せず、せっせと筆を動かしていた。

最後に握手を求めたら、気持ち良く応じていただいたので大感激!ここにめでたく一人の「老人予備軍」が誕生した次第。これから筆者のことは「ジジー」と呼んで下さい!


2010/05/12

今や「県外でも最低」…後ろ姿で導く人さらに尊し?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「アチャー、やらかしとるばい!」と頭を抱え込んでいたら、案の定、本紙日曜版の『ひとくち説教』の著者の一人、宮崎和子さんから何ともキツーイお叱りを受けてしまった。昨夜(10日)のことだ。

改めて読み直してみると、お怒りになるのもごもっともなことで、どこでどう勘違いしたのか知らないが、本紙の製作スタッフが原稿転記の際に、「近隣諸国」とすべきところを「謹慎 - 」と打ち間違ってしまっていたのだ。

「あなた方はプロ(職業人)としての自覚が足りない。結果として、自分たちの社長に恥をかかせているのと同じことなのよ!」。反論も何もあったものではない。誠に申し訳ございませんでした。どうか平にご容赦下さいませ!

ところで、その紙面をご覧になっていただけばすぐにも分かることだが、宮崎さんの「怒りの矛先」はもともと政権与党(民主党)の重鎮二人に向けられたものだった。一人は国会対策委員長の山岡賢次氏。あとの一人は鳩山由紀夫総理大臣に対して、である。

今更その無責任な「発言内容」をこの場で蒸し返しても仕方のないことなので割愛するが、山岡委員長に関しては、もう随分と以前に取材記者のインタビューを受ける際に見せた「余りの横柄ぶり」に唖然としたことがある。

確かに長年の悲願であった「政権奪取」を実現した高揚感もあったのだろうが、質問に対して、鼻先でせせら笑ったように「フン」「フン」…とする受け答えはないだろう、と心底思った。

意外とご存知ない向きが多いかも知れないが、この方の養父は大長編『徳川家康』を著した国民的作家の山岡宗八氏である。余談ながら、一昔前の『政官要覧』をひも解いてみたら、その座右の銘は「後ろ姿で導く人さらに尊し」げな?

さてもう一方の標的、鳩山首相に関しては、「サービス精神」が旺盛すぎるのか、はたまた「場当たり主義者」なのかどうか知らないが、ご自身の「発言」に振り回されているようで、一国のリーダーとしては何とも心もとない。

巷間ささやかれているように、余りにも経済的に恵まれ過ぎた「育ち方」がアダとなっているのだろうか…?いやいや、それだけではあるまい。これはもう「言葉が命」の政治家としては致命的な欠点である、と言われても仕方がないような昨今の迷走ぶりである。

昨夏の総選挙を前にして沖縄県民に約束した「最低でも県外」という決めゼリフは、今やもう完全に逆転状態。党首の言葉が「公約なんかでない」とする言い訳もむなしい。

仕事の関係で北目の広域農道を走ることも多いが、その「公約」を大きく掲げた選挙ポスターが、最近は力なく風に揺らいでいる。鳩山さん、今やあなたの人気は「県外でも最低」なんですよ!


2010/05/08

ついに半島一周!!…体重4キロ減のオマケも

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

実際に歩いてみると分かるが、この季節は何とも気持ちが良い。木々の緑は日を追うごとにその色を深め、世の中全体が「生きている」ということをしみじみと実感させてくれる。

歩き疲れてふと路傍の名も無き草花に目をやると、彼(女)らのけなげさに心打たれる。そもそも「名も無き―」などといった、人間中心の横柄な物言いが間違っているのだ!

土黒のあたりで久方ぶりに麦畑を見かけた。すると、折り合いよくヒバリの囀(さえず)りが聞こえてくるではないか!ああ、何と言う天の粋な計らいだろう…。

つい嬉しくなって、スキップ調で歩みが速まる。出発から約1時間半で瑞穂町日守のコンビニショップまで辿り着いた。

そこでこの日初めての食事。いつもと変わらぬ朝食の時間帯だが、ダイエット効果を目論んでサンドイッチ1個とオレンジジュース1パックにとどめた。

一服後、次は吾妻町大熊のコンビニを目指して再出発。快調!快調!まだまだ足取りは軽い。不遜にも「これなら来年からは佐世保組か」と思った途端、左足に異変が…。

バス停のベンチに腰掛けて恐る恐る靴下を脱ぐと、早くもマメができ、爪が剥(は)がれかけている。前々回の「反省点」をもうすっかり忘れてしまっている自分に腹が立った。

それでも、ここまで来て止めるわけにはいなかい!少しゆっくり目に歩くことにする。

次なる休憩地は愛野町のショッピングセンター。時計を見ると、再出発からもう2時間半も経過している。そこで歯磨きセットと爪切りを買って、やや長めに身体を休めた。

愛津から愛野展望台にかけての坂道は、国道ルートを避けて、森の中の田んぼ道を歩いた。国道から少し外れただけなのに、何と言う静けさ!ひょっとしてここは雲仙市の「秘密の隠れ家」なのかも?

馬鈴薯畑を前後左右に眺めながら、一路展望台を目指す。途中で食べたソフトクリームの美味かったこと!ただし、その後がいけない。下り坂になって歩くには都合が良いはずだが、歩道が狭くて何度も車に引かれそうになった。

千々石の海水浴場では、何組もの家族連れがビーチパラソルの下でのんびりと休日を楽しんでいる。ひとしきり「孤独」を感じたのも事実だ。

さていよいよ、旧小浜鉄道の「汽車道」。遅めの昼食(バナナロール1個)を摂りながら上千々石駅の碑の前で休憩していたら、雲仙きのこの楠田喜熊社長に見つかった。

残り約7キロ。有名な「緑のトンネル」はひんやりとしていて、心身の癒し効果抜群!その甲斐あってか、とうとう108キロの「煩悩の道」を歩きおおせたのだ。余談ながら、「体重4キロ減」のご褒美もいただけた。万歳!
         
‐おわり‐


2010/05/07

「心の癒し旅」に出発…期せずしてアマノジャクに

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈天邪鬼〉と言えば、これほど明け透けな〈アマノジャク〉もあるまい…。思わず自嘲的な笑いが漏れるほどの浅ましい行動(?)をとってしまった。

時は連休中日。5月3日「憲法記念日」のことだ。本欄でも幾度か紹介したしたこともあるが、筆者にとって、徒歩での島原半島一周は、未だ成し得ていない「悲願の旅」でもある。

振り返ってみると、自転車での半島一周はまだFM開局後間もない頃ではなかったか。南目の国道を、北風に逆らって必死で進んで行ったことを思い出す。

徒歩バージョンは一昨年の初秋の頃。口之津と南有馬の道路脇で、夕涼みがてらのマムシがたむろしていた、おぞましい情景が忘れられない。

しかし、それより何より午前3時過ぎに西有家町引無田のバス停付近で途中棄権してしまったことが、いまだに「心の傷」として残っている。後で調べたら、出発地点の小浜温泉からそこまでの距離は約35キロであった。

それから二度にわたって「108キロ」の全行程制覇に向けてチャレンジを続け、ようやく国見町多比良駅まで漕ぎ着けたのが半年ほど前のこと。残る距離は38キロ前後と踏んでいた。

前置きが長くなってしまったが、仕上げの旅「多比良~小浜間」に挑んだのである。では何故〈アマノジャク〉なのかと言うと、折しもその日は「佐世保~島原間105キロウォークラリー」の日だったのだ。

午前6時6分島原駅発の始発列車に乗って初めてそのことに気付いた。周囲を見渡すと、いかにも健脚家と思しき人々の群れ。決して誇張なんかでなく、皆さん平然とした表情なので正直びっくりした。

この日、島鉄の車窓から眺める有明海の朝日は殊のほか美しかった。多比良駅には定刻の6時22分に着いた。

さあ、そこからが筆者の「心の癒し旅」の始まりだ。ところが、いざ国道に出てみれば、胸に誇らしげにゼッケンを付けた佐世保出発組が陸続と続いてくるではないか。

余りにも頻繁に擦れ違わなければならないので、恥ずかしくなって歩道を替えた。とその途端に、島原食販の水元敦美社長が元気に道向こうを歩いておられるではないか!軽く手を挙げて敬意を表した後、あとは人々とは真逆の「孤独な一人旅」だ。

帽子は何年か前に訪れたアイスランドで仕入れてきたもの。思えば、彼の国も「財政破綻」に加えて、一時的にせよ世界の航空情勢をマヒ状態に陥らせた「噴火活動」と、何ともご難続きである。

記憶するところによれば、半島一周の距離は人間の煩悩の数と同じ「108(キロ)」。踏破すれば、きっとそこから解脱できる。「弱い自分に必ずシャッポを脱がせてやる!」と固く心に誓って歩を進めた。

‐つづく‐


2010/05/01

『福翁自伝』に感動!…慶應三田は旧島原藩中屋敷

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

28、29と1泊2日の日程で上京していた。「区域外再送信」というCATV業界挙げての問題がまだ片付いておらず、連盟本部から緊急の呼び出しがかかった、という訳だ。

その際、移動時のヒマつぶしにでも、と思って持参したのが『福翁自伝』(PHP出版)。ところが、これが滅法面白くて、ついはまり込んでしまった。

今さら説明も要すまいが、「福翁」とは慶應義塾創始者の福澤諭吉先生のこと。この方が60代半ばにして自らの人生(生き方)を振り返った、言わば「一代記」である。

巷はいま、NHK大河ドラマの影響で「龍馬」が大人気だが、幕末期のほぼ同時代を生きていたはずなのに、この本の中には、まったくもって「その名」が見当たらない。西郷しかり、木戸しかりである。

もとより筆者自身が日本史に詳しい方ではないので、その辺りの事情は不案内なのだが、とても不思議なスタンスである。

俄然興味を持って読み進めたのは、現在の慶應大学本部のある三田キャンパスを手に入れるくだり。他でもない、同所は旧島原藩の江戸中屋敷跡だ。

この話については以前、画家の永田力さん(旧制島中第●回卒)からも伺っていたので、随分と分かりやすかったのだが、福澤さんというのは何とも「策略家」である。

事の起こりは交番制度について書かれた洋書の翻訳を、幕府方が福澤さんに依頼したことから。知略に富む福澤さんは、その「取引条件」として、環境抜群で広大な「三田の地」を希望したのだそうだ。

とすれば、慶応義塾という存在は、もっと「島原」に礼を尽くしてもよいのでは…という気がしないでもないが、残念ながら、余りご縁がないのは、皆様ご案内の通り。

まあ、誤解を恐れずに言うなら、福澤さんという人は終始一貫、あらゆる局面を「冷静沈着」で押し通した。そして自らの信念に基づき、淡々とその思いを叶えていった、稀有の実践活動家であった。

つまり、慶應建学の精神(DNA)には、「裕福」「おしゃれ」などといった現代の一般的なイメージとは真逆を行く、「骨太な要素」が多数含まれているのである。小泉元総理ではないが、(この本を読んで)本当に感動した!

ところで、福澤さんの肖像は現在、我が国の最高紙幣である「一万円札」を飾っている。前回が聖徳太子であることを考えれば、その評価の高さは自ずと知れよう、というもの。

ただ、残念なことに、この「偉人」をドラマ化した作品は余りない。もう随分と前にNHKの短いドラマがあったが、そろそろ大河級でどうだろう?龍馬とはまた違った「視点」で眺める幕末史も是非観てみたいものだ。